119.上に立つ者の責務
「エ、エイク様……? なんで……ここに……」
ぽつりと、アノールトはそう溢す。その呟きに沈黙を返して、静まり返った冒険者ギルドの中、俺はゆっくり足を進める。
傭兵達の中には俺達と悶着を起こした二人組の姿もあった。だがあえて視線を向けず真っ直ぐ彼のもとへ向かい、そして足を止めた。
「ただ……元気だっつっても、ちっとばかりおいたが過ぎるんじゃねぇか? なぁ、アノールト」
責めるようにじろりとにらむと、彼の体はびくりと硬直した。
「こんなところで騒ぎ立てて……しかも剣でも抜いてみろ。どうなったと思う? ん?」
「い、いや、これは……その、ただのポーズで……」
「ふん。俺は、あいつらみたいに抜きやがるかと思ったがな」
先ほどまでの気迫はどこへやら、おどおどと声を詰まらせるアノールト。そんな彼へ、二人組をアゴでしゃくりながら言えば、彼は驚いたように目を見開いた。
俺の率いていた王国軍第三師団。そこは師団などと言えば聞こえはいいが、言うなれば扱いに困る人間のごった煮のような場所だった。
王子にスカウトされ軍に加わった山賊達が、どの部隊にも所属できず固まっていたのが第三師団形成のそもそもの始まりだった。
道中でバドが俺達に加わったことを皮切りに、バド目当てで彼と同種族のダークエルフが集まり、その噂を聞きつけたエルフ達が合流してきて、徐々に数を増やしていった。
その後にアゼルノを拾ったことで彼の情報から白龍族も引き入れることに成功し、そしてたまたま鳥人族の少年を助けたことで、それを恩義に感じた彼らも部隊に加わった。
その多種族軍に追加で多数加わることになったのが、傭兵と呼ばれる戦闘集団だった。
元々王子に随伴していた第一兵団、第二兵団は、志願する王国民を広く受け入れ、怨敵を打倒するという大義のもと結束し、師団として盤石となった。
しかし第三兵団は山賊にエルフ、龍人に鳥人とまるで統一感のない部隊で、しかも第一兵団や第二兵団と比べ数も少なかった。
そこで王国軍が――というか王子が――目をつけたのが傭兵団だった。
大規模に軍に雇い入れ、軍人として第三兵団に編成し第三師団とする。そうして第三師団と他の師団との均衡をとろうとしたのだ。
もちろん戦争に傭兵を雇うなんて事は珍しくもない。第一師団や第二師団にも、貴族に雇われた傭兵団がいたくらいだ。
しかし傭兵団はあくまでも傭兵団であり、基本的に軍には編入されない。なぜなら彼らがただの雇い兵であり、臨時戦力でしかないからだ。
それに、「今からお前達は軍人だ! 指揮通り機敏に動け!」など言われてもまず無理だ。
だからこそ傭兵団は別動隊扱いが常で、軍に編成されるなどまずありえない話だった。
ただそれは傭兵達にとっても望ましい話だった。
傭兵団というのは一種の共同体だ。だから団内での結束が非常に強く、連携が非常に巧みだ。
そんな組織の長所を十全に発揮するには、仲間との強い信頼関係が必要になる。だからこそ、自分達以外の集団との連携は好まない傾向が強かった。
問題はそこだった。
頭数が揃っただけでは師団とは言えない。揃えた数を軍隊として運用させて初めて師団なのだ。
王子の言う事は、そんな傭兵達の事情を無視した無茶苦茶なもの。だから俺は通るはずもないと高をくくっていた。
だが王子は、傭兵をあぶれ者と見下す貴族らの否定的意見も多い中、これを通してしまった。
更に悪いことに、俺に丸投げしてきたのだ。あのコンチクショーめが。
編入された傭兵達をどうするか、俺達は連日頭を悩ませた。
相手はあの魔族だ。適当に傭兵を使うのでは、命の無駄遣いになることは必至だった。
それに、同じ師団に所属するのは他ならぬ自分達なのだ。自分の命がかかっているとなれば、いい加減にも済ませられなかった。
そうして悩み続ける中、連日徹夜で俺達のテンションがおかしくなったのもあるだろうが、ホシの鶴の一声で決まった案。
それが「傭兵団一つ一つを隊長が指揮したらいいじゃない」という非常に単純なものだった。
普通、大隊の下に中隊があり、中隊の下に小隊がある。こういう組織編制だと、どうしても傭兵に序列をつけることになってしまうし、上からの指揮に従う必要もでてくる。
これでは傭兵団のまとまりを損なうため、傭兵達の不満が爆発し、師団が空中分解する可能性が捨てきれなかった。
その組織編成を止めて、傭兵団の規模に応じて中隊、小隊などと呼称は付けるが、上下をつけずに大隊長直下に編成しようというわけだ。
当然舵取りをする隊長は大変だ。しかしテンションのおかしい俺達は、「依然として情勢は厳しいが、皆で力を合わせて頑張りましょう」と良く分からない締めで話を終え、その案を採用することにしたのだった。
なおこの組織編制に、二十以上もある傭兵団も最初は混乱した。
しかし序列を設けなかった事や、第三師団が保有する部隊それぞれの役割――諜報、防衛、遊撃、強襲、奇襲だ――に応じた配置分けをした事で、特に大きな不満は上がらなかった。
傭兵団も、自分達の得意分野で結束して戦えるなら、扱いはどうでも良かったんだろう。
今目の前にいるアノールトが率いる傭兵団もまた、第三師団に編入された傭兵団だった。
彼らが所属していたのは、第三師団第二部隊。そう、バドが隊長をしていた防衛を役割とする部隊だった。
だからだろう。先ほどアノールトが俺に噛み付いてきたとき、彼は次にバドの姿を見て「えっ」という顔をしていた。
バドのように巨躯で筋肉質な人間は他にはいない。フードで顔が見えなくても、体つきだけで分かる人間には分かってしまうのだ。
勿論バドは殆どプレートアーマー姿で過ごしていたため、彼が鎧を脱いだ姿を見たことのある人間限定だが。
「ちょ、ちょっと待って下さい! あいつら、町中で剣を抜いたんですか!?」
アノールトが指差す先には見覚えのある顔が二人並んでいる。
「あ! ふーちゃんとるーちゃんだ!」
「だっ、誰がふーちゃんとるーちゃんだ!」
「団長! 畳んでやって下さい!」
ホシがびしりと指を差すと、フールーコンビはぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。
しかし、
「うるせぇ! 黙ってろッ!!」
まるで獣が吼えるような一喝に、男二人は身をのけぞらせた。
「あいつら何をやらかしたんですか。教えて下さい」
アノールトは俺へと向き直り、ビシリと姿勢を正す。俺も一つ頷き、昨日の出来事を彼に説明した。もちろん俺達が煽りまくった部分の脚色も忘れない。
「あいつら、一般市民を恫喝しながら金銭を奪おうとしてたんだ。そこに止めに入った俺達に激昂して、挙句剣を抜いて襲い掛かってきやがった。あまりにおいたが過ぎたんでな、少々お灸をすえたってわけだ」
「抜剣どころか強盗ですか。しかし……」
話を聞いたアノールトは顔を歪ませる。その気持ちは俺にも分かるものだった。
人間なんて良い奴もいれば悪党もいる。善良そうに見えても、人間というのは人によって表情を変える生き物で、見る人間が変わればその人間性もがらりと変わるものだ。
ただ、そんなものは特別でも何でもない。
好きな相手には優しく、嫌いな相手には辛辣に。程度の差はあれ、誰もがやっている事だ。だからそれは大した問題じゃなかった。
今問題なのは、悪意のある人間が善人の仮面を被っている場合だ。これは本当に手に負えない。
俺なら≪感覚共有≫があるが、それだって千や万の中から一を見つけるなんてかなり骨が折れる話だ。そんな手段のない人間が他人の善性悪性を見抜こうなんて、ほぼ不可能な話だろう。
だがそれでも。頭痛のタネであるそんな連中から組織を守り、必要であれば責任を負う。
それが頭目の責務だ。
アノールトにとって、あの二人がどういう人間だったかは知らない。もしかしたらコイツにとっては大切な人間だったのかもしれない。
しかしだからと言って、先ほどの行動を看過するつもりは無かった。
「アノールト」
俺の声にアノールトがはっと顔を上げる。
「お前の掴んだ情報が正しいか正しくないか。ちゃんと精査してからここに乗り込んだんだろうな? あ?」
「そ、それは……」
俺は第三師団に所属する各部隊長には報連相を徹底させていた。その上で、得た情報が重要であればあるほど可能な限り精査しろと、部下には折に触れ何度も言い含めていた。
そこまで徹底させたのは、第三師団が諜報を行う部隊でもあったからだ。諜報部隊が誤情報を簡単に掴まされたとあっては嘲笑の的――いや、それどころではない。
貴族らをなんとか黙らせ、傭兵団を取り込んで師団となったというのに、最悪即解体となる可能性もあったからだ。
アノールトの所属する第二部隊は諜報部隊ではない。しかしもし情報を得る機会があったなら、状況が許す限り徹底するよう通達していた。
だというのに。
軍を外れて傭兵団に戻ればこの体たらくなのかと、落胆を禁じえなかった。
見れば彼の後ろにいる傭兵の中にも、顔を青くしている人間がちらほらいた。
トマス、スヴェン、ディック……。顔だけじゃなく名前まで知っている連中もいる。
揃いも揃って一体全体何をやっているのか。溜息を漏らしたところで誰が俺を咎められよう。
ちったぁ思い出せ。軍隊にいた頃のお前たちは、もっとしっかりしていたぞ。
「お前はその情報の正確さも調べず、こんな奴らにいいように利用されて、犯罪の片棒を担いだって言うのか? こいつらはお前の名前を出していたんだぞ? その意味が分かるか?」
そう。そういう連中を許せば、お前やお前の大切なものがブッ壊されるんだ。
頭のお前がしっかりしなくてどうすんだよ。
「お前達の築いた傭兵団が悪党共に食い荒らされてもいいのか? バカ野郎が! 腑抜けてんじゃねぇぞ! アノールト・クレイマンッ!!」
「は――はッ!!」
ギルドの窓がビリビリと震える。アノールトは軍にいた頃のようにビシッと足を揃えて立ち、右拳を胸に当て、サッと敬礼をした。
後ろに並んだ傭兵達にもちらほらと敬礼をしている人間が目の端に映る。目を向ければ先ほどの、顔と名前に覚えがある連中だった。
俺はカツカツと彼に歩み寄り、アノールトの胸板をドンと拳で叩く。
「”砕鎚のアノールト”が情けねぇ面すんなっ! お前はこいつらの頭だろうがっ!」
「エイク様……」
「――今度、また酒でも飲もうや。愚痴くらいなら聞くからよ」
彼は一瞬くしゃりと顔を歪ませる。しかし崩れた敬礼を再度しなおすと、
「お前ら、行くぞッ!」
『はっ!』
そう声を上げながら俺を素通りし、見ていた冒険者達を散らしながらその場を去って行く。
例の二人はまるで連行されるように両脇を傭兵に捕まれ、うろたえながらその場を後にした。
まあ上に立つってのはいらんストレスばっかだからな。カッと頭にきて感情で行動しそうになるのも分からないでもない。
俺も執務室にある机の引き出しに、いつも腹の痛みに効くという薬を常備していたくらいだ。
薬なんて高価なため、おかげで給料の大半が飛んだが。年を取ると腹が弱くなって困る。
ともあれ、あいつに必要なのはそんな時諌め支えてくれる部下なのかもしれない。
アノールトの背中を見ていると、彼は入り口付近でくるりと振り向き、俺の顔を見ながら再びサッと敬礼する。
他の傭兵達も彼と同じく敬礼し、そして冒険者ギルドを去って行った。
「あいつ、あんなに激昂するタイプじゃなかったんだがなぁ」
「そうなんですの?」
俺の呟きにスティアが首を傾げる。スティアの部下じゃなかったから、同じ師団にいたと言っても分からなくて当然だ。
しかし奴を知るバドはうんうんと首を縦に振り、俺の意見を強く肯定した。
確かに気が短いところもあったが、少なくとも直情的な人間ではなかったと思う。
「助かりました……ありがとうございます」
不思議に思っている俺の背中に、誰かが声をかけてきた。
恐らく囲まれていたギルドの職員だろう。
「いや、何――」
俺は苦笑しながら振り返る。どちらかと言えば俺達のせいで騒がせたようなものだ。頭の一つでも下げておいたほうが良いだろう。
「おかげでわたくしの命の次に大切なグラスィーズッ! が割れずにすみましたな! ノホホホーンッ!」
と思ったがそんな気分はパッと離散した。
囲まれてたのはマァドかよ。もっと遅くに助けに入ればよかった。
いやむしろ一緒になって囲めばよかった。すげー損した気分だ。
「俺が割ってやろうか?」
「お戯れはおよしなさいっ! なーんてね! ノーッホッホッホ!」
ああ、分かった。多分こいつのせいでアノールトが激昂してたんだ。間違いねぇわ。だって見てるだけで頭にくるもんコイツ。
目の前でノホノホ言いながら眼鏡をくいくいと上げ下げするマァド。
こういうとき責任者が出てくるもんじゃねぇのか? なんでこいつが対応してんだよ。
馬鹿馬鹿しさに脱力する。そんなところに、今度は別の場所から声がかかった。
「おじさんおじさん! 何々!? 今の何!?」
「るせーのが来たな……」
バタバタと足音を立てやってきたのはケティ。他の”雪鳴りの銀嶺”の面子もそれに続いてやってきた。
殆ど面識はないが、あのカイゼルとか言う剣士も今日は一緒だ。仏頂面で皆の後ろに控えているのが目に映った。
マァドのせいでげんなりとしていたところ、唐突に訪れた騒ぎについぽつりと呟くと、ケティは心外だとでも言わんばかりに文句を言い始める。が、放置だ。
そう、ケティは放置されればされるほど輝くのだ。さあもっと輝けケティ。夜空に輝く彗星の如くな……!
「おっさん、もしかして軍のお偉いさんか……?」
「おっちゃん凄い……!」
「流石です同志。僕も負けてはいられませんね」
キーキー言ってるケティ以外に、他の面々も俺に様々な顔を向けてくる。だが俺が師団長になったのは実力ではなく、ただただ状況に恵まれただけだ。
戦争が終わった今こうしている事が、その事実を表している。なので大したことは何もない。
俺は彼らの言葉に肩をすくめた。
「あいつとは同僚だっただけだ。そんな大げさなもんじゃないさ。な?」
「うん! えーちゃんはねー! ヘタレなの!」
「それ今関係あるか?」
「ノホホッ! カーテニア様はヘタレですな!」
「そのメガネ粉々にしてやろうか?」
ギルドでの騒動は去った。まだ俺達を遠巻きに見ている冒険者達も多く、ギルド内はざわついているが、それでも普段通りの穏やかな空気が戻つつある。
スティアもホシも、”雪鳴りの銀嶺”の面々も頬を緩ませていた。カイゼルだけはむっつりと黙り込んでいたが、これにて一件落着だな。
《大将! 大将! 大変だッ!!》
そのはずだったのに。
次に聞こえたその声色に、俺は何か嫌なものを感じた。
妙に焦ったオーリの呼びかけが鼓膜を震わせる。
普段なら俺達に呼びかける事なんて殆どない。そんな彼らが、非常に焦ったような声を上げて俺を呼んでいた。
「どうした?」
俺は小声で呼びかける。するとさらに焦ったオーリの声が≪感覚共有≫を介して耳に飛び込んできた。
《第五階層に……何も怪物がいないんだ! 何も! 一匹もだ!》
不味いぞ、と。
感情が読めなくとも、オーリの焦燥感がはっきりと伝わってくる。
魔窟にいるはずのものが。怪物が、いない。
明らかな異常事態に、肌が粟立った。




