15.沼へ②
張り切っているスティアには肩透かしだったようだが、結局あの後魔物と遭遇することもなく、今日の探索を終了することになった。
野営の準備もほぼ終わり、今目の前では、野菜と干し肉のスープがグツグツと食欲をそそる音を立てている。食事の準備は主にバドが担当だ。
「はい、貴方様。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
スティアからスープを受け取りながら、火の前でかがむバドに目を向ける。彼は先ほどからずっとああして、何かをしている様子だった。
何だろうかと見ていると、彼は鍋のような器具の蓋を開け、そこから昼に倒したフォレストウルフの肉を取り出す。そして厚めにスライスし、パンに挟んで手渡してきた。
パンに挟まれている肉は非常に柔らかで美味そうだ。僅かに香草のような香りもする。
その匂いに誘われてじんわり出てきた唾液を、慌てて喉の奥に押し込んだ。
「あ、良い香りがしますわね」
スティアも気づいたようで顔をほころばせる。確かこれは燻製とか言う奴だな。さっきの鍋のような器具は、燻製用の道具だったようだ。
肉を焼くのと燻製とでは、何が違うのか俺にはよく分からない。だがパンに挟まれた肉は何にせよ、美味い事には違いない。
全員分のパンを作り終えたバドは、最後に自分の分を手に取ってこちらに歩いて来る。そして車座に座った俺達の、最後のピースを座って埋めた。
「そんじゃ食べるか」
「いっただっきまーす!」
ホシの元気のいい声に続き、俺もいただきますと声に出し、パンにガブリとかぶりついた。
噛み切った瞬間、肉の旨みと一緒に爽やかな香りが鼻に抜けていく。
パンに挟まれた肉は、干し肉とは比べ物にならないほど柔らかい。殆ど抵抗無く噛み切られた肉が、肉汁をじわりと出しながら口の中を旨みで満たしていった。
「おいしーいっ!」
「美味しいですわ! フォレストウルフを倒した後、バドが何やらしていて不思議に思っていたのですが、これでしたのね?」
ホシが歓喜の声を上げれば、スティアも口に手を当てて合点がいったとバドに目を向ける。これにバドは満足そうに頷いた。
確かにフォレストウルフを倒した後、一人でごそごそと背嚢に手を突っ込んでいたが、これの下拵えだったんだろうか。
だが、この香草のようなものは一体何だろう。バドが持ってきた物だろうか。
スティアも同じように疑問に思ったのか、少し首を傾げていた。
「でも、この香りどこかで口にしたことがある気がするのですが……」
「これお茶のやつ! そうでしょばどちん!」
ホシが嬉しそうに言うと、バドはまたも満足そうに頷いた。
言われてみれば確かに、村長の家で出されたお茶っぽい香りな気がする。
バドは背嚢に手を伸ばし、そこから一つの革袋を取り出す。その口を開けて見せてくるので覗けば、青々とした植物が結構な量入っていた。
そういえば道中しゃがみ込むことがあり疑問に思っていたが、バドはこれを摘んでいたんだな。
この森に入る前に、この薬草について村人に聞いていたが、料理に使えると思っていたからだったのだろうか。
自分だけ背嚢を背負っているのはどうしてかと思っていたが、もしかしてこのためだったのか。
感心すると同時に、食事のことになると異様にマメになるバドに苦笑してしまった。
バドは普段から自分の意見を殆ど示さず、こちらの言うことに反応する程度で非常に控え目な性格をしている。
しかし食事のことになるとこだわりがあるらしく、結構うるさい。
喋れないが、うるさいのだ。
そのせいで、バドが率いていた第二部隊の隊員は皆、料理が非常に上手だった。
というか、下手でも強制的に上手にさせられていた。
そのため味音痴や料理音痴などの手の施しようのない者は、別の部隊送りになってしまう程だった。
その徹底的な食へのこだわりによって、第二部隊イコール炊事係で周知されていたのだから、バドの熱意も相当なものだろう。
ともあれおかげで美味い飯にありつけていたのだから、文句など言えるわけもない。
俺達は存分にバドの料理に舌鼓を打つ。そして腹も膨れた後に、明日の予定について話をしていた。
「明日もこの調子で進むことになりそうだが。スティア、問題なさそうか?」
「そうですわね。今のところ気になることもありませんし、それで宜しいかと。ただ、村の方達が沼まで三日と仰っていましたが、今日一日でもう半分くらいは来たと思います。何かあるとしたら明日だと思いますので、少し気をつけて参りましょう」
スティアの言う通り、俺達はかなり早いペースで森の中を進んでいる。
索敵に関してはスティアがいるし、そもそもフォレストウルフ程度が相手では、この三人だけでも過剰戦力もいいところ。だから魔物を警戒するために歩調を遅らせる意味が無いのだ。
スティアに頷いて返してから、俺は他の二人にも念のため声をかけた。
「ホシとバドも、何か気になることはあるか?」
「んー……。特にない!」
ホシがあっけらかんと返事をすると、バドも問題なしと頷いた。
ホシに関してはちゃんと考えているが疑わしいが、まあいつものことだ。一応聞きはしたが、俺自身もあまり当てにはしていない。
ホシの場合は直感が働いたとき以外、こういう場は賑やかし要員だから問題ないのだ。
「でも、えーちゃん。魔族がいたとしてどうするの? 全部倒しちゃう?」
と、不意に賑やかし要員から核心を突く疑問が飛んできた。スティアとバドも同様に思っていたのか、俺に視線が集中した。
この三人がどう考えているかは分からない。だがこの問いに関して俺は、村長の依頼を受けてからずっと悩んでいて、まだ答えを出すことができずにいた。
彼らの疑問にすぐには答えられず、考えるように瞑目する。皆は俺の答えを待つことにしたらしく、辺りはしんと静まり返った。
パチパチと火が爆ぜる音だけが森の中に響く。
魔族をどうしたいか。軍にいた頃は、魔族は倒すべき相手であり、仲間を殺された仇だった。
奴らがいたからこそ、死んでいった者達がいる。絶望に膝を突いた者達がいる。
死を覚悟し、それでもなお武器を手に取り戦場に駆けて行った部下達の顔は、今でも忘れることができない。
享受できたはずの幸福を踏みにじられた者達がそれこそ数え切れないほどいて、そしてそんな者達を俺達は戦場で嫌というほど見てきたのだ。
殺されてきた仲間達のことを思えば、魔族を憎く思う気持ちは今でも拭うことなど到底できず、彼らの敵を取ってやりたいと切に思う。
だが――
目をゆっくり開けると、三人はまだ俺を見つめていた。少し目を伏せ、自分の言葉を頭の中で何度か反芻し、俺は彼らの問いに口を開く。
結局、自分自身が納得できる答えは出なかった。
「まずは捕らえよう。話を聞いて、その内容によって決めたい」
「……分かりましたわ」
「うん、分かった」
「いいのか? 俺はもうお前達の上役じゃない。従う必要なんてないんだぞ?」
やはり不服があるのだろう。あまり良い声が出なかったため、問題ないのかと彼らの顔に目を向ける。
「確かに魔族に良い感情なんてありません。でも、わたくしは貴方様に従いますわ。きっと、それが最善の道になると信じていますので」
「あたしも、えーちゃんのしたいようにしたら良いと思う」
バドも二人の言葉に続いて、そうすれば良いと頷く。
「でも文句があったら言うからね!」
「はは、そうしてくれ。これに関しては俺もどうしたらいいか、正直決めかねてるところがある。先の戦争で色々……ありすぎたからな」
「……そうですわね」
今この時、王都は戦争の勝利に歓喜し、パレードの余韻に浸っていることだろう。
しかし戦争に勝ったと言ったところで、これは自衛戦争だったのだ。結果だけ見れば勝ち得たものなど何も無く、失ったものは余りにも大きい。
俺個人も、王子軍に加わったことで得たものもあったが、代わりにどれだけを失うことになったか分からない。そしてそれは部下を持っていた三人もまた同様だろう。
戦争は終わったばかりで、受けた傷はまだ深く根付いている。
自分が戦後思い描いていたものが何だったのか、無くしたものが多すぎて分からなくなってしまう程に。
急にしんみりとした雰囲気になってしまった。俺は何気なくこちらを見るホシの鼻を軽く摘まんでみた。
むあーっとくぐもった声を出したホシ。すぐに手を離すと、ホシはきゃらきゃらと可笑しそうに笑った。
流石賑やかし要因だ。俺の意を察してくれたのだろう。
「まずは明日だ。本当にいるかどうか、まだ分からないからな」
「うん!」
少し和んだ空気に、これ幸いと話を打ち切る。
魔族なんていてくれなければいいんだが。そう思わずにいられなかったが、こういった願いを運命神に聞いてもらえた試しなんて、今まで殆どなかった気がする。
パチリと音を立てて焚き火が爆ぜる。無意識に目を向けると、俺のそんな思いを笑うかのように、炎がベロリと舌を伸ばしたように見えた。
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次の日、俺達は朝早くからキャンプ地を発った。
昨日までは村人が立ち入る程度の距離だったが、今日からは長い間人が足を踏み入れていない領域の探索になる。
魔族の件もあり、警戒をより強めないといけない。とはいえ目的地にしている沼への到着を遅らせたくもなかったからだ。
再び警戒を先頭のスティアに任せながら、俺達三人も周囲に目を光らせつつ目的地を目指す。
その期待に応えるように、出発してから割とすぐ、五匹程度のフォレストウルフの群れと二回遭遇することになった。やはり魔物は多くなるようだ。
だがそれ以外に襲ってくる魔物とは遭遇せず、目に映るのはこちらを見てすぐに森へと消えて行く、ホーンラビットやビッグホーンなどの温厚な魔物ばかりだった。
この程度なら心配も杞憂だったか。
そう思い始めていた俺の耳に、スティアの警戒を促す低い声が聞こえたのは、出発してから二時間ほど経った頃だった。
「……何かいますわ。皆さんご注意を」
ぴたりと足を止めたスティアが、ハンドサインで足を止めるように指示を出す。その気配には若干の緊張が滲んでいた。
その言葉を合図に、最後方にいたバドがスティアのすぐ後ろへ駆け寄り、入れ替わりに俺とホシはその少し後ろへ後退する。
バドの体躯であれば後ろにいる俺とホシはすっぽり隠れてしまうため、前方から不意打ちがあったとしても防ぎやすいのだ。
「これはフォレストウルフじゃありませんわね。この音は、もっと大きな――」
スティアが以前言っていたが、彼女の場合周囲の気配を探るのに耳を使っているのだそうだ。それを知っている俺達は周囲を警戒しつつ、黙して彼女の様子を見守った。
スティアはブツブツと何やら呟きつつ腰の短剣を静かに抜く。
まだ相手の特定に至っていないようだが、武器を抜くと言うことは、相手と交戦する可能性が高いということだ。
俺もならって静かに剣を抜き、彼女の動向を注視する。ホシとバドも既に武器を手に、各々気配を探っていた。
「――っ! チッ、バドっ!」
スティアは言うが早いかバックステップでその場を離れる。次の瞬間、前方から何かが飛んでくるのが見えた。
バドはその体躯からは考えられないほどすばやく動き、スティアと場所をスイッチすると、壁盾でそれを弾き飛ばした。
「何だ!? 何が飛んできた!?」
「矢ですわ! 前方に魔族らしき敵が三か四! 恐らく弓二! 貴方様、指示を!」
矢か! なら野生の生物という線はまずない。
嫌な予感ほど当たるとは一体誰が言ったか。
「バドを先頭にスティア、ホシ、俺の順で隊列を組め! スティアは”風の障壁”! バドは前方警戒、”風の障壁”展開まで防御しながら待て!」
指示を飛ばしつつ精神を集中し、魔力を高めておく。
それを隙と見たのか、矢の追撃が更に迫ってくるが――
「風の精霊よ、我らが身を護り賜え。”風の障壁”」
スティアがすばやく”風の障壁”を詠唱すると、渦巻く風が障壁となり俺達の周囲を包んだ。
こちらに向かってきた矢は風に煽られ、全てあらぬ方向へと飛んでいく。これでひとまず飛び道具への警戒は必要なくなった。
こちらの目的はとりあえず奴らを捕らえることだ。とすれば、取るべき手段は一つしかない。
接近戦でとっ捕まえるってな!
「バドを先頭に突撃! そのまま敵陣まで突っ込むぞ! 逃がすなよ!」
『了解!』
号令を飛ばすと、俺達は一斉に敵の下へ突っ込んで行く。
俺達の突撃を拒むように何度か矢が飛んできたが、”風の障壁”に阻まれ、どれもが後方へと逸れて行った。
相手が魔族なら魔法が放たれる可能性はない。このまま遠慮なく接近戦に持ち込んでやろう。
問題としては、巨漢のバドを先頭にしているせいで視界がふさがれ、前が殆ど見えないということだ。このままだと、敵陣に突っ込んでからのこちらの行動が遅れてしまう。
ただ、対策はあった。
俺は高めていた魔力を開放し、前を走る三人の体を覆うように魔力を伸ばす。
「≪共有≫をかけるぞ! 皆、視界に注意しろ!」
三人の体を充分な魔力が覆ったことを確認し、俺は支援魔法を詠唱した。
「バドの視界を共有する! 行くぞ! ≪感覚共有≫っ!」
詠唱が終わると同時に、靄がかかるかのように視界が歪み始める。
次の瞬間視界に映ったのは、俺のものとは別の、三つの視点だった。