6.ミッション①ー迷惑客の対応ー
楽しかった伯爵家の別荘生活に別れを告げた私は、実家に戻ってきていた。
ちょうど帰った時に運悪く次兄と玄関先で出くわしてしまった。
みるみる表情が険しくなり聞こえるように舌打ちされる。
「もう帰ってきたのか。お前なんて帰ってこなくていいのに。お前が帰ってくると空気が悪くなるよ。」
睨まれ、さっきまでの楽しかった気持ちが一瞬で萎んでしまった。
荷物を持ったままうつむき加減で傍から見れば陰鬱とした空気が見えていただろう。兄は言いたいことだけ言ってさっさと外へ出かけて行った。
「お嬢様・・・」
心配そうな顔で見てくるメイドに大丈夫と手を振る。笑顔を見せたつもりが引きつっていて、少し青くなった顔は誤魔化せていないようでさらに心配させてしまった。
はあ、とため息をついてベッドの上に仰向けに寝転がる。家族からは負の感情を思いっきりぶつけられるため、顔を合わす度に心臓がバクバクしていた。
いつの間にか寝ていたんだろう。メイドに夕食の時間だと起こされた頃には外は薄暗くなってきていた。
嫌々食堂に向かうと既に全員着席していた。
「遅くなり申し訳ありません。」
扉を開けた瞬間に向けられた冷たい視線に冷や汗が流れる。すぐに入り口で頭を下げて謝罪する。
「いい御身分ね。年長者を待たすなんて。嫌なら食べなくていいのよ?」
最後の一言以外は言われても仕方ないと思った。私が年少者だから、目上の人を待たせるのは良くないことだとは十分理解できている。でも、それを他ならぬ親に冷たく言われるのは辛かった。
「そんなんでベストラン伯に失礼なことをしていないだろうな。仕方なしに育ててやっているんだ。もっと恩を返すような行動は出来んのか。」
「ふっ。どうせなら侯爵家や公爵家の令嬢と友人になればいいものの。所詮お前はできそこないだ。何の価値もない。」
父と長兄が蔑んでくる。上位貴族と仲良くなればこっちにも恩恵があるだろうに、と言いたいのだろう。
父に似た目と母に似た髪色。でも、幼いころから兄たちと比べられ、物覚えが悪かった私はどんどん関係が悪化していった。兄たちは跡継ぎでもあり、男尊女卑の気がある両親に大切に育てられていた。そんな両親と仲のいい兄2人に羨望の眼差しを向けていたらうざがられた。気持ち悪い目で見るな、と。褒められた記憶はなく、他所の家の仲の良さそうな親子や兄弟を見ていると、彼らがうらやましかった。私もその家の子になりたいと思うほどに。
幸い、執事やメイドたちが代わりに優しくしてくれていたからここまでこれたんだと思う。だけど早くこの家を出たい、と切に願った。
息苦しい部屋で味の分からなくなった肉やスープ、サラダを咀嚼し、やっとの思いで飲み込む。それを繰り返し、ようやく食事時間が終わる。
何か言われていたがもはや耳に入っていなかった。
部屋に戻りようやく呼吸が出来たような気がする。
明日もバイトがあるからもう寝ないと、と重たい体を引きずって布団に潜り込んだ。
「え?夜ですか?」
バイトの休憩時間に言われたのは休みの間、夜間も出られないかとのことだった。夜働いていた人が他の町に引っ越すことになり、人手が欲しいらしい。家から離れたいのとお金を少しでも多く稼ぎたい私は一も二もなく了承した。
夕食は普段揃って食べるのだが、部屋で食べるとメイドに伝えてもらったらいいだろう。
夏休みの課題も終わっていることだし、1日中働いても問題はなさそうだ。
夜の店は昼間とはまた違った雰囲気を醸し出していた。
温かなオレンジの電気で照らされた室内はお酒を飲んでいる男の人が多かった。家族で食事している人もいるが、昼間より男性率が高い。
お酒で気分が高揚しているんだろう。声が大きく、私にとってやかましい部類だった。
お酒が提供される分、覚えるメニューも増えたのだが、バーだともっと酒の種類が多いと聞いて、ここで良かったと思えた。
「よお!姉ちゃん!可愛いねぇ~。ちょっと酒注いでくんねえか?」
「ガハハハ!お前さん、小さい子が趣味だったのか?」
「うっせえ!てめえもずっと見てたろうが。」
料理を運んでいるとふと客の腕が伸びて来てそのまま手首を捕まえられる。力強く痛い。そして下品な笑い方だ。必死に他のテーブルへ料理を運ばないといけないことを説明し手を離してほしいと言うが全然聞いてくれない。
困り果てていると後ろから私の手を握っている人の頭に向かってお盆を振り下ろす人物が見えた。夜に働いているイリルさんだ。
「痛ってー!何すんだ!このやろう・・・」
殴られて痛かったのだろう。怒りをあらわに後ろを振り返るが、振り返った先にいた人物を見て最後の言葉は尻すぼみになった。
「何すんだはこっちのセリフよ!うちの大事な従業員に何してくれてんの!この色ボケ親父!サーヤに言っておくからね!」
「ちょ・・・悪かったって。それは止めてくれよ。あいつ怒るとおっかねえんだ。」
「謝る相手が違う!」
「わ、悪かったな、嬢ちゃん。このとおりだ。」
酔いが覚めたようで平謝りしてくる。さっきとは別人みたいだ。
後から聞いたらイリルさんとこの人の奥さんというサーヤさんは友人らしい。あのバカが迷惑かけてごめんね、と助けてくれたイリルさんに謝られた。こっちは助けてくれて礼を言う方なのに。
22時で店じまいをし、片付けながらさっきの礼をもう一度する。
「いいのよ~。夜は初めてでしょ?大体あんな感じで捕まえられるからかわす練習しなきゃね。身のこなしは大事よ。」
「困ったときは声を出して俺たちを呼べばいい。あんまりにも酒癖の悪い奴は出禁にしてるからな。」
「・・・いるんですか?そんな人。」
「いるいる!この間は誰だっけ?あ、そうそう3丁目のヤンじいさん!酔っぱらって暴れて店の物壊しまくってたから出入り禁止にされてたね。」
夜はチェルシーさんに加え、イリルさんとヒューストンさんがウエイトレスとして出ていた。40代のイリルさんと30代になったかなってないかくらいのヒューストンさんは長年ここで働いているから相手にするのも慣れたものらしい。
「まあ、おどおどしていると目を付けられるからね。堂々としていればいいのよ。で、そんなに酔ってなさそうだけど絡んでくる人には、後でまた来ますぅ~って猫なで声でも出しとけばいいわ。抱き付いてくるようなうざい奴には顎を突き上げるようにしてパンチかませばいいから。」
「暴力はだめですよ。後が大変なんで。というか、イリルさんじゃなしマリはそんなことできないと思いますよ。」
「大丈夫。いずれ出来るようになる!女はね、強くなるのよ。必要に応じてね。」
見本のようにヒューストンさんの顎下から上に向かって拳で突き上げるしぐさをする彼女を彼が手を払い諫めた。私には到底真似できないと思います・・・。
皆と別れた後、近くへ迎えに来ていた馬車で家に戻る。22時を回った時刻であったため、みんな自室に籠っているようだ。
顔を合わせなくて済んだことにほっとしてゆっくりと湯船につかるのだった――。
今顎を狙ったらきっと警察呼ばれますね。
ここは緩い世界です。