91.影の探求者
影の探求者。通称、盗賊ギルド。
そしてこの目の前に座っているババアはその盗賊ギルドのトップ。グランドマスターその人だ。
普段は本部――と言っても場所は知らない――にいるはずが、なぜだか今日はここにいやがった。
異様なまでに鼻が効き、どこぞの国の国家機密から闇に葬られた臭い情報まで、まるで下水のドブまでさらってかき集めてくるような老獪さから、”下水のドブ鼠”なんて呼ばれている妖怪ババアだ。
もう一人の男はシュレンツィア支部のギルドマスター、ロージャン。
数えるほどしか会ったことがないためよく知らないが、無駄口が多いババアとは違い寡黙で必要以上のことを口にしない男だ。
常にむっつりと黙り込んでいる上、まるで人を射殺さんばかりの眼光を放っており、ババアとは真逆の方向で感情の動きや思考が読みづらい。
雄弁は銀、沈黙は金などと言う言葉があるが、この金銀コンビはどちらも厄介な相手だ。
ババアはその達者な口で気に入らない相手を煙に巻き、ロージャンは自分の眼鏡に適わない相手には見向きもしない。
いくら面識があるとは言え、商談となれば全くもって油断できる相手ではない。気を引き締めてかからなければ。
さて。この盗賊ギルドと言うのは、その名の通り盗賊に対して門戸を開いているギルド――ではない。盗賊ギルドと言うのはあくまでも通称だ。
その実体は、独自に諜報活動を行い、情報の売買を行う諜報機関。あらゆる場所のあらゆる真実を深い闇の底から暴き出す、名の通り影に生きる裏社会の組織だ。
ここには取るに足らない情報から国家を転覆させかねない情報までが、商品としてずらりと揃えてある。
その危険性から冒険者ギルドのように、その存在を公認している国は一つも存在しない。
しかし。だからと言って彼らに手を出そうという国もまた、一つとして存在していなかった。
どの国も手を出すことが出来ないのだ。手を出した結果、報復として国家機密などの、国の存続を脅かす情報をばら撒かれでもしたら被害は計り知れない。最悪国が無くなってしまうことにもなり得る。
それ故彼らに敵対する国家というのは、この大陸には存在していない。それどころか蛇の道は蛇と、ここを利用する要人もいるくらいなんだそうな。
さて。このギルドは立場もあるだろうが、扱っている物が物だけに、信頼できると判断した者にしか情報を売ることが無い。
そもそも認められない者は、こうしてテーブルに着くことさえできないのだ。売買以前の問題だろう。
だが俺の場合、その点については問題はなかった。山賊団の前頭領――オヤジの代からギルドとの関係が良好で、関係者に面会する符牒を俺も知っていたのだ。
ポワレが好物と言う、ドアは最後から一つ手前、そして探求者と言うなどがそうだ。
それにこのババアと馬鹿話が出来る程だ。信頼関係は十分築かれていると思っている。
ただ、だからと言って問題が何もないわけではない。
切実であり重要で大きな問題が一つ。たった一つだけだが、俺は抱えていたのだ。
(皆から借りてきたが、足りるか?)
そう、金が足りるかと言うただ一つの問題だった。
一時とは言え王国軍のトップである師団長にまで上り詰めたのに、こんなことろで金の心配をしているとは。そして生命の秘薬に続いて、また金を無心することになろうとは。
もっと考えて貯めておくべきだったかと自分を情けなく思いながら、俺はババアの勧めるまま、そのテーブルへと着いた。
「で、用件は何なんだい」
椅子へどかりと座った俺に、ニヤニヤと笑いながらババアが歯を見せる。背もたれに体を預けると、静かな部屋にギシリと音が響いた。
「俺の欲しい情報は三つだ。一つ、土の勇者サイラスの二年間の動向について。二つ、俺を王城から追い出そうとした奴の情報について。三つ、俺の追っ手についてだ」
細かく事情を説明しなくてもこいつらのことだ、これだけで伝わるだろう。だがこれにババアは面白く無さそうにその顔を歪めた。
「あんたねぇ……。一つ目はともかく、残りの二つは自分でどうにかならなかったのかい? 人に耄碌するなと言っておきながら、この体たらくはちょいと褒められたもんじゃないねぇ。オヤジさんが泣くよ」
「敵陣で真正面からやり合っても勝ち目がねぇからな。もう義理は果たしたし、さっさととんずらしてきたのさ。不足してる情報に関してはあんたらから貰えばいいと思ってな」
「ここは便利屋じゃねぇぞ坊主」
俺の言葉を聞きとがめたロージャンがこちらをギロリと睨んだ。
彼らは情報を商品とする専門家だ。依頼さえあれば時として間諜として働くこともあり、失敗すれば拷問や処刑などが当然の、非常に危険な任務も少なくない。
そのため彼らには彼らのプライドがある。見下されアゴで使われるようなことを嫌う者も多い。ましてや他人の怠慢の後始末なんて絶対に首を縦に振らないだろう。
「別に俺の尻拭いをさせるつもりはねぇよ。さぼってたわけじゃなくて、単純に手が出せなかっただけだ」
「あんたがかい? 信じられないねぇ」
「俺は一人でこっそり出奔するつもりだったからな。協力者なんていなかったんだよ。かと言って俺自身が動けば気取られる可能性が高かったからな」
「ホシちゃんがここにいるじゃないかい」
ババアは目だけを動かし、ここにいるホシは何なんだと俺に問いかける。
「勝手についてきたんだよそいつは……」
「いーっだ!!」
俺の呆れたような視線に、ホシは見事なしかめっ面を返す。ババアはそれを見て察したようで、さも可笑しそうにカラカラと笑った。
「そうかいそうかい! よくやったねぇ! コイツは人に甘えるのが下手でねぇ。ホシちゃんがいてくれれば安心ってもんさ」
「えへへー!」
「ったく……」
仏頂面の俺を無視し、ババアはしわくちゃの顔をさらにシワシワにしてホシの頭をポンポンと優しく叩く。
「まあそう言う事なら構わないよ。ロージャン」
「土の勇者の動向についてなら金はいらん。お前を王城から追い出そうとした奴については金貨10枚。お前の追っ手については銀貨5枚だ」
ババアにあごで促されロージャンが口を開く。サイラスの情報がタダと言うのは驚いたが、それにしても二つ目がちょっと臭うな。
「金貨10枚とは随分だな。……やばい情報か?」
「ああ」
「楽しい話じゃあないねぇ」
俺は元々山賊だ。俺を良く思わない者はそれこそ大勢いる。
常習的に犯罪行為を行っている連中なのだから、嫌悪されて然るべきと言うのは、当事者である俺も十分理解している。
王国軍の幹部である師団長が元山賊なんて外聞が悪いにも程がある。だから俺を追放しようと動いた背景には、王国の政治的な理由があるだろうと予想していた。
だがこの二人の反応はどうだ。あのロージャンが即答し、ババアも珍しく渋い顔をしている。この二人の様子を見て、これは俺が想像していた以上に不味い問題なのだと嫌でも分かってしまった。
こうなってくると聞きたくないと言う気持がむくむくと膨らんでくる。世の中には知らなくて良い情報と言うのが間違いなくあるのだ。全くもって嫌な予感しかしない。
しかし、俺はそんな気持ちを唾と一緒に飲み込む。
皆を巻き込んだ以上、何が起き得るのかは把握しておかなければならない。何より他でもない自分のことなのだ。どんなに嫌な予感がしようと既に賽は投げられている。
目の前の二人がまとう空気に尻込みしてしまったが、もとより俺には聞く以外選択肢はないと、改めて腹をくくった。
それでは――と、俺はロージャンとババアの顔を見る。俺の視線と二種類の鋭い視線が真正面からかち合った。
「……勇者の情報から頼む」
「ヘタレだねぇ……」
「ヘタレ!」
ババアは眉尻を下げながら溜息をついた。
ほっとけ! ホシも同調するんじゃない。
まあいいさ、と前置きし、ババアはコホンと一つ咳払いをする。
「さて、それじゃ説明しようかね。と言っても、言うことなんて殆ど無いよ。冒険者として活動してただけさ。この町からも殆ど出ていないね。ああ、ランクはFからDに上がったようだけど」
「……それで終わりか?」
「終わりだよ。だから言ったろう? 言う事なんてないってね。あたしらもずっと監視しているけどねぇ、町と魔窟を行ったり来たりするだけで、欠伸が出るくらい呑気なもんさ」
「勇者らしい活動はしてないのか?」
「勇者らしい活動ってなんだい。抽象的なこと言うんじゃないよ。あたしゃ勇者じゃないんだから知らないよ」
「妖怪ババアだもんな」
「お黙り」
ババアがぴしゃりと言う。だがそれには構わず、俺は腕を組み天井を見上げた。
「じゃあ二人でずっと冒険者をしてるってわけか……」
「そりゃ違うね。二年前の”赤獅子の奇跡”から少し経ってから、あのウォードとか言う坊やを冒険者にして一緒に活動してるみたいだねぇ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。あたしゃあの子は冒険者には向いてないと思うんだけど、どうやら家の事情があるみたいでねぇ……」
そう言うとババアは机を人差し指でコンコンと叩いた。人差し指は銅貨、叩いた数が数量を示す。つまりここからは有料と言うことだ。
無料と言われたサイラスの動向から話題が外れるため致し方ない。素直に銅貨を2枚取り出し、机の真ん中へと重ねて置く。
それを目だけ動かして確認したババアは更に続ける。
「サイラスはね、そのウォードって子の家に居候しているのさ。その子の父親はもう随分前に亡くなってるんだが何かの病だったらしくてねぇ……。結局治せず終いで治療に当てた借金だけが残ったのさ。それをお袋さんが必死に働いて返してるんだが、後どのくらいかかるって言ったか……」
「現状、後十四年だ」
「そうそう! 十四年だ、十四年! 大変だと思わないかい? 親御さんももう四十になるしねぇ、若い男二人養いながら借金も返して……なんて大変だろう? それでね、サイラスは十六の時に冒険者になって、その稼ぎを入れるようになったようなんだよ。ああ、あの坊やは今は二十二なんだけどね」
なるほど、勇者になる前から既に冒険者だったんだな。十六から冒険者になったと言うと、勇者になる四年前と言うことになるか。そして勇者になって今に至ると。
「ウォードって子はちょいと内気過ぎてねぇ、働いてもすぐ止めちまうってんで長続きしないんだよ。どうにも嫌がらせを受けることが多いからみたいだけど、もう少し根気を見せられないもんかねぇ。それとも今の子ってのは、ああ言うのは珍しくもないのかい?」
ババアは「むかつく奴はブン殴っちまえばいいんだよ」と言っていたが、ダメだろうそれは。
「……いや、確かにあれはおどおどしすぎだとは思うが。でも、それが何で冒険者に? そっちの方が無理だろ」
「サイラスが無理やり冒険者にしたみたいなんだよ。どうもウォードの坊やに自信をつけさせたかったみたいだねぇ。それに現実的な問題、あの家には借金もあるしねぇ。流石にごく潰しを飼う余裕なんてありゃしないだろうさ」
もっともな話だ。借金を返さなければならないのに働き盛りの男が無職では、流石に同居している人間なら文句の一つでも言いたくなるだろう。
「サイラスが居候ってのは?」
俺の問いにババアは再び人差し指で机を二回叩く。俺もまた銅貨を取り出し、机の真ん中へと重ねて置いた。
「サイラスの親父さんは駄目親父でねぇ、サイラスが本っ当に小さいときから、毎日酒を飲んじゃ家に帰って暴れるような奴だったんだよ。母親も早々に見切りをつけて、外に男を作って家を出ちまってね。そうすると家にいるのは小さいサイラスだけだろう? 毎日毎日その駄目親父に殴られてたみたいでねぇ、家じゃあ一人でずっと泣いてたらしいよ。”泣き虫サイラス”なんて、同年代の子にはからかわれていたようだねぇ」
「その親父は今どうしてるんだ?」
「ひっひっひ……。もう随分前におっ死んだよ」
小さな子供に手を上げるなんて胸糞が悪い話だ。だがどうやらその糞野郎はすでに死んでいるらしい。
ろくなことしないからだ。ざまあ見ろってなもんだ。
俺が背もたれへ体を預けるのを見て、ババアはまた軽く笑った。
「小さい頃のサイラスは随分きかん坊だったらしくてねぇ。まあからかわれてたのもあるんだろうけど。何かとあっちゃあすぐ喧嘩するもんで、友達がいなかったらしいんだよ。ただ、何でかウォードとだけは仲が良かったみたいでねぇ。よく二人でつるんでいたらしいよ。だからか、サイラスが十三の時に親父さんが死んで天涯孤独になった時に、ウォードの親御さんが引き取ってくれてね、それで居候してるってわけさ。だからサイラスは随分恩義を感じているらしいよ? ま、当然だがねぇ」
そこまで言ったババアは「こんなもんかね」と息を吐き、その口を閉じた。
銅貨4枚分の価値はあっただろうかと考えてみるが、正直意味があったとは言い難い内容だった。まあ土の勇者サイラスが居候先の借金を返すために冒険者をしているってことは分かったから、疑問は解消したし、全くの無駄ではなかったが。
それにしても借金のために働く勇者か。いかに力があったとしても、金に関しては唯の人と言うわけだ。現実は勇者様にも容赦なく厳しかったようだ。