134.防衛戦 集う者達
「この野郎死ねこの野郎!」
「これでも食らいやがれやぁぁッ!」
「オルァッ! おめぇにはコッチをくれてやるぁッ!」
「こっちを見ろやコラァァッ!」
屋根に上がった防衛隊、改め炸裂弾隊が奏でる、殺意の高い怒声が耳朶を叩く。
その言葉を聞いているだけで、彼らがかなりのストレスを溜め込んでいたことが分かる。
数の暴力、力の暴力、重圧の暴力。オーク達によって与えられ続けてきたそれらに、相当の鬱憤が溜まっているのだろう。
「おう、お前らッ!」
俺が声を張り上げると、彼らはその手をピタリと止めこちらを見た。
「――その調子でもっと歓迎してやれや」
くいと親指を下に向けると、彼らは一様にニカッと白い歯を見せた。
「な、なんだか、もの凄い熱気ですね」
こういう汚い言葉使いに慣れていないだろう長助は、居心地が悪そうな声をあげた。
貴族の令嬢として育てられた彼女にはなかなか経験できない状況だろうから、その感想は然もありなんと言ったところだろう。
だが元山賊である俺としては、こういう雰囲気のほうがしっくりくる。やりやすさすら感じていた。
彼女の言葉に苦笑を返しながら、包帯を所々に巻きつつも再び戦線に立つ彼らの背中を、俺は頼もしく眺めていた。
彼らの中には、冒険者や元兵士に混じって元騎士達もいるはずだ。しかし皆が皆酷い罵声を口にしていて品もへったくれもなく、誰が元騎士なのか全く区別がつかない。
引退して市井に下ったことで普通のオヤジ化したのだろうか。
罵声を上げながら炸裂弾を投げつける様は、まるで敵にウ○コを投げつける皇帝ゴリラさながら。頼もしいやら可笑しいやらだ。
そんな屋根の上に登りついたコングもどき達は、大通りを走るオーク達に次々に炸裂弾を投げつけ黒い霧へと変えていく。そしてその様子にまた大声で罵声を浴びせていた。
まあ、伯爵令嬢が引いてしまうのも無理ないな。絵面が酷すぎるわこれ。
「エイク」
そんな時、背後から聞き慣れない声に名を呼ばれ、ビクリと体が跳ねた。何かと振り向くと、そこには怪しい男の姿があった。
闇に溶けるような黒一色で固めた装備。顔はフードとマスクで隠され、鋭い双眸だけがギラリと光っている。
その不信極まりない出で立ちに、周囲の皆も何事かとどよめく。
「五つ目の笛は直に鳴るぞ」
だがそんな周囲のことなど気にした様子もなく、彼――盗賊ギルド、シュレンツィア支部長のロージャンは、相変わらず抑揚のない口調で端的に物事を話した。
「キングの数は?」
「全部で二十三だ。現状、南に十四、こちらには九が向かっている」
可能性の話として、第五階層のオークキングが出張ってくる可能性は半々だと伯爵からは聞いていた。そのため五つ目の笛が鳴らない未来に期待していたのだが、しかし現実はなかなかに厳しいらしい。
「ランクAが九か……。ちと厳しいな」
「ここまで来て弱音か?」
「事実だよ。手が足りねぇ」
鋭い視線を送ってくるロージャンに、俺も負けじと厳しい視線を返した。
魔法使い達や例の盾を持った町人達、炸裂弾隊に回った元騎士達が次々現れるジェネラルや多くのナイト共を抑えてくれてはいる。
しかしジェネラルのタフさは相当なもので、そちらに戦力を割いたせいで、防衛隊へ押し寄せるナイト共の数が増えてしまった。現状でもギリギリといった様子が滲んでいるのだ。
冒険者達も元騎士達も一丸となってそれを押し返そうとしている。しかし数を増したオークナイト達がどんどんと殺到し、その様子は贔屓目に見ても押されないよう踏ん張っているようにしか見えなかった。
この状況にハイオークやオークキングも加わるとなると、どう考えても厳しいと言わざるを得ないだろう。
「大丈夫」
俺が厳しい顔で防衛隊を見ていると、ジエナの呟きが聞こえた。
「ヴェンデルもサイラスも、この二週間で強くなった。私達だって。まだまだ、負けないよ……!」
彼女の頬に汗が一筋流れる。殆ど休み無く魔法を打ち続けているため、徐々に疲労が見えてきた。
しかしその眼差しはいつもの眠そうなものとは異なり、強い意志を湛えていた。
「姉様の言う通りです」
その言葉にアーレンも同調する。
「僕達はこれでもランクBパーティを名乗っているんです。こんな程度で尻込みするほど、柔な肝は持ってませんよ!」
彼はこちらには目もくれずそう言うと、ふぅと一つ息を吐き、そしてまたすぐに詠唱を始めた。ジエナもそれに続いて再び詠唱を始める。
俺が気後れしているとでも思ったのだろうか。自分達も不安だろうに、生言いやがって。
俺はガリガリと乱暴に頭をかいた。
「弱気になってるわけじゃねぇっつったろうが。余計な気ぃ回す暇があるなら前向いてろ! ったく……伊達に年食ってるわけじゃねえんだぞっ」
少しおどけて言えば、ジエナもアーレンも頬が少し緩んだ。
『グガァァァァッ!!』
『おぉぉぉぉっ!!』
オークナイトと防衛隊がお互いに気迫をぶつけ合い、激しい剣戟の音を打ち鳴らす。
先程言った通り、防衛隊と交戦するナイトの数は徐々に増えていっている。そこで戦うヴェンデルやサイラスが浮かべる表情は必死の形相だ。
だが、その表情に見えるのは絶望などではなく、未来を掴もうとする確固たる意思だった。
確かに人間側だって気持ちじゃ負けちゃいねぇ。ならなんとか足りない手を増やすしかねぇか。
「おい! オギュの婆さんのとこから炸裂弾の追加を持ってこい!」
俺は待機している町民達に指示を飛ばす。
炸裂弾の消費が早くなり、千などもうとっくに切ったはずだ。
今切らしてしまえば拮抗がたやすく瓦解してしまう。オギュ婆さん達に追加で作らせている分は、時間的に精々三百がいいところだろうが、しかし早めに補充するに越したことは無い。
俺の声に慌ただしく動き出す町人達。
しかしそんな時、思いがけずどこからか待ったが入った。
「それには及ばないよ!」
いつの間にそこにいたのだろう。見ればその声は、俺の向かいの屋根にすっくと立っている老婆からのものだった。
「ば、婆さん!?」
「レディに向かってなんて言い草だい! お姉さんとお言い!」
そこにいたのはまさかのオーギュスティーヌの婆さん本人だった。思わぬ登場につい口走ると、それにオギュ婆が憤慨する。
が、あれは本当にあの時の婆さんなのだろうかと、俺はそれどころではなかった。
昨日会った時は、腰は酷く曲がり、杖を突き、プルプル震えてお迎え秒読みといった様子の婆さんだったのだ。間違いない。
だが今はどうだろう。背筋をシャッキリと伸ばし、眼光は鋭く、往年は凛々しい麗人だっただろうと思わせるほどの生命力に満ち溢れ、かくしゃくとしているじゃねぇか。
一体この一晩で何があったんだ。まさか一晩中必死にアンチエイジングでもしてたのかこの婆さん。この忙しい時に勘弁してくれや!
「おいおい、年寄りの冷や水って知ってるかぁ!?」
「ハッ! 生意気言うじゃないか! だがね。そんなことは――これを見てから言ってみな!」
彼女は俺の冷やかしを鼻で笑い飛ばしながら手元で杖をクルクルと回すと、ビシッとその先端をオークジェネラルへと向けた。
「火の精霊サラマンダーよ! 我が呼び声に応じ、不浄を捕らえる戒めの炎を! 赤熱の鎖にて、秩序を乱す愚者を裁き賜え! ”灼熱の縛鎖”ッ!」
そして張りのある声を上げ、朗々と詠唱を詠み終えた。
「ウ”オ”ォォォーッ!?」
突如として火焔に飲まれたオークジェネラルは、ゴウゴウと逆巻く炎から逃れようと激しく暴れまわった。
両腕を遮二無二振り回し、地団太を踏み、家屋を守る”岩盤の大盾”に体当たりを仕掛け、力の限りの抵抗を見せる。
しかしその火勢は炸裂弾の比ではない。ゴウゴウと火の粉を散らしながら、逆巻く火炎の中で悲鳴のような咆哮を上げ続けたオークジェネラル。奴はしばらくの後に地に膝を突き、物言わぬ霧へ変わっていった。
鋭い眼光をオークジェネラルから俺へと向けたオギュ婆さん。その口元は確かに薄く弧を描いていた。
……ありゃあかなりの使い手だ。中級魔法で普通あれだけの威力は出ない。
ランクBの怪物を一撃で葬ったその威力に、彼女が魔術師レベルの人間だとはっきりと理解できてしまった。
その凄まじい威力に周囲も「おおっ!」とどよめく。
「あ、あれはお父様のっ!」
長助が思わず口にすると、それが聞こえたのかオギュ婆はクククと悪戯っぽく笑った。
「伯爵に魔法の使い方を叩き込んだのは私だよ。どうだい、まだまだ現役張れるだろう?」
ギロリと送られる視線。これには俺も両手をあげるしかなかった。
「それにね、あんたが言い出しっぺだろう。”自分の大切なものは自分で守れ”ってね。年寄りだから除け者にしようったって――そうは問屋が卸さないよ!」
俺の表情を見て、婆さんは愉快そうにかんらかんらと笑う。それとほぼ同時に、彼女の後ろから次々に男達が屋根へと駆け上がってきた。
緩んだ頬をすっと引き締めた婆さんは、彼らを横目でギロリと見ると、すぐさま活を入れた。
「遅いよお前達! さっさと配備につきな!」
『イエスマム!』
どこかで見た男達だと思ったが、そのやり取りで分かった。彼らは魔法陣を作っていた、婆さんの門弟達だ。
ゼイゼイと肩で息をしているところをみると、走ってここまで来たらしい。なぜか婆さんの方はピンピンしてるがな。
「追加の炸裂弾五百! 持って来ました!」
「今、町の人達に運んでもらってます! すぐに来るかと!」
門弟達が口に手を添え、こちらへ声を張り上げる。
なんと五百か。想定していたよりも多い数に俺は口笛を鳴らす。
昨日からずっと徹夜だったろうに、本当に良くやってくれた。炸裂弾を投げていた面々も、その吉報に一気に湧き立つ。
「さーあ……一丁派手に行くよ! 気合い入れなお前達ッ!」
『イエスマムッ!』
突如合流した八人の魔法使い達は威勢の良い掛け声を発すると、オギュ婆の指揮のもと次々に魔法を繰り出し始めた。
周囲にいた魔法使い達もその例外ではなく、オギュ婆さんは遠慮など無用とばかりに次々に指示を飛ばし連携を取らせ始めた。
その指揮は非常に素早く的確で、オークジェネラルのみでなく、今まで素通りさせていたオークナイト達も次々に葬り去っている。
あの婆さんただ者じゃねぇな。見ている限り、恐らく軍を指揮した経験がある人間だ。しかも魔法戦に相当熟達してやがる。
俺は元山賊だけに奇策や奇襲は十八番だが、部隊の正式な運用なんぞ殆どやったことがない。第三師団はそういうまともな部隊じゃなかったしな。
この様子では、魔法部隊の指揮に関しては婆さんに軍配が上がりそうだ。もう向こうはオギュ婆さんに丸投げしてしまおう。
できる奴に仕事を投げる。これが一番いいのだ。
できない奴が出しゃばってもいい事なんて一つもないからな。
「俺達もそろそろこっちに手を貸そう」
その様子を見ていたロージャンも不意に声を上げる。するとどこからか現れた二十人ほどの黒づくめの一団が足音も無く屋根に上がり、次々に弓や杖を構えた。
「オーク共のケツが見えたからな。偵察部隊の一部を引き上げた。が、問題ないだろう」
「そりゃ心強いな。妖怪ババアはどうした? もうくたばったか?」
「そんな口が聞けるならあたしの手は必要ないかねぇ?」
憎まれ口を叩いた俺の背後から、カツ、カツと杖を突きながら、やはり黒づくめの妖怪ババアが屋根へと上がってくる。
にやりと細められたその目は、この状況でも余裕が感じられるものだった。
「そうは言うが婆さん。何かできるのかよ?」
この婆さんとはそこそこ長い付き合いになる。しかしそんな俺でも、その実力を見たことは一度も無かった。
彼らは情報という商品を扱う非合法の組織だ。それ故に、自分達ギルドの人間がどんな経歴の何者なのかという情報は、徹底して隠蔽されている。
そのトップであるこのババアに関しては言わずもがな。俺ですら未だに名前すら知らない程だ。
だと言うのにその実力をこの衆目に晒すつもりなのだろうか。
俺の表情を見た婆さんは、「ひっひっひ」といつもの調子で笑うと、杖をコツ、コツと突きながら俺の横を通り過ぎ、屋根から大通りを見下ろした。
「よぉく見ていてごらん。あたしが戦うところなんて滅多に見られないだろうからねぇ。本当なら金でも取りたいところだけど、今日は気分がいいからね。特別にタダで見せてやるさね」
コォンッとババアは屋根を杖で強く叩く。すると魔法に堪能でない俺ですら、ぶわりとババアの体から魔力が立ち上るのを肌で感じた。
きっとこの周囲にいた皆もそれを感じたことだろう。周囲の空気がざわりと動く。
そんな中を、婆さんは意にも返さずゆっくりと人差し指を大通りへと向け、今までに聞いたことがない程の力強い声で詠唱し始めた。
「風の精霊シルフよ、我が呼び声に応じ、輝光の幻獣を顕現せん。空裂く雷光によりて、地に堕つ災厄を焼き払い賜え――!」
詠唱を紡ぐ婆さんの回りから、バチバチと雷が爆ぜる音が鳴り始める。その雷光は徐々に形を形成し、婆さんの周囲をぐるりと囲み、とぐろを巻く大蛇のような姿へと変わっていく。
依然としてバチバチと恐ろしい音を立てている雷光の大蛇は、まるで獲物を見定めるようにその鎌首をゆっくりともたげた。
「”地を這う雷光”ッ!」
カッとババアが目を見開くと、大蛇は目にも止まらぬ速さで屋根から飛び降る。そしてオークの群れの中を縦横無尽に這い回った。
『グガァァァァァッ!?』
それはほんの数回瞬く間の出来事だった。蛇を形どった雷光はオークナイトの体をすり抜け、オークジェネラルにまとわりつき、まるで踊るかのようにくるくると回りながらオーク達を蹂躙した。
稲光を放つ死を呼ぶ大蛇は、残像を残しながら大通りをオーク達ごと焼き尽くしていく。
その死の象徴に触れたオークナイトは一瞬で霧へと帰り、三体いたオークジェネラル達も全身からブスブスと黒い霧をあげながら苦悶に顔を歪め地に膝を突いた。
そんな分かりやすい隙を誰もが見逃すはずもない。すぐに魔法や矢の集中砲火を浴び、苦悶の声と共にその姿を消していった。
「魔法使いってのはね。戦士とは違って、年を取れば取るほど強くなるのさ。ババアだからって舐めるんじゃあないよ。肝にでも銘じておきな」
ひっひっひ、とババアは笑う。まったく、おっそろしいババアだぜ。
しかしなぁ。
「何かそれ、噛めば噛むほど味が出るっつー珍味みてぇだな」
「……あんたは水を差さなきゃ返事ができないのかい?」
「今度から干物ババアっつった方がいいか?」
「お黙り」
じっとりとした目を向けるババア。俺はそれに軽く笑って返した。
ババアの魔法で魔法使い達は一斉に湧き立った。オギュ婆さんも意味あり気な視線をババアに向けながらニヤリとほくそ笑んでいる。ババア同士、何か感じるものがあったのだろうか。
今の状況でこの援軍は非常に心強い。これならランクA怪物だろうと十分に戦い抜ける。
俺は先ほどの雷光の影響で未だにブスブスと黒煙を上げる大通りから視線を上げ、西門へと目を向ける。
そこにはまだオークキングの姿はない。
だが確かに向こうにいるであろうその敵の気配を、俺はしっかりと感じていた。




