92.思わざる敵
「次はどっちにするんだい」
「追っ手の情報を……何だよ」
「ヘタレ!」
「うっさいわ!」
ババアは苦笑しながら軽く頭を振ると、急かすように薬指でテーブルを叩く。茶々を入れたホシを黙らせてから銀貨を5枚テーブルへと重ねて置くと、ババアはゆっくり頷いた。
「あたしらが確認した限り、あんたの追っ手は今のところ五人だ。白龍族の男と女が一人ずつ。あと王国軍の男が一人、騎士団の男が一人、そして青龍族の女が一人だ」
「青龍族? それって――」
「あんたらがセントベルで一緒に行動していた子らしいね。確かリリとか言ったか」
「リリちんが追いかけてきてるの?」
ホシの声にババアはそうだよ、と肯定を返す。
「白龍族の二人は一緒に行動してるよ。今はセンテルにいるはずさ。後の三人は、こっちも一緒に行動しているね。今朝王城を出て、セントベルに向かっているようだよ。徒歩でねぇ。王国軍じゃ馬が足りないみたいだけど、まぁご苦労なことだよ。ひっひっ」
センテルはここからずっと東にある町で、このハルツハイム領とは別の貴族が治める領地にある。
俺達がチサ村で魔族騒ぎを調べているときに、白龍族らしい人間が追い越して行ったと村長から聞いていたが、もうそんな所まで進んでいたんだな。できればそのままずっと先に進んで行って欲しいところだ。
一方王都からの追っ手に関しては、来るかもと想像していただけで、確かなことは今初めて知った。
王国軍と騎士団から一人ずつの追っ手とは随分小規模だが、こちらも気をつけなければならないだろう。
しかしリリがなぜそれに同道しているのかが気になる。
「なんでリリが一緒なんだ?」
俺の問いにババアは肩をすくめた。
「知らないねぇ。直接聞いたらどうだい?」
「んなことできるわけねぇだろ」
「何言ってんだい。イエローピジョンを使えばいいじゃないのさ。あんた達冒険者だろう」
「……そういやそんなのあったな」
俺が思い出したように言うと、ババアは呆れたような視線を送ってくる。忘れてんじゃないよ、とでも言い出そうなその視線に耐え切れず、俺はふいと目を逸らした。
冒険者ギルドでは魔物のイエローピジョンを飼い慣らし、黄鳩便と呼ばれる手紙専門の郵便サービスをやっている。手紙専門と言うのは、イエローピジョン自体が手で抱えられる程度の小さな魔物のためだ。重いものは基本的にやり取りできないからな。
しかし、そもそも俺が今まで忘れていたのには理由がある。それは黄鳩便が、重要な書類に関しては全く使えないと言う、非常に大きな問題を抱えていたからだ。
イエローピジョンは、すばしっこいだけが取り得の戦う力の無い魔物で、輸送中に他の魔物に襲われたりすると消息を絶つことがしばしばある。
単純に襲われて死んでしまったり、襲われたときのショックで野に帰ってしまったりと色々と理由はあるようだ。
だが、手紙を出しましたが紛失しました、でも金は取りますじゃあ客もたまらない。
そこで冒険者ギルドはそれを解決するために、放つ数を増やして確実性を確保しているそうだ。
現状、三匹送れば手紙が届かない、と言う事はほぼないようだ。確実性は落ちるが、勿論一匹でも郵送可能だ。
まあ最終的にどうするかは金との相談になるだろう。
とまあ、届けば何でも良いという内容ならそれで十分だ。しかし問題として、ギルドに帰らず紛失した分が最終的にどうなってしまうのかと言う点がある。
機密情報などの、誰かの手に渡ると不味い内容となると、一通でも届けばヨシ! ……とはならない。
もしかしたら敵国の手に渡ってしまうかもしれないのだ。そんなリスクを考えると、黄鳩便は重要な情報のやり取りになど、到底利用ができなかった。
山賊時代も軍属時代も、手紙を届けると言えば人や早馬だった。そんな紛失してしまってよい気軽な内容のものを遠くに届けるような状況は、俺の人生では今まで一度も無かったのだ。
使ったことが無かったのだから頭から抜けていても責められないと思う。そう思いませんか奥さん。
「ねぇ、それってユーリちゃんにも送れる?」
話を黙って聞いていたホシが期待のこもった目で見てくる。確かに送れる事は送れるだろう。ただ、送ったところで意味は無い。
「ユーリちゃんもシェルトさんも字が読めないだろが」
「……ホントだ」
この国の識字率はそう高くない。必要に駆られなければ、文字の読み書きなど出来なくても生活はしていける。識字率が低いのも自然なことだった。
「それにお前だって字書けないだろうが。これを気に勉強するか? ん?」
「や、やだーっ!」
からかうように視線を向けると、ホシは椅子から飛び上がりババアの背に隠れてしまった。それにババアもからからと笑う。こいつは机に座って勉強ー、なんて絶対無理だからな。
まあ先ほど考えた通り、必要に駆られていないのだから無理強いする必要も無い。俺もつられて笑うと、ホシはむーっと頬を膨らませた。
「確か冒険者は割引が効いたような気がするな。リリなら信頼できるし、手紙を送る線は考えてみるか……」
「そうしな。さて、後は残る一つだが、どうするね? 聞くかい?」
「いや、その前に頼みたいことがある」
「おやなんだい」
「俺達の行方をあんた達に聞いてくる奴がいたら黙っていて欲しい」
そう、どちらかと言えば情報よりも、この依頼の方が俺達にとっては重要だ。こいつらを口止めしていなけりゃ、このギルドを通して俺達の情報が筒抜けになってしまうからな。
いくら馬鹿話をする間柄とは言え、こいつらは仲間ではない。俺達が不利になるような情報だって、金次第で平気で渡すことだろう。
口止め料を払う必要があるが必要経費だ。けちっても仕方がない。
だが以外にもババアは首を横に振った。
「そりゃ構わないけどねぇ。悪いけど期待にはあんまり応えられないと思うよ」
「……先手を打たれたか」
「それでも良けりゃ、そうだねぇ――」
「金貨2枚でどうだ」
「そうだね。そんなところかねぇ」
ロージャンがぴくりとも表情を動かさずに言えば、ババアも首肯する。それで構わないと懐から革袋を取り出し、そこから金貨を2枚取り出しテーブルに重ねると、ババアは悪いねぇと言いながらそれに手を伸ばした。
恐らく王国の人間が既に、俺たちの調査に関して依頼をしたのだろう。これについては聞いたところで絶対に教えてもらえないだろうから、わざわざ聞くことはしない。
すでに後手に回っていたようだが、しかし他にも俺たちの素性等を調査しようという奴が今後出てくるかもしれない。
例えばこのシュレンツィアの騎士団などだ。今俺たちの調査を冒険者ギルドに依頼しているくらいだから、いよいよとなれば可能性は排除できないだろう。
口止めしておくことに越したことは無いのだ。金貨2枚だって惜しくはない。いや、借りた金だけども。
「じゃあ最後の奴を頼む」
革袋から追加で金貨を10枚出し、真ん中に硬貨を積み上げる。それを見ていたババアはほぅと感嘆の息を漏らした。
「持ってきたねぇ」
「無いと思ってたのか?」
「あんたの顔が不安そうだったからねぇ」
金貨の山を見ながらババアは可笑しそうに笑った。
悔しいが図星だ。確かにこの額はかなり厳しいものがある。皆からの借金でなんとかと言うありさまだった。
ただ幸いだったのは、セントベルで捕縛したあの盗賊共が隠し持っていた武器やら宝飾品やらを売っぱらったところ、総額で金貨5枚ほどにもなり、随分と足しになってくれたことだ。それがなければ皆で合わせても全然足りなかった。
ババアにちょっと得意そうに言ってみたが、実のところ胸をなで下ろしていたのは内緒である。
「さて、あんたを追放しようと画策した連中だったねぇ。――良くお聞き、エイク」
飄々とした雰囲気から一転、ババアはいつになく真面目腐った顔をする。
「デマを流してあんたの立場を危うくしたのは王国宰相のデュミナスだ。あんたと犬猿の仲の第一師団長を上手くのせて、けしかけたのもね。少ない労力で大きな効果を促す……。流石、王国の宰相にもなる男だね。あんたとは役者が違うよ」
「うるせぇな、さっさと進めろ」
「ひっひっひ……。白龍族の激しい気性を逆手に取ったらしいね。デュミナスがどう考えているか分からないけど、人族と龍人族の関係をさらに悪くしたいってんなら、文句のつけようもない手だよ」
いちいち茶々いれないと喋れないのか。しかし王国宰相とはずいぶん大物が出てきたな。
俺は腕を組み、背もたれに体を預ける。
「宰相閣下か。こりゃ面倒なことに――」
「早合点するんじゃないよ。いいから最後までお聞き」
俺のつぶやきを、若干険のある声でババアが遮る。見ればあのロージャンの眉間にも深いしわが寄っていた。
おいおい。今この国の実権を握っている宰相殿よりやばい相手なんているのか?
そう俺は失笑しかける。だが。
思えば俺にも、たった一つだけ思い当たるものがあった。ヒヤリとしたものが背中に走り、体の動きがピタリと止まる。
「この国はサーディルナ聖王国みたいな宗教国家じゃないけどね。それでも、国王を教皇としているような国だ。教会の権威ってのが、王侯貴族ですら無視できないほど強いのは当然あんたも知ってるね」
ギラリとババアの双眸が鋭さを増した。
「あんたを追放しようと動いたのは聖皇教会さね。デュミナスは共謀者に過ぎないんだよ。エイク、あんた……一体何やらかしたんだい」
この国にいられなくなるよ。そんな言葉が耳に届く。
静まり返った部屋の中、忙しない胸の鼓動がいつに無く鮮明に聞こえていた。