111.合同訓練開始③ 槍術訓練
「さて、次はあんただ長助。まだ休憩がいるか?」
「いえ! もう大丈夫です! ですが、あの……わたくしの名前はフィリーネなんですけれど――」
「よし、なら早速始めるか。ここだとその木がちょっと邪魔だな。こっちに来てくれ」
木に背を預けて休憩をしていた長助。俺がそう言って背を向けると、何かもにょもにょと言いながらついてくる。
訓練なんてのは疲れてナンボだ。体力も技術も、そういうときこそ伸びるもの。体を壊すまで動けというのは愚の骨頂だが、動けるなら動いた方がいいのだ。
木から五メートルくらい離れたところまで歩くと、俺はそこで足を止め振り返る。
「槍について教えて欲しいってことだったからどうしようかと思ったが、この間の戦い方を見て、まず基本を叩き込むことにした。で、あんたにはしばらく的に向かってひたすら突きの練習をしてもらう」
「的……ですか? そんなものどこに?」
「それはこれから作る。ちょっと待ってろ」
俺はまた彼女に背を向ける。そして――
「土の精霊ノームよ、我が呼び声に応じ、全てを阻む大地の加護を。堅牢なる大盾によって迫る脅威よりこの身を護り賜え。”岩盤の大盾”!」
「えっ――」
途中長助の声が聞こえたが、突如響き始めた地鳴りにかき消される。
俺の足元から現れた岩盤は地を揺らしながら空へと向かい、五メートルほどの高さまで届くとその勢いを止めた。
「それでだな、これにこう――」
反り立った岩盤に人差し指を当て、”風の小刀”でガリガリと削る。外円が五十センチほどの三重丸を描けば、即席の的の完成だ。
「これが的だ。この真ん中の小さい円の中心をひたすら――おい聞いてるか?」
「えっ!? あ、はい! 先生!」
ぽかんと 岩盤の大盾を見上げていた長助。もしかして見るのは初めてだろうか。
なら驚くのも仕方がないが、話はちゃんと聞くように。
「この真ん中を今日はひたすら突く。ただ、使うのはその槍じゃなく――これだ」
岩盤の後ろに回り、こそこそとシャドウから穂先の無い槍――つまりは唯の木の棒だ――を数本受け取ると、何気ない素振りでお嬢様に差し出す。
この槍のなり損ない達は、昨日武具屋を見て周り、破棄する予定の失敗作を頂戴したものだ。
見習いを抱えている武具屋には、廃棄予定の失敗作がごろごろあるものだ。もちろん槍の失敗作なんてのも沢山ある。それを頂いたというわけだな。
むろん廃棄品のためタダ。元手がかからないのが一番だ。なにせ今金欠だからな。悲しい。
「えっ? 先生、これはどこから――」
「これを槍に見立てて突くんだ。普通の槍じゃ穂先が潰れるからな。さ、まずこいつで一回突いて見せてくれ」
彼女の言葉をあえて無視して的を指差す。流石にここでシャドウのことを話すわけにはいかなかった。
貴族は欲しいものに関して妥協しないという者も多いし、騎士達はそんな貴族達に雇用されているのだから、注意してしかるべきだろう。
お嬢様は不思議そうにその棒を見ていたが、考えても仕方がないことだと諦めたのか一本だけ受け取る。
そして自分の槍を騎士に手渡して岩盤の前に立つと、木の棒を槍に見立てて構えた。
「はあっ!」
気合十分の掛け声と共に、コォンッ! と乾いた音が鳴った。
「そのままストップ!」
俺はそこで停止するように言う。長助はビクリとしながらも、そのままの体勢を維持して固まった。ちょっとプルプルしてるけどそのまま我慢だ。
持っていた他の木の棒を地面に置くと、俺は姿勢を維持して小刻みに震える彼女に近寄る。
「あのな、槍は腕で突くんじゃない。体全体で突くんだ。いいか? まずもう少し重心を落とせ。んで突くときは腰に力を入れて、右手で押し出しながら両手を絞るようにして突く。これが基本だ。それとな、槍なんて後ろから前に重心を移動するだけで突けるんだから、こんなに足は踏み出さんでいい。体が前に出すぎて今の体勢を維持するのが大変だろうが。安定してない恰好ってのは明らかな隙だ。足はこう! そんで腰を入れて、手を絞る! そう、その恰好だ!」
「こ、こうですか?」
「まだあるぞ。他には――」
問題のある箇所を軽く手で叩き、彼女に意識をさせながら姿勢を直させる。
足や体の向きなど細かい点も妥協せず、全てを指摘して修正させた。
「指摘された所と今の恰好を覚えておけ。それで、突いた後自分がその恰好になってるか、逐一確かめながら突くようにしろ。変な癖は早めに修正しないと上達が遅くなる」
「は、はい!」
「ちょっとそれ貸して」
「え? あ、はい」
彼女の持っている木の棒を受け取ると、俺は彼女に代わって的の前に立ち、それを構える。そして――
「フッ!」
的を突く。先ほどお嬢様が鳴らした軽い音とは異なり、低く重いガツンという音と共に、岩が砕けるような高い音が鳴った。
俺はすぐに棒を引き残心をとる。棒の先端で隠れていた場所が露になると、岩に刻まれた放射状の小さなヒビが現れた。
「す、凄い……。岩に、ヒビが……っ!」
それに長助は目を丸くする。
「真面目に訓練すりゃこのくらいはできるようになるぞ。まずは自分の悪い癖を直すために、しばらくコレをひたすらやる」
「はいっ!」
俺は棒を長助に差し出しながら、師である男のことを考えていた。
かつて俺の部下であり、槍の師でもある男、鳥人族の副長カカー。彼が訓練の際に何度か口にした言葉を、俺は今もはっきりと覚えている。
「”突きは基礎にして奥義”だからな。おざなりにやらずに、しっかり一回一回突いていけよ」
鳥人族は空を飛ぶことのできる種族だ。しかし小柄で軽い女とは異なり、男は空を飛翔することができない。飛び上がり、滑空する程度が精々だった。
この言葉は空への憧れに身を焦がしながらも、槍に道を見出した彼の生き様そのもの。
だからこそ俺も、師の教えを目の前の彼女にもはっきりと告げた。
俺の言わんとしたことが伝わったのかどうか分からないが、それでも長助は真剣な面持ちで頷き、俺の手から木の棒を受け取る。
そして凛々しい顔つきを見せながら、眼前にそびえ立つ岩盤に向き直ると、気合の入った声を上げた。
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「よしっ! そこまで!」
俺が言い終わるのと、長助がどさりと倒れたのはほぼ同時だった。
あれから二時間ほどの間、小休憩を挟みつつも弱音を吐くこともせず、長助は的を突きに突き続けた。
ダメにした棒は計三本。最初の棒の寿命が短かったのは、恐らく俺が一度突いてしまったからだろう。
護衛の騎士達が慌てて近寄ってくる。それに大丈夫だと答えつつ、長助はよろよろと膝に手を突いて立ち上がった。
「休憩しながら昼飯にしよう。食べられそうか?」
「は……い、いえ、今はちょっと……」
大丈夫だと言いかけ、しかし言い淀んだ末に素直に首を横に振る長助。
顔を見れば若干気分が悪そうだ。その両手も限界だとでも言うようにぶるぶると震えていた。
「なら少し長めに休憩を取ろう。その後飯を食ってから、また突きの訓練だ」
「……はい」
俺は大人しく頷いた長助に軽く頷いて返すと、こちらに鋭い目を向ける騎士達にこの場を任せ、サイラス達のもとへと足を向けた。
向こうは向こうでなかなかに楽しそうだ。少し離れているここまで、何やらわぁわぁと騒がしい声が先ほどから耳に届いていた。
顔を向けると、スティアとケティの姿もそこに見える。どうやら二人も合流して、何やら騒いでいる様子だ。
遠目には、サイラスとヴェンデルが全身泥まみれになり、ジエナやケティ、ホシ達が大笑いしているように見える。はたから見れば実に楽しそうだが。
「何やってんだあいつら」
伯爵令嬢が真面目に訓練しているというのに、一体全体どういうことか。頭をがりがりと掻きながら、俺はゆっくりとそちらへと向かった。
そして、何をやっているのかと事情を聴き、呆れることになった。
「お前本当に反省しろよケティ!」
車座に座りながら、何度目か分からない台詞を口にするヴェンデル。
彼の手にはパンが握られているが、あっという間に彼の口の中へその姿を消す。かと思えば既に別のパンが握られており、また姿を消す。先ほどからその繰り返しだ。手品か?
一体いくつ目なんだろうと思いながら、俺もまたパンに齧りつく。うん、バターの匂いがふわりと香り、これも美味い。
「ブッ! アハハハ! 分かったって! ゴメンって!」
ヴェンデルの上げたいら立たしげな声。しかしそれは全くの徒労で、ケティは先ほどの珍事を思い出したのか、またもブハッと噴き出した。
ケティの全く悪びれていないような態度にヴェンデルは青筋を立てる。
「言っても無駄ですよ、ヴェンデル。ケティにはもう触らせませんから」
「くっ! ……はぁ~っ」
だが隣に座るアーレンから宥められ、溜息と共に力なく首を振った。
あの時彼らが一体何をしていたのか。というのは、まあしょうもないことだった。
スティアとの模擬戦で体力が尽きたケティが、一旦ヴェンデル達と合流しようと彼らのもとに来たそうだ。
だがその場にあったマー君の雄姿を見た途端、「何コレー!」と勝手にあちこち触り始めたらしい。
危ないからあまり弄るなとアーレンが止めたのだが、ケティはそれを全く気にせず、「何コレ何コレー!」と触りまくった挙句、魔力を勝手に流し込んで魔法をぶっ放したらしい。
幸いにも適当に魔力をつぎ込んだだけの魔法はさほど威力が出ず、撃ち出された泥塊はへなへなと情けない軌道を描き、ゆっくりと四人へ向かったそうだ。
だがいきなりのヘナチョコ魔法に面食らったヴェンデルとサイラスは、それを上手く受け流せず、結果頭から泥をかぶってしまったとのこと。
そんなものを受けられない二人もどうかと思うが、一番の問題はケティの行動だ。万が一があると本当に危険だと彼女に言い含め、一応反省はさせた。
しかし、だからと言って思い出し笑いを止める事は叶わず。今もこうして張本人が腹を抱えて笑っているのだった。
「まだまだ元気ですわねぇ。午後からはもっと厳しくしたほうが宜しいですか?」
「よっ、宜しくないですっ!」
からかい半分にニコリとスティアが釘を刺す。途端にケティはぱっと姿勢を正し、ブンブンと首を勢い良く横に振った。
どうやら午前中はスティアに相当絞られたようだ。旗色が悪くなったケティは、スティアの横に座る俺へと視線をスライドさせ、露骨に話題を変えてきた。
「そ、そう言えばさ。おじさんも変なもの持ってるよね! あんなのどこで作ってもらったの?」
「バカ。俺達で作ったんだよ」
「本当!? 頂戴!」
「やるかっ! 自分で作れ!」
「駄目だよー!」
身を乗り出して差し出してきた手をペシリと叩く。なんかこいつどんどん図々しくなっていくな!? くれじゃねぇよ!
共同制作者であるホシもぷうと頬を膨らませ、不満を露にする。あれはリリとの想い出の品でもある。おいそれと誰かにくれてやるわけにはいかないのだ。
子供に抗議されては仕方がない。そんな笑い方をしたケティは、誤魔化すように手に持ったカップを煽り、ゴクリと水を飲み込む。
そこにアーレンが呆れたような顔を向けた。
「ケティさん。あれほどの物、そうそう作れるものではありませんよ。出すところに出せば金貨数枚は下らないのでは――」
「ブフーッ!」
「うわっ! きったねぇ! あっち行け!」
「ブフフッ! ケティ汚い寄らないで」
「ブハハハハ! 何やってんだコイツ!」
アーレンの言葉に、ケティは飲んでいた水を突然口と鼻から噴き出した。
ゲホゲホとむせるケティを指差しヴェンデルが笑う。まるで先ほどの鬱憤を晴らすかのようだ。
ケティは涙を浮かべながらキッと彼をにらむが、口に手を当てプププと笑われ、「キーッ!」と金切り声を上げていた。猿かお前は。
俺達が作る輪の中におらず、少し離れたところで座っているお嬢様達も、この騒ぎになんだろうと顔を向けてくる。
長助は騎士達の貴族たるものとの苦言を受け入れ、俺達から少し離れた場所で昼食を取っている。しかしこちらに加わることが出来ず、少ししょんぼりしていたように見えた。
だからこうして騒いでいると、こちらの様子が嫌でも気になってしまうのだろう。ただ今は見ないほうがいいと思う。汚いし、顔から水を噴射する女がいる。
後で教育に悪いとか騎士に文句を言われても困るから、こっちを見ないでくれ。
「おじさんの自作がそんな高いわけないじゃん! 変な冗談はやめてよね!」
「いえいえ、冗談じゃないですよ。マー君にはそれだけの知識と技術が使われています。もしかしたら先ほど言った程度では足りないかもしれません」
ケティが文句を言えば、アーレンは心外だとでも言うような声を上げる。だが俺としてはそんな大層な物を作ったつもりは全く無かった。
軍で研究していた魔法陣の知識を有効に使い、何か面白いことができないかと思い作ってみただけで、つまるところ遊びの延長みたいな物でしかなかったのだ。
ただの趣味の産物であるマー君。だから俺としては、そこまでの価値があるものだとはとても思えなかった。
しかし俺のそんな考えを置き去りにして、アーレンは更に檄を飛ばす。
「あれが実用化されれば、魔法を使えない人も様々な魔法が使えるようになるんです。つまりケティさんのように魔力を持て余すだけの人だって、魔法使いとしての戦力を期待できるようになるんですよ?」
「あれ? なんか私バカにされてない?」
「僕達冒険者にとっては、一個人を簡単に強化できる機会なんてそうありません。これは夢のようなアイテムですよ! それに単純な個人の強化に留まらず、取れる行動の選択肢が増えるということは、すなわちパーティ全体の強化にも繋がるということで、メリットが計り知れません! そうでしょうカーテニアさん!」
「お、おお」
興奮に頬を染め詰め寄ってくるアーレン。彼がそこまで考えているとは思ってもおらず、その勢いに少したじろぐ。面白くてはしゃいでるだけだと思ってた。
軍にいた頃は部隊によって役割分担されていたし、少数と言っても小隊三十人程度の規模で動くのが普通だったため、俺はずっと大きい部隊での運用方法ばかりを考えていた。
だから彼の言うような利点に思い至らなかったが、確かに一個人の戦力増強に視点を置けば、彼の言う有用だという意見には納得だった。
「ただそうするとマー君は大きすぎるな。あれを一々持ち運ぶのはナンセンスだ。小型化が必要だなぁ」
「そうですね。例えばあの砲門を一つにして小さく出来れば、持ち運びには苦労しないと思います。例えばボウガンのような形にするとか」
「あー、確かにな。放つ魔法に関しては、マジックカートリッジでの差し替え式にすれば選択して選べるし、その案は面白そうだ。問題は攻撃魔法にちゃんと耐えられるかどうかだが――」
「それについては木製ではなく、まず安い鉄から試して――」
「いや鉄だと重量がネックになるから――」
いつの間にか昼食を取るのも忘れ、俺とアーレンの議論は続いた。
スティアの話では、その姿をジエナが妙に嬉しそうに見ていたそうだ。だが俺達二人はその時、そんなことには全く気が付いていなかった。




