130.防衛戦 南門①
シュレンツィアへと伸びる街道を、凄まじいスピードで走る一団がある。その速さから馬かと空目してしまいそうだが、しかしその四つの姿は確かに、己の二本の足で大地を蹴り平原を駆けていた。
そんな彼らの目には、こちらに咆哮を上げるオークウォリアー二匹の姿が映っていた。
大口を開けながら体躯に似合わないスピードで四人に向かって駆けて来るオーク達。しかし彼らはそれに全く怯む様子も無く、むしろ更にスピードを上げて距離を詰める。
そして怪物達をただの障害物であるかのように切って捨てると、コロリと落ちたくず魔石をそのままに、その場を走り抜けて行った。
「ガザ様、知ってますか?」
「ああ。聞いたことはある」
黒い霧となって消えていったオーク達の事などまるで気に止める様子もなく、コルツは耳に届いた聞き覚えの無い二つの単語について、横を走るガザにちらりと視線を向けて問いかけた。
ガザもまたそれを横目で受けると、小さくこくりと首を縦に振った。
「”黒の守護騎士”と”血化粧の悪魔”……。バド殿はそうかもしれないとは思っていたが、まさかホシ殿が”血化粧の悪魔”とはな……」
「まあ髪も目も赤いっスからねぇ」
「いや……そうじゃない」
デュポが然もありなんとそう言えば、ガザは違うと首を横に振る。
「”血化粧の悪魔”は、”俺達が注意喚起のため”に付けた呼び名なんだ」
「注意喚起?」
そうだ、とガザは、不思議そうな声をあげるデュポに応えた。
「四年前、人間達の都を攻め落とそうと俺達が包囲していた時の事だ。人族の王ガドラスの息子、エーベルハルトが帰ってきてから、満足に王都を攻めることが叶わなくなっただろう? その守りを崩さんと工作員を何度か送ったのだが、ことごとく失敗に終わってな、成果を全く得られなかったのだ。だが命からがら戻ってきた者の話で、とある悪魔が都にいる、というものがあったのだ」
ガザは当時の話を思い出すかのように、ゆっくりとした口調で語り始める。共に走る三人もその話には興味津々と言った様子で、頭にピンと立つ耳をぴくぴくと動かしながら、その話に耳を傾けた。
彼らからやや離れた後方には、馬に乗り必死の形相で追いかけてくる一人の騎士、カリアンの姿がある。
彼をシュレンツィアまで連れ戻すようエイクに頼まれたガザ達は、魔窟から飛び出し、自らを餌にして彼をここまで引き連れて来ていた。
しかし今、皆の頭の中はガザの話のことで一杯になってしまい、彼の存在は綺麗さっぱり忘れ去られてしまった。
「その悪魔は鈍器の一振りで頭を粉々に打ち砕き、噴き出す血しぶきを笑いながらその身に受け、真紅に染まりながら襲い掛かってくるのだと。まるで質の悪い怪談のようだろう? 皆信じるはずも無く、己の失態に夢と現実の区別がつかなくなったのだと一笑に付したのだが……。しかし命からがら帰ってくる者は皆、口裏を合わせたかのように一様に同じことを口にしたそうだ」
それら工作員の所属する部隊と配属が違っていたガザは、弁明をする本人達の話を実際に聞いたことは無かった。そのため噂程度に聞こえてくるその話を、往生際の悪い嘘だと同じく考えていた。
だからこそ、その眉唾な話が事実だと断定されたときの衝撃は今もなお覚えており、それが自分達のそばにいたのだという事実にブルリと一つ体を震わせた。
「人間の都になぜそんな凶悪な生物がいるのかは分からなかったが、しかし紛れもなく事実なのだろう。何度目かの失敗の末にそう断じられ、我らが細心の注意を払わなければならない災厄であるその悪魔につけた名、それが”血化粧の悪魔”。つまり”血化粧の悪魔”のレッドは見てくれの話ではなく――」
「俺達の血の色、というわけですか。ぞっとしない話ですね」
少し言い淀んだガザの台詞に引き続き、その締めをオーリが担う。しかしデュポがそれを聞きとがめ、彼に顔を向けながら目を丸くした。
「そうかぁ? 俺はちょっとぞっとしたけどなぁ。ほら、腕を見ろよ。毛が逆立ってるだろ?」
「いや……”ぞっとしない”という意味はだな――」
「なあなあ、コルツはどう思うよ?」
言葉の意味が違う。そう説明をしようとしたオーリだったが、既に自分の話になど興味を失った様子のデュポの後頭部を見て、彼ははぁと溜息をついた。
「オーク共が大挙してはさしものエイク殿達も、と思ったが。”黒の守護騎士”と”血化粧の悪魔”。そしてエイク殿とスティア殿がいれば、確かに勝機があるかもしれんな」
未だにエイクが他の三人に匹敵する実力を持っていると勘違いしているガザ。ふ、とニヒルに口を歪めると、そうだろうと言わんばかりに目を細める。
しかしその笑みを見ていた三人は、そんな彼にしらっとした視線を浴びせていた。
「ガザ様。それはそうと、その口調いつまで続けるんスか?」
「ちょっと痛いというか……」
「もう止めたらいかがです?」
「なぁっ!?」
三人から思わぬ顰蹙を買い、ガザの頬にさっと朱が差す。
「べ、別にいいだろ!? お前らだって俺に威厳があったほうがいいだろ!?」
「う~ん……」
「違和感がハンパねぇっス」
「右に同じですね」
「な、何だって……」
自分の魔族軍での立場、そして人族に匿われているという現状に、自分を、そして仲間達を軽んじられないよう、威厳を込めて口調を硬くしていたガザ。
だと言うのに、自分が守ろうとしていた三人から揃って微妙な顔をされた挙句ダメ出しまで食らってしまった。
魔族の歳を見た目から判断できないエイク達は、ガザをその落ち着いた口調からそれなりの歳だろうと予想していた。
しかし実のところ、ガザはまだ二十にしかならない年若い青年であった。
皆のため良かれと思いやっていたことが完全に独り相撲だったと知り、ガザの耳はしおしおと力無く垂れ、ついでに頭も尻尾もガクリと垂れた。
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ハルツハイムの領主、アルベール・リーヴェン・ハルツハイムは、目の前で繰り広げられる光景に言葉を失っていた。
数百というオークの大群が南門から雪崩れ込んだ時、まずそれを迎え撃ったのはハルツハイム騎士団だった。
騎士団は、屋根に上る騎士団所属の弓兵や魔法使い達との連携で、オークの一団を何とか凌ぐことが出来た。
しかしオークウォリアーが姿を現すと、その戦況は一気に悪化した。倒すのに時間をかけてしまい、次から次へとウォリアーが押し寄せてしまったのだ。
エイクから預かった炸裂弾も使用したが、それでもオークウォリアーの勢いは止められず、じりじりと戦線を押され、騎士達は次々に負傷し、発する声は徐々に焦燥に侵食されていった。
「やはり、無謀であったのか……?」
誰ともなしにそう呟いたアルベール。しかしそんな彼の耳に聞こえたのは、呆れたような調子の、この場に似つかわしく無い美しい声だった。
「まだ前哨戦だというのに、何を仰られるんです?」
騎士達が歯を食いしばりながらオークウォリアー達に押されて行くこの光景が、まだ前哨戦だと言うのか。
確かに言う通りなのだろう。しかし目の前の光景に飲まれていた伯爵は、言葉が出てこなかった。
そんな彼の様子に、スティアはまたも呆れた口調でこう言った。
「少々弛んでいるのではありませんこと? まあエイク様からこの場を預かった以上、無様な真似はできませんわ。ここからはお任せ下さいまし」
さらりと髪を手で払った彼女は、そう言い残すと屋根を走り、騎士達の後方へ飛び降りる。そして後方で待機していた傭兵の一団へと向かって行った。
そのわずか数分後、傭兵団がハルツハイム騎士団に変わりオーク達の相手をすることになった。
騎士達でも防げなかったのに、傭兵団でどうしようというのだ。アルベールは内心そう思っていた。
だが。アルベールは今、発するべき言葉も見つからず、ただ呆然とその様子を眺めていた。
「ウガァァァァーッ!!」
依然としてオークウォリアーの咆哮がアルベールの耳朶を叩く。しかし先ほどまで感じていた恐怖は微塵も感じなかった。
それは咆哮を上げた次の瞬間、すでにそのオークウォリアーが絶命しているからなのだろうか。
誰よりも前に立つのは二人の戦士。
一人は全身を覆う黒いプレートアーマーを纏った巨躯の男、バド。
彼が剣を振るえば、まるで紙を切るかの如くオークウォリアーの体を分断し、一振りの元に絶命させた。
自分に向けて振るわれるオークウォリアーの攻撃もまるで意にも返さず、盾で軽々と受け流し、跳ね飛ばし、押し潰し、圧し殺していく。
押し寄せるオークの波を切り裂いてく様は一騎当千と言うに相応しく、その黒一色の装備も相まって、圧倒的な存在感を放っていた。
もう一人は幼いという印象を拭うことができない小柄な少女、ホシ。
このオークの大群を前にしてもちょこちょこと動き回り、赤い頭がぴょこぴょこと見える程度で、屋根の上からでもその姿がよく見えない。
しかしこの場における彼女の存在感は、少し離れて隣に立つ黒の戦士と同等か、それ以上だった。
「えーい! そりゃあー!」
その戦場に相応しくない甲高い声が聞こえると、次々にオークウォリアーが宙を舞うのだ。まるでゴミを放り投げるかのように軽々と、遊んでいるかのような朗らかな声と共に。
姿が見えずとも、彼女のその実力は火を見るよりも明らかで。
まるで草原を跳ねるバッタのように巨体が宙を舞う様子を目の当たりにして、味方であるというのにアルベールは空恐ろしいものすら感じていた。
バドとホシの獅子奮迅の活躍によって、多くのオークウォリアーが絶命していく。この二人で群がるオークウォリアーの半分近くを倒しているのだから相当なものだ。
しかしそれだけでは戦線の維持は難しかっただろう。バドとホシの異常なまでの強さに隠れてしまっていたが、戦線の維持に必要不可欠な男達がここにもいた。
「バド隊長に遅れを取るな! ”月茜の傭兵団”の力をオーク共に見せ付けろッ!」
『おぉぉぉぉぉーッ!!』
後方へ引いた騎士団に変わり、大通りを死守するのは”月茜の傭兵団”。
その団長アノールトは常に団員を鼓舞しながらも、彼もまた尋常ではない強さを発揮していた。
彼が豪快に剣を振るえば、オークウォリアーの首がゴロリゴロリと地を転がる。その剣筋のあまりの鋭さに、オークウォリアーは反応さえ出来ず次々と霧へ帰っていった。
彼の燃え盛るような赤い髪が、踊るように靡いて戦場を彩る。
深緑色のオークに視界を占領されているため、補色である彼の真っ赤な髪は屋根の上の伯爵からは殊更良く見えた。
いや。彼が良く見えると思ったのは、もしかしたらその髪のたゆとう様が、喜んでいるようにも見えたから、なのかもしれない。
”砕鎚”の二つ名に違わぬ力強い一撃は、確実にオークウォリアー達の命を刈り取っていく。そしてその猛々しさに呼応するかのように団員達も気勢をあげ、次々にオークウォリアーを撃退していく。
その凄まじいまでの気迫に、後方に退避しているハルツハイム騎士団も目を瞠り、閉口するばかりだった。
この場に立つ傭兵達は皆、第三師団の第二部隊に編成され、エイクやバドと共に魔族と戦ってきた者達だった。
戦場では捨て駒扱いされることも珍しくも無い、傭兵という立場での戦争への参加。皆、戦後得られる報酬と名声ばかりに目を向けていたが、しかしそれは現実逃避に近いもので、実際その胸中には、生きて帰れるかという不安や焦燥が渦巻いていた。
どれだけの仲間が生き残れるのだろう。その中に自分は残れるのだろうか。
拭い切れない恐れを抱きながら戦場に立った傭兵団。そんな彼らを一番に勇気付けたのは、他でもないバドの存在だった。
バドは第二部隊の隊長という立場がありながら、戦場では常に部下達の前に立った。
傭兵だろうと軍人だろうと関係なく。彼は自分の目に映る誰をも、分け隔てなく必死になって助けて回り、多くの命をその手ですくい取った。
真っ先に捨て駒になるはずの自分達の命すら必死に守ろうとするバド。
言葉や表情からはその思いは伝わらない。しかしそんな彼の背に、傭兵達が何を見たのかは察するに余りあった。
誰が呼んだか、いつしか彼は”黒の守護騎士”と称されるようになり、その功績は傭兵達の間で瞬く間に広まっていった。
バド本人の、自分は騎士じゃないのに、という困惑を置き去りにして。
あの”黒の守護騎士”が俺達の前にいる。その事実だけで、彼らの心は否応無く奮い立たせられた。
大海嘯という大災害を前にしても、眼前を覆うオークの壁がいかに重厚だろうと。
あの魔族が大挙する聖魔大戦において、心に刻まれた敬愛の感情は未だ衰えを知らず、彼らをこれ以上無いと言うほどに高揚させていた。




