幕間.光と闇とお茶菓子と2
一昨日から空を覆っていた灰色の雲はどこかへと消え去り、それを喜ぶように太陽が燦然と輝いている。
爽やかな陽光が美しく輝きながら、大地へと一杯に降り注ぐ。
雨の名残を雫として身にまとい、草花が日光を反射し美しく着飾る。そんな健気な輝きに目を細め、穏やかな笑みを浮かべている女性の姿が、王城が誇る庭園にはあった。
「今日は晴れて良かったの。一昨日の茶会が潰れてしまった故、では翌日、と思っておったのに、昨日も降られてしもうたからの」
長い足を組みテーブルに座る、一人の女性。近くには従者と思われる女性が二人つき従っているが、彼女らはいずれも特徴的な見た目をしていた。
しっとりとした褐色の肌に、艶めかしい輝きを放つシルバーブロンド。そう、彼女らは人族に、ダークエルフと呼ばれる者達である。
そして。そこに座る女性こそ、ダークエルフを統べる女王、ドロテア・ラヌス・ジェドライゼその人であった。
彼女は相も変わらず煽情的な装いで、組んだ足を横から見れば、足首から太ももまでがほぼ丸見えである。男性が見れば鼻の下を伸ばし、女性が見れば眉をしかめそうな、そんな恰好であった。
彼らダークエルフ達の恰好は、大きな一反の布を半分で折り、折り返した場所に穴をあけて頭を通し腰元を帯で締めると言った、貫頭衣のような装いである。
それ故、横から見れば肌が丸見えの場所が非常に多い。端整な顔つきも相まって、中々に目に毒な恰好をしていた。
しかし彼女らがそんな服装をしているのには確かな理由があった。
そこを知らず、「なんでお前らそんなにエロい恰好してんだ?」と、どこぞのおっさんが言い、正座で説教されていたのは仕方のないことであろう。
デリカシーが無さすぎである。おっさんなんてそんなものかもしれないが。
さて。彼らがその衣装をまとう理由。それは、エルフと長きに渡って対立してきた歴史が大きく関係している。
元々エルフもダークエルフも、見た目――つまり肌や髪の色が異なるだけで、過去の歴史を紐解けば、かつては共に暮らしていたこともある、森人族という同種の人間である。
その森人族の中でも現在単にエルフと呼ばれる者達は、それ以前にはライトエルフと呼ばれており、森人族の種族の一つ、という扱いでしかなかった。
それが単にエルフと呼ばれ始めたのは、ライトエルフをたまたま森で目にした人間達が、彼らのことをそう呼び始めたという些細な理由であった。
だが、これが思わぬ影響を与える結果となった。
森人族の代表であるかのようにエルフと呼ばれるライトエルフ。ではダークエルフはライトエルフより劣るとでも言うのか。
いつからか分からないほど昔から対立してきたライトエルフとダークエルフは、そんな些細なことから更に対立を煽られ、仲違いが加速してしまう。
結果、エルフはその透けるような白い肌を、ダークエルフはその艶やかな褐色の肌を己の誇りとし、エルフはその白い肌を守るため常にローブを着るようになり、対するダークエルフは誇張するかのように、その素肌を晒すような服装を好むようになっていった。
そうしてダークエルフの服装は現在のように少々破廉恥ともいえる形になっていったのだ。理由もなく素肌を晒す変態でもなければ、エロいわけでもないのである。
惜しげもなくその艶めかしい肌を見せつけるように足を組む女王ドロテア。彼女もまた、己がダークエルフであることを何よりも誇りに思って生きていた。
だからこそ誰の視線を受けようと、そこにやましい感情が込められていようと、彼女は常に胸を張る。それがダークエルフである自身の、誇りであるが故に。
「すみません、遅くなりました」
ドロテアが静かに花を愛でていたそんな時、横合いから一人の女性がお付き二人を伴って現れた。
その女性がさっとフードを脱ぐと、丁寧に結い上げられキラキラと輝くプラチナブロンドが露になった。
「うむ。いや、待っておらんぞ」
「嘘ばっかり。ごめんなさい。年甲斐もなく少しはしゃいでしまって。気付いたらこんな時間に」
その女性は申し訳なさそうに眉をひそめながらドロテアに近づく。その女性こそ、現在のライトエルフの女王であるヴェティペール・フォヴァニ・クルエストレンである。
以前はいがみ合い対立しあってきたドロテアとヴェティペール。しかしお料理教室を経て性根をバド先生に叩き直された彼女らは、今では他にはない程に友誼を深めていた。
「特に急ぐ都合もなかろう。時間など溢れるほどあるのじゃ、構わん構わん」
ころころと笑いながらドロテアは言う。森人族の寿命は四〇〇歳から四五〇歳ほど。百歳が寿命である人族の凡そ四倍の寿命を持つ彼らにとって、一日二日の差など誤差である。
この十数分を待つ程度で目くじらを立てるような生き急ぐ種族ではないのだ。ドロテアも社交辞令などではなく本心からそう思い、その言葉を口にしていた。
だが。彼女の予想に反して、ヴェティペールはエルフらしからぬ意外な反応を見せた。
「でも、貴方とこうして過ごせる時間は有限でしょう? 私にはそれが惜しくてならないのです」
ドロテアは三百年前の聖魔大戦以前から現在まで生き続けている、数少ないエルフである。
時を緩やかに過ごすエルフであるはずのヴェティペールが言った言葉。そこに含まれている意味を正確に理解したドロテアは、わずかに目を開く。
「……まったく、ヴェティには敵わんの」
そして若干すねたような口調で言うヴェティペールにゆるりと頬を緩ませる。その笑みに含まれている感情は、親愛という名の、彼女への愛おしさを一切隠さない優しいものであった。
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ヴェティペールがテーブルの上に置いた黄金色の輝きを持つそれに、ドロテアはうーむと楽しそうに唸った。
「パイかの」
「はい」
そのさっくりと焼かれた艶やかな光沢をもつパイは、食欲をそそる香ばしい匂いを惜しげもなく周囲にまき散らしている。
ドロテアは楽しそうにそのパイを見ながら中身を予想する。今は初秋を過ぎた頃。旬と言えば何かと考える。
オーソドックスにリンゴだろうか。それとも、以前マドレーヌに入れたレモンか?
形の良い顎に手を当て唸るドロテアを、ヴェティペールは楽しそうに見ていた。
「……リンゴかの?」
結局妥当なところに行きついたドロテア。それにヴェティペールはくすりと笑う。
「さて。それでは答え合わせをしましょう」
後ろに控えたエルフ達がさっと前に歩み出ると、そのパイにナイフを入れ始める。サクサクという小気味良い音を聞くだけで、もはやおいしいと理解できてしまう。
ピクピクと動いてしまう耳に気恥ずかしさを感じ周囲を見ると、目の前のヴェティペールも、周囲のお付きたちもが楽しそうに耳をピクピクと動かしており、ドロテアはついプッと噴き出してしまった。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。この時間が楽しくて、ついの」
どうやらヴェティペールは自分の耳が動いているのに気付いていないようである。
本来であれば人前で耳をそばだてるなどはしたない行為であるが、しかしこのパイを前にしては、高潔なる森人族の女王をしても敵わないのか。
(強敵じゃな、これは。気を引き締めてかかろうぞ。ふふふっ)
ニコニコと機嫌よさそうに笑うドロテアに、ヴェティペールは一瞬不思議そうな目を向ける。だが切り分けられたパイが目の前に運ばれると、そちらに気が向いたらしい。
「それでは、どうぞ召し上がってみてください」
自信作ですと、にこやかに告げた。
「ふむ。では遠慮なく頂こう」
目の前に運ばれてきたパイ。一体中身はなんだろう。
楽しく思いながらドロテアはさくりとナイフを入れ、フォークで刺し、そしておもむろに口へと運んだ。
「――むっ!」
思わず口から感情が漏れ出る。目の前のヴェティペールが満足そうに笑ったのが見えた。
「これは……豆じゃなっ!?」
「正解です。えだ豆を潰して、濾したものを入れてみました」
甘味がくると思いきや、まさかのえだ豆。故郷を思わせる懐かしい風味が口いっぱいに広がり、ドロテアは驚きと喜びに目を見開いた。
豆はエルフにとっては主食であり、欠かせない穀物である。
人族の国に出てきた彼らは毎日主食としてパンを口にしていた。それも悪くはないと思ってはいたが、しかしこうして久々に豆を口にするとどうだろう。
やはり自分たちの主食は豆だ。そう再認識してしまうほどには感慨深いものがあった。
なおえだ豆は穀物ではなく野菜だ、などというエルフもいるが、そんな細かい事は今はどうでも良い。大切なことは、豆がエルフにとって重要な食材なのだ、ということである。
「私達はこの人族の国に来て、色々な食材を口にする機会に恵まれました。しかしいずれは故郷に帰る身。交流を深めれば人族との交易も、という話は出るのでしょうけれど、すぐというわけには参りません」
「確かにの。里に帰れば他種族に対して良い感情を持たぬ者ばかりじゃ。儂らは故あって森から出で、様々な者達と関わるうちにその価値観が変わった。無論儂は、それが良い方に変わったものと確信しておる。……じゃが、里に残る大多数はそうはゆくまい。森から連れ出すわけにもいかぬ故、説得するにも時間を要するのは必然じゃろうの」
ヴェティペールの言うことはドロテアにも良く理解できた。
森人族はもとより森と共に生きる種族。森で生き、森で死ぬ。
気の遠くなるような昔から世界樹と共に生きることを望み、それを失った今も、先人の悲願を語り継ぎ、そうしてずっと生きてきたのだ。
神から賜ったとされる世界樹を守る一族の意識は選民思想で凝り固まっており、他種族を見下す傾向が非常に強い。
いきなり人族と交易を始めようなどと言ったとて、はい喜んで! というわけにいかないのは明白だった。
なお。ライトエルフとダークエルフとの対立も、元々はこの世界樹が関係していた。
かつて枯れたことにより失われたとされる世界樹。その原因を作ったのがどちらか、という抗争の果てに一族は割れ、ライトとダークに二分されたのである。
枯れた理由も分からぬまま、原因を押し付け合い割れた森人族。彼らは語り継いできた歴史によって互いへの憎しみを育み、対立し続けてきた。
しかしふたを開けてみれば、その憎しみのなんと脆い事か。
膝を突き合わせ共に暮らし、力を合わせ同じ飯を食らえば、こんなに呆気なく憎しみが消えるなど一体誰が思っただろうか。
「ですが、この機会を私は無下にしたくはないのです。あなた方と友誼を結んだという掛け替えのない事実も。これから私達がどう行動するかが、森人族にとって大きな分岐点になるでしょう」
「……そうじゃの」
憎しみを親愛に変え、手を携えて戦ってきた彼らエルフ達。しかしライトエルフとダークエルフが友誼を結んだと言っても、それは今、この人族の国にいるエルフの間のみの話。
それぞれの故郷に帰れば、それに難色を示す同胞が大多数となるのだ。
もっと言えば、この国だけでなく、南の帝国、北の聖王国など、彼女らの故郷に属しないエルフ達がいる可能性も非常に高い。そしてそんな彼らもまた、自分達の故郷にいる同胞達と意見を違えないだろう。
この機会を無下にはしたくない。自分達だけで終わらせたくない。
ヴェティペールの熱い気持ちは、ドロテアにも十分伝わった。
いや、実を言えばドロテアもまた、彼女と同じ気持ちでいたのだ。しかし年齢という現実主義がドロテアの行動を鈍らせた。
同胞らの選民意識を嫌と言うほど知る彼女が無意識に抱く、徒労に終わるだろうという諦め。それが彼女の行動に枷をしてしまっていたのだ。
(若さとは羨ましいものじゃ。そこにどんな障害があろうと、その果てにある成否に関わらず、真っすぐに立ち向かってゆける。情熱を注ぐことができる。儂にもその思いは理解できる。しかし同じだけの熱さを持つには、ちと年を取りすぎたようじゃ)
もし目の前に座るヴェティペールのように若ければ、彼女の情熱を真に共感できただろうか。
真剣な面持ちのヴェティペール。その眼差しに少し寂しさを感じながら、ドロテアはゆっくりと首肯した。
「私が今できることは何だろうと、そう考えました。相互理解が必要なことは確かです。しかしまずは私達とあなた方で、何か形として欲しかったのです。友誼を結んだという、その証を」
「なるほどの。それでこのパイか」
「はい」
「これは、お主のオリジナルレシピじゃな?」
こくりとヴェティペールは頷く。
「このレシピを、私、ライトエルフの女王、ヴェティペール・フォヴァニ・クルエストレンは、ダークエルフの女王ドロテア様に進呈致します」
今自分達にできること。それは、ここにいる自分達が友誼を結び、確かに交流したという事実。
それをレシピの進呈という形で残そうと、ヴェティペールはそう言うのだ。
バドから料理を教えられてからというもの、料理に対しての姿勢は非常に真摯であるこの二人。
オリジナルレシピを作り上げ、それを割れた森人族達の懸け橋にしたいというヴェディペールが、一体どんな気持ちでこの目の前のパイを作り上げたのか。
割れたエルフをつなぐレシピだ。生半可なものでは歴史から消えてしまう。
幾度となく失敗しただろう。納得のいく味にならず、歯噛みしたことも少なくなかっただろう。
どれだけの時間を費やしたのだろうか。どれだけ悔しい思いをしたのだろうか。
ドロテアは胸に込み上げるものを感じながら、目の前の、いつの間にか自分の娘のようにも思い始めていたライトエルフの女性を見た。
かつて見た娘の顔が、そこに見えたような気がした。
「そうか。確かに。ありがたく頂戴しよう。……そして、次はこちらの番というわけじゃな?」
「お願いできますか? ドロテア」
「無論、お主たっての頼みを断るはずもない。むしろ腕が鳴るというものじゃ。任されよ」
お互いに進呈したレシピの数が増えれば増えるほど、後のエルフ達はこう思うだろう。ライトエルフとダークエルフの友誼は、ここに間違いなく結ばれていたのだと。
今すぐにはできずとも、時間をかければきっと。それは長い時間を生きるエルフ達の、気の遠くなるような改革。
しかし、生活に根差した食事という要素から攻めようという、確実な一手であった。
「今我らが実施している”すとらいき”とやらの成果も出始めたようじゃし、これはあまりのんびりとはしてられんの」
三百年以上生きてきて、これほどまで愉快だったことがあるだろうか。今自分達がエルフ達の歴史を変えようというのだ。愉快でないはずがないではないか。
思考で自問自答するその可笑しさに口をゆるりと歪め、ドロテアは唇をほころばせる。
「そうですね。やっとエイク殿に爵位とやらが与えられるようで、一先ずは目的を達成できたと言っても良いはずです」
「確か、伯爵位、じゃったかの?」
「いえ、私が聞いたところによれば――」
女王自ら作ったえだ豆のパイに舌鼓を打ちながら、二人のエルフは話に興じる。
後ろに立つお付きのエルフ達も、彼女らの様子を微笑ましそうに見つめていた。
この様子を故郷の同胞達が見たら、一体どんな顔をするだろうかと彼らは思う。
怒り心頭に唾を飛ばして、罵詈雑言を吐くだろうか。
目を剥きながらも言葉を出せず、魚のように口をパクパクと開閉するだろうか。
武器を持ち出す者もいるかもしれない。杖を向け魔法を放つ者もいるかもしれない。
それでも、とお付きのエルフ達は思う。
この光景を守るためになら、この穏やかな時間を守るためになら、どんな困難でも成し遂げて見せようと。
それは種族の違いを超え、お互いの胸に確かに宿る小さな灯。しかし決して揺るぐことのない確固たる決意となって、優しい温もりを放ち続けているのだった。




