14.沼へ①
「バド! 正面の奴らを抑えてくれ! ホシは抜けてきた奴を頼む!」
「分かったーっ!」
俺達の眼前には、屯して牙を剥くフォレストウルフの群れ。俺はバドとホシへ即座に指示を飛ばし、それを迎え撃った。
壁盾を前に、バドがすばやく前に出る。それに反応した数匹が、弾かれた様に彼に向かって飛び掛って来た。その数――五匹。
バドは先頭の二匹を、壁盾ですくいあげるように後方へ弾き飛ばす。そして後方の三匹へ牽制の剣を振るい、足を止めさせる。
「ほいっと!」
後方へ飛ばされ宙を舞った二匹の狼。ホシがぴょいと飛びメイスを振るえば、頭蓋骨を粉砕する音を鳴らし、明後日の方向に吹き飛んで行った。
「貴方様! 右手から三匹来てますわ!」
「任せる! 抜けた奴がいても無視しろ! 俺がやる!」
「承知しましたわ!」
スティアにそう応じると、彼女は新たに迫ってきたフォレストウルフに投げナイフを飛ばした。
ナイフは宙を真っすぐに飛び、一匹の眼球に突き刺さる。目をえぐられたフォレストウルフは横倒しに倒れ、激痛でのた打ち回った。
だが残りの二匹の勢いは止まらない。倒れた仲間に目もくれず、猛然とスティアに踊りかかった。
「ですがこの程度の数でしたら――貴方様の手を煩わせる程ではありませんわっ!」
言うが早いか左右の腰から短剣を勢いよく抜き放つと、スティアは二匹の間をスルリと抜けながら、フォレストウルフ達の胴をなぎ払った。
一匹が甲高い鳴き声を上げながら俺の足元に転がって来る。すかさず剣を喉に突き立てると徐々に力が抜けていき、最後にはピクリともしなくなった。
それを目だけ動かして確認した俺は、前方の群れにまた視線を向けた。
俺達の前に立ちふさがるフォレストウルフ達。その奥で、こちらの様子を伺っているフォレストウルフが一匹いるのが見える。恐らくあれが群れのボスだろう。
先にあいつを倒せれば面倒な戦闘をしなくてもよさそうだが、さてどうするか。
フォレストウルフ達の注意は今、俺とスティアにはほぼ向いていない。
バドが注意を引くよう立ち回っている上、後ろのホシが派手に暴れまわっているためだ。
であればこの隙に、俺とスティアでなんとかしてしまうのが得策だろう。
「スティア。俺が隙を作るから、あそこにいるボスを頼めるか?」
「承知しましたわ。どうなさいます?」
「目くらましで一瞬動きを止める。後は頼んだ!」
言うが早いか地面を蹴る。予想通り、暴れる二人を警戒していた狼達は、俺達への対処が僅かに遅れた。
「水の精霊ウンディーネよ! 我が呼び声に応じ、傍若たる者の視界を眩ませ賜え!」
こちらが接近するのを見て、ボス狼は牙をむきながら身を低くする。だがそれは、俺が詠唱を終えたのと同時だった。
「”惑いの霧”!」
フォレストウルフ達の周囲に濃い霧が立ち込める。
視界を奪う水の霧だ。これで奴らの目は全く通用しなくなったはずだ。
ただ奴らは狼。この魔法は嗅覚が発達した相手には思ったような効果が無い場合もある。
だからこれはあくまでも気を逸らすための小細工に過ぎなかった。
当然スティアもそれを十分理解している。彼女はその僅かの隙も逃さないよう、霧の中へ躊躇いもせず突っ込んで行った。
「風の精霊よ、我が身を護り賜え。”風の障壁”」
スティアは”風の障壁”を短縮詠唱すると、体にまとう風で水の霧を切り裂きながら駆け抜ける。
足が止まっている取り巻き達に目もくれず、彼女は一足飛びで群れの中を走り抜ける。そして、あっと言う間にボス狼の額に短剣を深々と突き立てた。
「これで終わり、ですわね」
スティアの風で霧が晴れていく。その中央には、両手をパンパンと払っているスティアと、横たわったボスの姿だけがあった。
他のフォレストウルフ達はボスがやられたのを感じたようで、すでに一匹の姿もなかった。
「おー、終わった?」
狼がいなくなったのを見て、バドとホシが近くに寄ってくる。二人には当然目立った怪我などない。
ただホシは体のあちこちに返り血が付着していて、その笑顔も相まって見た目がちょっと危険なものになっていた。
ホシの武器はメイスだが、威力が高すぎるせいで血が派手に飛び散ってしまう。戦闘後にスプラッタになってしまうのが難点だった。
ホシは動きにくい格好が大嫌いで、防具を着せようとしても嫌がって絶対に着てくれない。なので今の格好は、スティアが見繕ってやった普段使いの服そのままだ。
ショートパンツを履き、だぼっとしたシャツを着て腰で絞るという何とも簡単な出で立ちなのだが、まあ動きやすそうな恰好で、ホシもお気に入りらしかった。
だが今は折角のその服にも血がべっとりとついていて、全身真っ赤っ赤である。
じっとしていろと言いながら”浄化”をかけてやると、ホシは嬉しそうにニーッと笑った。
「すーちゃんやったね!」
「ぶいっですわ!」
スティアはホシに小さくブイサインを返し、いたずらっぽく笑った。
一応周囲を確認するが、あちこちに狼共の死体があるだけで、何の気配もない。
俺はロングソードに着いた血を払うと、息を吐きながら鞘に納めた。
ホシとスティアは「いえーい!」とハイタッチし合っていてかなり余裕の様子だ。息も乱れていないし汗一つかいてもいない。
バドは……ちょっとよく分からないが、たぶんこちらも同様だろう。
「バド、怪我は?」
念のため聞くと、彼は軽く手を上げて大丈夫だと伝えてくる。
まあバドはフル装備だしな。そもそも肌が出てないから、群がられても傷一つ負わないはずだ。いじけると悪いからそれは言わないでおくが。
とりあえず死体をこのまま放置しておくと、血の臭いを嗅ぎ付けて別の魔物が寄って来てしまう。早めに対処してしまおう。
「それじゃあ手早く解体してしまおう。スティアは俺と”乾燥”を頼む。ホシとバドは狼を集め終わったら、”乾燥”が終わった奴を解体していってくれ」
「頭と内臓捨て?」
「それで」
「あいあいさー!」
簡単に打ち合わせを済ませると、俺達は早速それぞれの作業を始める。
ホシとバドは倒したフォレストウルフ達を回収に向かった。
ホシがあちこち殴り飛ばすから探すのも一苦労だ。転がっているのは十頭ほどだが、探せばもっとありそうだ。
「貴方様、これだけのフォレストウルフですと、わたくし達だけで食べるには少々多すぎるかと思いますが」
「村におすそ分けしよう。滞在中は世話になっているわけだし、このくらいはしてやってもバチは当たらないだろ」
「うふふ、お優しいことで。わたくしも鼻が高いですわ」
「なんでお前が自慢そうなんだ……。せっかく仕留めたのに捨てるのも勿体無いだろ。世話になってるのは事実なんだから、そのくらいしたって構わないだろうが。ほら、俺達は”乾燥”だ」
クスクスと笑うスティアを横目に見ながら、俺は足元に転がっているフォレストウルフに手をかざす。
普通なら手早く血抜きや解体をしなければ臭くなってしまうが、”乾燥”が使えるならその方が良い。血と体に含んでいる水分を乾燥させてしまえば臭くなることもないし、血が抜けるのを待つ手間もかからないため、品質、時間共に利点があるのだ。
なお”乾燥”をした獲物に”氷結”も使えば更に良いのだが、手間や魔力の消耗を考えて、今は”乾燥”だけにしておく。
「水の精霊ウンディーネよ、我が呼び声に応じ、清浄の渇きを与え賜え……”乾燥”」
”乾燥”をかけたフォレストウルフは見る見る体が干からびていき、流れ出していた血も瞬く間に乾ききってしまった。
どんな生物にも多かれ少なかれ魔力というものがある。生体に魔法をかけると、体内の魔力が抗いその効果は著しく減衰してしまうが、死んでしまえばそれもなくなりこの通り。”乾燥”も問題なく効いてしまうのだ。
自分が死んだらこんなふうに”乾燥”が効くのかと思うと嫌なものだが、まあそれはそれだ。生きている間に心配する必要はないし、死後に関しては言っても仕方が無い。
俺とスティアは流れ作業よろしくフォレストウルフ達に”乾燥”をかけ、作業を進めていく。
気付いた時には、かなりの数のフォレストウルフが列を成して横たわっていった。
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「火の精霊よ、悪しき者を退け賜え。”火炎”」
スティアが詠唱を終えると、目の前に炎が上がった。掘った穴に入れた狼の頭部や臓物が勢いよく燃え、瞬く間に消し炭になっていく。
”乾燥”で水分を飛ばしたため良く燃える。十四頭もの狼を解体したので結構な量になったが、僅かの間激しく燃えたと思えば、あっという間に炎が萎んで消えていってしまった。
「さて、後はこいつらか」
俺はそう言いながら、解体を終えたフォレストウルフ達の前に立った。
流石にこの量は背負って運ぶわけにもいかない。しかし台車のような運搬に向く道具もない。
ならどうするかと言うと、だ。
俺の影がぐにゃりと動き、手を伸ばすように狼達へ細く伸びていく。
その影に触れられたフォレストウルフは、水に沈むようにずぶずぶと影の中に消えて行く。ものの数秒で、十四頭のフォレストウルフは影も形も無くなってしまった。
「ご苦労さん。助かる」
声をかけると、返事をするようにぐにゃりと俺の影がうごめいた。
シャドウは色々な物を影の中にしまっておくことができるのだ。理屈は知らないが、今まで入れたものは全て出てきたため、無くなったと言うこともなく非常に便利だ。
最初は訳が分からず不気味に思ったが、彼との付き合いも長くなった今、もう慣れてしまい、当たり前に頼らせてもらっている。俺の手荷物が少ないのも彼のおかげだった。
「しゃどちん凄いねー!」
「ええ、頼りになりますわ」
ホシとスティアにも褒められて嬉しいのか、俺の影がぐねぐねうごめいている。
……やっぱりちょっと不気味だな、これ。
「よし、それじゃ先に進もう。スティア、警戒よろしく」
「おー!」
「おーですわ!」
俺の声に三人は掛け声を上げる。俺達は改めて進路を北東にとり、深い森の中、再び歩みを進めた。
最初に森の調査を始めてから三日目の今日、俺達は村の北東にあるという沼を目指して森を進んでいた。
というのも、村の近くにある池や北西にある狩場にも向かってみたが、何一つ手がかりが無かったからだ。
そこで村長にも北東の沼の話を聞いてみたところ、魔物が多くてかなり危険だということを、最初に話を聞いた村人と同様に言っていた。
なんでもフォレストウルフだけでなく、この辺りでは見ない魔物も出るということだ。恐らく沼を住処にしている魔物なのだろう。
以前村の人間が行ったときも、太刀打ちできずにほうほうの体で逃げ帰ってきたのだと村長は言っていた。だからか、そこに向かってみると話すと、随分引き止められたものだ。
人が良過ぎるだろう、あの村長。なぜか俺達が彼を説得する羽目になったしな。
早朝から村を出て、もう少しで夕方になる。村長の言うことは正しかったようで、こうしてフォレストウルフの大きな群れに襲われることになった。
他にも魔物がいそうな雰囲気ではある。十分注意しなければいけないのは間違いなさそうだった。
ただその点に関しては、こちらに非常に頼りになる人間が一人いた。
「さて、さくさく行きますわよ!」
今先頭を歩いているスティアは、第三師団で諜報や暗殺を主に担当した第一部隊の元隊長だ。斥候や周囲警戒は彼女の専売特許と言ってもいい。
先ほどのフォレストウルフの群れも、狼達に気づかれるよりも前にスティアが注意を促したため余裕を持って対処できていた。
俺も元山賊だけに斥候はお手の物だが、彼女のようにはいかない。野生の狼よりも先に気づくなんて普通は無理だ。これには舌を巻かざるを得なかった。
「貴方様? どうかなさいました?」
呆れ半分、感心半分でスティアを見ていたら、振り向いた彼女と目が合ってしまった。
「いや、頼りになるな、と」
「貴方様にそう言って頂けますと張り合いがありますわ! どんどん頼ってくださいな!」
「ああ、うん。ほどほどにな。無理するなよ」
「お任せくださいまし!」
スティアは鼻息荒くガッツポーズをとると、機嫌よくまた歩き出した。
後ろからちょこちょことホシが近づき、そんなスティアの手を握る。二人は顔を見合わせた後ににっこりと笑い、握った手を大きく振りながら一緒に歩き出した。
「なんだか随分とご機嫌だな」
隣のバドに声をかけると、彼もうんうんと首を縦に振る。
これから何が出てくるか分からないというのに、あの今にもスキップでもしそうな軽い足取りを見ていると、まるでピクニックにでも来たかのようだ。
「バドも、頼りにしてるからな」
彼にもそう声をかけると何やらぐねぐねと動いていたが、残念なことに彼の意思が俺に伝わることは無かった。