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 下村さやかの件だけに気を取られているわけにはいかない。どんなに絶望感を味わおうとも、悲劇は待ってくれないのだ。

「関谷智樹くんの母親が面会を希望しています」

 緊張感をもって、高橋が伝えた。

「警察の捜査は、どうなってるんですか?」

「それは、あなたのほうが詳しいんじゃないの?」

 高橋は、有本のことを言っているのだ。しかし彼女は刑事課で、虐待の捜査には関与していないはずだ。そのことを口にするまえに、高橋は話を進めてくれた。

「これから本格的に捜査はされるでしょう。でも、それはあくまでも父親に対してね。母親については、いまのところ容疑をかけていないみたい」

 つまり、母親の行動が制限されることはない──そういうことだ。

 母親が子供を取り戻そうとする行為は、至極真っ当なおこないだ。だが母親は、夫からの暴力を恐れるあまりに子供を守らなかった。そんな彼女に、はたして母性が残っているだろうか……。

「面会を認めるんですか?」

「今回は認めなかった。でも、ずっと会わせないわけにはいかないでしょう」

 それから一時間もしないうちに、二人の刑事がやって来た。有本ではない。虐待の捜査をしている生活安全課の刑事だった。関谷智樹に話を聞きに来たのだ。遅すぎる聴取のような気もするが、傷害事件とのかねあいで、虐待のほうはいまになったのだろう。

 児相からは、保育係と高橋が立ち会った。高橋の話では、虐待されていたことを智樹は認めたようだ。ただし、父親からの暴力のみで、母親については虐待されていないと答えたようだ。

 幼い子供の証言をどこまで警察が重要視するかわからないが、仮に父親だけの暴力だとしても、母親の責任も追及されるはずだ。刑事罰から免れても、すぐに子供がもどることはない。

 夕方になって、しかしその考えは浅はかだったと思い知らされた。関谷弘毅の妻の代理人としてあらわれたのは、あの弁護士だった。

「またお会いしましたね」

 朝に続いてその顔を見るとは、木島も思っていなかった。

「堤さんでしたね」

 受け取ていた名刺を思い出して、言った。

「はい。たしか、木島さん?」

 木島のほうも渡している。

「そうです」

 この弁護士が倉科フーズと関係があることは想像がつく。倉科政俊のラインから、下村琢也を担当することになったのだろう。が、関谷弘毅までとなると……。

 関谷弘毅も、あのサイトに関係があるのだろうか?

 いや、関谷はそういうタイプではない。もっと直接的に暴力を楽しんでいたはずだ。そういう人間が、あの裏サイトを閲覧したり、投稿しているとは考えづらい。

 だとしたら、なぜこの弁護士がついたのか……。

「堤先生は、こういうことを専門に活動されているのですか?」

「こういうこと?」

 意味は通じているだろう。木島は言いなおすことはしなかった。

「……そんなことはありませんよ」

 堤は、淡々と答えた。

「では、関谷さんから依頼を受けたのですか?」

「そういうことには、お答えすることはできません」

 木島としても、正直に答えてくれるとは考えていない。だが、反応を見るためには充分な質問になった。

 堤の様子からすると、関谷夫妻のことはほとんど知らない。場合によっては、会ったことすらないかもしれない。

「とにかく、ご長男を返していただきたい」

「それはできません」

「どうしてですか?」

「虐待の疑いがあるからです」

「それはおかしい。虐待の容疑があるのは、ご主人だけだと警察からは聞いています。奥さんが求める以上、子供を親元に返すのはあたりまえじゃないですか」

「警察の見解がどうであろうが、児童相談所として、それは認められません」

「認めることになると思いますよ」

「……また、倉科政俊の権力をつかうつもりですか?」

 勇気をもって、木島はその名を口にした。

「ほう」

 感心したような声を、堤弁護士は吐き出した。しかしそれは、倉科との関係を言い当てられたことに対するものではなく、このタイミングでそれを口にしたことを称賛するもののように感じられた。

「たぶん明日には、こちらの思惑どおりにことがはこびますよ」

 上から圧力がかかりますよ──そう言いたいようだ。

「では、今日のところは」

 そう言葉を残して、堤弁護士は帰っていった。

 おそらく倉科政俊の名前を出したから、あっさりと退散したのだ。これから倉科政俊、もしくは倉科源に指示をあおいで、今後の対策をたてるつもりだ。

 本当に明日には、関谷智樹が母親に返されるかもしれない。またそれによって、彼らの本気度がわかる。

「……」

 ある予感がした。

 やはり関谷弘毅と倉科政俊が関係しているとは考えづらい。

 となると、べつの目的があって、あの弁護士がやって来た……。

「おれか」

 木島は、つぶやいた。

 どういう思惑が奥に潜んでいるのか……それはまだ不明だが、悪意は自分に向いている。

「やめろ……」

 だれにともなく、木島は告げた。

 このまま行き過ぎると……。

 鬼が──。


     * * *


 屋敷のなかでも、奥まった部屋に通された。

「お義父さま?」

 夫人が扉をノックすると、なんだ?、と声が返ってきた。大物にふさわしい低い声だった。

「お客さまがいらしています。このあいだお話しした女性ですよ」

「入ってくれ」

 夫人が扉を開けた。

 部屋には介護用のベッドがあり、男性が横になっていた。

 年齢は、八十歳近くに見える。だが、ベッドのなかにいるからそう感じるだけで、実際にはそこまで高齢ではないのかもしれない。

 この男性が、紅林博忠なのだろう。

 正直、こういう姿は想像していなかった。

 咲だけが部屋に入った。

「寝たきりなもので、すまんね」

 ベッドの背もたれが起き上がった。

「琴音が世話になってるようだね」

 声はしっかりしている。頭のなかも問題がないようだ。認知症には遠いほど、眼光に力がある。

「たしか、有本さんだったね?」

「はい。有本咲です」

 ベッドの横に椅子が置いてあったので、遠慮せずに座った。

「刑事さんだと聞いたが」

「そうです」

 咲は、警察署の名前を告げた。

「あそこの署長には顔がきくから、なにか困ったことがあるなら、なんでも言ってください」

 やはり、そういうことだった。

 が、同時に、これまで抱いていた印象とはなにかちがった。

「あの……そういうのは、やめたほうがよろしいのではないですか?」

 わざときつめの口調で、咲は話しかけた。

「ほう、これは手厳しい」

 気分を害したふうもなく、紅林博忠は反応をしめした。

「よけいな気づかいをしたようだ」

「……先生は、いつもそのようなことを?」

 なんと呼べばよいか考えて、先生と呼んでおいた。

「そのような?」

「警察を動かすというようなことです」

「ははは」

 寝たきりだからか、笑い声に力はなかった。

「時と場合には……と言っておきましょうか」

「単刀直入にお聞きします。児童虐待が疑われている親が、何者かに襲われるという傷害事件が連続しています。その犯人について、心当たりがありますか?」

 この質問は、さすがの咲でも勇気のいるものだった。

「どうして、そう思われるのですかな?」

「そういう噂があります……」

 咲の勝手な思い込みの部分も大きいが……。

「で、あなたはどういう結論に達しているのですか?」

「……先生の、ご子息……ですが、それはいないとお聞きしたばかりです」

「では?」

「かばおうとしている親族がいるのではないですか?」

「それが犯人だと?」

「はい」

 また笑い飛ばすのかと思ったが、そうではなかった。神妙な顔で沈黙している。

「……その噂は、まったくのでたらめというわけではない」

 数舜後、紅林博忠は重く言葉を吐いた。

「認めるんですね?」

「捜査を妨害したことは認めよう」

 しかし、親族ではない──そういうことだろうか。

「犯人はだれなんですか?」

「それを聞いてどうする?」

「もちろん、逮捕します」

「やめておきなさい」

「どうしてですか!? わたしに権力は通用しません!」

「そうではない……たぶん、あなたが後悔する」

「後悔なんてしません」

 するはずがない。咲は強く自分に言い聞かせた。

「……もう一つの噂を知っていますか?」

「? なんのことですか?」

「この街に集まる……というやつです」

 小野田から聞いたばかりの話だ。

「それが、どうしたっていうんですか?」

「考えてみてください。なぜなのかを──」

 そう言った紅林博忠の眼光が、威圧感をもった。きっと現役のころは、相手を恫喝するような強さがあったのだろう。

「……言っている意味がわかりません」

 圧力に屈することなく、咲は言葉を返した。

 集まっている──子供を虐待するような家庭ということだろう。ほかにも、生活保護受給者が多く、そのトラブルもこの街は抱えている。

 それに理由があるということだろうか?

「先生は、その答えを知っているということですか?」

「どうだろうね」

 知っている、と咲は解釈した。

「……この街に、なにがあるんですか?」

「鬼がいるんだ」

「え?」

 なにを言っているのだ、この人は……?

「鬼だよ。鬼が呼ぶんだ……」

「呼ぶ?」

「そういう連中をね」

「まじめに答えてください!」

 咲は、頭に血が昇った。

「会えばわかる」

「鬼がこの世にいるわけありません!」

「あれは、鬼だ」

「傷害事件は、鬼の仕業だというんですか!?」

「左様」

 話にならない。

「本当に、思い当たることはないかね? 鬼を目撃した人たちの証言だよ」

 おに。

 関谷智樹は、言った

 琴音も、いまと同様のことを口にしている。

 だがそれは、恐ろしい犯人を鬼に例えているだけのはずだ……。

 関谷弘毅は犯人におびえ、証言もままならない。近所の人たちも口をつぐんだ。

 それは、犯人が鬼だから?

「鬼なんて、いるわけありません!」

「なぜ、そう言い切れる? 鬼は、伝説の生物ではない。人の心に棲むものだ」

 ドキリとさせられる言葉だった。

「だれの心にも、鬼はいる……あなたの心にも」

「……」

 これ以上、真実につながる話はしてくれないと判断した。

 咲は、紅林博忠との面会を終えた。

 一つ確信したことは、やはり彼が犯人を隠蔽するために警察を動かしているということだ。

 ただしそれは、犯人をかばうためではない。肉親でないことは本当だろう。

 紅林博忠も、虐待する親に怒りを感じているのだ。かばうのではなく、いっしょに戦っている……。

 権力をもって、虐待する悪鬼を退治しようとしている。

 毒をもって毒を──。

 鬼をもって悪鬼を──。

 最後の言葉が、いつまでも胸に残った。


 だれの心にも、鬼がいる……。


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