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 翌日。

 下村琢也の住むマンションについたのは、午前十時ごろだった。平日なので、本人はいないだろう。それでもかなわなかった。というより、そのほうがいいのだ。

 オートロックで呼び出すと、若くてかわいらしい女性の声が応対した。

「すみません。児童相談所の木島といいます」

 カメラがついているので、むこうには姿が見えているはずだ。

「どうも、青山です」

『はい……なにか?』

「あの、お嬢さんのことで少し」

 数秒後、ロックの解除される音がした。

『どうぞ』

 なかに入って、下村宅の前に移動した。

「児童相談所です」

 木島は、あらためて名乗った。

「はい……」

 女性は声の印象どおり、若くてきれいな容姿をしていた。

「お嬢さんは、いらっしゃいますか?」

「おりますが……」

「お会いしたいのですが」

「それはできません……今日は熱があって眠っていますので」

 年齢のわりに言葉遣いは丁寧だった。が、表情には緊張があらわれている。

「一目だけでもいいのですが」

 木島は食い下がったが、母親はムキになっているように頑なだった。

「お引き取りください」

「そうですか……では、また日をあらためてうかがいます」

 それに対して、母親の顔は迷惑そうだった。

「あやしかったですね」

 マンションをあとにしてから、青山が声に出した。

 木島は返事をしなかった。あやしいといえばあやしいが、あれぐらいの反応はけっしてめずらしいわけではない。なにもやましいことがなくても、ああいう人間は多い。

 えてしてそういう人は、児童相談所、もっといえば公務員に対してよくない感情をもっているものだ。児相は、厚生労働省の管轄ということになっている。厚労省はとくに、年金問題以降、一般市民からは嫌われる対象となっている。

 が、実際には厚労省が運営しているわけではない。地方自治体に移管され、予算もそれぞれの自治体から出ている。職員の形態も地方公務員ということになる。

「次は、いつ訪問しますか?」

 今回の件は自分たちに通報があったわけではなく、もともとは鹿児島県の児相の案件だ。訪問を義務付けられているわけではない。

 児童相談所はどこも激務で、児童福祉司の受け持つ件数は、多いところでは一人で百件にもなるという。

 木島たちの児相はそれにくらべれば、少しはマシといえるだろう。一人が担当するのは、四十件から五十件ほどしかない。それでも大変といえば大変だが、そう口にしてしまったら、本当に激務の地域職員に叱られてしまう。

 児童虐待件数が多いこの街でそれを実現できているのは、児相を統括する高橋の力によるところが大きい。彼女の判断力と決定力、統率力は眼を見張るべきものがある。彼女が百人いれば、この世から児童問題は根絶できるのではないか、と思えるほどだ。

「頃合いを見計らって、ということになるでしょう」

 木島は結局、明確な答えを出さなかった。

「さきに帰っててくれませんか」

「え? どこに寄るんですか?」

「近所を聞き込みします」

「だったら、ぼくも」

「いえ、ほかにも案件を抱えてるでしょう」

「それだったら、木島さんも……」

「おれのことはいいから」

 手伝おうとする青山を、なかば強引に帰した。


     * * *


 この街は、どこか奇妙だ。

 普段から咲は、そう感じることがあった。

 生活保護の受給率が高く、貧困層と呼ばれる市民が多くいる。シングルマザーの家庭も多い。それゆえに、生活保護を打ち切られたり、ストレスから子供に手をあげるケースもあるようだ。

 が、その一方で、富裕層の多く住む地区がある。例の紅林家も、その一つだ。

 咲は、その地区を歩いていた。道の左手は高級マンションが建ち並び、右手側には一戸建てが群れている。

 マンションのなかには高級とは呼べないものも混ざっているようだが、低所得者では購入はもちろん、賃貸であったとしても住むことは難しいだろう。

 そんなマンションの一つの角を曲がろうとした。

 同じようにむこうから曲がってきた人物がいた。巨大な影が、壁となってぶつかった。

「いったーい!」

 強い衝撃に襲われ、咲は地面に倒れてしまった。

 瞬間的に、こんなことがつい最近あったことを思い出した。

「もうしわけない」

 野太い声が謝罪した。

 聞き覚えのある声だった。

「あなた……」

 痛みをこらえて、巨体を見上げた。

 まちがいない。以前にもぶつかったことのある男性だった。たしか、児相相談所の帰りだったはずだ。

「何度も何度も……ちゃんと前を見てください!」

 自分のことを棚に上げているのは承知していた。それでも文句を言いたくなったのだ。

「もうしわけない」

 男性は繰り返した。このまえと同じように手を差し出してくれたが、咲はそれを取らずに自力でおきあがった。

「またぶつかるようなことがあったら、許しませんからね!」

 本当に申し訳なさそうにしている男性に捨て台詞を残して、さきを急いだ。子供じみた行為だったが、警察手帳を出して、逮捕するぞ、と脅さなかっただけ、まだ自分は冷静だと思い込んだ。

 しばらく歩いていたら、いまの態度がひどく横柄で、失礼だったと反省する気持ちが芽生えてきた。踵を返して、いま来た道をもどった。しかし、あの男性はもういなかった。

「……」

 今度会ったら、あやまろう……ガラにもなく、そんなことを考えた。

 気を取り直して、行こうとしていた場所へ急いだ。紅林邸だ。小野田には止められたが、圧力に屈するような警察官の制止など聞く耳をもつ気にはなれなかった。

 家をたずねると、夫人はこころよくなかへ招いてくれた。

「あの、今日は奥様にお話を……」

「そうですか……」

 夫人の顔色がすぐれないことに注意をひかれた。

「あの、どうされましたか?」

「いえ……あの子が学校に行きたくないと……」

「登校拒否ですか?」

 夫人は、力なくうなずいた。

「もしかして、わたしが原因ですか?」

 昨日の訪問が強引すぎたのかもしれない。

 夫人は、どう答えればいいのか困惑しているようだった。

「いいえ……もとから、こういうことは多かったのです。最近は、ずっと登校を続けていたのですが……」

「……わたしに、まかせてもらえませんか?」

 咲は覚悟をもって、そう提案した。

「どうされるおつもりですか?」

「わかりません。でも、ぶつかってみます」

 それによって悪化することもある。

 いや、その可能性は低くない。だが彼女の将来を考えれば、こんなことを繰り返していても前には進めない。むしろ、彼女の日常を破壊するぐらいのことが必要なのだ。

「まさせてもらいます!」

 咲は、夫人の了解を得ることもなく、彼女の自室に案内してもらった。夫人と家政婦の女性が、心配そうな顔で後ろについていた。

「琴音さん、開けて!」

 返事はない。木製の扉は固く閉じられている。

「叩き壊しますけど、いいですか?」

 後ろを振り返ってそう言ったが、夫人からの許可を得るつもりはなかった。

 肩からドアにぶつかった。

 二度、三度。

 激突音が屋敷内に響き、咲の身体にも衝撃が伝わる。

 四度目で、ドアを破った。

「な、なんなの……」

 部屋のなかでは、少女が呆然とした顔をしていた。

「さ、こっち来て!」

 強制的に学校へ連れていかれると思ったのか、琴音は激しく抵抗した。が、咲は屈強な男相手にも引けをとらない。女子中学生が相手では、それこそ赤子の手をひねるようなものだ。

「お風呂場はどこですか!?」

 答えれてくれるのは、夫人でもお手伝いさんでも、どちらでもよかった。

「こ、こちらです」

 家政婦さんが気圧されたように案内してくれた。琴音のことを引っ張ていく。

「は、はなせ!」

「いいから来なさい!」

 広い浴室だった。さすがは名士の邸宅だ。脱衣所も、まるで温泉旅館のように立派だった。

「脱ぎなさい!」

 咲は、自らも裸になりながら、彼女の服を脱がせた。

「やめろ!」

 抵抗を許さず、二人して全裸になった。

 湯船に、お湯は張っていなかった。

 洗い場にはシャワーも設置されていたので、お湯を出した。

「ちょ、ちょっと!」

 強引に彼女へかけた。

「なにすんのよ!」

「いいから!」

 有無を言わせずシャンプーを髪にたっぷりとつけて泡立てた。頭皮を削るようにこすった。

「痛い!」

「がまんする!」

 お湯で流すと、シャンプーを繰り返した。

「何回やんのよ!?」

「臭いがおちるまでよ」

 二度目のすすぎが終わると、今度は身体だ。ボディーソープで入念に洗った。

「いーい、女の子は清潔にするもんよ」

「うるさい! ほっとけ!」

 そんなことを言う口に、お湯をそそいだ。

「う、うげ!」

「まだ洗うわよ」

 身体も二度洗った。そのころには、もう彼女の抵抗はなくなっていた。

「それ……」

 彼女に指摘されて、自身の腕が傷だらけになっていることに気がついた。

 にじんだ血を、シャワーの水流が淡くしていた。

「いいよ、こんなの気にしないで」

 彼女なりに、悪いと思ったのだろう。

「さあ、ふいて」

 あがると、家政婦さんが二人分のバスタオルと、琴音の着替えを用意していた。

「気持ち良かったでしょ」

「……」

 二人とも服を着ると、彼女の部屋へ向かった。

「……どうするのよ」

 ぶち破ったドアのことを言っているのだ。

「そんな細かいことは気にしないの」

 咲は自分でも、無責任なことを口にしているな、と思った。

「風通しがよくなって、いいじゃない」

「……」

「ここ座るわよ」

 ベッドの上に腰かけた。琴音のほうは、ドアのなくなった入り口に立ったままだ。

「こっち来なよ」

「ここ、わたしの部屋」

「こっち来なって!」

 表情はイヤイヤながらも、琴音が咲の横に腰をおろした。

 部屋のなかはきれいに片付いていた。ただし、女の子らしい部屋とはいえない。自分で整頓しているのではなく、家政婦がやっているのだろうと咲は予想をたてた。

「ねえ、話を聞かせて」

「……」

「あなた、事件のこと知ってるでしょ?」

「……」

「犯人のこと、見たの?」

「……知ってる」

「それって……あなたのお父さんのときと、同じ人?」

 捜査はストップされたが、彼女の父親も何者かに襲われている。咲は、それが同一犯の仕業だと考えている。その犯人は、警察の上層部を動かせるほど権力をもっているはずだ。

「……そう」

「やっぱり!」

 すくなくとも、二年前から同様の犯行を続けているのだ。

「どんな男なの?」

「おに……」

 またその言葉だ。あの少年──関谷智樹も口にしていた。

「なんなの? おにいちゃん? そう言おうとしてるの?」

「おに。おにを呼んだの……」

「おにを呼んだって、だれが?」

「みんなそう……あの男の人も、お父さんも」

「え?」

 琴音は、だんだんと饒舌になっていった。が、言っている意味はわからなかった。

「おに、ってなに? おに……」

 漢字にすると、この文字しか思い浮かばなかった。

 鬼。

「それは、だれのこと!?」

「鬼は来るよ……」

「どこに!?」

「子供が泣てるとこ……」

 やはり犯人は、虐待している家庭を襲っている。

 それは、子供を助ける……ため?

「それはだれなの!? あなた、見てるんだよね!?」

 そこで気がついた。

 琴音の身体が小刻みに震えている。

 恐怖しているのだ。

「鬼に会っちゃダメ……」

「どうして!?」

 危害をくわえられると思っているのだろうか……。

「引き込まれる……」

「どういう意味!?」

「あなたも、仲間にされる……」

 琴音の眼は見開いていた。

 とても正気とは思えない。

 彼女をこんなにさせる人間とは……どんな魔力を秘めているのだろう。暴力を武器に、虐待していた親を懲らしめる──。

 悪逆非道の赤鬼か?

 子供たちを救う青鬼か?


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