129.防衛線 序盤
オーク共が町に雪崩れ込んでもう一時間くらい経っただろうか。倒したオークの数は三千を越えているはずだ。
ただ数を倒してはいる一方、眼下に見えるオークの数は全く減ったようには見えなかった。
肉体的な疲労よりも精神的な疲労が大きくなるのはこの辺りからになる。労力に見合った成果が出ていないと、不安に感じる者が出始める頃合だ。
現に、オークへと飛来する矢衾は明らかにその密度を薄くしていた。
「どうしたぁ! 矢が飛んでねぇぞ! もうへばったか!?」
発破をかけると一時的に良くなるが、それも持って数分ほどだ。これまでずっと矢を射続けており、腕や指が限界なんだろう。
さらに目に見えて減らないオーク達に徐々に士気が削がれ、それがまた疲労を増大させ動きを緩慢にしている。
矢を放つ元兵士達には数年のブランクもある。そろそろ休ませてやりたいが、しかしまだオークのみが攻めてきている以上、もう少し踏ん張ってもらいたいところだった。
弓兵達が疲弊してきている一方で、幸いにして防衛隊はまだまだ疲れの色を見せていなかった。
彼らはオークを迎え撃つために道幅一杯に陣を張っているが、しかし実際オーク達と戦う人数は二、三十人程度にしかならない。
町の外でぶつかり合えば、こちらの数が数百に対して向こうは万という数だ。そもそも戦いにすらならず、押しつぶされて終わりだったことだろう。
それを戦いの形に持ち込むために、奴らをわざわざ幅の決まった町中に誘い込んでいるのだ。
狭い道に誘い込めば実際に戦うのはわずかな者だけ。しかも怪我をしたり疲労が見えたら後ろに待機している者達と変われば戦線を維持しつつ休憩もできるので、継続して戦闘を続けることが出来るのだ。
勿論彼らの処理能力を超えるオークが一斉に攻めてくれば瓦解する戦法だが、それは弓矢で倒したり油で動きを鈍らせたりして何とか今のところは維持ができている。
更に、元騎士達の士気が非常に高いことが全体の士気を維持することに繋がり、戦線の維持に大きく貢献していた。
単純に戦力として採用したのだが、彼らの存在は予想外の効果を生み出し、次々と迫るオーク達をバタバタとなぎ倒していく。
「まさかこれほどの戦果をあげるとは……」
「防衛隊全体の士気も随分上がってるな。こりゃ掘り出しもんだった。嬉しい誤算ってやつだ」
くくくと笑いながら元騎士達の貢献を賞賛する。クラウス殿もこれには舌を巻いていた。
「先生。わたくしに何か出来ることはないのでしょうか」
弓兵達が鈍り始め、防衛隊に襲い掛かるオークが増えてきている。その光景に何もしていないことに不安を感じ始めたのか、長助が問うような眼差しをこちらに向けてくる。
確かに長助は先ほどからずっと、顔をしかめながら黙って皆を見ているだけだ。
何か遠距離攻撃ができるのなら、猫の手も借りたい今加わって欲しいとは思う。
だが遠距離攻撃がノーコン魔法のみではその出番は全く無い。状況を引っ掻き回すだけの猫に役目は無いのだ。
「俺達の役割は皆の士気を維持することだ。お前も声掛けでもしてろ」
「声掛けですか? しかしそれだけでは――痛っ!?」
それだけとは聞き捨てならない。舐めた発言をした長助の額を人差し指でピンと弾く。
「戦場って奴は生き物だ。そしてその生き物をどう飼い慣らすかってのは他でもねぇ、戦場に立つ人間なんだよ。皆の士気を上げるのも重要な役割なんだぞ。それだけってことあるか。それともお前のノーコン魔法でオークをぶちのめしてみるか?」
「ノ、ノーコン魔法……」
「冗談だ。お前のノーコン魔法でもまだ使い道がある。ここで魔力の無駄遣いをしてる余裕はねぇ」
「む、無駄遣い……」
あうあうと口を開く長助。こんなことなら魔法の練習もさせておくんだったな。
そんなことを思いながら、俺はまた一つ矢を放った。
こちらの矢衾を無傷で抜けようとするオークを看過することはできない。なのでそれは俺が度々処理をしている。
今はまだ前座だ。これからオークウォリアーやオークナイト、オークジェネラルなんかがわんさと出てくるだろう。
こんな最序盤で戦線を崩すような不安要素を見過ごすわけにはいかなかった。
ヒュンと矢が戦場を飛びオークの眉間を打ちぬく。苦悶の声を漏らしオークがガクリと地に膝を突いた、そんな時だった。
「むっ」
「あっ!」
ピーッ! と二回目の笛の音が鋭く鳴り響き、鼓膜を震わせる。クラウス殿と長助が反射的に声を漏らした。
「来やがったな」
キリリと弓を引き、おまけにもう一度放つ。その矢を受けがくりと膝を突いたオークの背後、西門へと目をやると、のそりとオークとは微妙に異なるシルエットが浮かび上がっていた。
『グァァァァァッ!!』
オークよりも一際大きい咆哮がビリビリと空気を震わせる。
その体から発せられる重圧は、確実にこちらの気勢を削ぎにかかっていた。
「オークウォリアーが来たぞーっ!」
第二陣、オークウォリアーのお出ましだ。奴らの手には剣、斧、弓と武器がより取り見取りだ。
オークも混じっているが、その数は明らかにウォリアーのほうが多い。前座はここで終了というわけだ。
「弓兵! 射手を優先的に狙え! 何本矢を使おうが構うな! こちらを狙われる前に確実にブッ潰せ! 盾兵! お前らの見せ場だぞ! こっちに攻撃を通させるな! 絶対に死守しろーッ!」
奴らの姿を確認した俺は迅速に各自に指示を飛ばす。
こちらには戦い慣れていない町人達もいる。彼らは屋根で行動しているという都合上、防具などは装備させていない。
慣れない防具を装備して足を滑らせ、転落したなどとなれば全体の士気に関わるからだ。
攻撃が当たれば間違いなく重症、最悪死者が出る。他のオーク共を無視してでも、どうしても射手だけは早急に倒す必要があった。
屋根の上には射手の攻撃から皆を守るために、元騎士達が盾を携え五十人ほど待機している。皆片腕が無い者達ばかりだが、攻撃するわけでないため片腕で十分だ。
彼らは今まで手持ち無沙汰だったからか、その不満を晴らすかのように、号令に対してオークウォリアーの咆哮に負けないほどの大きな喊声を上げた。
『おぉぉぉぉぉーッ!!』
『グァァァァァアーーッ!!』
オークウォリアーと元騎士達の咆哮が町を揺らす。オークウォリアーの姿と咆哮の凄まじさに体が竦みあがっている町民も多いが、それを取り除いてやるのがこっちの役目だっつーの!
「ハーッハッハッハッ!! いいぞ! 来やがれオーク共! こっちは手ぐすね引いて待ってたんだ! ブッ殺してやるからさっさと来いッ!!」
そして俺は町人達を指差す。
「町人共! お前らも声を上げろ! 気迫で負けるな! 声のでかさでも負けるな! こんなクソッタレ共に、一つでも負けるんじゃねぇ! この町をオーク共に我が物顔で歩かせるな! お前達のもんだってことを、奴らに分からせてやれッ!」
俺は後ろを向き、防衛隊に腕を振り上げて見せる。俺の意図を理解した彼らは、一斉に大音声を上げた。
『おぉぉぉぉぉーッ!』
「どうしたどうした! 俺一人の方が声がでかいぞ!! もっと腹から声を出しやがれ!」
『おぉぉぉぉぉーッ!!』
「町人共! お前らもだ! 腹から声を出せ! オーク共を声で怯ませるくらいの気持ちで、死ぬ気で声を上げろッ!!」
『おおおぉぉぉぉぉぉーッ!!!』
防衛隊のみでなく、屋根の上の弓兵、盾兵、そして町人達も。皆が一丸となって喊声を上げる。
ビリビリと家屋を震わせるほどの鬨の声が、西門を覆い尽くした。
「そうだッ!! 気持ちで負けるな! 心で負けるな! 奴らを残らずブッ潰すくらいの気概を見せてみろーッ!!」
『おおおぉぉぉぉぉぉーッッッ!!!!』
ざぶざぶと堀を歩くオークウォリアー達に次々と矢が放たれる。オークと違い、防具を装備しているウォリアー達は簡単に倒れてくれないが、しかしそれでも着実に数を減らしていく。
「うおぉっ!」
「ふんんっ!」
反撃とばかりにオークウォリアーも弓を放ってくるが、しかしこちらの盾兵も熟練の騎士達だ。
屋根の上だというのに良い動きを見せ、その矢を受け止め被害を抑えている。
それを見た町人達の体も固さが徐々に抜けていき、「はい!」「おう!」とお互いに声を掛け合いながら油を運んでいく。
俺はそれをカラカラと笑った。
「どうだ長助。声掛けだって馬鹿にできねぇだろうが。お前もやってみろ。お前はこの町の伯爵令嬢だろう。部外者の俺よりずっと効果があると思うぞ?」
そう長助に声をかけるが、しかし彼女の反応はしけたものだった。
「で、出来ません。わたくしにはとても……」
彼女は眉を八の字にして首を振る。仕方ねぇな。
「甘えるな!」
「ひぐっ!?」
自信無さそうな顔の長助に、脳天チョップを食らわす。今回はちょっと強めに。
「お前が戦場に出たいと言い出したんだろうが。だってのに、こうして突っ立ってるだけか? 何しに来たんだお前は」
「し、しかし、わたくしには先生のようなことは無理です!」
「出来る、出来ないの問題じゃねぇんだよ。お前は伯爵令嬢なんて立場をかなぐり捨ててここに立ってるんだ。命の危険すらあるこの場所にな。思い出せ。お前は何をしにここに来たんだ? 何のためにここにいる?」
「何をしに。何のために……。わたくしは、わたくしはハルツハイムを……この町を守るために――」
拳を握り締め、もにょもにょと口の中で呟く長助。だがここで呆けている暇は無い。今もなおオークウォリアー達は、その有り余る体力で矢衾を無理やり突っ切り、こちらに向かって行進しているのだ。
オークなら弓で間引きが出来た。しかしウォリアーは鎧も着ており、そう簡単には行かない。ならば。
俺は手を上げて皆に合図をする。
「炸裂弾隊! ここからは投入を許可する! ただし同時に二つ以上は投げるな! 予定通り、A班、B班、C班の順に回って、最後のJ班まで一個ずつ投げ終わったら、またA班から開始しろ! なるべく多数のオークを巻き込むように使え! 返事は!?」
『了解!』
「ケティ! 手より口を動かせよ!」
「だーから逆だってーの!」
ワハハハ! と笑いが周囲から漏れる。
こんな状況だ、士気を上げるためなら三枚目だろうがオヤジギャクだろうが、なれるもんはなるし、使えるもんも使う。これが俺のやり方だ。
堅っ苦しい騎士達とは決定的にそりが合わない方法だが、しかし今は形振り構ってる場合じゃねぇ。俺は俺のやり方で血路を開く方法しか知らんしな。
今は人命第一、勝ち負け第二。体裁なんて三の次四の次、場合によっちゃ犬にでも食わせてやるわい。
「おい長助!」
俺は矢を番えながら、未だに何か考え事をしている長助に怒鳴り声を上げる。
「J班にはお前も入れ! 投擲までノーコンだったら張り倒すからな! 気合い見せろ!」
「えっ、ええっ!?」
「クラウス殿もJ班に入ってくれ! 俺はこっちの援護に回る!」
「承知した!」
右手を離すと、ピゥ! と高い音を立てて矢が戦場を飛び、真っ直ぐ走っていたオークウォリアーに突き刺さった。しかし狙った場所からわずかに外れ、片目を潰しただけに留まる。
野郎、眉間を狙ったのにちょっとかわしやがった。距離もあるが、やはりオークのように上手くは行かないらしい。
小癪な相手に軽く舌打ちをすると、また素早く矢を番える。
先ほどのオークウォリアーは俺を敵と定めたのか、グアァ! とこちらを威嚇をしている。だが立ち止まっていればいい的だと、今度は確実に眉間を打ち抜いた。
オークウォリアーは霧へと変わる。しかしそれでも倒したのはたったの一匹だ。
その場を駆け抜け、次々に押し寄せるオークウォリアーの一団に、防衛隊にも更なる緊張が走った。
「よーし! それじゃ行っくぞー! それーっ!」
ドドド、と重い足音を立てて大通りを走るオークウォリアー達。しかしこちらもそうはやらせまいと、ケティが振りかぶって炸裂弾を投げつけた。
オークウォリアーの一団へと飛んでいった炸裂弾は、その場を炎の渦に変えオークウォリアー達を飲み込んでいく。
「ゴアァァァッ!」
「ウガァァッ!」
さしものオークウォリアーも全身を焼かれてはたまらないようだ。オーク同様ごろごろと地を転がると、しばらくして黒い霧となって空気に溶けていく。
よし、オークウォリアーにも十分効果がある。これならこの中盤戦も十分乗り切れる!
「よっしゃ! いいぞ! ドンドン行け!」
『おぉーっ!』
オークウォリアー達を殲滅する炸裂弾が次々に投下されていく。群れを成したオークウォリアー達は面白いように体を炎にまとい、その命を散らしていった。
「え、えいっ!」
長助もぽいと炸裂弾を投げ、オークウォリアー達を火炎で攻撃する。こちらはそれほどノーコンではなかったようで一安心だ。これなら任せても大丈夫だろう。
「ハーッハッハッハ! 燃えろ燃えろ! 骨まで燃えろッ!」
炎で全身を焼き悲鳴を上げるオークウォリアー達を眼下に、俺は高らかに笑う。周りはちょっと引いたような視線を俺に向けるが、今は気分が良いから問題ナシ!
火炎地獄を抜けて防衛隊に襲い掛かるオークウォリアーも少なくなかったが、しかし今奴らと相対しているのはランクCの冒険者達だ。
ヴェンデルやカイゼル達が次々とウォリアーを切って捨てて行く様は余裕すら感じる。
そこにはランクDでありながらヴェンデルの推薦を受けたサイラスの姿もあるが、二週間前のように、怯んだ様子は微塵も無かった。
「この炸裂弾の威力は凄まじいですね……! これが無かったらと思うとぞっとします。でも、数が少ない北門のほうは大丈夫でしょうか……」
長助が手に持った炸裂弾に目を落としながらそう独り言ちた。
だがそれを聞いた俺は、ブハハと笑い飛ばした。
「馬鹿言うんじゃねぇよ。向こうはな、こっちより楽勝だぜ」
「え?」
俺の言うところが分からず目を丸くする長助。頭にハテナマークが浮かんでるのが目に見えるようだ。
「お前の二つ名、何だったっけか? ドレスアーマーの長助だったか、ポンポコナの長助だったか――」
「ち、違います! ”赫熱のフィリーネ”ですよ! か、く、ね、つ!」
彼女は顔を真っ赤にして俺の言葉を必死に否定する。
なんだよ、俺の方が合ってると思うんだが。名は体を表すって言うだろうに。うーん、まあいい。
「そんな自称二つ名じゃあねぇ。向こうにはな、あの聖魔大戦で二つ名をつけられた奴が二人もいるんだぜ? 魔族相手の切った張ったを生き抜いてきた連中だ。オークなんぞ相手になるかよ」
そう、向こうには俺が知る限り最強の三人組がそろい踏みなのだ。一人は”やりすぎ”で特定さえされず、二つ名をつけることもされなかったがな。
言いながらニヤリと笑う俺を、クラウス殿と長助は信じられないものを見るような目で呆然と見ていた。
あ、そういやアノールトもいたわ。あいつも”砕鎚”の二つ名持ちだった。
完全に忘れてた。




