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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第三章 落涙の勇者と赫熱の令嬢

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135.防衛戦 崩れ落ちた防壁

「おぉぉぁぁっ!!」


 真っすぐに突き出された槍を剣で弾いたカイゼルは、荒々しい声を上げながらその剣を続けざまに振るう。


「グォォッ!」


 しかしそれはオークナイトの盾に阻まれ、金属音を打ち鳴らすだけに留まる。カイゼルの額に浮かぶ玉のような汗が次々に流れ落ち、頬を伝うとアゴから滴り落ちた。


「さっさと消えやがれこの野郎っ!」


 彼は更に攻撃をオークナイトへ加えるが、相手は盾の影に隠れるようにしてそれを受け止め、隙を見せようとしない。

 先ほどから思うようにオークナイトを倒せなくなっていることにいら立ちを隠しきれず、彼は舌打ちと共に更に激しく剣を振るった。


 腕を振り回すような荒々しい攻撃。息もつかせぬ激しい斬撃はオークナイトの防御をさらに固くし、その動きを止める。

 一対一であれば千日手(せんにちて)になろうその状況。しかし、今の状況においてはそうならなかった。


 足の止まったオークナイト目掛け、カイゼルの背後から次々に槍が伸びていく。元騎士達からの槍の支援は、盾の脇をすり抜け、鎧の間隙を突き、オークナイトの体に次々に穴を開けていく。


「グオォ……」


 ガクリと片膝を突いたオークナイトは憎々しげにカイゼルをにらむと、ぶわりと霧に帰っていった。

 しかし息をつく暇もなく、また新手のオークナイトが咆哮を上げながら盾を前に突っ込んで来る。

 後方に控えていた元騎士達はそれを見ると、邪魔にならないように、すぐさまカイゼルの後方に下がった。


 元々、元騎士達は元騎士達同士で連携をとっていた。しかし今ここに至ってはそんなことを言っている余裕などなく、冒険者とも連携を取っている者も多かった。


 最初は困惑したカイゼルも、冒険者として臨機応変に戦うなど日常茶飯事のこと。

 連携を乱すようなこともなく、肩で息をしながらも、元騎士達が引くのと同時にこちらに向かってくるオークナイトをまた迎え撃った。


 大海嘯(スタンピード)防衛戦が始まってから、もう四時間が経過しようとしている。空は徐々に茜色に染まりつつあった。


 当初は防衛隊の先頭でオーク達と交戦する者を、ある程度交代しながら戦っていた。

 しかしオークナイトが次々に防衛隊へと襲い来る今、そのような暇は一切なくなってしまっていた。

 更にここに至るまでに傷を負った者も多く、交代できる余裕は時間的な要因以外にも存在し初めていた。


 ランクBパーティに所属しているとは言え、未だランクCに留まっているカイゼルは、次々に押し寄せるオークナイト達に疲労を隠すことができなくなっていた。

 周囲の者達も皆カイゼルと同じような状況で、ゼイゼイと荒い息を吐いている。


 魔法使い達の奮戦のおかげで、ランクBのオークジェネラルが大通りを抜けてここまでは来れない。その状況が、限界が近い彼らを心理的に支えていると言っても過言ではなかった。


 防衛隊の皆が皆、精神的にも肉体的にも苦しい状況。しかしそんな中、まだ動きに機敏さを見せる者がいた。


「おおぉらぁっ!」


 オークナイトの槍を盾で受け流したヴェンデルは、その伸びた腕に鋭く剣を飛ばす。

 肘から先を切り飛ばされたオークナイトは、唯一の攻撃手段を失い狼狽えながらも、慌てて盾に体を隠した。

 しかし次の瞬間次々に伸びてくる槍に体を貫かれ、苦悶の声とともに霧へと帰っていく。


 そんな様子を見たカイゼルは無意識に小さく舌打ちをした。


「てめぇ、なんでそんなに、まだ元気が、ありやがるんだっ」


 オークナイトと交戦しながら、カイゼルは隣で戦うヴェンデルに憎まれ口を叩く。


「逆に知りてぇぜ。なんでお前がもうそんなにヘロヘロなのかがよ。確かに俺も疲れちゃいるが、まだいけるぜ?」

「けっ!」


 視線は目の前の敵に注がれている。しかし、その口調で相手がどんな顔をしているか分かってしまったカイゼルは、立ったむかっ腹を隠すこともせずに、口から感情を吐き捨てた。


「お前が馬鹿にしてたサイラスもまだ戦ってるんだぜ。しっかりしろや!」

「――なんだと?」


 しかし次の言葉は捨て置けず、オークナイトを相手取りながらチラリとそちらへ視線を向ける。そこには確かに土の勇者であり、また自分が常々罵倒していた相手であるサイラスの姿があった。


「はぁぁっ!!」


 サイラスは突き出された槍を丁寧に盾で受け流すと、剣を振るいオークナイトの手首を見事に切り飛ばしていた。

 カイゼルはその動きに一瞬目を(みは)るものの、直ぐに目の前の敵に意識を戻す。

 そして相手が突き出した槍に添うように体をぐるりと回転させると、そのままオークナイトの顔面へ、思いきり剣を突き入れた。


(どうなってやがる? 確かにあいつはランクDだったはずだ。この防衛隊にも、ヴェンデルがやけに推すから参加させただけだ。だってのに、何でまだああして動ける?)


 最近まで、いつものようにオーク魔窟(ダンジョン)の第一階層を気弱そうな青年と二人で歩いていたサイラス。

 つい二週間ほど前にも、くたびれたおっさん含む四人組をパーティに加えて、第二階層に入っていたばかりだったはずだ。


 第三階層のオークナイトとの戦闘経験は無いだろうに、どうしてそう戦えるのか。ランクCの自分でも疲れているというのに、そのキレのある動きはどうしたことだ。

 ごちゃごちゃと頭に浮かぶ疑問。その考えを吹き飛ばしたのは、ヴェンデルが放った雄々しい声だった。


 二週間ほど前のこと。ヴェンデルにとある人物と訓練をしてみないかと誘われたことがあった。

 ランクCとなって久しいカイゼルは、ランクB昇格を目指し、常日頃から訓練を欠かしていなかった。

 しかし昇格までの道のりは遠く、三回ほど昇格試験を受けてみたものの、技能試験――ランクB冒険者との実戦だ――で思うような成果を上げることができず、未だにランクCに留まり続けていた。


 ランクB昇格という目標は、冒険者であれば誰でも憧れる”最終到達点”である。

 それは実績に重きを置かれるランクA、ランクSよりも、己の実力を示せば果すことができるランクB昇格のほうが、冒険者の気風もあって強く支持をされているという理由があった。

 現に、ランクA冒険者よりも強いランクB冒険者というのは少なからずおり、その現実もまた冒険者達に憧憬の念を抱かせるのに一役買っていた。


 そんな理由があって、腕っぷし一つで駆け上がれるランクBという到達点へ、多くの冒険者たちが駆け上がろうと邁進(まいしん)している。

 そしてこの男、カイゼルもまた多分に漏れず、その内の一人だった。


 剣のセンスに恵まれていた彼は、あっと言う間にランクDまで駆け上がり、冒険者らには新進気鋭の剣士として一目置かれる存在だった。

 その後も早くにランクCまで上がったことで、ランクB昇格への道すらも順当に駆け上がっていく。そう期待されており、カイゼル自身もそうだと疑っていなかった。


 今もなおその道を駆け上がろうというカイゼル。しかしその明るく真っすぐに伸びる道は、この二年という歳月によって、暗澹(あんたん)としたものへと変貌してしまっていた。


 三年前、彼のライバルであった”雪月花”のジェドは、”雪月花”や”雪鳴りの銀嶺(ぎんれい)”を含む仲間内で初めてとなるランクB昇格を果していた。


 カイゼルは肩を並べていたライバルに水を開けられたことに歯噛みしながらも素直にそれを祝福し、しかし次は自分の番だと鼻息荒く息まいた。

 ジェドはそれに対して不敵な笑いを浮かべながら、早くお前も登って来いと拳を突き出し、カイゼルと拳を突き合わせたのだった。


 少し斜に構えることの多いカイゼルは、他人との距離を縮めることが昔から苦手だった。

 しかし大らかで快活なジェドは彼の皮肉も笑って受け止める鷹揚さを持っており、ふと気づいた時には既に、彼ら二人は親友と言える間柄になっていた。


 ジェドはカイゼルにとって良きライバルであり、親友であり、そして尊敬すべき男だった。他の男なら嫉妬の一つでもしたのだろうが、しかしその男の背中を追うことにカイゼルはなんの(わだかま)りもなかった。

 すぐにまた肩を並べてやる。そう思いながら笑い、そして訓練に勤しんだ。その願いがわずか一年後に破綻することとも知らずに。


 カイゼルにとってランクB昇格は、亡き友の遺志を継ぐ試練に変わっていた。しかしこの二年の間に何度か機会はあったものの、結果は振るわず、何も果すことができぬままだった。


 追い抜くことのできなくなってしまった背中を思い、打ち破ることのできない殻にもがき続けるうち、彼の心は荒れ果ててしまっていた。

 そんな状況で提案された訓練の内容は、カイゼルにとっては一笑に付すにも満たない馬鹿馬鹿しいもの。先日第二階層で出会ったあのくたびれたおっさんに教えを乞うという、とんでもない内容だった。


 ――そんなんでいいのか? お前は。


 不意にあのおっさんの言った一言が脳裏に浮かび、カイゼルは奥歯を噛んだ。


(そんなもん、俺が一番知ってんだよ!)


 湧き上がる苦々しい気持ちを、勝手にやっていろ! と目の前のヴェンデルにぶつけながら、カイゼルは酒に手を伸ばして飲み下す。

 そんな彼をヴェンデルは黙って見ていたが、その瞳が感情を雄弁に語っており、それに耐えられなかったカイゼルは蹴とばすように椅子から立ち上がり、部屋に閉じこもってまた一人で酒を煽ったのだった。


 彼が鼻先で笑ったその訓練に参加していたというヴェンデルとサイラス。この二人の動きがまるで違うのはそのためなのかと、カイゼルははたと気づく。


(あのおっさんの訓練の成果だってのか!? 馬鹿にしやがって!)


 蓋を開けてみれば、あのおっさんは王国軍の最高幹部だったらしい。広場でいい様に罵倒され、コケにされ、自分の醜さに向き合わされた。

 何も言い返せずにいると、今度は叱咤され、鼓舞され、挙句には勝つために戦えときた。


 サイラスに対しての(わだかま)りはまだある。しかしそれを晴らすには、まずこの戦いに勝たなければならない。カイゼルはそう思っていた。


 故に、サイラスにだけは負けまいとその剣を振るい続ける。

 体力はもう限界に近づいている。しかし彼の意地が膝を突くことを許さなかった。


「おぉぉぉっ!!」


 オークナイトが突き出してきた槍を叩き切り、返す剣で腕を飛ばす。

 カイゼルの持つ剣はかつて友が持っていた魔剣。手入れもまともにしていない鉄の槍など、本来相手ではなかった。


「まだまだやれるじゃねぇか!」

「……ったり、まえだろうがっ! よそ見、してんじゃねぇぞっ! ヴェンデルッ!」


 軽い煽りに目をむいて返すカイゼルに、ヴェンデルの口角はゆるりと上がる。


 先ほどから、ヴェンデルの目には常に数匹のオークジェネラルが映っている。しかし魔法使い達が上手く引き付け倒し切っており、こちらまでは今まで一匹も来ていなかった。

 このままの状態を維持できるなら、きっと第五の笛が吹いたとて町を守り切れるはずだ。何より、あのおっさんが手をこまねいて見ているはずがない。


 ヴェンデルはそう確信しながら剣を振るう。また一匹オークナイトを葬り、そして次のオークナイトを迎え撃つ。

 同じことを何度、何十、何百繰り返そうと、きっと何とかなるという信頼が、ヴェンデルの根幹を力強く支えていた。

 カイゼルも隣に立つ男に引っ張られるように、抱えた疲労に歯を食いしばりながらその剣を強く握りしめる。


 彼らはランクBパーティ、”雪鳴りの銀嶺(ぎんれい)”。オーク魔窟(ダンジョン)の最高到達地点が第四階層である、現シュレンツィアトップの冒険者パーティ。

 彼らにとって、オークナイトは再三戦い、そして葬ってきた相手である。攻撃に乏しいオークナイト相手であれば、後方からの援護がある今、後れを取る理由はまったく無い。


 発破をかけられ、カイゼルの動きに精彩が戻ると、それに釣られるように周囲の冒険者達の目にも力が戻る。

 防御に秀でつつも突貫力のないオークナイトが相手では、息を吹き返し始めた彼らを押し切ることは難しい。屋根の上から防衛隊の様子を見守るように伺っていたクラウスも、彼らがまた勢いを取り戻したことを感じ安堵していた。



 しかしこの好転しかけた状況で、事態は最悪の方向へと転がり落ちていく。


「な、なんだぁっ!?」


 町を揺るがすような衝撃音が防衛隊の耳朶(じだ)を激しく叩いた。それも一度ではない。

 二度、三度、四度。何度となく続けざまに聞こえるそれに、防衛隊にどよめきが走った。


「こ、この音は!?」

「何だ!? 一体何が起こってんだ!?」


 誰かが叫ぶように声を上げる。だがそれに答えるように耳に届いたのは、ズズン、と何か巨大なものが地を揺らしながら崩れ落ちる轟音と、どこからか聞こえてきた、身が竦むような猛き咆哮だった。


「ウ”オ”オ”オ”オ”オ”ォォォォーーッ!!」


 声の主は遠くにいる。だがそこにいる者達は皆その咆哮に、思わず耳を塞ぎたくなるような恐ろしさを覚えた。

 カイゼルはかろうじて顔を顰めるだけで耐えた。しかしあまりの恐怖で足がすくんでしまった冒険者達は、オークナイトの槍に貫かれバタバタと倒れてしまった。


「チッ……! 負傷者は後ろに運べ! 早く交代しろ!」


 ヴェンデルが張り上げた声に、弾かれたように再起動する防衛隊の面々。

 しかしその顔は青く、動きは緩慢だった。


「何が起きてやがる……! くそっ!」


 ばくばくと弾む心臓に焦燥を感じながらそう独り言ちたカイゼル。そんな彼の耳に届いたのは、この状況にはありえないサイラスの声だった。


「ヴェンデルさん! ――すいませんっ!」

「なっ!? おい、サイラス!?」


 反射的に向いたカイゼルの目に映ったのは、踵を返し防衛隊を押しのけながら、その場を逃げていくサイラスの姿だった。

 唖然とそれを見送るも、徐々に怒りがカイゼルの脳を支配する。


「あ、あの野郎……逃げやがった……!」


 口を衝いて出た言葉は防衛隊に更なる動揺を誘う。しかしカイゼルの感情は暴走をはじめ、そんなことなど目に入らなくなっていた。


「やっぱりあいつは臆病者だ! 何が勇者だ! ふざけるんじゃねぇっ!」


 カイゼルの目は、もう見えないはずのサイラスの背中だけを見ていた。彼へと迫るオークナイトの槍すらも、怒りに燃える彼の目にはまったく映っていなかった。

 無防備に晒される彼の急所に寸分違わず槍が伸びていく。小賢しい相手をまた一人葬ったと、オークナイトがニヤリと目を細めた。


「ふざけてるのはアンタだよ!」

「ぐはっ!」


 だが、そこに割って入る女の姿があった。

 横っ腹に衝撃が入り、カイゼルは突き飛ばされ膝を突く。それとほぼ同時に、ギンッ! と金属を弾く音が彼の耳に届いた。

 何事かと顔を向ける。すると、そこにはパーティメンバーの一人、ケティの姿があった。


「サイラスは一緒に戦ってる仲間を放置して逃げるような奴じゃない! バカだバカだとは思ってたケド、ここまでバカだとは思ってなかったよっ! このバカイゼル!」

「ケティ! てめぇ……!」


 ケティは彼を冷たい目でジロリと見やる。そこへ今度はヴェンデルが声を張り上げた。


「カイゼル、サイラスを追え!」

「何だと!?」

「あのバカ、もしかしたら、さっき咆哮を上げた奴の所に行ったのかもしれねぇ!」

「は、はぁ!?」


 ありえない妄想に唖然とするカイゼル。しかしヴェンデルは有無を言わさぬ口調でカイゼルの背中を押す。


「早く行け! もしあいつが死ぬようなことがあったら、俺はこのパーティを抜けてやるからな!」

「あ! それいいね! アタシも抜けようかな!」

「チッ! わけが分からねぇ! くそがッ!」


 二人の言う事は全く理解ができない。しかし、もしヴェンデルの言う事が万に一つでも本当だったのなら。

 ヴェンデルやケティの言葉に、幼いころ聞いた武勇伝が不意に脳裏に浮かんだ。


 いくつか聞いた勇者の伝説。その中でカイゼルが一番覚えているのは、自身の命を失いながらも、国を脅かそうという魔物の群れを多くの仲間達と共に打ち倒したという、土の勇者の英雄譚だった。


 自分の命と引き換えに多くの人間の命を救ったという英雄に、幼いカイゼルは心を躍らせた。

 それに憧れ冒険者の道を選んだカイゼルは、己の保身から魔族との戦争を避けたという目の前の勇者に、伝説との大きな隔たりを覚え、激しいいら立ちを募らせた。


 だが昔聞いた伝説が今、現実に起ころうとしているのなら。

 ドクン、と大きく心臓が跳ねた。


「早く行けカイゼルッ!」

「――分ぁったよっ!」


 向かってきたオークナイトを邪魔臭いとばかりに切り伏せると、カイゼルは踵を返して走り出す。

 防衛隊の陣を必死にかき分け最後尾から抜け出る。そして前を向いたその先には。

 そこには何かに急き立てられるように必死に走る、土の勇者の小さくなった背中があった。

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