149.リリュールとフィリーネ
その日リリ達一行は、伯爵に強く引き止められ、城に一泊することとなった。
目的のエイク達がつい最近までシュレンツィアにいたと聞き、すぐにでも出発したい気持ちが湧いた者もいた。
しかし元々一泊しようと思っていたわけであるし、何より伯爵たっての頼みを断るわけにもいかない。結局大人しく言葉に甘える事にしたのだ。
まあ、豪華な食事に大きな風呂、ふかふかのベッドという抗えない誘惑に完敗したとも言うが。
理由はともあれ、そんな三人が夕食まで寛いで欲しいと通された客間でのんびりしていると、是非面会したいと部屋に思わぬ来訪者があった。
それは誰あろう、長助ことハルツハイム伯爵令嬢のフィリーネだった。
「初めまして。わたくしはフィリーネ・エルザ・ハルツハイムと申します。ハルツハイム伯爵家の長女です。どうぞ宜しくお願い致します」
三人に簡単に自己紹介をすると、彼女はリリの前でふわりと淑女の礼をとる。これにカークは小さな驚きを顔に浮かべた。
先ほど伯爵が頭を下げた事もそうだが、淑女の礼も基本、目下の者に対しては取らない行為である。
つまりこれはハルツハイム伯爵家が、青龍姫であるリリュールに最大限の敬意を表しているという意思表示でもあった。
ハルツハイム家にとってリリは、間接的にではあるものの町を救ってくれた大恩人である。そのためこの扱いは当然――と思われそうだが、実はそうではない。
今回伯爵は、直接町を救うことに貢献したエイク達にすら、礼は告げたものの頭を下げていない。
これには、頭を下げる行為は謝意を示す際に使われるものの、それ以上に敬意を示す行為であるという側面が強いという理由があった。
淑女の礼は貴族間で挨拶として行うこともある。だが男の場合握手が基本で、挨拶で頭を下げることはない。
貴族が見せるとするならば、それは王族に対して取る程度となるだろう。
つまり先ほど伯爵との面会で行われた行為は、それだけ青龍姫であるリリを国賓として、丁重に扱っているという意思を明確に現す一幕であり、特別な意味を持っていたのである。
今回の聖魔大戦を機に今までの敵としての立場を変え、人族と龍人族はお互いに、良い関係を築こうと動き始めたばかり。
王家はそれを推し進めていきたいと考えており、ハルツハイム家ももちろんそれを知っていた。
今回の伯爵家の態度は恩人に対する謝意ももちろん含む。しかしそれ以上に、王家の意思を最大限汲んだ故の結果であったのだ。
そんな政治的な理由があっての行為に、王家の意向を知るオディロンは満足そうな微笑を見せる。
しかし、伯爵家が本当に反応して欲しかった当人がどうだったかと言えば。
リリは人族と関わらずに長い間穴倉で生活していた龍人族。そんな礼儀作法や意味など知るはずもない。
目の前で優雅に礼を取ったフィリーネに、「わぁ~」とのんびりとした感嘆を漏らしていただけで、それ以上の反応は何もなかった。
まあ、歓迎しますという意味は最低限伝わったことだろう。
さて、話はまた顔を突き合わせた四人へと戻る。
フィリーネとお呼び下さいと、そう言いながらにこりと笑みを浮かべたフィリーネの姿は、三人の目には由緒正しき貴族のお嬢様として美しく映った。
少なくとも、どこぞのおっさんに脳天チョップを何度も食らい、その都度涙目になっていた事や、長助と変な名で呼ばれていたなんて事は、露ほども思わなかったはずである。
彼女を見ていたカークも、
(何て綺麗な人なんだ……。流石は伯爵家のお嬢様。このレベルはそうそう会えるもんじゃあないぞ)
と、 フィリーネのサラリと肩を流れるプラチナブロンドと、そこから覗く美しい横顔に思わず息を飲んだ。
頭に過った考えは随分俗っぽいが、カークは平民であり、年もまだ二十三と若い。このぐらいの年頃の男であれば致し方ない部分があるだろう。
むしろジロジロと視線を向ける事が失礼に当たると知っており、顔に笑みを張り付けたまま、胸の内を顔に出さないだけでも上々であると言えた。
「お疲れのところ申しわけございません。ただ、よろしければ少しだけ、お話をさせて頂きたいと思いまして。構いませんでしょうか?」
この町を救う一端をなした炸裂弾の作成者が来ていると伯爵に聞いたフィリーネは、領主の娘として礼を言わなければと、こうして彼らの元に足を運んだ。
ただ、あの龍人族である。魔族よりも恐ろしいと言われている龍人族である。
流石に緊張せずにとはいかず、身が強張るような思いを抱きながら、フィリーネはこの面会に臨んでいた。
そして実際に会って、自分の想像とは違い、その相手が自分よりも幼い少女であったことに驚きながらも、フィリーネはそれを胸にしまったまま、自然な笑顔を浮かべてリリを見つめ続ける。
そしてリリがにこやかに頷くのを見たフィリーネは、友好的な反応に内心ほっとしながらも、未だに残る緊張を抱きながら、ゆっくりとソファに腰を降ろした。
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リリの名前が付いている炸裂弾についての話を皮切りに、多少のぎこちなさを孕みながらも四人の会話は進んでいった。
まず伯爵から伝え聞いた例の炸裂弾の作者についての話となり、フィリーネからリリへ、作ったのは貴方なのかという問いが投げかけられたが、リリは慌てて首を振りそれを否定した。
確かに中に入っている魔法陣についての案自体は自分が出したが、作り出したのは別の人間なのだとリリは当時を思い出しながら説明する。
自分の名前が付いているのは、案を現実にし、試作品が完成した際に、皆のテンションが異様に高くなってしまって、つい悪ふざけでつけてしまったものなのだと。
後で冷静になり変えて欲しいと頼んでも、結局変えてもらえなかったのだと頬を赤く染めながら言うリリに、フィリーネはあの素晴らしい武器をノリで作ったその一行について、呆れながら更に話を聞く。
そしてそこで聞き慣れた名前が出てきて、妙に納得してしまった。
「そうですか……。先生とパーティを」
「先生、ですか?」
「ええ……。実は――」
そうなると徐々に話が共通の内容へと収束していくのは当然のことで。フィリーネがシュレンツィアでのエイク達の話をすれば、リリは楽しそうにころころと笑った。
ただ、楽しそうに笑みを浮かべるリリとは対照的に、フィリーネの表情は徐々に暗いものに変わっていく。
そして防衛戦の話までを終えると、遂にはフィリーネが口を閉ざしてしまい、沈黙がその場に訪れてしまうことになった。
彼女と話をしていた三人も、流石に目の前の人間が消沈していけば気付かないはずもない。黙り込んでしまったフィリーネに、リリ達三人は戸惑うように視線を泳がせた。
すぐにその空気に気付いたフィリーネは、はっと顔を上げたが、しかし三人の戸惑うような視線にばつが悪そうな顔を見せた。
「リリュール様は、その……先生の素性はご存じなのでしょうか」
一呼吸の後、フィリーネは躊躇いがちに言葉を発した。
「素性? 王国の師団長さんということ、ですよね?」
なぜそんな問いを、と思いながら不思議そうに声に出すリリ。しかしフィリーネは軽く瞑目すると、ゆっくりと首を振った。
リリはその意味が分からず首を傾げる。しかしオディロンやカークはその問いの意味を正確に理解しており、いずれも渋い顔を見せていた。
「リリュール様。奴は元々盗賊だったのです。フィリーネ様はそれを言っておられるのかと」
声を潜めるように、オディロンは小声でそうリリに説明する。
「と、盗賊? エイクさん達がですか?」
「ええ。全く遺憾ながら、紛れもない事実です。ただ、あまり口外しないで頂けますと助かります。王国軍の汚点ですからな」
目を丸くするリリに、オディロンは眉をひそめながら頷く。カークもそれを肯定するように視線を外し、口を真一文字に結んだ。
盗賊は捕まれば縛り首。それがこの国の法であり、常識であった。
ゼーベルク山脈を中心に据え東西に版図を広げる王国は、その山脈によってもたらされる穏やかな気候と豊富な水源によって、非常に豊かな国となった。
しかしその代償として、王国内や南のルルレイア帝国などから、その富を狙う盗賊が頻繁に現れる国にもなった。
広い国土を有する弊害で目の届かない所も少なくない。結局そういった土地は盗賊がのさばる非常に危険な場所と化しているのが現状だった。
王国内で犯罪を犯した者の内、重罪人は、東に広がる不毛の大地に最も近い、流刑地とも呼ばれるガゼマダル領か、死ぬまで出られないというルヴェル鉱山がある西端の領、バルツァレクへ送られ刑に服すこととなる。
しかし頻繁に現れ、かつ王国のあちこちに現れる盗賊達は、王国東端や西端へ送るとなるとかかる労力が莫大になってしまう。そのため見せしめの意味も込めて、盗賊は問答無用で縛り首となっていた。
ただそんな事情を知らない人間からすれば、即縛り首になる盗賊はそれだけ重罪人なのだろうという理解になる。
つまりそれだけ盗賊という存在は忌み嫌われる存在として、王国に住む民の共通認識となっているのだった。
オディロンの言葉に少し目を丸くしていたリリ。普通であれば、しかめ面の一つでもしていたことであろう。
しかしリリは――
「盗賊にも色々いるんですねぇ」
そう一言あっけらかんと言い放ち、他の三人を唖然とさせた。
想像だにしなかった呑気な言葉に硬直してしまった三人。まず初めに口を開いたのはオディロンだった。
「な、何を言っておられるのですか!? 色々も何も、盗賊など極悪人しかおりません! ご存じないでしょうが、奴らとて王国を離れていた王子殿下らを襲った大罪人なのですよ!? 殿下は慈悲深くもそれを許し、王国のために働くことでその罪を濯ぐことを命じられましたが、それを納得していない者も非常に多いのです!」
「そうなんですか?」
「そう! なの! です!」
唾を飛ばすような剣幕でオディロンは言うが、しかしリリは動じたような様子もなく、それを軽くいなしてしまう。
エイク達の事であれからずっと悩み続けていたフィリーネは、そのあまりの平静を保った姿に、
「どうして……ですか?」
と、ついリリに問うてしまった。
「どうして、とは?」
「先生は、盗賊だったんです。わたくしは……先生を信じておりました。町の皆を鼓舞し、大海嘯を制した姿に畏敬の念すら抱きました。でもそれが本当に正しかったのか……その事実を知った今では、分からなくなってしまいました……」
目を伏せ、尻すぼみに言うフィリーネ。その沈痛な表情に、オディロンもカークもかける言葉を見つけることができなかった。
伯爵令嬢である彼女にとって、身内以外の人間は、いつも自分から一歩引いたような態度を取る者達ばかりだった。
自分と同じ貴族であっても、腹の探り合いのようなもどかしい態度をとる人間ばかりで、正義を貴ぶ性根の彼女には、親しい友人を作ることはついぞ出来なかった。
そんな環境で育った彼女にとって、遠慮も何もなく率直にぶつかってくるエイクやその仲間達は、今までの人生で見た事もない程の、特殊極まる存在だった。
当初は何て粗野な人間なのだろうと呆れたものだったが、しかしあまりにも自然体でぶつかってくるその態度に、いつしかこちらも貴族という衣を脱ぎ、一人の人間としての自然な姿をとるようになってしまっていた。
貴族相手であれば本来なら不敬であり、不快に感じるはずの態度も多く見られた。頭に手刀を振り下ろされた事など、自分の人生の中で一度たりともない。
だと言うのに。
あり得ないことに。
なぜだかそんな関係が、彼女は不思議と嫌ではなかった。
いつしか自分にとって居心地の良い存在となっていた者達。しかしそんな存在が国の法に触れ、直ちに縛り首となるべき重罪人であったという。
そんな人間に親しみを感じてしまっていた事がまるで己の罪であるかのように、フィリーネの心に冷たく重く、鉛のように圧し掛かっていた。
「私は信じていますよ」
ふわり、と。春風のような優しい言葉が、そんなフィリーネを柔らかく包む。
「信、じる?」
「エイクさんがどんなふうに今まで生きてきたのか、私には分かりません。私に分かるのは、エイクさんがお人好しで、涙もろくて、ちょっと子供っぽくて、子供が好きで。そして仲間を何よりも大切にしている人。それだけです。でもそんな人だから――私は信じています」
柔和な笑顔を見せるリリに、フィリーネは何も返すことができない。
その表情が凄く穏やかで、その眼が非常に優し気で。自分が何かを誤っているような、そんな気がしてしまったからだ。
結局、口を開かないフィリーネに変わってオディロンがそれに反論していたが、しかしリリは終始涼しい顔をしており、その意見に迎合することは最後まで無かった。
困惑の表情を見せるフィリーネと憤慨するオディロン、そして終始穏やかな表情を浮かべていたリリ。三人はいずれもエイクに対しての感情を隠すこと無く、その顔にはっきりと浮かべていた。
それは一人の人間に対する感情であるのに対し、三者三様に全く異なるもので、一つは嫌悪、一つは好意、そして最後の一つは混乱と、混迷を極めていた。
しかしそんな中たった一人だけ、その様子を俯瞰するように見つめる者が存在していた。
三人の様子をカークはただ口を閉ざし、貼り付けたような笑みを浮かべながら見つめ続ける。
その目は何かを探るような色を湛えていたが、しかしその場でそれに気付いた者は一人もいはしなかった。




