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 木島は、通常の業務にもどっていた。青山にも言ったことだが、児童福祉司はいくつもの案件をかかえている。当然、木島も例外ではない。

 各所への電話連絡に追われていたら、不穏な声が外から聞こえてきた。

「返せぇ!」

 男性の怒鳴り声だった。

「……青山君の担当している件ね」

 高橋が言った。直接、本人と会話するときは「青山さん」と呼んでいるが、木島と話すときは「青山君」になる。

「子供を緊急保護したのよ」

「ふざけんな!」

 威圧的な言動が続いていた。

「おまえらはなんの権利があって、おれの子供をさらうんだ! こんなことが許されるのか!?」

「ねえ、応援に行ってくれる?」

 木島は立ち上がった。

 玄関口で二十代と思われる若い男性と、青山が向かい合っていた。

 男性の髪は派手な茶髪で、耳と鼻にピアスがしてあった。首筋と腕からはタトゥーがみえている。人をみかけで判断してはいけないが、そういうことをしそうな外見だ。

「あなたの息子さんは、こちらで保護させていただきます」

 青山はキッパリと口にするのだが、どこか表情におびえの色が出てしまっている。仕方のないことだ。狂乱した人間の前では、だれだって恐怖を感じる。

「どうしてだよ!」

「虐待の疑いがあります!」

 負けじと青山も語気を強めた。

「なんだと!? てめえ、ぶっ殺すぞ!」

「そ、それは脅迫ですか?」

 いまにも男性は殴りかかりそうだった。

「落ち着いてください」

 木島が、男性の前に立った。

「仲間が出てきても怖くねえぞ!」

 木島の大きな身体が、男性の闘争心をさらに引き出してしまったようだ。自身の不利を悟ったとき、人間は相手に服従するか、毛を逆立てて狂ったように反抗するかの二つに分かれる。

「あれを見てください」

 木島は、あるものを指さした。

「あ!?」

 玄関口には、全身が映る鏡が設置されている。

「いまのあなたの態度は、ただのチンピラです。そんな人間に、子供を返すとお思いですか?」

 わざと、きつめの言葉をぶつけた。

「なんだと!?」

「ちゃんと見てください。この姿が、立派な父親のものですか?」

 男性の顔が、紅潮した。

 それは怒りのためか、それとも……。

「……くそっ!」

 男性は、悔しそうに帰っていった。

 その姿が見えなくなってから、

「あの人は、ダメでしょう……親の自覚がない」

 青山が、ため息まじりに言った。

 自覚がないのはまちがいない。が、あの男性のすべてを否定するには材料がたりない。あそこまで気が立っていたのには、もう一つの可能性があるからだ。

 青山とともに、保護した子供の様子を見にいった。

 一時保護した児童の対応も、福祉司の仕事になる。児童心理司の協力もあるとはいえ、福祉司の多忙に拍車がかかる要因にもなり、一時保護をさける傾向にもつながってしまう。

 この相談所では、子供に対応する職員を専用にもうけている。ただし保育士というわけではなく、立場上は同じ児童福祉司だ。

 併設されている一時保護の部屋で、三歳ぐらいの女の子が積み木で遊んでいた。

 この一時保護所についても批判をうけることがる。場所によっては、まるで刑務所のように子供をあつかうことがあるという。外出もできず、学校にも行けない。

 一時保護とは、虐待によって子供を保護する以外にも、逆に子供の素行に問題があって収容するケースがあるからだ。むかしは、むしろそのほうが一般的だった。

 そのころの名残が強いところでは、子供に命令し、言うことをきかせようとする。まるで少年院のように。

 ここでは、そんな対応をする職員はいない。

「あの子……施設ですかね?」

 一時保護の期間は、二ヵ月以内と決められている。そのあいだに、親元にもどすか養護施設や里親にだすかを判断しなければならない。

 とはいえ、簡単に選択できるものではなく、二ヵ月という期限よりも長くなることは日常茶飯事だ。どういう決定になるにしろ、子供にとっては苦しい時間が続くのだ。


     * * *


 咲と琴音は、陽が暮れるまでマンションの周辺をうかがっていた。

 ある程度の聞き込みで、部屋に住んでいる人物の名前や、家族構成などがわかってきた。中学生同伴ではやりづらい部分もあったが、正規の捜査ではないにしろ、警察手帳の効力をあらためて感じることができた。

 名前は、下村。

 三十代後半から四十代だと思われる夫と、二十代の妻。

 子供がいるという証言はなかった。

「で、ここに越してきたばかりだって」

 まだ一ヵ月ほどしか経っていない。

「ねえ、部屋に監禁されていたっていうのは、ちょっとちがうんじゃない?」

 琴音の話では、ずっと一つの部屋に監禁されていたが、従順になったのでベランダに出されたりしている──そういうことだった。たった一ヵ月で、その流れにはならないのではないか。それにベランダの件も、これからガーデニングをするつもりなのかもしれない。

 中学生相手に大人げないと考えながらも、咲はちゃんと指摘した。むしろ、琴音の洞察力を真剣に評価しているからこそだ。

「うーん……この部屋じゃないかもしれないけど……」

 琴音は、曖昧に発言した。

 彼女の言いたいことを要約すると、こういうことになるようだ。

 いまのあの家では、一つの部屋に監禁されていなかったかもしれないが、かつての家ではそういうことがおこなわれていた。ただし確固たる根拠があるわけではない……。

「でもまず、子供がいるのかどうかを調べなきゃいけないわね」

 琴音のそういうものを嗅ぎ分ける本能のようなものは、むげにできないものがあるかもしれない。とはいえ警察官という立場の人間が、そんな不確かな情報だけでは動けない。

 マンションには管理人がいるようなので、話を聞いてみることにした。オートロックのわきに管理人呼出し番号が記されていたので、その番号をプッシュした。すぐに制服を来た四十代ほどの男性がやって来た。警備会社の人間が常駐しているのかもしれない。

 警察手帳をかかげると、管理人室に通された。

 中学生をともなっていることに疑問を感じているようだったが、親切に対応してくれた。お茶も出してくれた。

「五階に住んでいる下村さんのことは、ご存知ですか?」

「はあ……、私どもは派遣されてますんで、あまりよくわからないんです」

 話を聞いてみると、このマンションに雇われているわけではなく、派遣会社に所属していて、この一ヵ所だけの勤務ではないようだ。

「最近越してきたみたいなんですけど」

「あぁ、はいはい」

 それで理解してくれたようだ。

「下村さんのお宅には、小さなお子さんがいますか?」

「子供……ですか? いたかなぁ……? 何歳ぐらいですか?」

 咲は、なんと答えるか迷った。

「……小学生にはなっていないと思います」

 頼りなげに、琴音が発言した。根拠はあとで聞くとして、とりあえずそういうことで話を進めた。

「見たことないけどなぁ」

「そうですか……」

「直接、たずねるわけにはいかないんですか?」

 管理人は、とても素朴なことを口にした。

 そもそも警察官なら、そんなことは簡単に調べられるんじゃないですか?──という眼をしている。

「デリケートなことですので……できれば、ご本人には警察が来たことも伝えないでもらえますか?」

「下村さん、なにかあったんですか?」

「いいえ、そういうことではないんです」

 いまの段階では、そう言うほかはない。

 ごまかすようにマンションをあとにした。



「……これから、どうするの?」

「わたしは、もう少し調べてみる」

 まだ陽は出ているが、だいぶ傾いている。彼女は帰したほうがいいだろう。

 途中まで送り、まだ未練がありそうな顔をした琴音と別れて、咲はマンションの周辺にもどった。

 角を曲がったとき、衝撃が襲った。

「いたっ!」

 尻餅をついていた。

 この感触、何度も覚えのあるものだ。

「またあなた……」

 怒りがこみあげたが、なんとか自制した。

 いけない、いけない……これでは、また後悔してしまう。冷静にならなければ。

「もうしわけない……」

「いえ……わたしのほうも、前方不注意でした」

 これで三度目だと思うと、とたんに可笑しくなった。

「ふふ」

「大丈夫ですか……?」

 突然笑いだしたから、大男はむしろ心配になったようだ。

「あ、いえ……これで何度目かなって」

「たびたびすみません……」

「本当です」

「あ、もうしわけない……」

「いいんです。怒ってません」

 それは嘘ではなかった。

「あの……この近所に住んでいるんですか?」

 二度目のときも、この周辺だった。

「あ、いえ……ここには、仕事で」

「失礼ですが、お仕事は?」

 刑事口調になってはいけないと、つとめて丁寧に質問した。

「児童相談所に勤めています」

「児相……」

 そういえば、初めてぶつかったときは、小野田とともに児相を訪問した帰りだった。

 ひらめくものがあった。

「もしかして、木島さんですか?」

「そうです……でも、どうして?」

 不思議そうにしている大男に、咲は警察手帳をみせた。

「わたしは、警察官です。先日、そちらに訪問したんですけど、木島さんはいらっしゃいませんでした」

「はい」

「関谷弘毅さんの事件です」

「存じてます」

「そのことで、お話を聞かせてもらえないでしょうか?」

「……わかりました」

 一瞬、考える間があいて、大男──木島は了承してくれた。立ち話をするような内容ではないので、場所を変えることになった。少し歩くことになるが、近くのファミレスに移動することにした。

 席についてすぐに、咲は虐待についてたずねた。

「智樹くんは虐待されていた、ということですよね?」

「まだ、その断定はできません」

「そんな建前論を聞きたいわけじゃありません……どう考えても、虐待があったということでしょう?」

「警察は、そうみてるんですか?」

「わたし個人、です」

 捜査には、どういうわけか圧力がかかっているが、当然ながらそのことを話すわけにはいかない。

「ですから、あなたも児相の職員ではなく、個人の意見を言ってください」

「軽はずみなことは口にできません」

「では、智樹くんを親元に返すおつもりですか?」

「そんなことは言っていない」

 議論が熱くなってしまった。ほかの客の眼も気になった。

「……落ち着きましょうか」

「そうですね」

 そこで料理が運ばれてきた。最近のファミレスは、飲み物はドリンクバーになっているから、なにかを注文しなくてはならない。

 咲がトマトソース系のパスタで、木島がケーキだった。

「そっちです」

 店員がケーキを咲の前に置いたので、訂正することになった。

「犯人に心当たりはありませんか?」

 店員がさがってから、あらてめて質問した。

「ありません」

「そうですか……近所の方たちも、あまり真剣に証言してくれません」

「そうですか」

「わたしの上司なんか、それを良いことのように言ってました。どう思います?」

 この男の道徳観や、職業にたいする信念をさぐろうとしていた。

「どう、とは?」

「あなたも、当然の報いだと思いますか?」

「なんと答えていいのか……」

 ごまかすように視線が泳いだ。

 期待した人物ではなかったとあきらめたが、さまよった視線は咲の瞳にもどっていた。

「関谷さんの家で虐待がおこなわれていたとしたら、ですよね?」

「はい、もちろんです」

「子供にひどいことをしていたのだから、近所の人たちが捜査に協力的でない気持ちはわかります。ですが──」

 木島は、一拍あけた。

「ですが?」

「一番大事なのは、子供のことです」

 期待した答えではなかったが、それは咲が刑事だからだ。どんな事情があっても、犯罪行為は許されない──それは大原則だ。

 木島にとっては、それが子供のことになるのだ。傷害事件がおころうと、子供の命が守られれば、それでいい。彼の思考は、自分と似ているのかもしれない……咲は思った。

「関谷さんを恨んでいそうな人物については、どうですか?」

「わかりません」

「では、関谷さんに対してだけではなくて、児童虐待を憎んでいる人物に心当たりは?」

「……漠然としてますね」

 木島に、それを言うべきか悩んだ。

「木島さんは、ずっとここの児相に勤めてるんですか?」

「どういう意味ですか?」

「二年前もいましたか?」

「はい。児童福祉司になって四年になります。ここの児相以外では勤務経験はないので」

 ならば、そのときのことも知っているかもしれない。

「あの、山岸琴音さんという女の子をご存知ですか?」

「……どうだったでしょう」

「担当ではありませんでしたか?」

「……たぶん」

 わずか二年前のことでは、担当していたら忘れないだろう。

「そうですか……」

 福祉司の担当件数は、尋常でないほど多いという。刑事課も多忙だが、もしかしたらそれ以上かもしれない。

「いまは、紅林という姓に変わっているんですけど」

 それでも心当たりはないようだった。

「あの……」

 咲は、思い切って話すことにした。

「この近所のマンションに引っ越してきた下村さん、という方は知っていますか?」

「下村琢也さんのお宅ですか?」

「そうです! もしかして、担当ですか?」

「はい」

「では、そのうちにはお子さんがいるんですね?」

「います。それが……?」

「もしかして……児相のほうでも、マークしてるんですか?」

「個別の件には……」

「わたしも動いているんです」

 警察としてではなく、あくまでも自分一人で勝手にやっていることだが、咲は言った。

 署にバレたら始末書ものだが、かまわなかった。

「協力してくれませんか?」

「情報の共有ぐらいならかまいませんが……」

 正式な捜査でない以上、彼の力を得られるのは心強かった。


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