とある公共心ある雄弁な就活生のお話
面接官:あなたが学生時代、いちばん頑張ったことは何ですか?
就活生:その質問に私は答える義務はありませんし、答えることで公共の利益を損害すると考えるため、答えません。今からそう考える理由を説明します。よろしいですか?
面接官: あ、はい…(そこまで言うなら聞いてみるか)どうぞ。
就活生:ありがとうございます。私がそう考える理由は3つあります。第1に、その質問により、せっかく大学で貴重な人格形成をした経験を、自尊心を傷つける経験に変えてしまうから、第2に、その質問により、せっかくの貴重な大学生活を「ネタ作り」という本質から逸れた方向に走ってしまう学生が大量発生しているから、第3に、その質問自体に本質的な意味がないと考えるからです。
まず自尊心についてですが、たとえば私が学生時代にボランティアを主催する経験を通して色々な貴重なものを得たとします。その話を就職活動の場で話した結果、落選となったとします。すると、あたかもその就活生はそのボランティア経験を、自己嫌悪の材料と感じてしまうのです。御社に入社するに足るだけの経験をそのボランティア活動から得られたかは別として、得られたものは少なくともゼロではないはずです。人それぞれ経験は千差万別ですから、世の中の多様性を維持するのにそういう人物は、御社社員としてかは別として、必要なのです。ところが、不況の昨今ですから、その就活生は「ボランティアの話をした結果、不採用となった」という経験を山ほど積むことになります。その結果として、たとえ親しい友人にですら、その経験で得た貴重なものを共有するのをためらってしまうような、自尊心の否定を受けてしまうのです。
第2のネタ作りの件について述べます。私たちはなぜ献血するのでしょうか?多くの献血者は「少しの勇気で人の命を救えることが純粋に素晴らしいと思うから」と答えるでしょう。私も同じ理由で献血しています。御社のために献血しているわけではありません。私たちは職場以外の場所でも、これからいろいろな経験をすることになるでしょう。では、たとえば御社が化粧品会社だったと仮定して、学生時代を化粧技術を極めることにすべて費やしたとしたら、せっかくの大学生活の無駄遣いですよね。いまのは極端な例ですが、私の周りを見ると、そういったネタ作りのために活動いている学生が多いように思えます。すなわち、輸血を受ける人に最大の利益になるように考えて献血広報活動をするのではなく、就活のネタになるように献血活動をするという、不条理な動機づけで活動している学生です。そのような学生が増えることは、はたして社会全体の利益になるのでしょうか?
第3に質問自体に本質的な意味がないという点ですが、私は色々な採用担当者に、このような質問を投げかけました。「あなたが学生時代にいちばん頑張ったことは何ですか、と聞かれたとき、本当に1番頑張ったことを答えないといけないのですか?2番目ではだめなのでしょうか?」と。答えは共通してこうでした。「それを胸を張って主張できるのであれば何を言っても構わない。実は面接官は就活生の答えていること自体に大して興味がない。受け答えがマトモか、かみ合っているか、ということを重視している。」これを当質問に当てはめて言うなら、面接官は、就活生が学生時代に何を頑張ったかに興味がないということになります。人生の岐路となる大事な場面で興味のない質問を投げかけるのは失礼極まりない行為だと考えます。
以上から、私は採用活動の一環としてそのような質問がされることに憤りを感じます。代案として、個人面接をすべて廃止し、グループディスカッションや、具体的なテーマの与えられたプレゼンテーション面接の大量導入を提言します。そのような状況下では、たとえ学生時代にボランティア活動を頑張った人であっても、否応なしに核兵器の是非について論じなければならない状況が生まれるわけです。そういう場でこそ人間の真価が問われると思います。息子のテストの点数が何点か気になるのに否応なしに営業戦略会議に出席せねばならないのは職場では日常茶飯事ではありませんか?