表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/23

17

 いつものファミレスには、有本のほうがさきについていた。気難しい顔をしてメニューを眺めている。

「どうしたんですか?」

 声をかけても、うかない様子だ。

「まあ、いろいろと……そっちも、面倒なことになってるんでしょ?」

 あの弁護士が、べつの案件にも出てきたことは電話で伝えている。

「どうするつもり?」

 そこは、どうなると思う?──と訊いてもらいたかった。木島の権限では、どうすることもできない。

「たぶん、関谷智樹くんも親にもどされることになる」

 下村琢也のもとに娘のさやかがもどされたことよりは、いくぶんマシだろう。父親の弘毅は、いまだ入院中だ。

 が、退院し、もし逮捕を免れるようなことがあれば、また虐待を繰り返すかもしれない。

「やっぱ、本丸をどうにかするしかないわね」

 本丸とは、倉科政俊、もしくは倉科源のことだろう。

「どうにかできるんですか?」

「わたしじゃムリね。ただでさえ、上に眼をつけられてるから」

 わたしがムリでも、ほかの方法ならある──そう言いたいようだ。というより、そういうことでもなければ、意地でもやってやる、と息巻いているはずだ。

「本当は今日、それをやってみようと思ったんだけど、頭に血が昇っちゃって……わたしらしくなかったわ」

 あなたらしい──口が裂けても言えなかった。

「なにをやろうとしたんですか?」

 聞かないほうが精神衛生上はよいだろうが、話の流れで質問しないわけにはいかなかった。

「ちょっとね……ある人物を使って、潰し合いをさせようとしたのよ」

「だれなんですか?」

 これも、話の流れで質問しただけだ。

「いえ、それは聞かないほうがいいわ。木島さんのためでもある」

 思わず、心の苦さを表情に出してしまった。

「明日、もう一度チャレンジしてみる」

 期待はもてそうになかったが、木島はうなずいた。

「結果は、またここで発表する」

 ここのところ、連日このファミレスで会っていることになる。もはや日課といってもいいだろう。

「ねえ、これからどうする?」

「え?」

 最初、意味がわからなかった。すぐに、いまこれからの予定を問いかけられたのだと理解した。

「よかったら、飲みにでも……」


     * * *


 咲は、顔が赤くなるのを意識した。

 自然な流れで誘ってしまった。このところ、もやもやしたことが連続しているから、そのストレスのはけ口を男に求めようとしてるのだ。

「べつに予定はありませんよ」

 そう言われたら、いまさら引っ込めるわけにはいかない。

「じゃあ、行きましょう」

 飲みに行くのではなく、咲の部屋へ向かった。名目上は部屋飲みということにしているが、実質的にこのあいだのようなことを期待している。いっそのこと、ホテルに行ったほうが潔いかもしれない。

 しかし向かう途中、少し遠回りになるが、下村琢也のマンションに足を運ぶことになった。やはり気にかかる。

「あれ?」

 下村の部屋を眺めている人影があった。

 大人のものではなかった。少女のシルエットだ。

「琴音ちゃん?」

 もとをただせば、はじめて下村琢也の家に疑いの眼を向けたのは、琴音だった。

 咲の呼びかけで、琴音らしき少女が振り返った。ただし街灯の光が届いていないから、はっきり顔までは見えない。

 だが、彼女の動きが止まっていた。

「どうしたの?」

 なにかに驚いて、表情を凍りつかせている……その肝心の表情がよく見えていないので、断言はできないのだが。

「琴音ちゃん?」

 もう一度、呼びかけた。

「おに……」

 少女がつぶやいた。

 声はまちがいなく、琴音だった。

「どうしたの? 琴音ちゃん!?」

 すると、警戒した野良猫が逃げていくように走り去ってしまった。

「あ、ちょっと!」

 追いかけようかと思ったときには、姿が見えなくなっていた。

 いま琴音は、「おに」と口にした。

「また鬼か……」

 咲は、下村の部屋を見上げた。

 木島も同じように眺めていた。

 部屋からは灯りがもれている。はたして、下村さやかは平穏にしているだろうか……。

 本当なら、いますぐにでも救い出してあげたい。法など無視して、あの子を連れ去ってあげたい。

「……」

 この考えは危険だ。

 傷害犯と、なんらかわらない。

「ねえ、だれの心にも鬼が棲んでるんだって……」

 木島は、突然の言葉に意味がわからないようだった。

「わたしのなかにも、いると思う?」

 木島は答えてくれない。

「……あなたのなかにも、いるの?」

 下村のマンションから、咲の部屋に移動した。

 部屋で飲むという名目も、すでに忘れていた。

 二度目は、一時のあやまちとはいえない。

 それでも咲は、もとめていた。

 鬼が棲んでいるかは、わからない。

 だが、獣だけは咲のなかにいた。

 木島のなかにも。

 理性を飛ばして、心と身体をぶつけあった。

 気づいたときには、朝になっていた。

 会話はなかった。

 木島は児相に向かい、咲は警察署に向かった。

「……そういえば」

 いや、途中で方向を変えた。

 昨夜の琴音が気にかかった。それに、例の作戦を遂行するにもちょうどいいだろう。少し時間的に早いかもしれないが、迷惑に思われても行くべきだと決意した。

 紅林家の前についた時刻は、七時五十分だった。普段であれば、琴音が学校へ向かうぐらいの時間だ。

 インターフォンを押そうとしたところで、思いもかけないところから琴音が姿をあらわした。

「琴音ちゃん……」

 背後からあらわれていた。

「まさか、いま帰ってきたの!?」

 制服姿だが、いま着たばかりの雰囲気ではない。思い返してみれば、暗くてはっきりとは見えなかったが、昨夜も制服姿だったような気がする。

「……」

 琴音は、冷たい瞳をしていた。

 これまで生まれていた信頼が、すべてなくなっているようだった。

「ちょっと、どうしたっていうの!?」

 咲のことを無視して門のなかに入ろうとしたので、強めに呼び止めた。

「いっしょだったでしょ……ずっと」

「なにを言ってるの?」

 本当に意味がわからなかった。

「不潔!」

 琴音の表情は、軽蔑に満ちていた。

「ねえ、話をしましょう! こっちを向いて」

 一度はそっぽを向いて行ってしまいそうだったが、なんとかそれをとどめさせた。

「なんのことを言ってるの? 本当にわからないんだけど。わたし、なにかした?」

「人のやることじゃない……」

 つぶやくように琴音は言った。

「だから……」

「あいつと、いっしょだったでしょ!」

 そこで思い当たった。

「まさか、あのあと……わたしたちをつけてたの?」

 琴音は、逃げてしまったのではなかったのだ。咲と木島のあとをつけて、もしかしたらずっと咲の部屋を見張っていた。

 だから、不潔なのだ。

「……琴音ちゃん、たしかに男の人といっしょにいた。でもそれは、まちがったことじゃないのよ」

 中学生になんと言い聞かせればいいのか、本当にわからなかった。

 咲も木島も独身だ。恋人同士というわけではなくとも、非難されるべき関係ではない。が、中学生にどこまでそれが伝わるのか……。

 これが琴音でなければ……最近の普通の中学生なら理解してもらえるだろう。しかし彼女は、そういう話が通じるほどマセてはいない。

「人間じゃない……」

「そこまで言うことないでしょ!」

 さすがに咲も憤慨した。男性との性交渉をそこまで嫌悪されても、咲にはどうすることもできない。

「こういう言い方はなんだけど、それが大人ってものなのよ」

「……」

 琴音は、そんな話など聞きたくないと言わんばかりに、走って門のなかに入ってしまった。

 一瞬ためらったが、咲もなかに続いた。

「待って、琴音ちゃん!」

 琴音は玄関の扉を開けて、家のなかに入った。咲も入ろうとしたが、ちょうどお手伝いさんが出てきたところに鉢合わせしてしまった。

「有本さん……お嬢様といっしょだったんですか?」

「いえ……門の前で──」

 そう言いかけて、嘘をつくことにした。

「あ、そうなんです……連絡しようと思ってたんですけど、昨夜はわたしの部屋に泊ったんです」

「そうですか……」

 家政婦はそれ以上、追究しようとはしなかった。たぶん、いまのが嘘なのをわかっている。

「いいですか?」

 あがってよいかをたずねた。

 どうぞ、というように家政婦は手でしめした。

 廊下では途方に暮れたように、夫人が階段のほうを見上げていた。

「有本さん……琴音が昨日帰って来なかったんですよ……有本さんに連絡しようかとも思ったんですけど……」

「ごめんなさい……じつは昨夜、琴音ちゃんはうちに泊ったんです。連絡をしなきゃならなかったのは、わたしのほうなんです」

「そうなんですか……」

 それを聞いても、家政婦と同じで、表情は鬱のままだった。彼女も、それが嘘だとわかっている……。

「あの、琴音ちゃんのこともあるんですけど……もう一度、紅林先生に会わせていただけないでしょうか?」

「お義父さまに?」

「はい」

「わかりました。とりついでみますね」

 夫人は、紅林博忠の部屋へ向かった。

 咲はその時間を使って、琴音と会うことにした。

 二階の彼女の部屋の前で呼びかけた。扉は、すでに修理されている。

「琴音ちゃん、開けて」

 応答はなかった。

「開けないと、ぶち破ってでも開けるわよ」

 それが脅しではないことを、琴音もわかっている。

 扉の鍵がはずされる音がした。

「入るわよ」

 了解がなくても入るつもりだ。

 琴音はベッドに腰掛けながら、咲のことを睨んでいた。

「ねえ、わたしのことを聖人君子とでも思ってるの? そりゃ、男と寝るときもあるわよ」

 わざと咲は、露骨な表現をもちいた。より嫌われたとしても、きれいごとを語るつもりはなかった。

「でもそれは、悪いことじゃないわ」

「……人とすればね」

 ボソッと琴音の声がもれた。

「どういうこと?」

「あいつは、人じゃない……」

「あいつ?」

 話の流れでは、木島のことになるだろう。

「木島さんがどうかしたの? 児童相談所の職員よ」

 琴音が木島を知っていたとしても不思議ではない。当時、木島が担当していたのかもしれない。

(あ!)

 いや、それはない……木島は琴音のことを知らないと口にした。

 それが、嘘……?

「木島さんと、なにがあったの?」

「おに……」

「え?」

「あの人が……鬼なのよ!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ