153.帰ってきた手紙
黄鳩便をエイク達の元へと飛ばしたリリは、その返事を待つため、すぐに出発しようという当初の予定を変更し、シュレンツィアに逗留することにした。
まあオーギュスティーヌに「決まるまで逃がさないよ!」と言われてしまい、拒否権が無かったとも言うが。
領主のアルベール伯爵からは、いつまでいてくれても良いと言ってもらえたため、宿泊する先についてはすぐに解決した。
しかし本当にずっと世話になるわけにもいかないし、返事が来ない可能性も十分ある。
なので滞在期間を長くても一週間と決めながら、その期間リリはオーギュスティーヌと魔法陣についての議論を交わしたり、フィリーネとお茶を楽しんだりと、毎日を楽しく過ごしていた。
ではその間連れの二人はどうしたかと言うと、リリを置いていくわけにはいかないと主張して、彼女同様に滞在することを決めており、それぞれシュレンツィアで思い思いに過ごしていた。
ハルツハイムの騎士に何かと呼ばれることが多いオディロンは、それを拒まず彼らと訓練をしながら交流を深めていた。
一方のカークは、リリと共にオーギュスティーヌのところへ行ったり一人でふらりといなくなったりと、少々掴みどころのない行動を取っていたが、とかく自由に過ごしているようではあった。
そんな生活をし始めて五日目のこと。朝食を堪能してから冒険者ギルドへ訪れたリリとカークは、いつものように受付に足を運んでいた。
毎朝顔を見せていたことで、流石に用向きを覚えられたらしい。
二人を見た受付嬢は、
「リリ様、カーク様。お二方にお手紙が届いておりますよ」
と、にこりと笑いながらキャビネットの引き出しを開けた。
「本当ですか!?」
「はい。こちらをどうぞ」
受付嬢は五通の手紙を取り出すと、三通と二通にわけ、それぞれリリとカークへ差し出した。
それにリリは怪訝な顔をする。
「え? 三通?」
「リリュール様、エイクさんも三通出したんですよ、きっと」
「あ、ああ! そういうことですね!」
目の前に出された手紙にリリが首をひねるのを見て、カークは軽く笑う。恐らくエイクもリリと同様に複数手紙を出したのだろうと、そういうわけである。
基本的に冒険者ギルドは、中身に関して詮索しなければ確認もしない。そのため届いた手紙も宛先を確認するだけで、適当にまとめてくれるわけでもないのだ。
なので全て届けばこのように、多くの手紙が手元に届くことになる。
合点がいったリリは照れ笑いを浮かべながら、わたわたと手紙を受け取る。その手紙はいずれも若干癖がついており、不自然にくるりと丸まっていた。
手に取ったはいいものの、どうしてこんな癖がついているのだろう。そんな思いが透けて見える表情のリリに、今度は受付嬢がくすりと笑い、理由について説明を始めた。
彼女が言うには、イエローピジョンに手紙を持たせる際手紙を円筒形の筒に入れ、背負わせるようにして体に括り付けているのだそうだ。そのため手紙にはそんな癖がついてしまうらしい。
へぇー、と感心するリリを尻目に、カークはさりげなく二通の手紙を懐へしまい込む。そして何食わぬ顔でリリに向き直ると、
「リリュール様、それよりもその中身を確認した方が良いのではないですか? オーギュスティーヌ様が随分と、首を長くして待っているようですしね」
と彼女を促した。
「あっ、そうですね。それじゃ――あっ、カークさん。中身の確認をお願いしてもいいですか?」
「勿論ですよ。お任せください」
色々と気付いたリリがころころと表情を変えた後、最終的に眉を八の字にしたのを見て、カークの顔には自然と笑みがこぼれた。
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その後、その場で手紙を開こうとしたリリを慌てて押し止めたカークは、彼女の背中を押して冒険者ギルドを出ると、また城に戻ってきていた。
流石に冒険者ギルドで読むのは魔法陣の件があって、機密上に問題があったからだ。公衆の面前でそれを読むなんて、オーギュスティーヌに見られればビンタの一つ二つ飛んできかねない。カークのファインプレイであった。
そうして城へと戻った二人は、いそいそとリリにあてがわれた部屋に引き籠る。
幸いオディロンはまだ騎士団の訓練に付き合っている最中であった。鉢合わせすればきっと面倒なことになっていたはずだろう。
ともあれ見咎められなかったことに安堵しながら、客室のソファへ向かい合わせで腰かけた二人は、テーブルの上で丸まった手紙の癖を直してから、その内容を確認し始めた。
「……うん。三通全部エイクさんからですね。内容も同じようです」
まずざっと目を通したカークは、その中からとりわけ字が奇麗な一通を手に取り――奇麗というか筆跡からして違うが。誰かの代筆だろう――内容を口に出し始めた。
「親愛なるリリ様へ――」
その手紙は妙に畏まった挨拶から始まっていた。が、それも初めの数行だけのこと。
すぐに砕けたものに変わっているところから、書いている人間の根気の無さが透けて見えるようであった。
そんないい加減なところもあの人らしいと含み笑いをしながら、カークは手紙を読み進めていく。
リリが白龍姫と会えたことを喜び、自分達が偽名を使っていたことを詫び、そしてリリが立場を偽っていたことを、そんなこともあると適当な言葉で軽く流す。
手紙の前半部分には、そんな内容がサラリと書いてあった。
「この適当さ加減がまたエイクさんらしいというか何というか……」
「本当ですよね」
苦笑いを浮かべるカークに、リリはくつくつと可笑しそうに声を漏らす。
こんなだから第一師団や騎士団と折り合いが悪かったんだろうなぁと改めて思いながら、カークは更に先に目を通した。
二枚の手紙のうち、一枚目の半分まではそんな内容だった。
そして、そこから二枚目に渡っては、今回の問題となっている、魔法陣についての見解が書かれており、更に言えば、エイクが今まで研究した結果も共に書かれていた。
これを聞いたリリは「へぇ~」と感心したような声を漏らしたが、しかしカークはオーギュスティーヌが渋い顔する様子が瞼に浮かんでしまい、長嘆息を遠慮なく漏らしていた。
さて、そんな機密事項を蹴とばすような内容もあった手紙は二枚目の後半に差し掛かっていたが、しかし肝心要となる魔法陣の扱いについてはといえば、だ。
「うーん……。魔法陣に関しては好きにしてくれと書いてありますね」
リリが期待するような答えはなく、そっちで好きにやってくれと言う大分投げやりな内容しか書かれていなかった。
困ったように眉間にしわを寄せるリリを横目でチラと見てから、カークはまた手紙へ目を落とす。
「……ああ、でも一つだけ書いてありますね」
「えっ!? 何ですか!?」
「魔法陣を間違う手法に関してはリリュール様が考えたので、リリュール様にちなんだ名前をつけたらどうだ、ということです」
「ええ~っ……」
途端に嫌そうな声を上げるリリ。カークはその声を不思議に思い、手紙から顔を上げる。
「エイクさんは”リリちゃん魔法陣”と呼んでいたらしいんですけど――」
「絶! 対! 嫌! ですっ!!」
流石にリリちゃん魔法陣はないな、とは思ったが、面倒だったのでカークはそこには突っ込まなかった。
「そんなに嫌なんですか?」
「嫌ですよ! そんなの想像しただけで――は、恥ずかしいじゃないですかっ!」
リリは頬をほんのり染めながら、眉を吊り上げてソファから身を乗り出す。が、その恥ずかしいという理由が分からずカークはただただ首を傾げた。いや、ちゃん付けは恥ずかしいだろうけども。
「恥ずかしくないですよ。自分の名前を後世に残せるのは大変名誉なことです。皆さん、こういう場合は大体自分の名前をつけますよ?」
そう言いながらカークはいくつか例を挙げていく。それは何かの理論であったり、どこかの場所であったり、建物であったり、町であったりもした。
何より、彼らがいるこのハルツハイムもまたその例に漏れず、領主の家名からそう呼ばれている。これほど分かり易い実例もないだろう。
だがそんな話を聞いてもリリは納得できない様子で、膨れたような頬を引っ込ませることは無かった。
偉業を成し自分の名を後世に残すということは、人族にとっては大変名誉なことである。それ故、自らの集大成に自分の名前をつける者は少なくなかった。
しかしリリにとってそれは、自己顕示欲の塊のような、そんな恥ずかしい行為としか思えなかったのだ。
両拳を握りしめ顔をぶんぶんと横に振り、断固拒否の態勢を取るリリ。彼女の感覚が分からないカークは、困ったように眉間にしわを寄せた。
こんなことでカルチャーショックを受けるとは思わなかった。カークはうーんと天を仰ぎ考えた末、一人だと恥ずかしいのかなと思い、
「それなら、反転魔法陣にエイクさんの名前をつけてしまったらどうです? で、もう一つのリリュール様が考案した方にはリリュール様の名前をつけたら。そうすれば恥ずかしくないのでは?」
と、エイクを道連れにしてはどうかと口にする。だがそれは当然見当外れな提案だった。
同時に名前を付けられるなんて、まるで夫婦のようではないか。変な想像をしてしまい、リリの頬はカッと朱に染まった。
論外だと言わんばかりに「嫌です!」と、リリに叫ぶような声をあげられてしまう。こうなるとカークにはもうお手上げだった。
「それじゃあ、龍族とか、青龍族とか、そういうのに関連する名前にしてはどうです?」
その結果、新しい考えが出てくるまでの場繋ぎで、何となく適当なことを言ってみたのだが。
「――それですッ!!」
「えっ」
天啓を得たかのように、リリはカッと目を見開いた。
元々、失敗した魔法陣を使えないかというリリの発想は、何もかも乏しい故郷での、もったいない精神から得た着想だった。
故郷では当たり前の考え。それを殊更持ち上げられることに、戸惑いや恥ずかしさを覚えるのは不自然なことではなかった。
それに、龍人族の気性的な問題もあった。
龍人族は自分達が強者であることに疑いを持たない。
だからこそ、狩った獲物がどんなに強大だろうと、仲間にいちいち見せびらかして自慢するようなことはしない。それは武人としての矜持であり、彼らの気高さでもあった。
彼らが誇る一族の力。その力とはすなわち、武力であり、結束力であり、絆である。
その誇りの中にいる一個人が殊更に自分を誇示するという行為は、龍人族にとって品位のない恥ずべき行為にあたる。
青龍族の姫であるリリが、自分のみを誇示する行為に拒否反応を示すのも当然の事だった。
しかし。個人の自己顕示が品位にかけた行為でも、一族全体が自分達を誇示する行為は別である。
自分達が研鑽した力を誇る行為に忌避感など抱きようがない。
何より仲間を大切に思うリリにとってそれは、非常に好ましい姿勢だった。
「名前は――そう。これにします!」
リリはサラサラとペンを紙に走らせる。そこには龍人族の言語で、”青龍”と書いてあった。
「リリちゃん魔法陣は?」
「絶対嫌です!」
こうして後世まで残る、魔法陣を意図的に間違える手法、改め”青龍式魔法陣”が誕生することとなる。
なお反転魔法陣については”エイク式魔法陣”として世界に羽ばたいていくことになるのだが、名づけを人任せにしたツケがこんな形で帰ってくるなど、当の本人は思いもしないのであった。




