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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第三章 落涙の勇者と赫熱の令嬢

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113.とある騎士の苦悩

 素性の分からない怪しい一行から、護衛対象であるお嬢様が槍の手解きを受けると聞き頭を抱えたのは、彼、ルッツ・ハイドだけではなかっただろう。


 それは一昨日のこと。魔窟(ダンジョン)に入ったと思ったら、なぜかすぐに引き返してきたお嬢様。

 気が済んだのかと思い話を聞けば、今度は護衛として雇ったランクE冒険者に槍術を習いたいのだと奇天烈なことを言い出した。


 その冒険者は一昨昨日(さきおととい)魔窟(ダンジョン)の入り口でお嬢様をボロクソにこき下ろした不心得者である。伯爵令嬢に平民如きがあの口汚さで罵るのだ。まともな連中では無いのは間違いない。

 しかし困ったことに、このお嬢様にはその理屈が分からないようだった。


 お嬢様に何かあれば一大事だ。何とかその考えを諌めようと試みたが、お嬢様はもう依頼をしたの一点張りで全く聞き入れる様子がない。

 更に理解し難いことに、共に魔窟(ダンジョン)にもぐった先輩騎士達も渋い顔をするだけで、ちっとも援護をしてくれなかったのだ。


 結局自分達の意見は流されてしまい、困惑を隠せずにいたルッツら騎士達。

 しかし、まあ伯爵が首を縦に振るはずは無いだろうと気持ちを切り替え、その話を忘れようと思っていたのだが。

 その日の夜に、なぜか許可が通ってしまったと聞き、再び頭を抱えることになってしまったのだった。


 そして当日の今日。彼らの不安は的中した。


 鎧を着たままのお嬢様に遠距離を走らせるという暴挙。しかもそのお嬢様をその場に置き去りにしてだ。

 お嬢様に対する口調も腹立たしい。敬う気配は全くなく、呼び方も「あんた」。さらには長助などと小馬鹿にするような態度まで取る。


 彼ら騎士達が抱くその怪しい冒険者達への不信感は、護衛対象であるお嬢様への配慮が塵ほども見られないことも相まって、朝の時点で既に爆発寸前となっていた。


 そう。なって”いた”のだ――


 お嬢様の乗る馬車を護衛し、帰路へと着く騎士達。

 ルッツは今日見た出来事が頭から離れず、馬を歩かせながらそのことばかりを考えていた。


(槍術に、盾術に、それに練精法(れんじんほう)への深い知識……。あんな訓練方法、僕は見たことも聞いたことも無い。奴らは一体何者なんだ?)


 そんなことを考えながら思い浮かぶのは、今はもういない兄の姿だった。


 彼は少年期に、自分の兄フォルケン・ハイドに指南を受け、槍の修練を積んでいたことがある。

 そして一年ほど兄から手解きを受けた末の評価は、今も彼の胸に鋭い棘となり痛みを与え続けていた。


 ――ルッツは剣の方があってるかもな。


 伝え難そうに苦笑いを浮かべながら、そう溢す兄の横顔。それ以来、ルッツは槍を握るのを止めた。


 槍の名手と称えられる兄に憧れ、自分も彼のように槍を振るいたい。そんな純粋な憧憬の念は、その対象からの一言に粉微塵に砕け散った。

 さらに、兄はそれからどこかよそよそしく接するようになり、その態度がまた彼の自尊心を傷つけた。


 尊敬する兄の腫れ物に触るような態度に、自分への自信を持てなくなったルッツ。

 槍に対する憧れはまだある。しかし、自分の傷ついた自尊心と兄のかつての言葉が、その気持ちに重い蓋をしてしまっていた。


 それでも。


(あの槍の一撃。鳥肌が立つなんて……)


 まるで夜空に走る流星のような一撃。あの冒険者の姿に、槍を振るう兄の姿が重なった。

 今までどこか冷え切ってしまっていた彼の心。しかし、あの時確かに彼の心は熱を増し、かつて無いほどに揺さぶられたのだ。


 むっつりと黙りこくって馬を歩かせるルッツ。そんなルッツに馬を近づける男がいた。


「どうしたルッツ」

「オットマーさん!? す、すみません。僕は――」

「気にしなくていい。こう見晴らしが良くては誰も襲ってなど来ないさ」


 周囲を見回すように顔を向けるオットマー。彼の言う通り、確かにこの一帯は木も生えていない安全な平原だった。

 オットマーはいつもの乏しい表情で、何か思うところがあるだろうルッツに目を向ける。


「あの連中に何か思うところがあったか」

「いえっ! そのっ! ……はい」


 消え入りそうな声で肯定するルッツ。それを聞いたオットマーは、何を思ったか視線を彼から外し、ふいと前を向いた。


「実は、俺も思うことがあってな」

「はい」

「あの”泥土の砲弾(マッドショット)”の訓練。可能なら参加できないかと思っている」

『はぁっ!?』


 とんでもないことを言い出したオットマー。目の前で聞かされたルッツは勿論、聞き耳を立てていた他の騎士達も驚愕に声を上げた。


 三百年前のこと。神聖アインシュバルツ王国の建国後、王都の民を悩ませたのが、ドゥルガ山麓の森から頻繁に現れる強力な魔物達の存在だった。

 行き来する商人らを襲うばかりか近隣の村や町まで襲い、さらには大挙して王都に向かって来ることすら少なくない。そんな脅威は到底看過できるものではなく、早急に対策が打ち立てられることになる。

 そうして編成されたのが当時の騎士団、アインシュバルツ聖騎士団の、白騎士隊と呼ばれた部隊だった。


 ただそれも歴史の流れと共に姿が変わり、アインシュバルツ聖騎士団は王都を守る王宮守護騎士団へ、白騎士隊は魔物討伐のための騎士団――現在のハルツハイム騎士団である――に分かたれ、今の形となった。

 それ故に、ハルツハイム騎士団はそこらの貴族が擁する私兵の騎士団とはわけが違う。

 元を辿れば王宮守護騎士団と同等の、格式高い騎士団なのだ。


 現在は三百年前ほど頻繁に魔物は出没しなくなったが、しかし領に魔窟(ダンジョン)が出現したこともあり、以来ずっと、かつて賜った英雄王からの勅命を守り、ハルツハイムはその地を守護し続けてきた。


 だと言うのにだ。その騎士団に所属する誇り高き騎士が、あんな泥濡れになる、まさに泥臭い訓練をやってみたいと言う。

 お嬢様もお嬢様なら騎士も騎士だと、呆れられても無理は無かった。


「ランクC冒険者すら押される程の衝撃がある攻撃だということに加え、あれは魔法だったろう? なかなか体感できる機会は無い。今日は様子を見ていたが、特に不審な点は無いように感じたし、個人的にも興味がある」


 しかし当の騎士は涼しい顔でそうのたまう。これには彼の親友も黙ってはいられなかったようだ。


「ちょっと待てオットマー! あんなどこの馬の骨か分からん連中に指導されながら訓練したいとお前は言うのか!? 俺は理解できんぞ!」

「落ち着けカリアン。お嬢様がお休み中だぞ」


 カリアンははっと口を噤む。いつもならカーテンを開けている窓だが、今日は珍しくかかっているのだ。恐らくお疲れなのだろうと彼らは察していた。


「確かに奴らの素性は知れん。しかし奴らの訓練方法は画期的だ。内勁(ないけい)の鍛錬法など、俺は日々の訓練で(じん)の使い方を身に着けろと言われた覚えはあるが、具体的な訓練方法を聞いたことなど初めてだ。お前もそうだろう?」


 オットマーの指摘に、カリアンはぐっと奥歯を噛む。確かに彼の言う通り(じん)の扱いに関しては、「体中の生命力を体の中央に集めろ!」と、ふわっとした指導しかして貰えなかった記憶があったからだ。


「このハルツハイム騎士団の練度を上げるためにも、奴らの訓練方法は活かせる。そう思わないか」

「ぐっ! しかし――っ!」

「俺達は今、形振り構ってはいられんのだ。騎士団の威光は地に落ち、我らが主君も汚名を着せられ降爵の憂き目に遭うことになった。騎士としての誇りを守るために一時だけ不名誉を被る。それが矜持(きょうじ)を無くすことだとは、俺は思わん」

「……お前の考えは分かった。だが……一晩考える時間をくれ」


 自分の考えを理解はしたが、すぐには頷けないのだろう。そう理解したオットマーはカリアンに首肯すると、またルッツへと振り向く。


「お前はずっとお嬢様を見ていたな。奴から槍を習いたいのか?」


 お嬢様の護衛をしながら、ずっとその槍捌きに目を向けていたルッツの姿をオットマーは目にしていた。


 ルッツがあのフォルケン・ハイドの実弟であることは、フォルケン存命時に騎士団に配属されていたこともあって、オットマーは彼の配属前から知っていた。

 彼の兄の姿を見知っていたからこそ、弱体化した騎士団の即戦力となるやもと、その弟へひそかに期待を膨らませてもいた。


 だがいざ会ってみれば、フォルケンの名を出す度にルッツは刺々しく絡んでくる。そんな彼をどうしたものかと、オットマーは頭を悩ませていた。


 確かにあの冒険者達の態度は業腹ものだ。貴族に対して配慮や敬意が微塵も無い。

 しかし、その実力は認めざるを得なかった。

 最低でもランクC。もしかしたらそれ以上の実力があるのやも――


(多少なりとも改善するのであれば、ルッツを奴らに任せる手もありだろう)


 面倒事を丸投げし、勝手に改善するなら儲けもの。そう考えるオットマーは、ルッツにお嬢様と共に槍を習うことを仄めかす。

 ルッツはその彼の言葉を曖昧に受け止めはしたが、しかし結局その首を縦に振ることは無かった。



 ------------------



 翌日。再び魔窟(ダンジョン)前から走ることになったオットマーは、やはり腹立たしいと、小さくなった彼らの背中を見ながら歯噛みしていた。

 彼らは置いて行かれる自分達のことなどまるで気にせず、ぐんぐんとスピードを上げていく。

 そんな背中やジャンケンに勝ったカリアンを妬ましく思いながら、オットマーは二日続けて十キロの道のりを走ることになった。


「俺達もあの訓練に参加させてもらいたいのだが」


 走り終え、小休憩の間に何とか息を整えると、オットマーは精一杯威厳を保ちつつその男へと声をかけた。


 頼むという立場上、この胸に逆巻くいら立たしさは隠さなければならない。しかしお嬢様とのやり取りですら嫌そうな表情を隠さなかった男だ。

 自分のこの頼みにも嫌な顔をして見せるかもしれない。その時自分は表情に出さずにいられるだろうか。


 自信がなかったオットマーは、ヘルムのフェイスガードを下ろし彼へと声をかけてみた。

 走っているときには恨めしく思ったフルフェイスのヘルムだが、今は表情を隠すのには非常に都合が良かった。


 万事抜かりなしと声をかけたオットマー。しかし構えていたオットマーに対して返された言葉は、あっけらかんとしたものだった。


「別に構いませんがね。サイラスの訓練用なんで、あいつ優先にして下さいよ」


 そうなんてことは無いように男は言うと、へたり込んでいたサイラスに、騎士達も一緒に訓練をやりたいってよ、と事も無げに声をかけていて。

 拍子抜けしたオットマーは呆然と立ち尽くした後、無言でフェイスガードをガシャリと上げて、はぁと息を漏らしたのだった。


 一方ルッツはこの場に来ても尚、昨日のオットマーの言葉を頭の中で反芻(はんすう)していた。

 確かにあの槍捌きには感じ入るものがあった。しかし自分は才能が無いと烙印を押されている。

 無駄に終わるなら、他の騎士達同様に盾の訓練をしたほうが良いのではないのか。


 そんな卑屈なことを悶々と考え続けるルッツ。するとそこへ、思わぬ人間が声をかけてきた。


「ルッツ? 貴方も先生から槍を習いたいのではないですか?」

「お、お嬢様!?」


 それは護衛対象であるフィリーネだった。

 なぜお嬢様がそれを知っているのか。慌てるルッツにフィリーネはにこりと笑い、その男にくるりと顔を向けた。


「先生。このルッツにも槍をご指南頂けないでしょうか?」

「んあ? その騎士にもか?」

「はい。いかがでしょう?」


 その男は大儀そうにがしがしと頭をかくと、眉を片方だけ上げてルッツを見た。


「もう乗りかかった船だ。もう一人増えるくらい別に構わないが……。あんた、本当に俺から槍を教えて欲しいのか? 俺だぞ?」


 そのいい加減そうな言い方とは裏腹に、心を見透かそうというような視線が向けられルッツはうろたえる。

 いつもならこんな不敬な物言いには声を張り上げていただろう。しかし今のルッツには他の思いがぐるぐると渦巻き、何も言葉が出てこなかった。


 少しの間沈黙が降りる。結局出てきたのは、普段なら絶対に口にしないだろう、長年彼を縛ってきた情けない言葉だった。


「僕は……槍の才能が、無いので」


 ぽつり、そう呟く。彼に声をかけたフィリーネも、その呟きに含まれた響きに声を詰まらせてしまった。

 だが――


「んなこたぁ聞いてねぇ。あんたがやりたいのか、やりたくないのか。そう聞いてるんだ」


 その男はどこからか木の棒を取り出すと、ルッツに差し出した。


「才能が有るか無いかなんてどうでもいい。あんたの気持ちはどうなんだよ」

「し、しかし、才能が無いのにやるなんて無駄なことは――」

「やりたいと思ってやることが無駄か? んなこたぁ無ぇ。何がいつどこでどう役立つかなんて分かりゃしねぇもんだ。それにな。人生に無駄なことなんて一つもねぇんだよ。必死こいてやったことなら尚更だ」


 ほれ、と男はなおも棒を差し出してくる。


「あんたが槍をやりたいってんなら、やりゃあいい。それは絶対に無駄にはならねぇ」

「……無駄じゃ、ない」


 男の言葉を復唱するルッツ。気付けばその手はいつの間にか、棒を握り締めていた。


「おーし、そろそろ訓練始めるかぁ」


 男は昨日と同じように気だるそうな声を上げる。そんな男の横顔を、ルッツは何を思うのかじっと見つめていた。


 このとき、フィリーネとオットマーが視線をわずかに合わせたことを、ルッツは知らない。

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