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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第三_五章 揺らぐ心、揺るがぬ信頼

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幕間.トンガの騎士

誤字報告くださった方、ありがとうございます。

何度か見直しをしてるんですが、誤字はどこから湧いてくるのか……


今回の話は大分長めです。

二話に分けようかとも思いましたが、分けるような話でもないので、そのまま投稿します。

 私の名前はエトウィン。エトウィン・ルーベンス。

 ルーベンス男爵家の三男である。


 男爵家の三男という絶妙に微妙な立場でこの世に生を受けた私は、その微妙な立ち位置とは裏腹に、幼少の頃より騎士の道を志し、二十三年前には王宮騎士となるべく王都へ赴き、騎士の登用試験に臨んだこともあるという輝かしい経歴を持つ男である。


 登用試験の折、陛下の御前で剣を取り、試合を行った時の高揚感は今でも忘れられない思い出だ。

 試験の結果はと言えば結局、諸事情により王宮騎士を辞退することとなり……紆余曲折あって、今私はこうしてここトンガの村を一人で守護しているのである。


 こんな田舎の村にいるわけであるが、紛うことなき誇り高き騎士なのだ。田舎騎士と間違って貰っては困るのである!


 そんな私であるが、この村に常駐してから気付けばもう二十年以上の歳月が流れていた。

 比較的平和な場所にあるこの小さな村には特記するような脅威はない。とは言っても全く何も起こらないわけでもない。


 当然であるが、この村の周りにも魔物が生息する。私にとっては歯牙にもかけぬ相手だろうと、村民にとっては恐ろしい相手なのだ。

 村の近くに姿を見せたなら私は一人剣を取り、果敢に戦い民を守るのである。

 この村を襲い来る魔物から、私は村民らを幾度も守り続けてきた。そのため皆からは敬愛の念を抱かれ、騎士様などと呼ばれている。


「おー、エトウィンのおっさん! こんちは!」

「こら、エトウィンさんでしょ! ごめんなさいエトウィンさん。こんにちは。今日も平和ですねぇ」


 た、たぶん抱かれているはずだ。うん。

 とりあえず手を振って親子を見送ろう。ああ、前を見て歩きなさい。この間のように転んで泣くんじゃあないぞ。


 さて。この村の外にうろつく魔物は、精々が高くてもランクEに分類されている程度だ。先ほども言ったが私の相手になるような相手ではない。

 群れを成す魔物もいるが、この付近に生息するのはグレイウルフ――Fランクの魔物である――程度で、私一人で十分なのだ。

 まあ私が強いだけとも言うが。ふふん。


 だが村に脅威となる存在というものが魔物以外にも存在する。

 それは人間――盗賊である。

 盗賊は数を頼りに人を襲う。流石の私も、十人がかりで襲われれば流石に流石なのだ。


 そこで村の自衛力を強化するために、若者達には武芸の手ほどきなども行っている。それが功を奏して、何度か盗賊達に襲われたものの、全て返り討ちにできた。

 その結果は皆の自信にも繋がることにもなったようで、村は私がここに来る前よりも活気にあふれるようになった。大変喜ばしい限りだ。


 その中心に私がいるというのが実に清々しいが、清廉な騎士である私はそのようなことは口にしない。

 憧憬に煌めく瞳を向けられようとも、決して頬を緩ませてなどいないのである!


「えといんのおじちゃん、こんちには!」


 はいこんにちは。今日も元気だねぇ。もうすぐ陽が暮れるから、家の周りから離れるんじゃあないよ。


 ばいばいと言って手を振る幼子に、私も手を振り返しながらその場を離れる。

 つい最近までハイハイしかできなかったというのに、時間と言うのは経つのが早いものだ。自分がもういい年であることを否応なく感じてしまうなぁ。


 ……そんな高潔な騎士である私の仕事は多岐にわたる。

 突発的な襲撃からこの村を守ることは当然だが、それ以外にも、不審な予兆はないか、怪しい輩が村にいないかなど、毎日朝夕と見回りを行うのだ。


 今もまた見回りの最中である。私はこの二十年で培った鋭い観察眼をもって、村の脅威となる存在の有無を厳しくチェックする。

 今はもう黄昏時。この巡回で問題なければ私の日課は終わりとなり、あとは家に帰るのみだ。


 田舎の村だ。そう大きな問題など早々に起きようはずもない。

 だがしかし、今日は珍しくそうはならなかった。


「痛ててて! バドぉ! もっとゆっくり丁寧に、優しく静かに滑らかに運んでくれぇ!」

「貴方様! もう少しで休憩できますからしっかり! デュヘヘっ!」

「そう言いながら尻を触るな! 尻の筋肉も痛ぇんだよ!」

「そんなに痛いのー?」

「叩くな馬鹿タレ! 痛ぇって言ってんだろ! バド、頼むから水平移動してくれ!」


 見覚えが無い、随分とやかましい四人組が前から歩いてきたのである。見れば一人の男が背中に担がれ、痛い痛いと騒いでいる。

 怪我でもしているのだろうか。しかしそれにしては元気過ぎるようにも思う。

 とにもかくにも、この村を守る高潔な騎士として、怪しい輩を見過ごすことはできない。


 私は彼らの前に歩み出で、声をかけた。


「そこの御仁ら、このトンガの村に何か御用ですかな?」


 笑みを浮かべ、敵意は無いと示しながら話しかける。だがそれと同時に視線を油断なく四人に巡らせた。


 まず、私の真正面に立っている男に目を向ける。痛いと騒ぐ男を背負う男だ。

 なんと見上げるような巨漢だ。ローブで隠れているが、それでも全身の筋肉が隆起しているのが分かるほど、凄まじい肉体をしている。


 長年騎士をやっている私でも、思わずごくりと唾を飲み込んでしまうほどに、威圧感が体からあふれ出している。

 正直めちゃくちゃ怖い。足が震えそうだ。


 無意識にその男から視線を反らしてしまい、今度は隣の人物と目が合う。

 が……なんと!


 ――美しい。さらりと流れる銀色の長髪に、この世の美を集めたような麗しい顔つき。

 ぷっくりと膨らんだ唇は愛らしく、私に向けられるその瞳は、私の心を引き寄せるかのように赤く妖艶な輝きを放っている。


 目を離すことができず、私は食い入るように彼女を見つめてしまう。すると彼女はさっと巨漢の後ろに隠れてしまった。

 私としたことが、しまった。淑女に対してあのような視線を向けるとは、あまりにも不躾であった。

 一言謝った方が良いだろう。そう思い口を開こうとすると、不意にくいくいと太ももの辺りを引っ張られた。


「おっちゃん誰?」

「うん?」


 反射的に視線を落とすと、いつの間にかそこに赤毛の少女が立っていた。

 その少女はくりくりとした丸い目で私を見上げている。見ればなかなかに愛嬌のある顔立ちをしている。将来きっと可愛らしい女性へと成長することだろう。

 あどけない表情に無意識に手が伸び、私は自然と少女の頭を撫でていた。


「私はこの村を守る騎士、エトウィンである。この村では見ない顔だったので、声をかけさせてもらったのだ」

「もしかして、家を貸してくれる人?」


 こてりと少女は首を傾げた。

 家を貸す? と一瞬考えたが、すぐに宿のことを言っているのだろうと見当がついた。

 この村には宿と言うものは無い。なので村に立ち寄った客人には、私が住んでいる家の一室を貸し出すことになっているのだ。


 これは素性の分からない輩を非力な村民の家に不用心に止めては危険なためだ。村民の安全を守るための処置である。

 そんなことなど知らない彼らへ宿代わりのことかと聞けば、揃って頷く。どうやら村人に聞いて私を探していたようだ。


「悪いがすぐ貸してくれないか……。体が痛くてな――痛たたた!」


 背負われている男が顔を歪めながら私に請う。その顔を見れば、その人物はあまり人相の良くない顔つきで、たちまち警戒心が胸に沸いた。


 彼らはランクE冒険者の証である赤銅色のドッグタグを首から下げている。しかしこの周囲には脅威になる魔物はいない。

 ランクE冒険者がここいらで怪我をするなど想像できないが、ではなぜこうも痛いと声を上げているのだろう。


「怪我でもしたのであるか?」


 何か良からぬことを考えているのではないか。そう警戒しながら声をかける。

 だが男はそれに、


「いや、全身筋肉痛で……ハハハ……痛た! スティアァ! だから尻を触るなって! 何が楽しいんだお前は!」


 と声を荒げていた。


 なるほど。つまり。

 年であるな!


 その男の顔を見れば、私と同年代だろうことが分かる。年を取ると大丈夫だと思っていても、後で酷い筋肉痛が来てしんどい時があるものだ。

 かくいう私も――ではない! 私は高潔な騎士である故、そんなことはないのである!


 何はともあれこの男に共感するものを感じた私は、この一行なら問題ないだろうと家へ招待することにした。


「あたし遊んでくる!」


 家の前までくると、ホシと呼ばれていた少女はそれだけを言い残し、まるで風のように村の中へ消えて行ってしまう。

 流石に子供は元気だ。見ているだけで癒される。


「暗くなる前に戻るんですのよー」


 スティアと呼ばれていた淑女はのんびりとした声を上げ、引き止めることなくその背中を見送っていた。

 まあ村の中で遊ぶだけなら問題もなかろうと、私もあまり気に留めることなく彼らを家に入れる。


「それではこの一室を使って下され。四人では少々狭いかもしれんが、ここしかないのだ。許して欲しい」

「いえ、借りられるだけでもありがたいですわ。感謝いたしますわ」


 スティア殿が花が咲くような笑顔でそう言えば、バドという男もこちらを向き直りぺこりとお辞儀をする。

 第一印象は恐ろしい男であったが、案外礼儀正しい人間なのかもしれない。


 泣き言を漏らす男を連れて部屋へと入っていく彼らの後ろ姿を見つめながら、私はそんなことを思っていた。



 ------------------



 彼らが家に来て三十分ほどしてからのこと。私が夕食の準備をしようとすると、部屋からのっそりとバド殿が出てきて私をじっと見つめてきた。

 何かと思えば、どうもバド殿が食事の準備をしてくれるらしい。


 すこし戸惑った私だが、スティア殿が言うには、バド殿は料理には一家言ある男らしい。これでいて教えを請われるほどの腕前なのだそうだ。

 魔物をひねり殺すほうが似合いそうな風体だというのに、なんとも意外なことである。


 対する私の腕などは、まあ男やもめに何とやらという(ことわざ)もある通り、自慢できるようなものではない。

 結局バド殿が是非にと言うので――と言っても彼は口が利けないそうだが――折角なのでお任せすることにした。


 そんなやり取りの後、スティア殿はどこかうきうきとした様子で部屋に戻っていったため、私はやることもなく椅子に座り、バド殿の筋肉質な背中をぼんやりと見ていた。

 料理をしている彼の背中を見ていると、口は利けずともなんとも楽しそうである。

 随分手際が良いところを見るに、先ほどの話は本当のことらしい。


 貸した部屋から聞こてくる、エイクと名乗った男の悲鳴のような声に耳を塞ぎながら、私はどんな料理が出てくるのだろうと考えていた。

 そんな時だった。


 激しくドアを叩く音が部屋に響く。慌ててドアを開けると、村長が慌てた様子で立っていた。


「エトウィンさん大変だ! どうも子供が村の外に出ちまったらしい!」


 なんと、もう日が暮れそうだと言うのに、子供が村から出てしまったらしい。


「誰が村の外に出たのであるか!?」

「赤毛の子だったようじゃが――」

「カミルか!? テオか!? ――ま、まさかミアかっ!?」


 先ほどこんにちはと手を振ってくれた幼い少女の姿が脳裏に過る。

 しかし村長はそれに首を横に振った。


「いや、遠目で見えただけで誰か分からんかったらしい。今村の衆が総出で確認しとる。すまんがエトウインさんは――」

「分かっている! 私はその子の捜索に向かう!」


 私は言うが早いか踵を返し、装備を身にまとい始める。

 村長も慌てた様子で、すまんが頼むと私の背中越しに声をかけ、勢いよくドアを閉めた。


「それ、多分ホシさんですわ」


 ガシャガシャと音を立てながら急ぎ鎧を着ていると、いつ部屋から出てきたのだろうか、頭を涙目で(さす)っているスティア殿が後ろから声をかけてきた。

 私はけろりと言うスティア殿に目を剥く。


「な、なんですと!?」

「先ほど遊んでくると言っていたでしょう? 多分魔物を倒しに行ったのかと」

「な!? そ、それと知って、あなた方は彼女を一人で送り出したと!?」


 あんな少女を一人で外に向かわせるなど、一体何を考えているのだこの御仁らは!?

 憤慨しながら立てかけておいた剣を掴む。


「私は行く! あのような少女を、村の外に一人で放置することなどできん!」


 私の剣幕など気にした様子もなく、彼女は「大丈夫ですのに」と呆れたような声を出したが、


「では私も参りますわ。流石に無関係の方に迷惑をかけるだけ、というわけにも参りませんからね」


 と言い出したのだった。



 スティア殿と二人、村の中を駆ける。村内では大人達が慌てた様子で走り回り、村の子供の誰が外に出たのか、確認して回っていた。

 村長の言では、その少女は村の西側へ行ってしまったらしい。あのような少女がもしグレイウルフの群れなどに襲われれば肉の欠片すら残るまい。


 急ぐ足に力が入り、村の外へ飛び出す。そのまま速度を緩めずに、私は周囲を見渡しながら街道をひた走った。

 焦りからか一筋の汗が頬を伝う。焦燥感が募るばかりで、少女の姿は一向に見つからなかった。

 街道から外れた可能性も高い。しかしそうなれば捜索はさらに難しくなってしまう。


「くっ!」


 騎士らしくもない苛立たし気な声が漏れてしまう。いかん、こんな時こそ冷静にならなければ。

 私は己を諫めるように小さく頭を振る。すると、後ろからいやに落ち着いた声が聞こえた。


「どうやらここから北の方向にいるみたいですわね」

「何!? 本当か!?」


 なぜ分かったのか知れないが、当てのない今はそれを信じるしかない。一も二もなく私は北へと走りだした。


 街道から逸れ北を目指し、ついには林へと入る。木々の間を縫うように走りながら、注意深く周囲に目を向ける。だが少女の姿は見つからない。

 林の中はすでに人の領域ではなく、魔物の住処だ。声を上げようものなら十中八九魔物に襲われるだろう。


 だがしかし、それが何だというのだ。子供の命には代えられん。

 私は意を決し、口元に片手を当てる。そして――


「グオァァァァッ!!」


 突如聞こえた林全体を震わせるような謎の咆哮に、ビクリと硬直してしまった。


「な、ななな!?」

「これはオークの鳴き声ですわね」

「オ、オオオオークぅ!?」


 何ということもないという様子で言うスティア殿。しかしそれが本当にオークなら、非常に不味い事態である。


 オーク。このハルツハイム領に住む者であれば、必ず一度は耳にしたことがある怪物(モンスター)の名だ。

 通称オーク魔窟(ダンジョン)とも呼ばれる、シュレンツィアの南西に口を開ける魔窟(ダンジョン)。そこにはその名の通り、オークが生息している。


 ランクDのこの怪物(モンスター)は、二メートルを超える体躯に鋼のような筋肉を持つ戦闘狂として非常に有名だ。そしてその悪名も。

 調子づいてきた駆け出しの若者達を次々に葬り去る、その名も”増長殺し”。

 正規の騎士であれば太刀打ちできよう。しかし、私は――


「あら、言ったそばから。あそこにいますわよ」

「何ぃぃぃぃっ!?」


 スティア殿が指差す方向を見れば、確かに大柄な生物が二体、ここから少し離れた場所に立っていた。

 その凄まじい威圧感を放つ姿にぶるりと身が総毛だつ。

 なぜこんなところに怪物(モンスター)がいるのだ!? ここは魔窟(ダンジョン)ではないのだぞ!?


 ――あ、目が合った。


『グオァァァァッ!!』

「ひぃぃ……っ!」


 オーク共は鼓膜が破れそうなほどの大声を上げると、一斉にこちらへ向かって走ってきた。

 無意識に情けない声が口から漏れ出る。盾を構えることができたのは普段の鍛錬の賜物だろうか。

 だが、そんな腰の引けた構えでは抵抗にもならなかった。


「グオァァッ!!」

「――カハッ!?」


 オークの棍棒を盾で受けた瞬間、私の体は吹き飛んだ。強かに木に叩きつけられ、肺から空気が飛び出す。

 体は自分のものでないように重く、頭も混乱で真っ白になっている。私の体はそのままずりずりと木に体重を預けながらずり落ちていった。


「グオォォォッ!!」


 オークがこちらに向かって駆けてくる。振りかぶった棍棒を私めがけて振り下ろしてくる。

 もう駄目だ。恐怖からか諦めからか、私はギュッと目をつぶった。


「グォァッ!!」


 オークの鳴き声が聞こえる。生物を叩き潰すような轟音が私のすぐそばで聞こえた。


 私は、奴の棍棒に叩き潰されたのだろうか。分からない。身を強張らせながら、自分を守るように体を丸め縮こまる。

 手の感覚がある。呼吸ができる。私の生暖かい息が顔にかかるのが分かる。


 私は、死んでいないのか……?


「おっちゃん、大丈夫ー?」

「ひぃっ!?」


 ぽん、と左肩に何かが乗った感触があり、情けない悲鳴が口から飛び出た。

 反射的に開かれた私の眼にどアップで映ったのは、くりくりとした愛嬌のある、丸く開かれた赤い(まなこ)だった。



 ------------------



「私は、騎士なんかじゃないんだ……」


 私を助けてくれたのはあろうことか、私が助けようとしていた少女、ホシ殿だった。

 話を聞けば、彼女はこの村に来た時に、村の北西に不穏な気配があることに気づいていたそうだ。それを見送りこの村に一旦来たのは、痛みに喘ぐエイク殿を休ませるためだったらしい。


 なんと心優しい少女だろう。しかも優しいだけでなく、その強さも私の想像を絶していた。


 彼女は私達が駆けつける前に、林を闊歩していたオークを数体と、襲い掛かってきたグレイウルフ五匹をすでに倒してしまっていたのだ。

 倒したウルフ達を一人で持ち運べないと言うので手伝えば、そのうち三匹も村にくれると言う。おかげで村人達は騒がされたことなど忘れ大喜びだった。


 しかし私はと言えば。大言を吐きながら足を引っ張り、逆に助けられる始末。

 あんな醜態(しゅうたい)を晒したというのに何も問いたださない配慮に耐え兼ね、食後に飲んでいる酒の力もあって、そんな言葉をぽろりと口にしてしまっていた。


 四人の視線が私に向けられる。私は酒をもう一口ゴクリと飲むと、己の滑稽さを嘲笑するように言葉を紡いだ。


 二十三年前に勇んで臨んだ王宮騎士の登用試験。御前試合にて対戦相手にボコボコにされた私の結果は、当然の如く不合格だった。

 流石に落ち込んだが、その半年後に王宮騎士と肩を並べるハルツハイム騎士団の登用試験があると聞き、今度はと気を取り直しそちらへと向かった。

 だが、そちらも結果は無様なものだった。


 私は昔から家族に騎士になると豪語し、剣を振ることもできない親兄弟をあざ笑うような態度を取っていた。それがこんな結果では、どうして合わせる顔があるだろう。

 家に帰ることもできず、どうしたものかと落胆しながら辿り着いた先。それがこのトンガの村だった。


「たまたま行きずりで村人を魔物から助けたのが縁で、この村に雇われる形で住むことになったのだが……。その時言ってしまった騎士だという嘘を撤回できずに二十年。騎士のように話し、騎士のように振舞う。そんな嘘の塊が私なんだ。実に滑稽だろう……笑ってくれ」


 乾いた笑いを浮かべながら、また一口酒をあおる。

 このトンガは小さな村だ。普通なら兵士の二、三人いるのだろうが、しかし私がいるからと、村は領主様に派遣の不要を申し出ていた。


 兵を派遣してもらえばその分の税を納めなくてはならない。小さな村にとってそれは大きな負担だ。

 それが必要なくなったことで皆からは感謝されているが、だがこの村にとっての私の存在は間違いなく害だろう。

 そしてそれが分かっていてもなお、私はこの村にすがって生きて来た。

 ……分かってはいる。だが、私は弱かった。


 自分の愚かさがあまりにも情けなく、また酒を煽る。だが何度喉に流し込んでも、酔いを感じることはできなかった。


「俺達がここで聞いた話じゃあな」


 しんと静まり返った部屋。しばしの間が空き、エイク殿が痛みに顔を歪めながら口を開いた。


「この村には、魔族すら撃退した自慢の騎士様がいるんだと」


 何でも村で宿の場所を聞いた彼らは、村人からそんな話を聞いたという。

 あまりの誇張に自嘲染みた笑みが漏れた。


「魔族がこのハルツハイム領を襲っていた時、私は東にあるルーディルに避難しようと言ったのだが……。しかし皆、この村から離れるのを拒んでな。死ぬのならこの村がいいと。なら私一人がここから離れるわけにもいかないだろう? 馬鹿みたいに震えながら、でも奴らが来たら刺し違えてでも倒そうと、私も村に残ったのだ。幸いトンガに魔族は来なかったが」


 そう、この村は魔族に襲われることなく済んだのだ。魔族が隣の領まで逃げたと聞いた時は、あまりの安堵に腰が抜けたほどだった。

 ただの幸運だった。そう言う私にエイク殿は首を横に振った。


「それでも、アンタがいなけりゃこの村は無かっただろうさ。この村の連中に戦い方を教えてるんだって? 駐留してる兵士に戦い方を教えてもらおうなんて、そんな話、俺は聞いたことがねぇ。きっと村にいたのがアンタだったから今があるんだ。俺はそう思うけどな」


 知り合いの騎士から聞いた話だが、と彼は前置きを入れる。


「騎士とは、守るべきものを守る盾であり、守るべきもののために戦う剣である。守るべきものを誇り、敬い、支え、諫める。それが真の騎士である。そう自称真の騎士さんは言ってたぜ」


 エイク殿は痛たたと漏らしながらも、おかしそうに笑っていた。


「守るべきもの……それは、一体?」

「なんつってたかなぁ……誰か覚えてねぇか?」

「それはこの国であり、民であり、品位であり、権威である、ですわ。貴方様」

「あー、確かそんな感じだった。よく覚えてたなぁ」


 私の問いに、エイク殿とスティア殿が答えてくれる。だが聞いても、どういう意味なのか私には分からなかった。

 しかしどうにも気になる話だ。私はどうしてか、その真の騎士のことを知りたいと思った。


「真の騎士……その御仁の名前を聞いてもいいだろうか」

「ああ。そいつの名前はイーノ。イーノ・モルト・バージェス」

「――なっ!?」


 私は勢いよく椅子から立ちあがった。

 その名前はこんな田舎に住んでいる私でも知っている。


 現王宮騎士団長、イーノ・モルト・バージェス! 魔族との戦いにおいて、王子殿下の腹心として戦争を勝利に導いた英傑の一人だ。

 そんな英雄に対して、「イーノちん元気かなぁ?」などと口にする彼らは、一体何者なのだ!?


「あなた方は、一体……?」


 私の質問に、彼らはそろって悪戯(いたずら)っぽく笑った。


「アンタも同じだ。この村を、村人を、思いを守るために命を賭して戦った。俺は騎士なんて態度ばっか偉そうで普段なら気に入らないんだが……でも、アンタとは美味い酒が飲めそうだ」


 私の今までやってきたことは、ただ己のためでしかないと思っていた。

 だが私は本当に、彼の言う通りこの村を守れていたのだろうか。


 エイク殿は笑いながら私のカップに酒を注ぐ。そして自分のカップを目の前に掲げた。


「トンガの騎士、エトウィン殿に乾杯だ!」

「かんぱーい!」

「乾杯」


 目の前の四人は笑顔でカップを掲げている。


「……乾杯っ!」


 いつの間にか、私の目から熱いものが溢れ落ちていた。



 ------------------



 翌日、筋肉痛も癒えたと言って、彼らは早朝に村を発って行った。

 彼らが一体何者だったのか私は知らない。

 彼らの言うことは嘘だったのかもしれない。出まかせだったのかもしれない。


 だがそんなことは、私にとってどうでも良かった。


「トンガの騎士……か。私には少々重い期待だな」


 軽い笑みが漏れる。

 この田舎で騎士などと自称するのが、私程度の人間には相応しい人生なのかもしれない。

 しかし何とも心地よい響きに、胸がふわりと温かくなった。


 彼らが旅立った東の方角を見る。彼らの行く先には一体何があるのだろう。

 私はこのトンガの村を守るだけ。しかしきっと、彼らはもっと大きなものを守ることになる。そんな予感がしていた。


 早朝の清涼な空気を思い切り肺に吸い込むと、きりと表情を引き締め、私はこの村の見回りを始める。

 私の足取りはいつもにも増して軽やかだ。


 東の空は青々と広がっている。それは私の心のように、遠い遠い向こうまで、見渡す限り広がっていた。


 私は騎士である。

 このトンガの村を守る、ただ一人の騎士である。


 その名も、トンガの騎士、エトウィン・ルーベンスである!

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