127.伯爵令嬢の思い
「なぜですお父様!」
部屋の中から女の怒声が聞こえ、ノックしようとドアに伸ばしていた手がはたと止まった。
その後もドアの向こうから何やら会話が聞こえてくる。だが女――これは長助だろう――が声を張り上げている一方、相手であろう伯爵がそれに何と返しているかまでは聞き取ることは出来なかった。
とは言っても長助の声は丸聞こえ。なので二人が何の話をしているのかは十分察することができる。
待つ時間も惜しく、俺はドアをノックする。するとドア向こうの会話はピタリと止み、一呼吸ほどおいてから入室を促す声がかかった。
俺は遠慮なくノブに手を伸ばし中へと入る。部屋には机に座った伯爵がおり、それに相対する形で鎧を装備した長助が立っていた。
「正午には向かってくるようです」
「そうか……」
俺の報告に伯爵は眉間を揉む。
「女達には最後の仕上げをさせていますが、終わり次第一旦城に戻します。男達や冒険者、傭兵、騎士達は今は休憩と食事を取らせていますが、二時間の後に各自配備につき奴らを迎え撃ちます」
「そうか……分かった。私もそろそろ準備をしよう」
伯爵はそう言うと机から立ち上がり、足音を立てて部屋を出ようとする。
俺はそんな彼の背中を見送っていたが、
「お父様っ!」
と声を上げ、その前に長助が立ちはだかった。
俺が部屋に入ってからずっと難しい顔をしていた伯爵は、娘のこの行動に、ついには眉を吊り上げる。
「これは遊びではないのだ! ……お前は早く退避しなさい。これ以上私や皆の手を煩わせるな」
「くっ……!」
有無を言わさない伯爵の様子に長助は拳を固く握る。
しかし諦めきれないようで、バッと俺へと向き直った。
「先生! わたくしも町の守りに加えて下さい!」
これには堪忍袋の緒が切れたらしい。流石の伯爵も声を荒げた。
「フィリーネッ! いい加減にしろ!」
「いえ! わたくしもこのハルツハイムを守る伯爵家の一員です! お父様が残るというのであれば、わたくしも残ります!」
「お前に何が出来ると言うのだ! 足手まといになるのが関の山だ! 私の言うことを聞いて、早くここから去りなさい!」
また言い合いを始めた二人。先ほどドアの向こうから聞こえてきたのはまさにこんな会話だった。俺が来たのをいい事に、長助がまた話を蒸し返したようだ。
俺をダシに使わないで欲しい。喫緊の問題が差し迫っているのだ。今は親子喧嘩なんぞしている場合じゃないんだが。
騒がしい二人に頭の痛さを覚えながら、どうしたものかと思案する。
しかしそんな心配はすぐに杞憂に終わった。
「いいか! すぐにここから出て行くのだ!」
「お父様――!」
「話は終わりだ! 私はもう行く! ではな、エイク殿。また後で会おう」
伯爵は一方的に会話を打ち切ると、長助の静止を振り切ってさっさと部屋を出て行ってしまった。
「お父様……くっ」
そして残ったのは、悔しそうな表情を浮かべる長助と俺だけとなる。気まずい事この上ない。
とはいえ黙って出て行くのもなんだか憚られるな……。
「わたくしは、ただ……ハルツハイム家の威光を取り戻したいだけなのです」
と思ったら向こうが勝手になんか話し出した。何だか凄く聞いて欲しい雰囲気を醸し出している。
仕方がない。若者の愚痴を聞くのも年長者の役目だ。少しくらい付き合ってやることにするか。
「先生はご存知でしょう? ハルツハイム家が伯爵に降爵したという話を」
「ああ。まあな」
「元々このハルツハイム家は、護国の勅命を受けたアインシュバルツ聖騎士団……その初代騎士団長ガラド様が興した、紛う事なき由緒正しい家系なのです」
「ガラド……? まさか、白騎士のガラド・バルバロスか?」
三百年前の聖魔大戦で、英雄王ヴェインと共に戦い大きな戦果をあげたという三人の英雄。その内の一人、ガラド・バルバロスが先祖なのだと長助は言う。
まさかと思いながら投げかけた問いに、彼女はこくりと頷いた。
「バルバロスの家名があまりにも広く知れ渡っているので、今この事は殆ど市井に知られていませんが……。白騎士ガラド様はこのハルツハイムの地にて、妻アリサ・ハルツハイム様と生涯を共にし、その名をガラド・ハルツハイムと改めたそうです」
彼女は胸に手を置きながら、まるで過去に思いを馳せるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「アリサ様はガラド様同様騎士でありました。名誉騎士のガラド様がなぜアリサ様の元へ婿入りしたのかは存じません。しかし、彼ら二人の婚姻を切っ掛けに英雄王ヴェイン様よりこの地を賜り……それ以来、彼らの子孫達が三百年もの間この地を守護し続けてきたのです。このわたくしもまた、ヴェイン様をお守りしたというあの伝説的な英雄、白騎士ガラド様の血を継いでいるのです」
彼女は金色の双眸をこちらへ向ける。その目にははっきりと強い悲しみが浮かんでいた。
「ハルツハイム家はヴェイン様の勅命に従い、この地に蔓延る魔物や怪物から王都を長きに渡り守護して参りました。その忠義が認められやっと侯爵の位を授かった……そう思っていたのに! 歓喜していた矢先に、手の平を返すようにまた伯爵位に降爵され……! お父様がどれだけ落胆されたことか……っ!」
長助は弱々しく頭を振りながら目をつぶる。彼女の口から吐き出される言葉には悔しさが溢れ、最後には言葉として成り立たないほど小さく掠れてしまっていた。
だが、それを聞いた俺は不思議に思う。
納得できないのは分かったが、しかし彼女は降爵の理由について何も知らないのだろうか。
そう問えば、彼女は「知っています!」と感情的な声を上げた。
「王都奪還戦での敗走! シュレンツィア防衛戦での失態! そして此度の戦争への非参加! いずれもハルツハイムは高位貴族としての義務を果たさなかったと! 出兵を拒否し王家を蔑ろにしていると! そう判断されたのです! そのような事実はありもしないと言うのにっ!」
今まで溜め込んでいたのだろう。俺に不満をぶつける様に彼女はまくし立てた。
確かにかつてのハルツハイム侯爵家は出兵を拒否していた。
しかしそれには明確な理由があることを、俺は知っていた。
五年前の王都防衛戦と二年前のシュレンツィア襲撃により、ハルツハイム軍がほぼ瓦解していたこと。
そしてセントベルから敗走した魔族達が広く散ってしまったことで受けた、ハルツハイム領の被害が甚大であったこと。
その二つが理由としては大きい。
そして、そのどちらにもハルツハイムに過失は無かった。
王家はそれを認めており、ハルツハイムの出兵拒否を正式に許可している。これは純然たる事実だ。
シュレンツィア防衛戦に関してはハルツハイムに落ち度はなく、王都奪還戦の敗走については完全に難癖だ。
つまるところハルツハイムの降爵は、政治的な理由って奴だった。
「わたくし達は王家への忠誠を忘れたわけではありません! だというのに殿下の一任で――!」
「おっとそこまでだ」
それ以上言えば王家を侮辱する発言にも取られかねない。俺のような人間ならともかく、伯爵令嬢である彼女は不味いだろう。
ここがハルツハイムの居城とは言え、どこで誰が聞いているかも分からないのだから、不用意な発言は避けるべきだ。
俺が止めると彼女もそれに気付いたのだろう。下唇を噛むと、悔しそうにぎゅうと拳を握り締める。目には涙が滲み、今にも零れ落ちそうだった。
「それに関して、親父さんは何て言っていた?」
「親父――お父様ですか? いえ……。伺ったことはあります。しかし沈痛な表情を浮かべるのみで、答えては頂けませんでした……」
長助は表情を曇らせながら顔を伏せた。
なるほど、詳細は知らないと。
「……なあ。もしかしてだが、お前がそんな恰好をしてるのも?」
「勿論です! ハルツハイムは元々騎士の家系! 武威を示し、王家への忠節を示す。威光が地に落ちてしまった今、かつての栄光を取り戻すには、まずハルツハイム騎士団を立て直す必要があるのです! そのためにわたくしはっ!」
彼女は力強くそう答える。確かに王家に騎士団を重用されているならその考えもありっちゃありかもしれない。だがなぁ。
「このアホたれ!」
「ぴあっ!?」
俺はその脳天にすこんと軽くチョップを入れた。
「そんなもん伯爵にちゃんと事情を聞いてからにしろ! 何勝手に暴走してるんだお前は!」
「で、ですが答えて下さらなくて――!」
「口答えすんな!」
「ぅぴぃっ!?」
まだ足りないのかともう一発チョップを入れると、彼女は小動物が鳴くような声を上げた。
「伯爵に事情を聞くのとオークと戦うのとで、なぁんで戦うほうを選ぶんだよ!? 伯爵はオークより怖いのか!? ええ!?」
「そ、そのような事は! ない、かと……」
「自信なさそうだなおい!?」
ぼそぼそと呟くような否定につい突っ込む。呆れたものだ。
じっとりとした視線で見ると、彼女は首をすくめながら手元で指を弄り始めた。
「素人が魔窟にもぐろうだなんて自殺行為も良いところだぞ? 命を捨てて戦う意気込みがあるくらいなら、伯爵に話を聞くぐらい朝飯前だろうが。お前達実の親子なんだろう? 真剣に話し合えば、伯爵だって答えてくれるに決まってるだろが」
フンと鼻を鳴らすと、長助はしゅんと小さくなった。なんで実の親子で話し合いが出来ねぇんだか、俺には分からんね。
勿論血を分けた親子だからって、仲が良いのが当然だろうとは思っていない。しかしこの部屋でのやり取りを見ていた限り、親子仲が悪いようには見えなかった。
なら腹を割って話し合うくらいできないはずがないだろうに。
こちらにおずおずと目を向けた長助は、俺の呆れた様子に不思議そうな表情を浮かべる。そして上目遣いで俺を見た。
「あの、先生は何かご存知で?」
「俺が言うこっちゃねぇな。知りたきゃ親父さんにぶつかって来るんだな」
すげない返事にまたしゅんと落ち込む長助。
確かに事情を知ってはいるが、しかし俺は巻き込まれただけの第三者。当事者同士話をしたほうが良いだろう。また伯爵ににらまれても困るしな。
まあそれはそれとしてだ。
「話は変わるが。お前、本当に戦場に出たいのか」
「っ!」
今までとは変わって真剣な表情を向けると、彼女は力なく曲げていた背筋をピンと張った。
先ほどの話から、どうもこいつは戦場というものを舐めているように思う。英雄に憧れ恰好を真似るところもまた然り。このまま放置しても変に暴走しそうだ。
真っ直ぐな視線を俺に向け、こくりと首を縦に振る長助。
その顔を見て俺は、伯爵を説得することに決めた。
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ピーッ! と甲高い笛の音が町を駆け巡る。
人の往来が消えたシュレンツィアの町はしんと静まり返っており、その耳に突き刺さるような高音は町を一気に駆け抜けていく。
既に騎士や傭兵、冒険者らの配備は終えており、彼らは一様にして怪物共が姿を現すのを静かに待っていた。
しかし笛の音に掻き立てられたのか、ざわりと場の緊張感が一気に増していく。俺の隣に立つ長助の喉もゴクリと音を鳴らした。
先ほどの笛の音は盗賊ギルドの斥候からの連絡だ。協力を惜しまないという彼らの言葉を信じ、怪物の状況を監視し、知らせるように指示を出していたのだ。
なお一回鋭く鳴らすのは、怪物襲撃の合図。
つまり、開戦の合図だった。
空は快晴。青い絨毯がずっと遠くまで広がっており、馬鹿騒ぎをするには最高の天気だ。
しかし肌をチリつかせる重圧が全身に嫌と言うほど圧し掛かっており、これから酒でも一杯ひっかけるか、なんて気分には全くなれなかった。
俺は西門から二百メートルほど離れた所にある、家屋の屋根の上から西門を見下ろしていた。傍らには長助の他に、副騎士団長のクラウス殿も並んで立っている。
屋根の上に立っているのは俺達三人の他にも、弓を持った元兵士達や軽装の冒険者達、町人達や盾を持った元騎士達がおり、西門付近から三百メートルほどにかけて、それぞれが配備につき待機していた。
そんな千以上の眼が見つめる中、開け放たれた門からのっそりと何かの影が姿を現す。
それは一つや二つではない。瞬く間に十、二十と増えていき、あっという間に数えられないほどの大群となった。
「やっこさん、来やがったな」
町をぐるりと囲む城壁に阻まれ向こう側は見えないが、オーク共が城壁の回りに密集していることは想像に容易かった。
「来たぞーっ! 気を引き締めろーっ!」
大通りに布陣し、西門から三百メートルほどのところでオーク達を待ち構える一段の姿がある。
彼ら元騎士や冒険者で編成された防衛隊は、クラウス殿の鋭い声とオーク達の姿に、各々の武器や盾を油断無く構えなおした。
空目だろうか。それを見た先頭のオークが楽しそうにニヤリと笑った――そんな気がした。
『ウガァァァァァアアッッ!!!』
一斉の咆哮。まるで蹂躙を開始するかのようなその多重奏は、西門から一気に大通りを疾駆し、待ち構える俺達の体を抜けて町中を駆け巡った。
ビリビリと町中を震わせるほどの声量に、町人達はたまらず腰を抜かし悲鳴を上げる。
辛うじて立っている者も血の気の失せた真っ青な顔をし、足腰を可哀想なほど震わせていた。
だが、それでも這ってでも逃げ出そうという者は誰一人いない。俺は勝機を失ってはいないと、ニヤリと笑った。
『ウガァァァァァアアッッ!!!』
オーク達はまるで土石流のように門から町へと雪崩れ込み、無警戒に堀へザブンと飛び込んだ。奴らはそのままザブザブと堀を進み、防衛隊に向かって足を進める。
堀で足が鈍っているが、しかし門から防衛隊まではたった三百メートル。堀を上がれば二百メートルしかない。奴らの足では距離などあって無いようなものだ。
先頭のオークは既に堀を越え、棍棒を振り上げながら大通りを駆け始めた。それに次いで二匹のオークも遅れまいと後を追う。
オークにも一番槍がいるのだろうか。そんなことを思う俺とは対照的に、咆哮を上げながら凄まじい速さで走るオークを眼下に、町人達は震え上がっていた。
今まで感じたことも無い恐怖に駆られ、もはや悲鳴も上げられないようだ。
(やはりそうなるか。だが、逃げ出さないのは及第点だな)
俺はそばに置いてある大きな木の箱から一つ、縄で巻いてある球状の物体を取り出す。
一番槍のオークは俺の眼下を軽快に走っている。そいつの姿を不敵に見やりながら、短剣で固定用の縄をブツリと切ると、俺は皆の耳に届くように大声を張り上げた。
「お前ら見てろ! 景気づけだッ! 一発行くぞ、コラァッ!」
球状の物体に魔力を流す。そして俺はそれを大きく振りかぶり、先頭のオーク目掛けて思い切りブン投げた。
避ける素振りすら見せないオークに、それは真っ直ぐに飛んでいく。そして着弾しようかという瞬間――爆音と共に火炎が逆巻き、オークの体を包み込んだ。
「ウガァァァッ!?」
「ゴァァァッ!?」
「グアァァァッ!?」
炎が直撃したオークはたちまち全身を焼かれのたうちまわった。後ろから走ってきたオーク達も突如現れた炎に巻き込まれ、体に激しい炎をまといその身を焼く。
オーク達は炎を消すため、悲鳴を上げながらごろごろと地面を転がり回る。しかし最後には体に炎をまとったまま、黒い霧となって炎と共にその姿を消した。
その様子を呆然と見守る皆。しかし俺だけは殊更に愉快だと哄笑し、大声を張り上げる。
「歓迎パーティーの始まりだッ! 精々もてなしてやれ野郎共ッ!! ハッハァーッ!!」
シュレンツィアを守らんとする人間達の威信をかけた戦いが、ここに幕を開けた。




