124.価値が無い
「まあまあ! とっても素敵ですわ!」
「そりゃどーも」
俺が怒りに任せて中央広場へ向かおうとしたところ、スティアからちょっと待てと押し止められた。
彼女が言うには、
「それに相応しい恰好を致しましょう!」
とのことだ。
どこぞのおっさんに叱られても、筋金入りの負け犬共には効果が無いだろう。だから立場を利用しようという心算らしい。
そんなわけで俺は今、優美なブレストプレートやガントレットを装備し、豪華な意匠の長剣を腰に携え、仏頂面で部屋の真ん中に立っているのであった。
俺達が今いるのは伯爵から借り受けた一室だ。そこには俺達二人の他にバドの姿もある。
彼は久々の黒いプレートアーマー姿だ。俺と共に部屋に入った彼は、手馴れた様子でささっと着てしまうと、俺の装備が終わるのをじっと見つめていた。全身鎧なのに着るのが早すぎる。
俺と目が合うと、バドはぐっと親指を立てる。
本当かよ。バドは嘘こそ言わないがお世辞は満載だからなぁ。
今俺が身に着けているのは師団長当時の装備だ。相変わらず似合わねぇわこれ。
体にまとわりついてくるマントを不機嫌そうに腕で払うと、それを見たスティアはくすりと笑った。
殆ど装備することが無くすっかり忘れていたが、この師団長なりきりセットを俺はシャドウに預けっぱなしにしていた。
そんな忘却の彼方にあった装備を、伯爵から鎧を借りようと言うスティアの提案を受けこの部屋に三人で入ったところ、シャドウがこれを使えとばかりにポイポイと投げてよこしたのだ。
これにスティアは目をキラキラと輝かせたが、俺はそれどころじゃなかった。
まさか窃盗犯としてしょっ引かれやしないだろうか。
この事態が済んだら、後で伯爵にお願いして返却してもらおうと、俺は密かに心に決めた。
「さ、参りましょう?」
「このいら立ちも全て糞野郎共にぶちまけてやる」
「それはご愁傷様、と言ったところでしょうか?」
「ふん、自業自得だろ」
そんな話をしながらドアを開ける。するとそこには長助とロルフ殿、アノールトの姿があった。
出てきた俺の姿に長助は目を見開いたが、他の二人は目を細める。何だよ。
「……似合わねぇって意見なら聞かねぇぞ」
不機嫌そうに声を上げると、長助は焦った様子で首を振った。
「いっ、いえいえ! まさかそんな!」
「お世辞はいい。俺がこの恰好でいると皆笑いやがるんだ。まったく」
鼻を一つ鳴らし、俺はさっさと歩き始める。それに慌てたように、後ろから三人が駆けて来た。
「エイク殿、案内は私が」
ロルフ殿がさっと出てきて、俺達の前を歩き出す。
頼みますと彼の背中越しに告げ、俺達は城の中を早足で進んで行った。
サイラスの事を告げた後、伯爵はロルフ殿にもすぐに話を聞いていた。
しかしロルフ殿にもその話は上がっておらず、彼もまた動揺を見せていた。
話を聞けば、ロルフ殿が詰めているのはシュレンツィアではなくサディナで、ここにはつい三日ほど前に、業務上の都合でたまたま来ていただけなのだそうだ。
普段この町の事は、副騎士団長のクラウス殿に任せているらしく、報告は欠かさず受けているとの事だった。
だが蓋を開けてみれば、だ。
副騎士団長が意図して報告を上げていなかった事実に、ロルフ殿は苦々しい表情を浮かべつつも、事情を聴取した上必ず処分すると固い顔ではっきりと口にした。
信頼していた部下に裏切られればそんな顔にもなるだろう。だがサイラスの事を思えば、彼に同情など到底できなかった。
城内を足早に進んでいると、集められた騎士の一団が見えた。彼らはこちらを見ると驚いたように目を丸くするが、俺はそれを一瞥しただけで脇を素通りする。
ただ一人だけ敬礼していた騎士には軽く手を上げて応える。ルッツは俺達が通り過ぎるまで、その姿勢を崩さず俺達を見送ってくれた。
そう言えば昔、馬鹿をやらかした王子を、一国の王子様が何してんだとからかったところ、彼に笑いながら言われた事がある。
権威なんてものは、恰好や場所が伴って初めて意味を成すのだと。
俺はその言葉に彼の器の大きさを見たが、しかしこちらがそういう立場になるとこれほど苦々しいものはない。
少し前に浴びた剣呑な視線を思い出し、鼻でふんと笑う。彼らの敬服するような視線を背中に感じながら、俺達はその場を後にした。
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「勇者を向かわせろーっ!」
「こんな時くらい、あの役立たずを戦わせろ!」
「あの野郎を連れて来いーっ!」
中央広場に向かう俺の耳に、聞くに耐えない戯言が聞こえてくる。
「静まれっ! 静かにしろーっ!」
騎士達が鎮めようと声を上げている。
だがそんな声も、
『勇者! 勇者! 勇者! 勇者!』
とサイラスを呼ぶ町民によってかき消されていく。
「予想以上の馬鹿共だな」
「全くですわ。つける薬があれば良いのですけれど」
「薬が勿体ねぇよ。張り倒して黙らせりゃ十分だ」
俺とスティアは端的に評価を下す。
先頭を歩くロルフ殿も、後ろを歩く長助とアノールトも、それには応えず口を噤んでいた。今一体どんな顔をしているのだろう。
『勇者! 勇者! 勇者! 勇者!』
シュプレヒコールをあげる町民達の前には、演壇だろうか、少し高くなっている場所があった。その上では騎士が必死に声をあげ町民達を静めようとしている。
ロルフ殿から副騎士団長が沈静化に当たっていると聞いているため、あれがクラウス殿だろう。
彼は必死に民衆に対して手を大きく振り、声を張り上げ宥めようとしているが、しかし全く効果が無いようだった。
「エイク殿、どうする?」
ロルフ殿が振り返り声をかけてくる。
俺はそれに仏頂面で返した。
「決まっているでしょう」
そう一言告げながら彼を大股で追い越し、バドとスティアを伴って乱暴にその演壇へと上がった。
そして彼らを宥めるクラウス殿の前へずいと出ると、
「うるせぇぇぇぇぇッッ!!」
騒ぐ町民共を大声で恫喝した。
「やかましいぞてめぇらッ! どいつもこいつも勇者勇者勇者ッ! 馬鹿の一つ覚えみてぇにうるせぇんだよッ! いい加減黙りやがれッ!!」
どのくらいいるのだろうか。恐らく数千はいると思われる町民達。
彼らは握りこぶしを空へと振り上げたまま目を丸くし、口をぽかんと開けた姿で静まり返った。
「てめぇらッ! 二年間もあいつを馬鹿にして嘲笑って見下していた癖にッ! 今更そんな虫の良い事をよく口に出来たもんだなッ! 恥知らず共がッ! 虫唾が走るたぁこの事だッ! 群れて騒ぐしか能のねぇ負け犬共がッ!!」
俺は大きく腕を横に払いながら彼らを罵倒する。
こいつらの面を見ていると、悪い事など何もしていないと思っているのが丸分かりで、むかっ腹が収まるどころかどんどんと燃え盛っていく。
見れば冒険者や傭兵といった者も少なくない。この町にいる全ての人間が押し寄せてきているようで、それがまた俺の怒りを激しく煽った。
「てめぇらなんざ誰も助けに来るかッ! こんなところで喚いてねぇで、さっさと尻尾巻いて消えやがれッ! このクソッタレ共ッ!!」
最初は呆然と聞いていた町民達。しかし自分達が罵倒されていることに気付き始めたらしく、こちらへお返しとばかりに罵倒を飛ばしてきた。もう汚い野次の応酬だ。
「うるせぇぇぇーッ!」
「誰だおめぇはッ!!」
「引っ込みやがれーッ!」
ぎゃあぎゃあと聞くに堪えない罵倒を飛ばしてくる町民達。だが罵詈雑言での殴り合いならこっちの独壇場だ。
元山賊なめんじゃねぇぞ、このスットコ共がッ!!
「口を開けば汚ねぇヤジか! ハハハ! いいぜ文句があるならこっちに来いや! 全員まとめてブッ潰して、望み通り牢屋にぶち込んでやるッ!!」
俺は腰の剣を抜き、演壇へガツンと突き刺した。
こいつらは所詮、群れたことで気が大きくなっているだけの、ただの腰抜け共だ。実力行使に出られれば、蜘蛛の子を散らすように逃げる事しかできないだろう。
思った通り、彼らはサッと顔を青くすると、掲げていた握りこぶしをスルスルと下げていく。俺はそれにフンと鼻を鳴らした。集まらなきゃ何も言えねぇ糞虫共め。
静かになったのを見計らい、俺は連中をぐるりと見回す。先ほどまでの熱が嘘のように引いていき、皆、こちらに目を合わせないように俯いていた。
――だが俺の怒りはまだまだ炎のように滾っているぞ! このウスラボケが!
「俺は王国軍第三師団、師団長のエイクだッ! てめぇらボケナス共が騒いでいるのを聞いて、頭にきたからここに来たッ!」
名乗りを上げると彼らは顔を見合わせる。そして、「おお……」「師団長……!」と期待のこもった声を上げ始めた。
しかし、さっき言ったよなぁ? てめぇら何ざ誰も助けねぇってよぉ!
「何期待するような目を向けてやがるっ! この恥知らず共がッ!」
俺がそう宣言すると、彼らはまたしんと黙り込んだ。
「俺はここ二週間の間、このシュレンツィアに滞在していたっ! その間、お前らの行動をずっと見ていたが! 何だあの態度は!」
俺はすぅと息を継ぐ。
「何の罪も無い土の勇者に、てめぇらは何をしていた? この二年間、あいつに何をしてきたっ!? ええ!? 今ここで言ってみろっ! おらそこのお前! 言ってみろ!」
ビッと適当な奴に指を向ける。彼はあうあうと口をぱくぱくするばかりで、何も言わない。
「じゃあそこのお前だ! 何もねぇのか!? えぇ!? ならお前だ! どうした! 言ってみろ! サイラスに今まで何を言っていたか! 何をしてきたか! 自分が正しいと思って罵倒してきたんじゃねぇのか! 悪くねぇと思うならここで胸を張って言ってみろ! 言えねぇのか!? コソコソ隠れてなきゃ言えねぇのか! この腰抜け共が!」
適当に何人かに指を向けるが、皆視線を逸らしたりぐっと口を噤むだけで誰も何も言わなかった。しかし、次に指を差した冒険者と思われる男は果敢にも声を上げた。
「ゆ、勇者なら戦うのが当たり前だろう! 戦わなかった勇者に文句を言って、な、何が悪いんだぁっ!!」
まるでヤケクソのようにがなる。なるほど口調は勇ましいな。
そんならその肝っ玉の方も勇ましいかどうか、試してやろうじゃねぇかコラッ!
「なら、お前が勇者なら戦うんだな?」
「え?」
「お前が勇者なら、この状況でも一人で果敢に立ち向かうんだなッ! ええッ!? 言ったよなぁっ!」
俺は両腕を広げて宣言する。
「一人で戦うと言った勇気あるこの男を! その行為を称えッ! 王国軍第三師団長の名において”シュレンツィアの勇者”と宣言するッ!」
男はポカンと口を開けているが、俺は攻撃の手を緩めない。その男のアホ面にビッと指を向ける。
「この剣は、国王陛下より賜った宝剣だ! これを持てばテメェの実力は跳ね上がるだろう! 新しい勇者様にはこれをくれてやる! さあ、取りに来い! ――オラお前ら! その勇者様のために道を開けやがれ!」
俺の言葉にザッと民衆が引き、俺と男との間に一本の道ができる。
しかしその男は石像のように動かなかった。
「どうした勇者様よ、来ねぇのか? ……そんなら、こっちからくれてやるわっ!」
俺は足元に突き刺した剣を引き抜き、ブンと投げる。
剣は放物線を描いて飛び、男の目の前にザクリと刺さった。
「さあ、それを取って、オークの群れと一人で戦って来い! この町のためにな! ……どうした? 取れやコラッ!」
しかし男は動かない。目の前の剣を見つめたまま、ブルブルと震えているだけだった。
顔は死人のように真っ青だ。だがこんなもんじゃ終わらねぇぞ。
「だがその勇者、誰かに代わって貰ってもいいぞ! 自分が勇者だって手を上げる奴がいるなら、その剣をそいつの代わりに手に取れ! どうだ! 誰かいるか!? 歴史に名が残るかもしれねぇぞ!?」
俺がそう宣言すれば、男の周りは更にザッと引き、皆距離を取り始める。
男が少しでも視線を向けると、「ヒィッ!」「ヤダッ!」と悲鳴が上がり、ついに男はがくりと膝を突いた。
「ハーッハッハッハッ! ハーッハッハッハッ!!」
それを見て俺は哄笑する。
そして目を見開き、怒号を浴びせた。
「勇者なんつってもなぁ、所詮は人間なんだっ! 例えどんな力を持ってようが! どんな魔法が使えようが! 凄ぇ力を手にしたからって、いきなり死を覚悟して戦えなんてよぉ……戦えるわけがねぇだろうがッ! 土台無理な話なんだよッ! それをお前達はまるで罪のように責め立てたッ! どういうことか分かるかッ!!」
次第に俯き始める町民達。まるで葬式のようだ。
だが俺の臨戦モードはまだまだ続くぞコラァッ!
「あいつに二年間も罵声を浴びせていた癖に、今になって守って貰いたいだと!? お前達のために命を賭けろだと!? 恥を知れッ! この中に一体、今まであいつを罵倒しなかった奴がどれだけいる!? 我こそはと思う奴は手を上げてみろや!」
誰もいないだろう。そう思い声高に促す。
すると意外にもバッと二本の手が上がった。
一人は――ジエナだ。何してんだあいつ。凄ぇ得意気な顔してるし。
隣には慌てた様子のアーレンと感情の伺えない表情をしたカイゼルがいる。
ごめん、今凄ぇ良いところなんだ。お呼びじゃないから空気読んで。
もう一人は――ゲッ! 妖怪ババアじゃねぇか! まだこの町にいたのかよ!?
つーかテメェも空気読め! 亀の甲より年の功って言うだろうが!
ウインクするんじゃねぇ気色悪い!
(お黙り!)
思念を飛ばしてくるんじゃねぇ! 鳥肌が立つわ!
「どうしたぁ! これだけ雁首揃えてたったの二人か! 何の咎も無い人間を嘲笑していなかったのが、これだけ面並べてたったの二人だけかッ!!」
その場はしんと静まり返る。誰も口を開かず、ただ自分の足元を見ていた。
「王国軍はなぁっ! 国の礎になる民を守るためにあるんだっ! テメェらみてぇに、誰かを寄って集って迫害するようなウスラボケ共を守るためにあるわけじゃねぇんだよっ! 下衆野郎のために命を捨てる兵士がこの世に一人だっているかっ! 分かったかクソッタレッ!」
ハッ! と最後に吐き捨て肩の力を抜く。とりあえず言いたいことは言いきった。
後はあの”ただの鉄の剣”を回収してさっさと帰ろう。
「エ、エイク殿。もうその辺で……」
そこに副騎士団長のクラウス殿が止めに入ってくる。
しかしこれがまた俺の頭にカッと血を昇らせた。
「何他人事みてぇなこと言ってやがるッ! お前達もだよッ!」
彼の襟首を掴むと、ぐいと引き寄せる。
「聞いてるんだぞッ! お前達騎士団が、サイラスが受けている迫害を伯爵に報告していなかったことはッ!!」
クラウス殿はうっと言葉に詰まった。反吐が出る。
「治安を守るべき騎士が町民を守らなくてどうするッ! 町を守る騎士団がその体たらくでどうするッ! てめぇらの忠義は、忠節は一体どこに行ったんだよッ!!」
突き放すように襟を放すと、クラウス殿は返す言葉も無いのか、両手を握り俯いた。
くるりと町民に向き直り、俺はさらに声を上げる。
「糞みてぇな町民ッ! 堕落した騎士団ッ! こんなんで町が守れるかッ! 人が守れるかッ! 尊厳すら失った人間なんざ、守る意義も価値もねぇんだよッ!!」




