11.王都にて ジェナスとヴェヌス①
魔王軍討伐を祝うパレードは、長く激しい戦争で擦り切れてしまった人々の心を癒すかのように、盛大に行われた。
参列したのは王国の兵のみならず、魔王を封印するために協力した人族以外の人間達も含まれており、当初その点――人族に恐れられている種族がいるという要素だ――が懸念されていたのだが、結果から言えば、杞憂で終わるどころか、パレードをさらなる成功へと導く起爆剤のような影響をもたらすこととなった。
そんな嬉しい誤算もあって、想定を大幅に上回る成果をあげた祭典は、皆に惜しまれつつも華々しく、無事に幕を下ろしたのであった。
しかし。それが終わったからと言って、国民たちの興奮は一向に冷めやらなかった。
その影響は凄まじく、祭典の終了を告げてもなお、数日もの間王都は歓喜に満ち溢れ、興奮に沸き返り続けたのである。
そのせいで、開催前から連日不休の対応をしている酒場の店員達が、さらに引き続いて労働に勤しまなければならなかったほどだ。
そしてそれは、主催側である王国の兵達も例に漏れなかった。
昨日の誰それがすばらしかっただの、こちらも負けてはいなかっただの、王子は儂が育てただのと褒めそやし、仕事も手につかないばかりの興奮のしようだった。
現に今、彼女、ジェナス・ルードリヒトの目に入った兵達も同様で、声量を抑えているつもりなのだろうが、少し離れて立っているというのに、何を話しているのか丸分かりだ。
王子がどうだの、白龍姫がどうだのなどと、昨日のパレードがいかに素晴らしかったか争うように話をしており、終いには身振り手振りまで加え始める始末である。
その姿は英雄に憧れる市井の子供と変わらぬ有様で、魔王軍と戦った誇り高き王国の兵には全く見えない体たらくであった。
呆れつつ、ジェナスはゆっくり近づいて行く。すると足音で気づいたのか、彼らはハッと顔を上げた。
彼らは揃って「しまった!」という表情を見せたが、それも一瞬で、すぐに勢いよく居住まいを正す。これも訓練の賜物だろうか。
すばやい変わり身に苦笑を浮かべながら、ジェナスは彼らの前に立ち、その顔を交互に眺めた。
「王国の兵として、主君を称えるのは大いに結構だ。しかし、君達が誇る主君を守るべき者が、外ならぬ君達自身なのだと言う自覚が無いのは問題だぞ。浮かれる気持ちは分からないでもないがな」
立場上彼らを叱責しなければならないが、しかし彼ら兵士もまた国民の一人である。魔王軍の脅威から解き放たれ、勝ち得た平和を謳歌しても良いのだ。
今日だけは大目に見ても許されるだろう。そうジェナスは考えていた。
いつもなら王国に仕える兵士にあるまじき姿勢が云々と、説教が始まるところだ。しかしジェナスが姿勢を崩して見せたことで、兵士らにもその意図が伝わったらしい。
彼らは緊張の色を薄くする。しかしすぐに、踵を鳴らして姿勢を正した。
「今回は見逃す。だが次からは気をつけるように」
『はっ! 失礼致しました!』
兵達は乱れの無い敬礼をすると、先ほどとは打って変わって、凛々しく誇り高い王国兵の姿を取り戻す。
そんな彼らにジェナスは軽く頷くと、また目的の場所へと歩き出した。
今日ジェナスは、非常に珍しい相手から呼び出しを受けていた。
時刻は指定されておらず特に急ぐ理由はない。しかし生真面目な彼女は、待たせるのは申し訳がないと、足早にその場を目指していた。
ジェナスは今、王都の中央に位置する王城、ファーレンベルクの中を一人歩いている。
その足の向く先は一切迷いなど無いように真っ直ぐで、指し示す方向に従い突き進んでいるかのようである。
その歩みは彼女の生来の生真面目さを表す一方で、融通の利かなさをも雄弁に語っているようにも見えた。
ただ彼女を擁護するのであれば、今回に限っては、そうまで急くのも致し方ない部分もあった。
本日彼女を呼び出したのは、王城の中で一時的ではあるものの居住を許されている人物である。つまり国にとっての最重要人物であったのだ。
性格だけでなく立場からも急き立てられ、せかせかと足を進めるジェナス。
だが中庭を一望できる廊下に差し掛かったところ、不意にかぐわしい香りが彼女の鼻をくすぐり、自然とそちらに視線が誘われた。
その先には王城が誇る庭園があった。美しく咲き誇る花々がジェナスの視界を色鮮やかに彩る。彼女の歩みは自然と速度を失った。
彼女は今王国の第二師団を率いる長という、王国軍最高幹部の立場にある。
だがこの戦が始まるより数年前には、花を愛でながら両親と歓談するような大人しい娘であった。
騎士団に所属していた父、ダナドレス・ルードリヒト男爵が嗜み程度と言い、戯れ半分で教えた槍術だった。だというのに、何がどうしたのか、今では花を槍に持ち替え、人間相手に振り回している。
当時、そんな未来を想像できた人間がどれだけいるだろうか。
恐らく一人として、槍を教えた父ですら、夢にも見なかったことだろう。
潔癖ともいえる姿勢や軍属という立場上、ジェナスは女性らしい柔和さを欠いている人物だと勘違いされることが非常に多かった。
しかし彼女もまた一人の女性であり、幼い頃と同じように花を好み、それを見て顔を綻ばせるようなところは昔と変わらず持ったままだった。
それ故気兼ねなく花を観賞することのできるこの場所が、彼女にとって少ない癒しの場になるというのも、ごくごく自然なことであろう。
美しく手入れされた花々に魅せられ、ジェナスの足はもはや動いていなかった。
ただ、いくら花が好きで愛でていたと言っても、もう五年以上も前の話。戦いに明け暮れた日々のせいか、目の前に咲く花が一体何の種類であったのか、ジェナスはパッと思い出せなくなっていた。
そんな些細なことに時の流れを感じ、過去から現在へと意識が戻ってきてしまった。
ジェナスはこの場を立ち去るのが名残惜しいのか、目を閉じながら一つゆっくりと深く呼吸する。
そして、振り切るようにきりっと目を開き、また目的の場所へと足を向かわせたのだった。
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中庭を抜けてしばらく歩くと、ふと訓練場に気配を感じ、不思議に思ったジェナスはそちらへと足を運んだ。
確かに訓練場はいつでも開放されているが、今日任務に当たっている兵達はあの有様であったから、それが誰なのかと興味をそそられたのだ。
基本的に王城内の訓練場は、騎士に使用の優先権がある。そんな理由があり、兵士も使って良いのだが、遠慮か忌避か、使う者が殆どいないのが現状だった。
第二師団の師団長であるジェナスもまた同様で、この訓練場を使うと騎士や貴族らにジロジロと見られるようなことも少なくなく、気分的に面白くないため何となく避けていた。
だからジェナスは、使っているのは恐らく騎士の誰かだろうと無意識に想像しながら足を向けたのだが。訓練場を覗くと、彼女の想像とは違う光景がそこに広がっていた。
訓練場の中央には一人の男が一心不乱に武器を振るっている姿があった。
その気迫は遠くから見ても肌に刺さるように感じるほどで、その重圧にジェナスの足がピタリと止まる。
「あれは……ゼクツェン殿か。ふむ、なるほど」
ジェナスは納得したように呟くと、止まってしまっていた足を動かし、そちらへと歩きだした。
アゼルノ・ゼクツェン。”紫電剣のアゼルノ”と言えば、王国軍の中でも知らないものは少ない。
その技の冴えは凄まじく、紫電をまとうようにすら空目してしまうほどの剣閃は鋼鉄すら紙同然に切り裂く。そう魔王軍からも恐れられたとジェナスの耳にも届いていた。
「訓練だと言うのにあの集中力。私の部下にも見習わせたいものだ」
彼の振るう剣はジェナスから見ても凄まじく、思わず見入ってしまう。そして、自分ならどう捌くか、どう攻撃するか、自然と意識がそちらに集中してしまうのは職業軍人の性であろう。
ゼクツェンの技に集中していたジェナスはそのせいで、その場にもう一人いたことに全く気づいていなかった。
「違うんや……。ハブられた訳やないんや……うちは……」
「うおっ!? な、何だ!?」
唐突に発せられた陰鬱な声にビクリと反応し、つい大声を上げてしまったジェナス。
訓練場の端に置かれた長椅子に、一人の女性が俯いて座っていたのだ。声はその女性から発せられたものだったのだが、その言葉はジェナスに向けられたわけではなく、ただの独り言だったようだ。
何やらぶつぶつと呟いているが、今度はジェナスに聞き取れる大きさではなかった。
そちらの女性もまた、ジェナスの知っている人物だった。
背中に天使とも間違いそうな美しく白い大きな翼と、まるで鳥のような下半身と嘴を持っている小柄な女性。
彼女は鳥人族と呼ばれる、人族とはまた異なる種族の人間であり、今回の魔王軍討伐に力を貸してくれた種族の一人だった。
風魔法を巧みに操り、空高く舞い上がっての滑空攻撃を得意とする鳥人族の攻撃は、その美しさと苛烈さからジェナスもよく覚えている。
その鳥人族のリーダーであった彼女ククウルは、”蒼天の雷槍”と呼ばれ、こちらもまたアゼルノ同様魔王軍に恐れられたと聞いている。
ただジェナスが知る限りでは、もっとアホっぽい――いや、快活な人物であったのだが、それがなぜこんなにどんよりと塞ぎこんでいるのだろうか。
ジェナスがそう不思議に思っていると、先ほど上げた大声で気づいたらしいアゼルノが、武器を納めこちらへと歩いてきていた。
「ジェナス殿、何か御用でしたでしょうか」
「い、いや、すまない。誰かが訓練している気配がしたので、確認しに来ただけなのだ。邪魔をしてすまなかった」
「いえ、邪魔などとは。ここはいつ誰にでも開放されていますので」
そういってアゼルノは軽く笑って返した。見ると彼の額には玉のような汗が浮かび、息も弾んでいる。長い間ここで訓練していたのだということがよく分かった。
ジェナスはこのようなときにも研鑽を欠かさないとは恐れ入ると、彼の厳格さに舌を巻く。それと同時に、自分の部下達の先ほど見た様子を思い出し、その不甲斐なさに肩を落としてしまうのであった。
そんな様子の彼女を横目に、アゼルノは失礼と声をかけて通り過ぎると、ククウルの隣の手巾を掴み、その汗を拭った。
しかし隣のククウルはそれにも反応せず、ぶつぶつとなにやら呟いてばかりで、ぴくりとも動かない。
何かあったのかとジェナスの眉間に皺が寄ってしまったのも、仕方の無いことだった。
「これのことは気にしないでも結構です。随分とショックを受けたようで」
「ショック?」
「ええ、まあ」
ジェナスの様子にアゼルノは心配無用と言うが、どうにも歯切れが悪い。それに普段の彼女の様子を知る人間にとっては、今のこの様子はただ事ではないと分かる。
どうしても勘ぐってしまうと言うのが人間と言うものだ。考え込んでしまったジェナスを誰が責められるだろうか。
そして悪いことに、アゼルノの台詞からジェナスは一つ心当たりがあったのだ。つい知りたいと思ってしまったジェナスは、それを口にしてしまう。
「もしや、エイク殿が失踪した件か? 他の三人も連れていなくなったと――」
それを聞いたアゼルノが顔をしかめるが早いか、ククウルは勢いよく立ち上がると大声でまくし立てた。
「違う! ハブられた訳やない! 何か! 何か理由があったはずなんや! あああああーっ!! うちはぁあああ!! うわぁぁぁぁぁあーん!!」
訓練場全体にまで聞こえるほどの大声でまくし立てると、ククウルは泣きわめきながら訓練場から走り去ってしまった。
あっけに取られてそちらを見ているジェナスに、アゼルノが苦渋に満ちた声で話を続ける。
「まあ、そういうことです。何か事情があったのだと思っていますが……」
そこまで言うと、彼も視線を落としてしまう。そこでようやくジェナスは合点がいった。
先ほどの彼の訓練とは言いがたいほどの鬼気迫る様子も、彼のこの服装も、おそらくそれが原因なのだろう、と。
不用意にククウルやアゼルノの傷をえぐってしまったようだと、そう気づいたジェナスはすぐに軽く頭を下げる。
「すまない、失言だったようだ」
「いえ、心配は無用です。どうにもならないことですから」
彼はそう言うと、失礼、と一礼し訓練場から出て行ってしまった。
去っていく彼の格好は下半身丸出しという破廉恥極まりないものであり、フンドシからはみ出た尻の筋肉が、キュッと引き締まっているのが丸見えであった。
しかし先ほど失言をしたジェナスは彼の心情を察して、ただ黙ってそれを見送るしかない。言えなかったのではなく、彼の心情に配慮したのだ。恐らく。
彼が去って行くのを見届けながら、どうしたものかとジェナスは思案する。だがアゼルノの言った通り、確かにエイクを連れ戻さない限りどうしようもない問題であると考え直し、すぐに考えるのを止めた。
静けさを取り戻した訓練場で、ジェナスは本来の目的を思い出す。
エイクのことを考えるのは後でもできるのだ。そう、これから会う予定の、彼女との面会を終えた後でも。
彼らの様子を見て、これから会う人物のことを考えるとわずかに不安が首をもたげるが、自分にできること以上のことは何もできないのだ。
是非はともかくとして、開き直ったジェナスは目的の場所へ向かうべく、誰一人いなくなった練習場を後にした。