19
ホテルから児相にもどって、一時間ほどが経過したころ……。
「とても不快なことがあったようね」
しみじみとした口調で、高橋に声をかけられた。
「言いたくありません」
木島は、説明を拒絶した。高橋の耳に入れば、そのまま彼女の心の負担にもなってしまう。
「な、なんですか!?」
そのとき、青山の戸惑った声が玄関のほうから届いてきた。
すると数秒後、数人の男たちが部屋になだれ込んできた。みなスーツ姿だ。
そのうちの一人が、代表するように一枚の紙をかかげた。
「木島大介だな? 逮捕状が出てる」
「逮捕状?」
「覚えがあるだろう?」
「いいえ。なんの容疑ですか?」
「覚えあるだろ? 恐喝だよ」
刑事は、当然のことのように言った。木島の容疑を疑っていないようだ。
「なにかのまちがいです。だれに対しての恐喝ですか?」
「とぼけても駄目だよ。被害届が出てるんだから」
「だから、だれに対してですか?」
木島は繰り返した。
「倉科政俊氏を知っているだろ?」
こういうことがあるとすれば、その名前か下村琢也のどちらかになるだろう。
「さっき会ったばかりです」
「そこで、倉科さんを脅したんだろう?」
「もしそうだとして、ついさっきのことなのに、もう逮捕状が出てるんですか?」
「あ?」
なにを言ってるんだ──刑事の顔は、そう物語っていた。命令どおり逮捕に来ただけなのだ。あたりまえのことだが、ちゃんと捜査をしているわけではない。
「まえまえから、恐喝しようとしてたんだろ?」
「いえ、今日はじめて会いました」
「嘘言うなよ。もうわかってるんだから」
とにかく認めさせたいようだ。
「待ってください……木島さんが今日会うことになったのは、先方のご意思だったはずです。恐喝している人間と、自分のほうから会おうとするでしょうか?」
高橋が助け舟を出してくれた。
「弁護士を同席させて話し合おうとしていたんでしょうね。すぐに警察沙汰にしなかったのは、むこうの親切心なんですよ。それでも恐喝をやめなかったから、こうなんたんです」
そう言って刑事は、令状を高橋にみせつけた。
「そうだとすると、やはり矛盾してないですか? さきほどまで会っていたんですから、被害届はついいましがた出されたわけですよね? 逮捕状は、そんなに早く請求できるものなんですか?」
「あ? そういう場合もあります! 警察には事前に相談していたのかもしれない」
つっぱねるように、刑事は言った。
「かもしれない? それって、ちゃんと捜査していないということですよね?」
痛いところを突かれたのか、刑事は威嚇するような睨みで高橋を牽制した。
「これ以上、言いがかりをつけると、公務執行妨害で逮捕しますよ!」
絵に描いたような権力の横暴だ。
それでも反論しようとしていた高橋のことを、木島は制した。
「わかりました。容疑に心当たりはありませんが、警察署に同行します」
「参考人じゃなくて逮捕なんだから、あなたの意思は関係ありません」
刑事は冷たく言い放つと、木島に手錠をかけた。
高橋は沈痛な面持ちで、それを見守っていた。青山は唖然として、ただただ驚いている。ほかの職員も同様だ。
こうして木島は、警察署に連行された。
* * *
紅林博忠との二度目の面会を終えると、咲は琴音の部屋へ急いだ。
しかし、そこに琴音はいなかった。
「有本さま、どうしました?」
家政婦に声をかけられた。
「琴音ちゃんは?」
「さきほど、学校へ行くと……」
表情は、どことなくかげっている。朝帰りをしているし、登校したことを信用していないようだ。
「学校へ確認の連絡をしたほうがいいと思います。わたしも彼女に聞きたいことがあるので、これから行ってみます」
「わかりました。奥さまにお伝えしておきます」
咲は、琴音の通う中学校へ急いだ。
どうしても、あの言葉の真偽を確認しておきたかった。
……木島が、鬼。
中学校の門は固く閉じていた。とっくに授業ははじまっているので、外に出ている生徒はいない。校門にはインターフォンがついている。昨今は、気安く校内に入ることはできない。たとえ警察官でもだ。
インターフォンを押そうとしたときに、携帯が鳴った。
小野田からだった。
「なんですか?」
不機嫌な声で応じてしまったが、反省するつもりはなかった。
『児相のなんていったっけ……』
「え?」
『最初の聞き込みで会えなかった──』
「木島さんですか?」
『ああ、そうだ』
「木島さんがどうかしたんですか?」
『うちでパクった』
「え?」
意味がわからなかった。
「なに言ってるんですか?」
『だから、引っぱってきたんだって』
傷害事件?
いや、その捜査は圧力で潰されているはずだ。
「ちゃんと説明してください!」
『逮捕状が出たんだよ』
「容疑は?」
『恐喝だ』
「恐喝?」
木島がだれかを脅して、金品を要求したということか?
それはないだろう。
「だれが請求したんですか?」
『あ?』
「だから、だれが請求したんですか!?」
咲は、声を荒げた。
『それは……』
小野田は言いよどんだ。
「だれなんですか?」
『……おれは、よく知らない』
「とぼけないで!」
逮捕状が降ってわいたなんてことはない。署のだれかが裁判所に請求しているはずだ。それができるのは、警部以上の階級でなければならない。
『……課長なのか、署長なのか……そのあたりじゃないか?』
「なんですか、それ!?」
『知らねえよ、おれだって……おまえさんと親しいみたいだったから、こうして知らせてやったんだ』
小野田は、気分を害したように声をあげた。
しかしそれが、咲をますます熱くさせることになった。
「なんで逮捕なんて! だいたい、捜査なんてしてなかったじゃないですか!」
このところ会議にも参加していないから、本当のところはどうかわからないが……。
『いろいろあんだろうよ、上のほうで』
なんとなくの絵図は見えている。国家公安委員の権力を存分に発揮しているのだ。
「逮捕は、小野田さんが?」
「箕部の班だ」
咲の勤める署の刑事課強行犯係には、係長のもと、二つの班がある。小野田班と箕部班だ。
箕部という男は、小野田のように話しの通じる相手ではない。所轄署はアットホームな人間関係になることもめずらしくないが、箕部はちがう。本庁の捜査一課が長く、厳格な上下関係を重んじる。そして上の命令にはどんなことでも従う忠犬ぶりは、警視庁管内では有名な話だ。
たとえ犯罪行為を強要されても、上には逆らわないのではないだろうか。
「なんで箕部さんなんですか!?」
よりにもよって、だ。
『だから箕部なんだよ』
なるほど。それはつまり、署長や課長がこの件で忖度している証拠といえる。小野田にまかせれば、逮捕前に咲の耳にも入ることになる。そうなれば、咲が抗議することは眼に見えている。
『いいか、おれは教えたぞ。あとで、おれに文句は言うなよ』
「なにそれ! こんなことで恩を売るつもりですか?」
『そんなんじゃねえ! おまえさんのことだから、おれのこともぶん殴るつもりだろうが』
そのとおりだ。
「責任逃れですか?」
『なんとでも言え』
不機嫌な声を響かせて、小野田のほうから通話を切った。
咲は、校門の前から急いで進路を変えた。
署にもどると、取調室に向かった。
部屋の前には、二人の同僚が待ち構えていた。大川という巡査部長と、園田という女性刑事だ。二人とも箕部班に所属している。
「なんだ、有本?」
「そこ、どいてください!」
「ダメだ! おまえが被疑者と親しい関係だということは知ってるぞ!」
その「親しい関係」は、深い意味のほうではなく、二人で捜査をしていることを言っているのだろうが、そのことは小野田にも報告していない。勘づいてはいるようだが、上に小野田が報告しているとは思えなかった。
ということは、下村琢也からの情報が、倉科政俊を経由して、この署にも入っているということになる。
咲は、強引に二人を押しのけようとした。
「おい! おまえ正気か!?」
「そっちこそ、おかいしと思わないんですか!?」
咲は、攻撃的に言い放った。
「先輩、やめてください!」
園田が言った。刑事課では二人だけの女性だから、プライベートでも食事をしたことがある。刑事課への配属は同時だが、警察官としては咲のほうが一年だけ先輩になる。
「あなたは、わかってるの!? これは、倉科政俊からの圧力よ!?」
「そんなことは知りません! わたしは、命令に従っているだけです!」
「人を殺せと命じられたら、あなたは殺すの!?」
「殺します! 上の命令に従うのが警察官です!」
ここまではっきり言われると、あきれるのをとおりこして、悲しくなった。
園田は、ダメな警察官に成長している。
正義よりも組織内の規律を重んじている。まさしく箕部という班長の考えを実践しているのだ。不満も多いが、それでも小野田の下についたのは、まだ幸いだった。
「なんだね、騒々しい!」
一触即発の通路に、刑事課長がやって来た。老けたタヌキのような外見だ。偶然通りかかったのか、騒ぎを聞きつけてきたのかは判断できない。
「有本くん、容疑者の心配をしている場合じゃないですよ」
咲は、あからさまに課長を睨んだ。
「顔は美しいのに、性格は狂犬そのものだな」
昨今の職場環境で、そのようなセクハラまがいの言葉を吐くのは警察ぐらいかもしれない。
「倉科から、なんて言われました?」
咲は、少し冷静になれた。余裕を演出している課長のアホ面が、滑稽だったのだ。
「なんのことだ?」
「倉科源ですよ。国家公安委員の」
「知らんね」
「どんな圧力ですか? それとも、ご褒美をもらえるんですか? 犬が餌をもらうように」
「なんだと!?」
「お手はしましたか?」
咲は、心底バカにするように言った。
「きさま! 巡査の分際で!」
このアホ面課長の階級など知らなかったが、所轄署の課長は警部のはずだから、このアホ面もそうなのだろう。
「上司に対する口のきき方も知らないのか!」
「だったら、尊敬できる上司になってくださいよ」
冷ややかに咲は告げた。
すごい形相で睨まれたが、まったく怖くはなかった。心のどこかで、辞める覚悟ができているのだ。
そのとき、取調室の扉が開いた。
何事だ? そんな顔をした箕部が出てきた。三十代後半で、いつも硬い表情をしている。冗談は通じないし、話もおもしろくない。
あいた扉の隙間から、木島の姿が見えた。
「木島さん!」
箕部を押しのけて部屋に入ろうとした。
「おい! ふざけるなよ!」
箕部も抵抗しようとはしているが、咲の腕力は並の男よりも強い。
「おまえら! なにやってる! こいつを引きはがせ!」
箕部が、園田と大川に命令した。園田の手が、咲の裾をつかんだ。
「園田! わたしを怒らせるつもり!?」
鋭く、咲は声を放った。
園田がすぐに手を放した。
「なにやってる、園田!」
しかし園田は、へたり込むように足から崩れた。
「む、ムリです……止められません!」
「なに言ってんだ!」
「この人数じゃ、先輩を止めることはできません!」
頭に血の昇っていた咲は、遠慮なく大川に当て身をくらわせた。鳩尾をとらえたから、大川は息もできずにもんどりうっている。
「や、やめてください……有本先輩!」
園田にも蹴り放とうとしていたから、彼女は戦意喪失をアピールするように、情けない声をあげていた。
課長は唖然として、言葉も出せない様子だ。
咲は、残った箕部に迫った。
「な、なにをすんだ! おまえのやってることは、犯罪だぞ!」
そんな言葉では、熱くたぎる気持ちをおさえることはできなかった。
だれの心にも、鬼が棲んでいる。
「はい、はい! たいへんお騒がせしました!」
場違いに明るい声がした。
「こいつ最近、気が立ってるんですよ」
やって来たのは、小野田だった。
「おい、もう気がすんだろ。こっちこい」
小野田に腕を引っ張られた。
「ちょっと!」
「いいから来い」
想像以上に、小野田の力は強かった。
刑事課のオフィスにつれていかれた。
「おまえは、おとなしくしてろ」
冷静な声で、そう伝えられた。
「なに言ってんの!? これは、あきらかにむこうのほうが違法なことをしてる! 権力者によって、法が捻じ曲げられてんのよ!」
「興奮するな。権力者が決めたことが法なんだよ。悔しかったら、権力をもつことだ」
咲は、失望した。
この上司も、課長や箕部と同じように腐った人種だ。
「だがな、覚えておけ。権力に頼る者は、必ず権力に溺れる」
「?」
「おまえは、そういう刑事になるな」
「……なに言って」
「いいから、今日は帰れ」
なぜだか、反論できない雰囲気があった。
怒りもおさまらず、納得もできなかったが、咲は署から飛び出した。




