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「どうでしたか、木島さん」
帰所すると、高橋から声がかかった。
「はあ……」
「その様子だと、ろくに話もできなかったようね」
そのとおりのことを言い当てられた。
「やっぱり、ぼくのほうがよかったんじゃないですか?」
青山が口を挟む。
「なんせ、木島さんは大きいから。子供から見たら、巨人ですよ」
「巨人はむかしから、やさしいものよ」
その高橋の発言に、青木は感心したようだった。
「あ、そうそう、さきほど鹿児島から注意喚起の連絡があったわ」
「注意喚起? なんのですか?」
青山は、不思議そうな顔をする。
「ちょっと……、最近のニュースを観てないの?」
児相が介入していた家庭が、引っ越しで他県に移ってしまった。その管轄ちがいの地で悲劇がおこってしまったケースが、ここのところ連続していた。
そこで、これまでおろそかにすることの多かった引継ぎの情報共有を、全国で密にすることが急がれている。
その流れにそった情報提供であるようだ。
「下村琢也さんのご家庭です。今月、この街に越してきました」
「どのような問題だったんですか?」
訊いたのは、木島だった。
「五歳の長女が虐待されているのではないかと通報が入り、児相が訪問しました。最初は問題なしと判断したようですが、それからも何度か近所からの通報が続き、通っている幼稚園からも同様の情報があって、警察も捜査をはじめたようです」
「で、むこうの児相は、どう結論を出したんですか?」
青山の質問は、純朴に聞こえた。
「それが……判断できないそうなのよ」
「じゃあ、虐待じゃないかもしれないってことですか?」
報道だけを観ている一般人の立場なら、そういうケースでは、ほとんどが虐待だと思うだろう。
が、現実にはそうとも言い切れない。とくに、これだけ社会問題化してくると、ほんのちょっとしたことで通報してくることも多い。いざ訪問してみると、まったくの勘違いだということが日常茶飯事なのだ。
そして本来、ありがたいことである通報が、児相職員の仕事量を増やしてしまっているという現状がある。部外者からすれば、なんでもっとよく調べないんだ、と抗議する気持ちもわかるが、労力には限界があり、すべての案件を完璧に吟味している時間的余裕はないのだ。
「現在の住所や詳しい家族構成などは、これに書いてあるわ」
高橋は、木島と青山にA4の書類を渡した。
「二人に担当してもらうから、よろしくね」
* * *
署にもどると、小野田に声をかけられた。
「うちにも通報が入ってた」
いままでに二度、地域課が訪ねていたそうだ。
「どんな対応を?」
「通報は、まちがいだったと判断してる」
咲は、舌打ちした。
「そのバカ警官は、だれですか!?」
「同じ仲間なんだから、そんな言い方はするな」
「わたしが、そいつらをひっぱたいてやります!」
「おい、おまえが犯人みたいなことを言ってどうする」
指摘されて、咲はドキリとした。
「冷静になれ。いまおれたちがやるべきことは、傷害事件の捜査だ。児童虐待に関しては、置いておくんだ」
小野田の言うことはもっともなのだが、咲は心を抑え込むのに必死だった。あの少女──琴音との出会いが、影響をあたえているのかもしれない。
「小野田さん……紅林という名前を知っていますか?」
琴音の住んでいる、あの邸宅の表札がその名だった。
「紅林?」
「はい。大きなお屋敷に住んでいる」
「ああ、紅林家のことか。この地域の名家だよ」
「有名なんですか?」
「紅林博忠を知らないのか? 元警察庁長官の」
知らなかった。どうせ、最近の人物ではないだろう。
「いまでも警察組織はおろか、政治家にも財界にも顔が利く」
「何歳ぐらいなんですか?」
あの夫人の年齢からすれば五十代ほどになるだろうが、そこまでの権力をもっているとなると、七十歳は過ぎているのではないか。
「歳までは知らねえよ。もうじいさんなのはたしかだ」
その有名な老人が、現在の琴音の父親ということになる。
「その紅林っていう人の親類が、なにか事件を起こしていませんか?」
「事件? どんな?」
「児童虐待かなにかで」
「どうだろう……」
すくなくとも、有名な事件ではないようだ。
「それがどうしたんだ?」
「ちょっと調べてみたいと思いまして」
「やめとけよ。紅林博忠に眼をつけられでもしたら、出世のめはなくなるぞ」
「そんなものに興味はありません」
「そうか……うちの管轄の事件ならすぐにわかると思うが、好きにすればいいさ。通常業務に支障がないならな」
「はい」
今日の捜査活動はもうないし、デスクワークもほぼ終わっているから、その件を調べることにした。
これかもしれない、という事件の資料をみつけた。
二年前のことだ。山岸という男性が暴行をうけた。その家には小学生の女児がいたが、その少女も暴行をうけていた。
読んでいるうちに咲は、鳥肌がたつような感覚を味わった。
似ている……。
女児を暴行していたのは犯人ではなく、父親である。山岸という男は、妻にも協力させて自分の娘を虐待していた。
直接的な暴力だけでなく、性的暴行、食事をあたえない、風呂に入れない……。
怒りがわいてきた。
「……」
心を落ち着けて、続きを読んだ。
犯人は捕まっていない。被害者は精神に異常をきたして証言ができる状態ではなく、ネグレクトをしていた母親も同様だった。子供から証言を得ることもできず、ほかに目撃情報もなかった。
ことごとく、今回と似ている。というより、そっくりそのままのような事件だ。
ふと考えた。
「同じ犯人?」
二年前と、いま。
そして、もう一つの可能性も頭をもたげた。
類似の未解決事件を調べた。
少し調べただけで、五件がみつかった。すべて、この署の管轄地域でおこっている。
では、もっと範囲を広げれば、どうなのだろう?
(ちがう)
なんの根拠もないのに、咲はそう思った。
類似の事件は、この地域だけなのではないだろうか?
同一の犯人。
この地域にいる……。
「小野田さん!」
同僚たちのほとんどは帰宅していたが、まだ小野田は残っていた。
「どうした?」
琴音の事件と思われるものと、五件の未解決事件について、小野田にぶつけた。
「どういうことなんですか?」
いずれも、咲が刑事課に配属されるまえのことだ。しかし、小野田はちがう。おそらく、すべての事件を自ら捜査しているはずだ。
「これのことか……」
どこか他人事のような雰囲気があった。
「もしかして、今回と同じ犯人じゃないですか?」
「……それは、なんともいえんな」
おかしい……。
資料だけを見れば、どう考えても似ている。それとも、実際に捜査をしていれば、まったくちがうと感じるのだろうか?
「これ、いまも捜査してるんですか?」
捜査しているとしたら、傷害事件なので刑事課になる。児童虐待の観点で判断すれば、生活安全課になるかもしれない。
「してない」
小野田の返答が硬質に響いた。
「……してない?」
一瞬、意味がわからなかった。
「六件すべてですか?」
「そうなる」
「どういうことなんですか!?」
思わず、咲は激昂した。
「怒るなって……しょうがないだろ、上からの命令は絶対なんだ。それが組織ってもんだよ」
刑事ドラマでよくあるシチュエーションだ。上に都合の悪いことを隠蔽するために捜査を捻じ曲げる……。
「そんなことが許されると思ってるんですか!?」
「許すもなにも上が決めたことなんだから、それが正しいんだよ」
小野田の言っていることには、どうやっても納得できなかった。
「どんな理由で、捜査がストップしたんですか!?」
「そんなこと、下々の人間がわかるわけないだろうが」
「なんとなくは、わかるでしょう!?」
咲は、食い下がった。
「まさか、警察関係者が犯人……」
もしくは、もっと上の権力者──政治家や官僚……その親族。
「やめておけ。よけいな詮索は、おまえの警官人生を縮めるぞ」
それは、あからさまな恫喝に聞こえた。
「先輩……恥ずかしくないんですか!?」
「恥ずかしくないね」
あまりにも躊躇のない返答に、咲はあきれた。
「それでも警察官ですか!?」
軽蔑を込めて、咲は言った。たとえ上司といえど、失礼だとは思わなかった。
「……いずれ、おまえにもわかる」
「わかってたまるか!」
咲は叫んで、部屋を飛び出した。