97.悲劇の残香
サイラスに向かって馬鹿にしたような視線を向ける男。彼はサイラスから視線を外し、こちらをぐるりと眺める。
そしてスティアの顔で視線を止めた。
「へぇ! 随分綺麗な姉ちゃんもいるな。もったい無ぇ。そんな先のねぇパーティじゃ死んじまうぜ? 俺達と一緒にギルドに戻らねぇか?」
そっちのガキンチョも一緒でいいからよと、そんなことを言いながら、そいつは無遠慮に手を伸ばしてくきた。
おいおいおい、こいつらいきなりやって来て失礼すぎねぇか。こっちにも口を出すってんなら容赦しねぇぞ?
「ちょっと待てや」
俺はこちらに伸ばされた剣士の手首を掴み立ち上がる。
「何勝手に手を出そうとしてんだコラ。何様だお前?」
「あ? なんだおっさん」
「人のパーティメンバーを何いきなり口説いてんだって聞いてんだよ。聞こえねぇのか? 耳にバナナでも詰まってんのか」
「バ、バナナだぁ?」
俺の言葉に剣士はうろたえる。だが後ろの魔法使いの女にはツボだったらしく、彼女がブハッと噴き出した。
「カイゼルは耳バナナ」
「ジエナ! 変なこと言うな! 誰が耳バナナだ! ――テメェもいい加減離せ!」
剣士の彼は俺の手を振りほどくように腕を振り、こちらをにらみつけた。
「俺達はランクBパーティの”雪鳴りの銀嶺”だ! 知らねぇのか!?」
「知らねぇなぁ」
「知らないねー」
「なっ――」
俺とホシの興味が無さそうな声が重なると、そうくると思わなかったのか剣士の目が丸くなる。
彼の仲間も大なり小なり驚いた様子を見せているため、恐らくシュレンツィアでは名の知れたパーティなのだろう。
だが俺達は知らんし、それを知ったところで、そんなこたぁどうでもいい。
「それが何だってんだ。まさかランクを鼻にかけて好き放題やろうってのか? それがまかり通るとでも思ってんのか。チンピラかよテメェは」
顔を近づけて凄んでやると、彼は怯んだように一歩下がった。
「チンピラ耳バナナ……」
「ブフッ!」
「ジエナ! ……ケティ! テメェも何言ってやがる!」
斥候の女がボソリと呟くと魔法使いの女がまたも噴き出す。剣士の男は振り返り彼女らに怒鳴りつけると、またこちらを向いてにらみつけてきた。
「第二階層なんてランクEが戦える場所じゃねぇんだよ! そこの役立たずやテメェみてぇなおっさんがどうなろうと知らねぇがな、死なれちゃ迷惑だから声かけてやってんだ! 馬鹿がっ!」
「貴様――」
「ウィンディア、ステイ」
殺気が漏れ出したスティアを手で制する。
だからいきなり爆発するなって。怖いんだよ。しかも今は背中を向けていて顔が見えないから尚のこと怖い。
「そりゃお勤めご苦労さん。もう十匹以上ウォリアーを倒してるからよ、必要ねぇから行った行った」
「あっち行けっ!」
手でしっしっと払ってやると、ホシも隣でその仕草を真似る。
途端、男の顔が真っ赤に染まった。
「チッ! お前らは知らねぇようだから教えてやる。そこにいるサイラスって奴は土の勇者なんて呼ばれちゃいるが、とんでもねぇ! ”赤獅子の奇跡”が起きたとき、こいつは町にいた! だがな! それだってのに魔族と戦わねぇで逃げやがったんだ! おかげで冒険者仲間が沢山死んだ! 俺達にとっちゃ疫病神なんだよ!」
何だか知らんが剣士の彼は、突然口論をしている俺ではなくサイラスのほうを罵倒し始めた。
いきなり何の話だ。そんな話はすこぶるどうでもいいわ。
さっさとどこかに行けばいいのに、なぜ食い下がるのか分からん。
大体、土の勇者が目覚めたのは魔族がシュレンツィアに攻め込み、町で騎士団らと交戦していた最中だと聞いている。
そんな状況で急に勇者として目覚めたところで、力なんて満足に使いこなせやしないだろうに。逆にお前なら出来るのかと問いたい。
「そんなもん悪いのはサイラスじゃねぇだろ。何責任を転嫁してやがる。大体今こうして強くなろうと頑張ってるだろうが」
「遅いっつってんだよ! あんとき戦ってりゃあ――!」
「馬鹿か。サイラス一人で戦局がひっくり返るかよ。そんな状況じゃなかったのは、戦場にいたお前らが一番知ってるんじゃねぇのか」
「――っ」
「だってのに、お前はなんなんだ? 何が言いてぇのか意味が分からねぇよ」
「目障りだって言ってんだよっ!」
サイラスとウォード君がその大声にビクリと体を震わせる。
さっきから黙って聞いてれば好き放題言いやがるなこいつ。そんなにサイラスのせいにしたいのか。
大体さっきの”逃げた”って言い方も気に入らない。あの戦いの後、土の勇者が負傷しているらしいとの情報が軍にも入っていた。
詳細は知らないが、敵前逃亡したという話ではなさそうだった。だというのに。
男の剣幕に、何を思ったのかバドものっそりと立ち上がる。きっと、いいように罵られるサイラスの姿にじっとしていられなかったのだろう。
ムッキムキのバドが彼らを見下ろすと、ざわりと空気が震えたのを感じた。
おお、そこにいるだけで頼りになる男バド。凄いぞ。急に爆発する恐れがないのが最高だ。
さて、ここは畳み掛け時だな。
「お前、いくつだ?」
「は、はぁ?」
「歳はいくつだって聞いてんだよ」
「……二十七だよ。それが何だよ?」
「それじゃサイラスよりは年上だな?」
「だからそれが何だってんだよ!?」
いら立たしげに応える剣士の男。盗賊ギルドのババアから聞いた話だとサイラスは二十二だから、そうするとこいつはサイラスの五個も上ってことだな。
情けねぇ野郎だ。余裕がなさすぎるんだよ。
「お前。自分より年下で、力も無くて、それでもこうして必死に頑張ろうと奮起している若い奴に向かって、疫病神だの目障りだの言って絡んで足引っ張ってるのか? 随分暇そうだな」
「っ!」
「二十七なんていい年だろうが。そんないい年の男が、立場の弱い人間に責任を転嫁して、目の仇にして罵倒してんのか。情けねぇなぁおい」
「……テメェみてぇなおっさんに何が分かるってんだよ!」
「ああ、俺はおっさんだよ。もう三十七だ。体がついてこねぇこともあるし、太りやすくなったし、油物ばっか食べると胃はもたれるし。歳なんかくっても、いいことなんか何もねぇや。でもなぁ――」
俺はその剣士の男を真正面から見据える。
「歳くってるからこそ、若い奴が根性見せるんなら手助けくらいしたってバチは当たらねぇだろが。大体お前だってサイラスから見りゃ十分おっさんだろ。何があったか知らねぇが……今の自分の姿を想像してみろ。そんなんでいいのか? お前は」
剣士の男は忌々しそうに歯を食いしばる。その顔は、俺が幾度と無く見てきたものと全く同じものだった。
戦時中、多くの人が亡くなった。戦友、兄弟、家族、恋人。いくら待とうと、どれだけ切望しようと、戦場に散った者達は決して帰ってこなかった。
俺も、王子軍に加わることになったときに付いて来てくれた、家族同然の大切な仲間を数多く失った。
置いて来ればよかったと何度後悔したか分からない。しかし後悔したからと言って、過去に戻れるなどと言う都合の良いことは絶対に起きはしない。
俺に出来ることと言えば、ただあいつらとの過去を偲び、心意気に感謝することだけだった。
言葉に表すことが出来ないほどの悲しみが多くあった。兵士として戦い続けた者もいれば、心が折れ、志半ばで退役していった者もいる。
戦い続けた者にも、戦えなくなった者にも、等しく悲劇はあった。しかしそれでも。
生きている限り、前を向かなければならない。そうして俺達はこの五年間を戦い続けてきたのだ。
とはいえ、すぐに悲しみを振り切って立ち上がれる者などいはしない。立ち上がるまでには当然時間が必要だった。
そして、どれだけの時間が必要なのかは人によって様々で、再び前を向くまでに取る行動もまた、人それぞれだった。
亡くなった者を思い泣き続ける者。仮面のような表情で淡々と訓練をこなす者。自棄になる者。誰彼問わず噛み付く者。そして、誰かを悪者にしようとする者。
一様ではないが、いずれも心は悲しみに満ちていた。そして俺はそんな心を≪感覚共有≫で感じることができた。できてしまったのだ。
そんな俺だからこそすぐに分かった。この目の前の男もまた同様なんだと。
サイラスに責任を押し付け、仲間を失った悲しみを誤魔化しているのだろうと。
だから俺はこの男に問う。このままサイラスを責め続けることで自分を慰め続けるなんて、無様を晒す人生で良いのかと。
かつて部下にもしたように、俺は目の前の男を静かに見つめていた。
「――けっ! 勝手にしろっ!」
結局、しばらく俺と向き合っていた剣士の男は俺から視線を外し、肩を怒らせながらさっさと歩き出してしまった。
「あっ! 待ってよカイゼル!」
「チンピラ耳バナナが行っちゃった」
「ジエナ、それはもう止めておけって」
「……ふん」
残りの四人もそれぞれ反応を示しながらその場を去って行く。
あ、魔法使いの女が振り返り、小さく手を振ってきた。なんか独特だなあの子。
重戦士の男もこちらが気になるようで、ちらちらと振り返りながら去って行った。何なんだ一体。
「あ、貴方様ぁ~!」
彼らの後姿を見送っていると、急にスティアが絡み付いてきた。
「わ、わたくしのためにあんなに怒って頂けるなんて! わたくしはっ……! わたくしはっ! でへへへへ! うへっ!」
「うわっ! 急に引っ付いてくるな! 鬱陶しい!」
「ぶにゃっふぇ!?」
雑に押しやると、スティアはなんだかよく分からん変な声を出した。なんだその声。
「まったく、はた迷惑な連中だったな。サイラス、あんなのは気にすんな」
「あ、ああ……」
一応フォローを入れておくが、だがサイラスは思いつめたような表情を見せ、顔を俯かせている。
(ちょっと調べてみたほうが良いかもな)
土の勇者サイラスは軍が認知してから今に至るまで、大した力を示してこなかった。
人間って奴は自分勝手なもので、勝手に期待した挙句その期待が外れると、落胆するどころか罵倒までしてくるような糞野郎もいる。
先ほどのあの剣士の男を見ると、この町にもそういった人間がそこそこいるのかも知れない。ならサイラスが強くなりたいと切望するのにも理由がありそうだな。
「余計な茶々が入ったが、そろそろ行くか?」
「……何も、聞かねぇのか?」
「知らねぇよ。話したきゃ聞くが……ま、お前はお前だろ?」
「へっ……そうかよ」
サイラスはふっと吐く様な笑い声を上げると、パンと音を立てて両膝を叩いて立ち上がる。
「よっしゃ! 行くか! な、ウォード!」
「う、うん」
「さっきオークウォリアーを倒した時みたいにさ、またフォローしてくれよ」
「……分かったよ、サイラス」
サイラスに引っ張られるようにウォード君ものろのろと立ち上がる。さっきの騒ぎでウォード君も気が紛れたのかもしれない。ならあんな連中でも役に立ったというわけだ。
とはいえ実力不足という事実は依然として残ったままだが。
俺はスティアの顔を見る。彼女は様子見とでも言うように、肩をすくめて見せた。




