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 この街は、《魔地》と呼ばれている。

 一見すると、普通の街だ。ほかの近隣の地域より、少し治安が悪い程度だろうか。とはいっても、犯罪件数に大きなちがいがあるわけではない。

 では、なぜ評判が悪いのか?

 児童虐待件数全国一位。

 登校拒否児全国二位。

 家庭内暴力件数全国七位。

 生活保護を打ち切られたことでの自殺者数が、昨年は九人もいた。おそらく全国一位(この統計が存在しないため推測になる。生活保護受給者の自殺者数の統計なら存在する)。

 教育、福祉についての評判は地に落ちている。

「有本、見吉団地の傷害事件、聞き込みに行くぞ」

 上司に呼ばれて、有本咲は席を立った。

 警察官になって三年。ついこのあいだ、刑事課に配属されたばかりだ。高卒の女性警察官の多くは、交通課か内勤にまわされる。刑事課や生安に配属されるには、もう少し年数をかさねなくてはならない。その場合でも、ほとんどがお茶くみ係になってしまうのが現状だが……。

 全国の所轄警察署は、いくつかの共通する問題を抱えている。その一つが、刑事課をはじめとするハードワークを必要とした部署の人気が激減していることだ。

 刑事課の職務は想像どおりの激務で、捜査活動以外にも多大なデスクワークが存在する。近年のIT化で徐々に緩和されてきているが、それでも厳しい。おりしも働き方改革と叫ばれている昨今、敬遠されるのもうなずける。

 もう一つの問題は、女性の権利向上だ。職場では、男性女性の隔てをなくすというのが全国的なテーマとなっている。

 それらの要素が結合することになり、こうしてまだド新人レベルの女性刑事が誕生した。

「はい」

 短く返事をして、咲は立ち上がった。

 席についてデスクワークをしていた同僚たちから、好奇の視線を向けられた。若くて見栄えのいい女性は、超男社会の職場では、眼の保養以外のなにものでもない。

「見てんじゃねえ!」

 咲は、遠慮なく言い放った。

 咲を推薦した人事担当者は、あながち適当に選んだとはいえない。刑事にむいている資質を、一つだけそなえている。

 見た目の可憐さからは、かけ離れた気の強さ。

 気性の荒さは、歴戦のベテラン刑事でさえ舌を巻くほどだ。

「いいから来いって!」

 先輩刑事にたしなめられて、咲は部屋を出た。

「いいか、べつにおまえに対して、女だからナメてるとか、イヤらしい眼で見てるとか、そんなんじゃない」

「じゃあ、なんなんですか?」

「ものめずらしいんだよ」

「それもムカつきます」

「言葉を慎め」

 咲は、キッと先輩刑事を睨んだ。小野田というその上司は、年齢では十歳以上。階級では一つちがう。本来なら、口答えなど許されない。

「パンダだと思えば、気分もいいだろ?」

「パンダが見たけりゃ、上野にでも行ってください」

「パンダあつかいがいやなら、実績を積んでまわりを黙らせろ」

 正論を言われたが、咲の心情は冷静にはなれなかった。

 向かった現場は、古くからこの地域にある団地だった。いまでは高齢者がおもに住んでいるが、若い世代の入居者もそれなりにいるようだ。

 被害者の名前は、関谷弘毅。二九歳。

 全身打撲の重傷で、意識はあるものの、しばらく病院のベッドからは出られそうもない。

 身体のダメージだけでなく、精神的にも痛手をうけているようで、警察が聴取できるような状態ではないという。

 同僚たちが昨夜のうちにも近所の住人に聞き込みをおこなっているが、犯人を特定できるような情報はなかった。というより、要領を得ない証言ばかりだったようだ。

 関谷の妻と幼い子供も犯人を目撃しているが、ショックのために話のできる状態ではない。妻に外傷はないが、入院している。子供は身体中に打撲痕があり、やはり病院で治療をうけている。

「あ、警察ですけど、お話いいですか?」

 咲が率先して、となりの部屋の住人に聞き込みを開始した。小野田は、黙ってそれを見守っていた。

 隣人は、六十歳ぐらいの男性だった。

「昨夜の事件のことなんですが」

「よくわかりません」

 男性は不愛想に答えた。

「不審な物音とか、しませんでしたか?」

「さあ、気づきませんでしたけど……」

 犯行は関谷の自宅内だから、大きな音や声が聞こえたはずだ。

「本当に、聞こえなかったんですか?」

「はい……まったく」

 真実を口にしているとは思えなかった。しかし容疑者でもない善良な市民に対して、これ以上、追及もできない。一つ上の部屋で同じように聞き込んだ。

 結果は同じだった。下の階も同様だ。

「……」

 昨夜、聞き込みをおこなった捜査員の感想が頭をよぎった。

「おかしくないですか?」

 咲は、小野田に愚痴のようにこぼした。

「証言したくないんだろ」

「どうしてですか?」

「子供の痣の報告は聞いてるな?」

「はい」

「おまえ、だれがやったと思ってるんだ?」

「それは……」

 襲撃者がやったとは考えづらい。新しい傷もあったが、古い痣も多かった。かりに新しい傷が昨夜の犯人の仕業だったとしても、古いものの説明がつかない。

 考えられるとすれば……。

「まわりの住人の反応も、それなら説明がつく」

 小野田は、ため息まじりに言った。

「親の虐待に憤っていたというんですか?」

「おまえなら、どうする?」

「え?」

「近所の家で虐待があったら」

 そんなことは、想像したこともなかった。

「児童相談所や警察にも相談していたかもしれない。それでも、虐待はやまなかった」

「……」

「そんなとき、どこかのだれかが虐待していた父親を退治してくれた。おまえならどうする? そんな捜査に協力しようとするか?」

「わ、わたしは協力します! それが市民の義務ですから!」

 咲は、虚勢を張るように言い切った。

「警察官らしい、教科書どおりの回答だな」

「不満ですか?」

「おまえは、肩肘をはりすぎだ」

 収穫のないまま、団地をあとにしようとした。入り口を出たところで、その視線に気づいた。

「ん?」

 団地の向かいは、公園になっている。遊具のほとんどない小さな空間だ。

 そこに、一人の少女が立っていた。

「どうした?」

 小野田の声を背中にうけながら、咲は少女に近づいた。

 年齢は、中学生ぐらいに見える。

「あの、なにか? わたしは、こういう者だけど」

 警察手帳を提示して、呼びかけた。

「べつに」

 少女は、素っ気なく答えた。

 いま風の子ではない。どこがどうというわけではないのだが、ひとむかし前のイメージがある。髪型だろうか、制服の着こなしだろうか……。

「なにか話したいことがあるんじゃないの?」

 昨夜の事件を知っているなら、咲たちを刑事かもしれないと考えても不思議ではない。

 しかし、少女は首を横に振った。

「嘘。なにか知ってるわね?」

 勘のようなものだった。

「あなたの名前は? 学校はどこ?」

 その質問攻めに、彼女はあからさまに迷惑そうな顔をした。

 なにも答えずに、この場を逃げようとした。

「ちょっと!」

「有本」

 少女を追おうとしたが、小野田に呼び止められた。

「やめとけ。相手は未成年だ。強引な職質は問題にされるぞ」

「でもあの子、なにか知ってるみたいです」

「落ち着け。手柄をたてたい気持ちはわかるが、捜査はもっとじっくりやるものだ」

「……」

 咲は、むくれ顔をしていることを自覚した。

「次に行くぞ」

「どこですか?」

「児相だよ。まず、父親の虐待があったのかを確かめよう」

 この街を担当する児童相談所は、繁華街の少しはずれにあった。

 たずねると、青山という男性職員が応対してくれた。所内の応接室をかねているであろう小部屋で話をすることになった。

「関谷弘毅さん……たしかに、長男・智樹くんへの虐待が疑われていました」

 近所の住人による通報があったようだ。

「じつは、その関谷弘毅さんが昨夜、何者かに襲われまして」

 そのことは、すでに知っているようだった。

「それでですね、智樹くんも怪我をしていたんですが、どうも暴漢にやられたわけではないようなんです。たぶん、父親による虐待ではないかと」

 やはりそうですか……そんなつぶやきがもれた。

「訪問などはされましたか?」

「はい……」

 小野田の質問に対しての答えは、どうにも歯切れが悪かった。

「どうでしたか?」

「どう、と言われましても……」

 もごもごとハッキリしない。

「訪問した印象を聞かせてください!」

 咲は強く言った。

「は、はあ……」

「落ち着け」

 小野田にたしなめられて、浮かせていた腰をもとにもどした。

「子供には会わせてもらってないんですね?」

「え、ええ」

 答えづらそうに、青山は認めた。

「理由は?」

 咲が、棘を隠さずに訊いた。

「親に拒否されたら、われわれではどうすることもできないんです……」

 訴えるように、青山は主張した。

「あの親は、異常です」

 本来ならオブラートに包むべき表現を、露骨に言い放っていた。

「虐待するような親でも、多少は罪悪感があるものです……ですが、あの父親はちがう」

 悪寒のはしるような、おぞましい話だった。

「凶暴だということですか?」

「そうです。凶暴で残酷で、われわれにも暴力をふるおうとしました」

「警察は呼ばなかったんですか?」

「呼びましたよ!」

 青山は、それまでの温厚そうな顔を変えて、声を荒げた。

「その話は、そちらで調べてください!」

 口にするのも腹が立つようだった。

 おそらく、警察はなにもしてくれなかった……そんなところだろう。ときたま報道で、そういうことを眼にする。ドラマでも、警察を悪くみせようとする演出では、おなじみのものだ。

 しかし、それが現実におこっているなんて……。

「あの、あなた一人だけだったんですか?」

 青山の怒りで、逆に咲自身が冷静になっていた。

「訪問に行ったのは」

「いえ、二人で行きました」

「その方にも話を聞きたいんですが」

「木島は、いま外出しています」

「そうですか……」

 小野田と目配せして、同時に立ち上がった。もうこれ以上、青山から有用な情報はないだろう。

「ありがとうございました」

 小野田が礼をのべた。咲も頭を軽くさげて部屋を出ていこうとした。

 そのとき、青山が呪文のようにつぶやいた。

「バチが当たったんだ」

 一瞬、振り返った咲だったが、双方なにも言わずに別れた。

 児相を出てしばらくしてから、小野田が青山の発言をひろった。

「まるで、傷害犯を褒めたたえるようだったな」

「信じられません。凶悪な犯人ですよ?」

「だがな、おまえが警察官じゃなくて、一般の人間だったら……いや、もし教師やそれこそ児相の職員だったら」

「なにが言いたいんですか?」

 小野田が、むしろ犯人の立場になってものを考えていることに、軽い驚きがあった。警察官として、あるまじき思想だ。

「そしてなにより、おまえが虐待される子供自身だったとしたら」

「……」

 言われて、心のどこかが痛んだ。

 だが、それで心を折られていたら刑事はつとまらない。犯罪を憎み、すみやかに検挙する。それこそが理想であり、まちがっても、どんな理由であれ、犯罪者を擁護してはいけない。

 これ以上、この議論をしたくなかったので、咲は歩く速度を速めた。ちょうど曲がり角から大きな塊が出現したのは、その出会い頭だった。

「いたっ!」

 壁にぶつかったようだった。

「もうしわけない」

 野太い声が、のんびりと響いた。

 尻餅をついた咲が見たものは、2メートル近い大男だった。

「すみません。どうぞ」

 大男が手を差し出していた。一瞬ためらったが、ゴツくて大きな手を取って起き上がった。

「お怪我はありませんか?」

「大丈夫です。でも、ちゃんと前を見て歩いてくださいね!」

 きつい口調で言ってしまった。

 自分のことは棚に上げて……。きっと、八つ当たりしてしまったのだ。

 大男は、すまなそうに歩き去っていった。ひどい態度をとってしまったと、後悔が胸に広がった。

「次は、どこに行くんですか?」

 いまのことを忘れたくて、小野田に頼った。

「病院だ。被害者から話を聞けるようになったかもしれん」


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