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 二度目は言い訳ができない。

 木島は、自身の弱さに嫌気がさした。

 有本咲に好意のようなものがあることは否定しない。だが、それが愛情なのかと問われれば、自分にもよくわからない。

 おそらく彼女のほうも、同じような心情で行為におよんでいる。いまごろ彼女も、後悔の念に包まれているだろう。

「どうしたんですか?」

 青山に声をかけられた。出勤してから、二十分ほど経っていた。

「いえ、べつに……」

「そうですか? なんだか、うれしそうな顔をしてますよ」

「え?」

「なにか良いことでもあったんですか?」

 予想外のことを言われた。

 木島は、自分の顔をチェックするように手で触った。

「木島さん」

 そんなことをしていたら、今度は高橋に呼ばれた。

「ちょっと来てくれる?」

「はい」

 ほかには聞かれたくない話のようだ。面談室へ移動した。

「どうしたの? なにかいいことでもあった?」

「いえ……」

 木島は、憮然として答えた。

「ねえ、ここへ行ってちょうだい」

 そう言って高橋は、メモを差し出した。

 木島は受け取り、書いてある内容を見た。住所が記されていた。

「なんですか?」

「会いたい人がいるそうよ」

 高橋は、うかない表情をしていた。

「所長からも行くように進言があったわ」

 だいたいの予想はたった。あの弁護士だ。

「ほかにも偉い人の名前が出てくるかもしれない……たとえば、この街のリーダーとか」

 区長? それとも、知事?

「……」

 話しのスケールが大きくなった。

 ということは、弁護士の堤ではなく、本丸が出てくるのかもしれない。

「わかりました。ここへ行けばいいんですね?」

「ええ」

 木島は、それからすぐに児相を出た。

 メモには場所のほかに、約束の時間も記されていた。

 KBホテル。午前十時。

 KBの「K」は、倉科のKを意味していたはずだ。ホテル業にも進出しているが、高級志向ではなく、庶民的なホテルだ。大半の街に一軒はある。

 フロントで名前を告げると、すぐにある部屋へ通された。庶民派ホテルで財界の大物に会うということに不思議な違和感のようなものをおぼえた。

 このホテルでは、一番価格帯が高い部屋になるだろう。とはいえ、大物が待っているにしては広いとはいえない。それでも通常の部屋よりは高級感があるから、ここにもVIP用の部屋が用意されているということだ。

 部屋で待っていたのは、予想どおり倉科政俊だった。倉科フーズ創設者にして国家公安委員の倉科源を父にもつ男……。

 正確に表現すれば、大物はその父親のほうで、息子のほうは「これから大物になるかもしれない」程度の人物だ。

 年齢は三十代後半で、どちらかといえば爽やかな印象がある。すくなくとも一見しただけでは、あんな卑劣な動画を投稿している人間とは思えない。

「はじめまして、倉科です」

「木島です」

 立ったまま答えた。

「どうぞ、お座りください」

「いえ、結構です」

 部屋には、倉科のほかに弁護士の堤と、もう一人べつの男性がいた。秘書的な役割だと見立てた。

「そうですか」

「で、どんな話があるんですか?」

 木島は、非友好的な態度を隠さなかった。

「一度、あなたの顔を見ておきたかったんですよ」

 余裕に満ちた声で、倉科政俊は言った。

「女の刑事さんと、いろいろと活動しているようだ」

「あなたたちのやっていることは、許されるものではありません」

「なんのことなのかわかりませんが、もしあのサイトのことをおっしゃっているのなら、あれはただのお遊びですよ」

「遊びで、あんな酷いことを?」

「ちがいますよ。あれは、フェイクです」

 下村琢也と同じ主張をするつもりだ。

「こんなことを言いたくはないが、私の父は、警察にも顔がききます。女刑事さんも、さぞ大変でしょう」

 勝手に捜査をしたら、不利益をこうむるぞ──そういうことらしい。あえて有本への脅しを口にすることで、木島を追いつめたつもりになっている。

 だんだんと、この男のことを滑稽に思えるようになった。

「なにが可笑しいんですか?」

 どうやら意識せず、笑みを浮かべていたようだ。

「その女刑事さんは、そんなことなんて気にしないだろうな、って考えてしまって」

 倉科の表情が不快なものに変わった。すぐに余裕をとりもどしたようだが、薄ぺっらい仮面だと感じた。

「あなただって、公務員ですよね? 職業は大切ですよ。このご時世ですから、再就職も簡単ではないでしょう」

 おそらく本来の予定では、有本への脅しを口にするだけのつもりだったのだ。効果がないとみると、木島に対しても脅しをかけてきた。安っぽいプライドだ。

「そうですね」

 木島は、短く答えた。

「そうでしょう。それが利口です」

 倉科政俊は満足げに笑った。

「こちらも、手ぶらでやってきたわけではないんですよ」

 そう続けると、秘書らしき男性に目配せした。

「これを収めてください」

 秘書が取り出していたのは、茶封筒だった。

 厚さからすると、それなりの額が入っている。

「なんですか?」

「こうやってご足労されたんですから、手間賃とでも思ってください」

 これを受け取ったが最後、それを弱みとして、一生逆らえなくなる。かといって、議員でも公務員でもない政俊本人が窮地に立たされることはない。

「どうしました?」

「いえ、そんなものは受け取れません」

「それは、どういうことですか?」

「言葉どおりの意味です」

 木島は、扉に向かった。

「待ってください。はっきりさせましょうか。お金を受け取らないということは、私の言うことを理解されていないということですか? それとも、理解したうえで、お金はいらないということですか?」

「その質問に答えるのもバカバカしい」

 冷淡に言った。

「いいのか? 後悔するぞ」

「どんな後悔ですか?」

「最悪、仕事をなくすだろう」

「子供たちを守れないのなら、どのみち意味なんてありませんよ」

「おい!」

 買収がうまくいかないことに憤慨した倉科が立ち上がった。

「殴りますか?」

 むしろ木島は、向かっていった。

「殴ったらどうですか? それとも、子供にしか暴力はふるえませんか?」

「きさま……!」

 それまでなんとかかぶっていた善人の仮面が、剥がれ落ちていた。

「ただですむと思うな! 児相職員ふぜいが!」

 木島は、弁護士の堤を見た。

 ため息まじりの表情をしていた。弁護士として、虐待という行為を許しているのか気になっていたが、倉科政俊のほうが非常識であることはわかっているようだ。

「政俊さん、その発言はちょっと……」

 堤がたしなめたことで、倉科の激昂が多少はやわらいだ。

「いいですよ、気にしてませんから」

 そう言葉を残して、木島は部屋を出た。


     * * *


「どうしましたか?」

 紅林博忠との二度目の対面だったが、咲の頭は混乱していた。

 さきほどの琴音との会話だ。

 鬼は、あの人……。

 木島が、鬼──。

「有本さん?」

「あ、いえ……」

 いまは、そのことは置いておく。せっかく話をするチャンスを得ているのだ。

「今日は、ご相談があってきました」

「ほう。こんな老いぼれでも力になれることでしたらよいのですが……」

「昨日、おっしゃっていたことですけど……いろいろと顔が広いのですよね?」

「まあ、これでもそれなりの地位にいた人間ですから」

「倉科フーズはご存じですか?」

「有名な会社ですから」

「現在は経営から退いているようですが、倉科源氏との面識はありますか?」

「どこかのパーティーで会ったことがあるかもしれませんね」

 それだけを聞くと、とくに親しい間柄ではないようだ。

「国家公安委員の一人でもある。ですが、私が隠居したあとのことですから」

「その息子で、倉科政俊という男がいます」

「それが?」

「いまその男が、わたしたちに圧力をかけようとしています」

「わたしたち?」

 たち、の部分に興味を抱いたようだ。

「協力してくれる児童福祉司がいるんです……いえ、そんなことより、わたしのお願いをきいてください」

「圧力をかけようとしている人物を、私にどうしてほしいんですか?」

「あなたの力を使って、いさめてください」

「なるほど……圧力には圧力、というわけですか」

「いけませんか?」

 咲は開き直っていた。

「そんなことはない。私と、倉科フーズの御曹司がともに潰し合えば、あなたには好都合だ。とても合理的な作戦だと思いますよ」

 思惑を完全に見透かされていた。だが、紅林博忠に不快な様子はなかった。

「では、やっていただけますか?」

「残念ですが、それは無理です」

「どうしてですか?」

「私の力は、そんなことのためには使えない」

 傷害犯をかばっておいて、その言い草は許せなかった。

「有本さん、あなたは一つ勘違いをしている。私と、あなたの追う犯人が通じ合っているわけではありません」

 この期におよんで、言い逃れだろうか?

「私は、犯人がだれかを知らない。そして、むこうのほうも、私のことは知らないでしょう」

「どういうことですか?」

「すべては、私が勝手にやっていることです」

 親族などの知っている人間をかばっているのではなく、見ず知らずの人間を権力で援護している──そういうことを主張したいようだ。

「どうして、知りもしない人を……」

 当然の疑問を咲は口にした。

「……琴音が、どうしてうちに来たのか……話を聞いていますね?」

「はい」

 親からの虐待があった。そしてその親は、傷害犯によって襲撃されている。

「山岸という男は、遠縁にあたる人物です。山岸の母親は、私のはとこにあたる」

 家系図を頭のなかに描こうとしたが、そのことは重要ではないと判断して、話に集中した。

「世の中には、どうしようもない悪が存在する……けっして改心することはない」

 刑事をやっている咲には、とても理解できる言葉だった。絶対的な悪人が、ほんの数パーセントの割合とはいえ、確実にいるのだ。

「一般の犯罪者なら、刑務所に入れておけばいいだろう。この国は法治国家だ。犯罪をおかせば罰せられる。だが……」

 紅林博忠は、そこで言葉を詰まらせた。

 咲は黙って、続きを見守った。

「虐待の場合は、そうはいかない。子供を殺してしまえば罪に問えるが、そこまでいかなければ、立件は簡単ではない。法治国家の盲点だ」

「……」

 元警察庁長官が語っているという事実が、この問題の難しさをあらわしている。

「琴音の父親──山岸に重傷をおわせ、琴音を救ってくれた犯人に、私は感謝した……」

 これまでに咲が懸念していたことだ。近所の住人が捜査に非協力的なのも、すべてはこの感情によるものだ。これほどの見識ある方がそう考えるのだから、一般市民はなおさらだろう。

「感謝したから、犯人に肩入れをしているんですか?」

「否定はしない」

「……あなたは、警察組織のトップにいたんですよね?」

 咲の声は、憤りにゆれていた。

「言ったでしょう……だれの心にも鬼が棲んでいると」

 その心情が理解できるとしても、犯人への協力を許すわけにはいかない。

「そんなものは、理由になりません……」

「私の一族に生まれた鬼を、べつの鬼に退治してもらった……そういうことなんですよ」

 遠くをみつめるように、彼は語った。

「……誓って、悪いことに権力はつかわない……もしあなたが正しいことをして窮地に立たされることがあったなら、その手助けはさせてもらいます」

 倉科政俊への牽制はできないのに、そんなことや傷害犯をかばうために権力をつかう──咲には、やはり理解できなかった。

「……最後にお聞きします。木島という名前に心当たりはありますか?」

「いいえ。その方は?」

「いえ、知らないなら、いいんです……」

 演技をしているようではなかった。

 咲は、膨れ上がる不安に胸をしめつけられながら退室した。


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