126.嵐の前
「ひっひっひ。どうだい調子は」
シュレンツィアをぐるりと囲む城壁の上に立ち南西の様子を眺めていると、カツ、カツと杖を突きながら誰かが歩いてくる。
人を小馬鹿にしたような笑い声にそちらを向くと、どうやって登ったのか盗賊ギルドの妖怪ババアが立っていた。
「ここが城郭都市で良かったな」
「何言ってんだい。ここは城郭都市なんかじゃあなく、ただの町さ」
「そっちこそ何言ってんだ。どう見ても城郭都市だろうが。見てみろこの城壁と向こうにそびえる城を」
「いんや。紛れもない事実だよ、エイク」
このババア、ここまで「ひっひっひ」と笑いながらよじ登って来たんだろうか。
そういぶかしがる俺の気持ちなど知らず、ババアはやはり「ひっひっひ」と可笑しそうに笑う。そして先ほど俺が見ていた方向へ顔を向けた。
「事実ってのはね、そうあるから事実って言うのさ。それが虚偽だろうとまやかしだろうと真実じゃなかろうと。ただ、それが事実だってことに意味があるのさ」
急に何か語りだしたババア。ついにボケたのだろうか。
意味が分からず俺は首を捻る。
「どういう意味だ?」
「言ってみたかっただけさね。あたしが知るわけないだろ」
「この糞ババア!」
何か意味があるのかと思ったら無いのかい!
俺が食って掛かると、ババアは可笑しそうに肩を揺らした。
「まあ、意味があるとするなら、そうだねぇ」
「あん?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみたらどうだい?」
ババアはいつものように人をおちょくるように言う。しかしこちらに向けられたその眼差しがなぜか非常に優しくて、俺は言葉に詰まってしまった。
城壁の下では男衆が声を張り上げながら作業を進めている。
彼らは昨日の昼から夜を徹して作業を続けているが、疲れたなどと文句を言っている人間は一人もいない。皆この町を守ろうと必死になって作業を進めていた。
未明までは町民に混じって冒険者や傭兵達の姿もあったが、今はもう一人もいない。最悪今日の襲撃も予想されたため、作業がある程度進んだところで撤収させたのだ。
撤収の指示を出すとかなり渋られたが、しかし彼らがギリギリまで頑張ったかいがあり、眼下に広がる大通りの様子は見事に一変していた。
西門の通りに敷かれた石畳は見渡す限り全てが取り外され、露になった地面には道幅一杯の大きな堀が百メートルに渡り掘られている。
堀は門近くは浅く、町に向かうほど深くなっていく作りで、今は男達の手によって、さらに傾斜を急にしているところだ。
他にも、通りの両端には見事な”岩盤の大盾”が整然と隙間無く立ち並び、家屋を守る盾のようにそり立っている。
”岩盤の大盾”は一様に家屋の屋根と同じ高さで作られており、門から町の中央へ、三百メートル以上に渡ってずらりと続いていた。
まるで街路樹ならぬ街路岩盤だ。
これらは昨夜のうちに作ったもので、作業は既に終わっている。これを成した魔法使い達は既に休憩に入っていて、彼らの姿もまたここには無かった。
俺は景観も糞も無くなった物々しい風景を、城壁の上からぐるりと見下ろす。報告では南門の進捗もほぼ同じだそうだ。
何とか間に合いそうだと、俺は内心安堵していた。
「今日の正午だね」
ババアはいつに無く抑揚の無い声でそう溢す。俺はそれに、そうかとだけ返した。
「気付いていたのかい?」
ババアは驚いたように目を丸くしたが、俺はそれに頭を振る。
「いや? だが、あんたはすぐ姿を消したからな。現したのも消したのも意味があるとするなら、この状況だ、あんたらが大海嘯の調査に行ったと考えても不思議は無いだろう?」
「そんなふうに考えるのは、あんたくらいなもんだよ」
ひっひっひ、とババアは愉快そうに笑った。
町民を焚き付けた昨日。一度姿を見せて以来、ババアの姿はどこにも見えなくなっていた。
まあババアが神出鬼没なのは昔からで、また消えやがったと大して深くは考えなかった。
しかし意味も無く出たり引っ込んだりするババアではない。きっとそれに意味があるのだろうと、ぼんやりと、しかし確信を抱いていたのだ。
この様子では、危険を顧みず大海嘯の様子を調べていたようだ。よくやるものだと感心する。
しかしなぜそこまでこの町に入れ込むのか。それが分からずババアに問うと、彼女はにんまりと目を細めた。
「あたしはね、この町が気に入っているのさ。ギルドも長いこと置かせてもらってるしねぇ。できるなら残って欲しいんだよ」
「そんな個人的なことでか?」
「個人的なもんかい。ギルドの総意だよ」
ババアは俺の顔をじとりと見る。
「あんただって分かるだろう? 安寧の地ってもんが、どんな宝の山より貴重だってことを。生まれてずっとあんな場所で山賊なんてやってきたあんただ。分からないとは言わないだろう?」
くしゃり、と可笑しそうにババアは笑う。その仕草に意地の悪さを感じ、俺はババアから視線を外した。
言わんとしていることの意味は分かる。ただ、気に食わなかった。
「あんな場所ってこたぁねぇだろ。俺の故郷だぜ」
衝動的に口を開けば、ババアは何も言わず、ただ「ひっひっひ」といつものように愉快そうに笑った。
俺の生まれ故郷はここからずっと東にある、ある意味有名な場所だった。
俺はそこで幸運にもオヤジに拾われ、息子の一人として育てられ、山賊団の一員としてすくすくと育っていった。
ババアはあんな場所だなんて揶揄するが、俺にとってはあの場所で生きた時間が人生の全てだった。
あの場所で生きていたからこそ今がある。それを悪し様に言われるのは、その言葉が紛れもない事実だったとしても、決して気分の良いことではなかった。
度重なる偶然が俺の身を王都へ運んだが、それでもあの場所が俺の故郷なのだ。どんな場所であれ懐かしく思い、帰りたいと思うのは自然なことではないだろうか。
故郷には置いてきたものが多すぎる。このような緊迫した状況だというのに、俺の意識は遠く離れた東の故郷へと飛び立とうとしていた。
それを見透かされたのだろう、
「あたし達も手を貸すよ。この町は”あたし達の町”でもある。力を貸すのは吝かじゃあない」
ババアは俺に片方の口角を上げ、ニヤリと笑いかけた。
「それに鼻垂れ坊やだったあんたの大舞台を特等席で見れるんだ。あんたの親父さんにいい土産話ができるってもんさね」
盗賊ギルドの連中は諜報に特化しているが、だからと言って戦う術を持たないわけではない。
存在が露見すれば殺されるのが当然の場所にも平然と乗り込む連中だ。むしろその戦闘力は高く、この状況では頼もしすぎる助っ人だった。
望郷の念を振り払わされた俺はババアに向き直る。だが素直に礼を言うのはどうにも癪に障る。
「俺があんたに初めて会ったのは十六だ。端から鼻なんぞ垂れてねぇよ」
反射的に口から出てきたのは、子供のようなただの憎まれ口だった。
「あたしにしたら、あんたは今も昔も鼻垂れ坊やだよ」
「妖怪ババアだからな」
「お黙り」
気が付けばいつもの軽口の叩き合いになる。ただ、目の前のババアは可笑しそうに目を細めていた。
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ババアからの情報でもう時間が無いことを悟った俺は、現場の指揮を任せていた棟梁達に指示をして作業を仕上げに入らせた。
これが終われば男達は城でしばしの休憩を。今まで城にいた女達は西門と南門へ走り最後の仕上げを行うのだ。
その様子を腕を組みながら眺めていると、スティアとホシが揃ってこちらに歩いてくるのが見えた。
「貴方様」
「あと三時間ってところだそうだ」
町民達の動きが変わったのを察して見に来たのだろう。短く伝えると、彼女はそうですかと、何という事も無いといった様子で頷いた。
ホシもけろっとしたような顔をしていて、場違いさに磨きがかかっている。あまりにもいつもと変わらないその様子に呆れるやら感心するやらだ。
「バドはどうした? 姿が見えないが」
「まだ向こうで地面掘ってるよ」
ホシは南門の方角を指差す。まだやってるのか。
「そろそろあいつも休ませよう。言わなきゃ休まないだろうし」
「バドですものね」
仕方がないといった様子でスティアが言う。あいつは止められないと限界まで頑張る嫌いがあるからなぁ。
無理を押しても頑張ろう、という感じではないのだが、なんだろう。単純に自分の状態まで気が回らなかった、といった感じが近いのかもしれない。
つまり本人が気づいていないから、誰かが止めてやらないと止まらないのだ。
昨日からずっと続けているのだろうし、もういい加減止めてやろう。
そうして俺達三人が南門へと向かっていると、前方から誰かが向かってくるのが見えた。向こうは俺たちの姿を確かめると大きく手を振って駆けて来る。
こちらに向かって来たのはサイラスとウォード君だった。後ろにはケティとヴェンデルの姿もあった。
彼らは昨日、俺達が作業を始めて間もなく中央広場へと姿を現した。
後で話を聞いたが、どうやら町人達が騒いでいるのを聞いたケティとヴェンデルが、彼ら二人を家に押し込み、外に出ないよう護衛をしていたそうだ。
町の様子が変わったと、出てきたサイラス達。その姿を見た町人達は気まずそうに視線を外す者が多かったが、中には彼に頭を下げる者もいて、サイラスは相当面食らっていた。
念のためにサイラスにはまだケティ達がついていたが、特に絡む者も現れず、それならと彼らもまた作業に加わっていたのだ。
「おっさん! なんか皆の様子が変わったんだけどよ……!」
「あと三時間くらいだ」
スティアと同じことを聞いてくるサイラスに、先ほどと同じように返す。それを聞いた四人は、緊張した面持ちで唾を飲み込んだ。
そうそう、これが普通の反応だよな。スティア達がおかしいんだよ。俺は正常なんだ。
「だ、大丈夫だよ、な?」
「さあな」
「さ、さあなって……」
サイラスが不安そうな声を出す。だがそんなもんは俺に分かるわけが無い。
俺が出来るのは最善の状況を整えてやることだけだ。
「ここにいる皆が最善を尽くせば何とかなるだろうとは思う。だが逆に言えばそうでなきゃ勝てんってことだ。戦場は水物だ。絶対は無ぇよ」
「で、でも師団長さん! 勝つために準備してたんじゃないんですか!? 皆こんなに頑張ってるのに!」
今の状況を端的に言うとケティも我慢できずに声を上げる。
ただ、口調がおかしい。何が師団長さんだ。誰だよお前は。
「何だその言い方は。いつもみたく『おっさん! このワシに任せとけ! ゲハハハ!』とか言わねぇのか?」
「それ私なの!?」
ショックを受けたような顔をするケティ。
やれやれ、元に戻ったか。今から気ぃ張られても困るからな。
「だから言ってるだろが。皆が頑張りゃ勝てる。逃げ出すような奴がいりゃ負ける。あいつらがどれだけ踏ん張れるかが勝負の分かれ道だな」
俺が視線を向けた先。そこには作業を急ピッチで進める町民達の姿があった。
今は確かに必死に作業を進めている。しかしあいつらを戦場に立たせた時、道を埋め尽くす怪物の姿を見てどういう行動を取るのかは、その時にならなければ分からない。
正直、腰を抜かすくらいでも及第点だと俺は思っていた。
怪物達は南門と西門からこの町へ入ってくる。つまり不味いと思えば北門と東門から退避できるということだ。
旗色が悪くなれば二分した戦力を中央広場で合流させ、一気に退避させることができるだろう。
念のため、北門と東門のあちこちに”岩盤の大盾”の魔法陣を相当数作っておいた。逃げるときに発動すれば足止め程度にはなるだろうと思ってのことだ。
どの程度時間を稼げるかは正直不安もある。だが保険としてやらない手は無かった。
今考えられ得る手は全て打ったつもりだが、戦いに絶対は無い。最善を尽くしたのだから、あとは意を決して戦うしかないのだ。
ただ。
「俺は負けるつもりは毛頭ないけどな」
そう言葉にして肩をすくめる。すると四人の緊張が若干ほぐれたように見えた。
最善を尽くし不安も見せない。虚勢だろうと大胆不敵に堂々と構え、ガハハと笑って部下にその姿を示す。そうすればおのずと士気は上がるもんだ。
「お前達はどうするんだ? 残るのか、戦うのか。逃げるなら、今ならまだ間に合う可能性は高いぞ」
俺の問いにウォード君はぶるりと震える。
しかし、
「ここまできて逃げるってことはねぇよ。俺も戦う」
「冒険者連中も傭兵連中も、皆戦う覚悟を決めてるんだぜ? ランクBパーティ”雪鳴りの銀嶺”が、ここで尻尾巻いて逃げるわけにはいかねぇ」
「そういうコト! あとはおじさんが勝ってくれれば問題なしってね!」
それぞれ声を上げる面々につづき、あのウォード君もしっかりと首を縦に振った。
なるほど。この三人もそうだが、彼ですら戦う覚悟を決めているんだな。その強い眼差しに自然に笑みが漏れた。
「なら俺達はまず飯だ。腹が減って力が出せない、なんてことを言われちゃ困るからな」
あと三時間。慌しく動き回る町民達とすれ違いながら、俺は彼らを伴い城へと急いだ。




