幕間.彼の名は
「はぁ~……。暇だなぁ……」
カウンターに座るカリンは頬杖を突きながら、一人つまらなそうに呟いた。
彼女の後ろからはカン、カン、と鉄を打つ音が聞こえてくる。その音が妙にリズミカルで、退屈な時間に耐えるカリンにさらなる苦痛――眠気という試練を与えてくる。
いけないと目をこするものの、誰もいない店内に軽快な音が反響し、カリンの脳を優しく揺さぶる。
ついには音に合わせてカリンの頭は、コクリコクリと船をこぎ始めた。
エイク達に盗賊の手から救い出され、窮地を逃れたセントベルの少女カリン。
彼女が衛兵になると決意してから、既に三週間程が経っていた。
あれからすぐに姉のアリーサが、
「訓練するんだったら、ちゃんとした武器を買わなきゃよね!」
とカリンの働き先をさっさと決めてきて、カリンは今その仕事場で日中を働いて過ごしていた。
ただ一つ難点があるとすれば。そう、客が来ないというどうしようもない事実だった。
このカウンターに座った初日こそ、カリンは引き締まった表情で背筋を伸ばして座っていた。
しかしカリンの緊張とは裏腹に、客は一人も来なかった。
その日も、その次の日も。三週間経っても殆ど来客がない現実に、カリンの心は緩みに緩み切ってしまっていた。
現実と夢との間を行ったり来たりするカリン。彼女は今、自分がどこにいるのかも分からない状態に陥っていた。
船をこぐ彼女をとがめる者はなく、律動的な打音が背を押して、軽い船出はいつしか沈没寸前となり、彼女の頭はガクリと大きく傾いてしまった。
だから彼女は、目の前のドアが軋んだ音を立てたことに気づかなかった。
そして直後に店内に響いた大きな音に、「うわぁっ!?」と声をあげながら跳ね起きることになった。
「し、失礼した。どうも建て付けが悪いようで、開かなかったのです。騒がせてしまって申し訳ない」
カリンが顔を上げた先には、いつの間にか鎧を着た騎士が一人、その場に立っていた。
彼は申し訳なさそうな表情で、兜を小脇に抱えている。カリンは自分が寝ていたこと、そして騎士が目の前にいることで、大いに慌ててしまった。
「あ、す、すみません! えーっと! えーっとぉ……! あ、そうだ! いらっしゃいませ!」
パニック状態のカリンに、騎士はどう声をかけていいか一瞬ためらう。だがすぐに、奥から響く鉄を打つ音が耳に届き、顔をキリと引き締めた。
「すまないが、店主はおられるだろうか。少々話がしたいのですが」
「え……? て、店主ですか?」
そして騎士は踵を鳴らし、ピンと背筋を伸ばした。
「私はハルツハイム騎士団所属、騎士団長補佐のクラウス・アンシュッツと言う者です。我が主、ハルツハイム伯爵より店主ダンメル殿へ手紙を預かっています。どうか確認をお願いします」
目の前の騎士から紡がれる信じられない言葉。
カリンの頭は寝起きであることも相まって、真っ白になってしまっていた。
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「す、すみません騎士様! もう少しだけ、お待ちください!」
店内の武器を手に取り出来栄えを確認している騎士に、何度目かの同じ言葉をカリンは放った。
先程ダンメルに事の次第を伝えた際、すぐに奥から出てくるかと思いきや、
「今はきりが悪い! ちっと待たせておけ!」
と怒鳴るような声が返ってくることとなり、カリンは顔を青くした。
騎士と言う人間と関わったことなど無いが、それでもどういう立場なのかということは流石に分かる。
どうなることかと怯えながら伝えると、騎士はそれなら武器を見てもいいかと言ってすぐに剣を手に取り始めたが、その表情が妙に真剣で、カリンの動揺をさらに煽る結果になってしまった。
「大丈夫ですよ。こうして店主の打った武器を拝見することもまた、私の役目です。これも仕事の内ですから、お気になさらず」
「そ、そうですか? それなら……」
だがクラウスは怯えたような様子の少女に苦笑いを浮かべる。いかに騎士とは言え、自分も元は平民だ。
見るからにまだ成人していないであろう少女にそこまでかしこまられては、こそばゆい思いがどうしてもあったのだ。
彼は努めて穏やかに声をかける。それにやっとカリンは胸をなでおろした。
「あ、あの。もしよろしければ、この椅子を使ってください」
「ああ、ありがとうございます」
ずっと立ったままの騎士に、思い出したように椅子を奥から出してくるカリン。
クラウスは立ったまま彼女に軽く礼を言い、そしてまた剣に目を落とす。
「しかし、評判通りここの武器は非常に良い出来ですね。お嬢さんの御父上ですか? いい腕をお持ちだ」
そして剣をためつ眇めつ確認しながら、感心したようにクラウスは言った。
だがそれにカリンは慌てて首を振る。
「い、いえ! 私はここで働かせてもらっているだけで!」
「ああ、そうでしたか。しかしこれほど良い武器を作れるとなると、随分お忙しいのでしょうね」
「あ、あははは……」
クラウスは難しそうな声で感嘆を漏らす。だがそれを聞いたカリンの口からは、気まずそうな笑みだけが漏れだしていた。
その反応を不思議に思い、クラウスは剣からカリンへ視線を移す。だがその視線を受ける少女の表情は微妙なものだった。
どちらも口を開かず見つめ合う。二人の間には微妙な空気が生まれていた。
「おう、待たせたな。俺に何か用事だって? 騎士様が一体何の用だ?」
そんな時、その空気を吹き飛ばし、ダンメルが部屋に入ってきた。
彼は手巾で汗をぬぐいながら、熱で赤くなった顔を騎士に向ける。だがそれに慌てたのはカリンだ。
「ちょ、ちょっとダンメルさん! 失礼ですよ!」
「何慌ててんだカリン。さ、要件を聞こうじゃねぇか」
「ああっ! その椅子は騎士様にお出ししたのに!」
「あ? あー、カリン。奥からもう一脚持ってきてくれ」
よっこらせ、とダンメルが椅子に腰かけると、カリンがわたわたと慌て始めた。
そんな彼女に呆れたように声をかけつつ、額を流れる汗をまたダンメルは拭う。
そして、わたわたと奥に引っ込んでいくカリンの背中を見送ってから、ダンメルは目の前の騎士に向き直った。
「わざわざ騎士様が出向いてくるとは、一体どういう用向きだ? 俺には心当たりが全くねぇぞ」
ふぅと深く息を吐きながらダンメルが問う。するとクラウスは一通の手紙を差し出した。
ダンメルはそれを受け取りながら目を落とす。その封蝋には確かにハルツハイムの紋章が刻まれていた。
ダンメルはすぐに封を切り中身を確認し始める。カリンがようやっと椅子を持って出てきたが、しかし彼は全く気にしない様子で手紙にだけ集中していた。
しばらく無言で手紙を見ていたダンメル。彼は最後まで読み終わると、何かを考えるようにむっつりと黙り込んでしまった。
とはいえ目だけは手紙の最後の文面から離さないままだ。
なぜ何も言わないのかと、カリンは不思議そうな表情を浮かべている。だが一方のクラウスは、どこか期待するような眼差しを彼へ向けていた。
たっぷり十数秒の間を取って、ダンメルは顔を上げる。その顔には楽し気な感情がありありと浮かんでいた。
「なるほどな。腕を失った騎士様のために、新しい鎧を作って欲しいというわけか」
「はい。盾を持たずとも盾を構えることのできる鎧。これが量産できるなら、我らの領はさらなる飛躍を遂げるでしょう」
「そのための試作をまず俺に作れってことか。へっ、新しい仕事とくりゃあ腕が鳴るってもんよ。報酬も十分だ、早速取り掛かるぜ。なんせこっちは暇を持て余してるくらいだからな!」
自虐的にそう言って哄笑するダンメル。カリンもそれに引きつったような笑いを返した。
だがクラウスは、その台詞に眉をひそめる。
「暇というのは? ここの武器の仕上がりなら、繁盛しているのではないかと思っていたのですが……」
この店の武器の出来栄えは、クラウスの目から見ても素晴らしい。だというのになぜか暇だと店主は言う。
クラウスは困惑の表情を浮かべてダンメルを見やる。それに彼は腕を組み、へっ! と笑い飛ばした。
「この町はなぁ、今武器を必要としている奴が少ねぇのよ。この間代官が殺されたとかできなくせぇ話もあるし、人が寄り付く空気じゃねぇ。衛兵からは人員を増やすとかで少し贔屓があったが……ま、そんなもんよ」
セントベルの町は盗賊団の捕縛や代官の暗殺などの話題で、どこか暗い雰囲気が漂ったままだった。
商人達は相変わらず入ってくるものの、冒険者などは戻ってこず、居つきもしない。
再起すると決めたはいいが、客が無ければ商売は成り立たない。どうしようか悩むダンメルにとっては、今回の話はまるで天から降ってきた恵みのように感じられた。
だが、そんな状況だからこそ不思議に思った。
彼は最近まで惰性で仕事をこなすのみで、彼自身、良い武器を作ったという記憶は一つを除いて全くない。
だというのに、あのハルツハイム騎士団から声がかかるとは、一体全体どういうことか。
「なら都合がいいですね。こちらとしても喫緊の案件ですから、貴方のような鍛冶師に急ぎの仕事を任せられるというのは非常に運が良かった」
悩むダンメルはつい無言になる。しかしその間を埋めたクラウスのそんな一言が、自然とダンメルから言葉を引き出した。
「あのよ。アンタらは一体どこから俺の話を聞いたんだ? いや、俺とアンタらなんて全然接点がなかっただろう? ちっと気になっちまってな」
「ああ、そのことですか。実は……貴方を紹介して下さった方がいましてね」
遠慮がちに言うダンメルに、クラウスは非常にいい笑みを見せる。
「ミスリルを見事に打つ鍛冶師がいると、王国軍の第三師団長殿から直々に。ミスリルを打てる鍛冶師は我が領にもなかなかいませんからね。だからこうして慌てて飛んできたというわけです」
「しっ――師団長様ぁっ!? ダ、ダンメルさん、師団長様と知り合いだったなんて、そんな凄い人だったんですか!?」
目が零れそうなほど見開くカリン。驚きから失礼な言葉が飛び出したが、ダンメルがそれを聞きとがめることはなかった。
「くっ――はっはっはっは! そうか! 第三師団長様がなぁ! はっはっは!」
店内に響くほどの笑い声をダンメルはあげた。
カリンもクラウスも何事かと彼に目を向ける。しかしダンメルは人目もはばからず、天を仰いで愉快そうに大笑いした。
「よっしゃ! そうとくりゃあ早速おっぱじめるか! 騎士様よ、あんたらの鎧で借りられるもんはあるか?」
ひとしきり笑ったダンメルはパンと膝を打って立ち上がる。しかし彼の意図が分からなかったクラウスは、その質問に困惑の表情を浮かべた。
「鎧? いえ、持ってきてませんが……何かに使うのですか?」
「そりゃあんた、急ぎの仕事なんだろう? なら新しく作るより、元々ある鎧をベースに改良した方が早いだろうが。だが無けりゃ仕方ねぇ、今あるあんたの鎧を借りるっきゃねぇ。ほら、とっとと脱いだ脱いだ!」
「ダ、ダンメル殿! まさか、私に鎧下のみで帰れというのですか!?」
「適当な鎧なら貸してやるからよ! 心配すんな! ほらカリン、お前もぼさっとしてねぇで脱がすのを手伝え!」
「え、えぇ!? 私も!?」
妙にテンションの上がった店主に、まるで襲い掛かられるように鎧を脱がされたクラウス。
そうして身ぐるみを剥がされた騎士は、借り物の鎧を着て複雑な思いを抱えながら、帰路につくことになってしまったのだった。
「ダンメルさんダンメルさん! 師団長様と知り合いって本当ですか!?」
「あー……まあ、そうだな」
騎士が出ていくのを見送った後、カリンは珍しく浮かれた様子でダンメルに顔を向けた。
「凄い! いいなあ……。第三師団長って聞いたことないですけど、あのジェナス様や、”赤獅子”アウグスト様みたいな、カッコイイ人なんでしょうねぇ……」
「なんだ、お前他の師団長には会ったことがあんのか?」
「え? いえ。ただの想像ですけど」
ずっこけそうになるダンメル。
カリンの姉アリーサはなかなかのミーハー気質だが、やはり妹にもその血が流れていたらしい。
「師団長様なんて言うくらいだから、絶対カッコイイ人ですって。なんて言っても救国の英雄ですからね。あ~、私も一目でいいから見てみたいなぁ……」
「はぁ、そうかい」
ダンメルは呆れた視線をカリンに向ける。
だがそれに気づかず、カリンはその質問を口にした。してしまった。
「……あの、ダンメルさん。その人って、どんな人なんですか?」
「あー……。いや、そうだな。何だかもうバレてるみたいだしな。俺が隠す必要もねぇか」
「え?」
「あのな。その第三師団長って奴は――」
肩を落として馬を進めるクラウス。そんな彼の背後から轟いた情けない悲鳴のような声は、細い路地を勢いよく突き抜け、茜色に染まり始めた空に飛んで行った。




