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少女の身体を拭いて、着替えさせた。
母親にはさわらせず、すべて有本がおこなった。
下村亜衣は、がなりたてていたが、木島が少女には近寄らせなかった。
実際に夫・琢也が帰宅したのは、電話から四十分後だった。
* * *
「どういうことですか?」
この状況でも、下村琢也は冷静だった。
「あなたたちには、児童虐待の容疑があります」
きっぱりと咲は伝えた。
「それは誤解だとわかってもらえたはずです」
「そんなわけないでしょう!? この子は、お風呂場で濡れたまま立たされていたんですよ!?」
「え!?」
大仰な仕草で、下村は驚いてみせた。
「さやか、またイタズラしてたのか!?」
もうこの男の切り返しの早さには動じなかった。
「この子は、よく風呂場で水遊びをしてしまうんです……おさわがせしたみたいですが、誤解なんですよ」
「そんなことではごまかせませんよ! こういう動画をみつけたんですけど」
咲は、携帯で例のサイトを開いた。パソコン用のサイトなので画面比率などがおかしかったが、動画の再生には問題なかった。
「これ、虐待動画ですよね!?」
「ちがいますよ。このときもイタズラしていたので、動画をとってみたんですよ」
あくまでも感情を押し殺して言い訳を続ける。むしろ感心するほどだ。
「そんな言い逃れができるわけないでしょう!」
「ですが、それが真実なんです」
「こんな隠されたサイトに投稿しているだけで、証拠は充分です!」
「知らなかったんですよ、そんなサイトだったなんて」
追いつめているはずだが、下村に焦った様子はみられない。見事な精神コントロールとしかいいようがない。
「それに、いいんですかね」
「え?」
それどころか、余裕の笑みが口元に広がった。
「知っちゃったんですよね?」
「なんのこと!?」
「いえ、わからないのならいいんです」
下村の背後に、権力者の後光がさしているかのようだった。
国家公安委員がバックについているという脅しだ。
おそらくあのサイトは、倉科政俊を中心とした同じ趣味──性癖をもった人間たちの集まりなのだ。
たとえば、その集まりを『紳士会』とでもしておこう。
その『紳士会』は、会自体を守るように防衛システムを構築している。倉科源がどこまでかかわっているかわからない。が、その息子である政俊は、その権勢を利用し、会と仲間を捜査機関から遠ざけているのではないか……その考えは、飛躍しすぎだろうか。
「容疑があるなら、わたしは国家公安委員でも逮捕するわよ」
咲は、あえて挑発にのった。
下村は、どう出るだろう?
「それは頼もしい」
しかし、むしろ余裕を深めていた。
絶対の自信をもっている。
「……とにかく、この子は保護します。あなたと奥さんには虐待の容疑がありますので、署のほうで事情をお聞かせください」
「いいですよ。でも、困るのは警察のほうじゃないでしょうか?」
「なんですって?」
「あなたが圧力に屈しないとしても、世の中はそういうふうにできていないんですよ」
咲が屈しなくても、周囲が圧力に従うだろうと下村は語っているのだ。
この件ではないが、実際に警察は圧力をうけて捜査をストップさせている。この男の言うことは本当だろう。国家公安委員の息子が絡んでいるとなると、上層部が及び腰になるのはあきらかだ。
「それに、こうして令状もなしに部屋へ侵入したんです。ヘタをすれば、大問題になる」
「わたしは、処分なんか恐れない」
「処分ですめばいいでしょうね」
下村は意味深に微笑むと、続けた。
「逮捕されるのは、あなたかもしれない」
「この捜査は、適正におこなわれたものです!」
悔しまぎれに、咲は言った。限りなく黒に近い捜査方法だということは自覚している。
「そちらの児相の方も、覚悟はできているのですか?」
木島は答えなかった。彼がそんな脅しに屈するような人間でないことはわかる。そんな心配よりも、これからの子供のことに思いをめぐらせているはずだ。
「そうですか、ドロ船に乗りますか」
嘲笑のようなものを、下村は浮かべた。
「ドロ船だとしても、沈むとはかぎりません」
「がんばって漕いでください」
「……」
もう相手にするのはやめた。
署に連絡をとって応援を呼んだ。
「弁護士を呼びたいのですが、いいですよね?」
逮捕したとしても、要請があれば弁護士への連絡を拒否することはできない。ただし被疑者本人は、いかなる連絡も外部とはできなくなるので、警察がすることになる。
いまの場合は、逮捕をしたわけではないから、弁護士への連絡はもちろんのこと、だれに対しての通話も制限することはできない。されたくないのであれば、緊急逮捕するしかない。正規の手順をふんで逮捕状を請求するには時間がかかるので、結局は電話を許可するしかなくなる。
「どうぞ」
「ありがとうございます。それと、いろいろ知り合いにもかけておきたいので、それもよろしいですよね?」
裏から手を回す段取りでも相談するつもりだろう。
咲は、それも許可した。当初は、下村が逆上してくれることを期待したのだが、事態はまずいほうに流れている。本当にクビが近づいた。
木島の顔を見た。なにを思っているのか、うかがい知ることはできなかった。
応援にやって来たのは、小野田と西島という同僚だった。
小野田の顔色は、どこか青ざめていた。
「おい、大丈夫なんだろうな?」
小声で耳打ちしてきた。
「たぶん、ダメだと思います」
咲は、正直に答えた。
「おまえな……」
「安心してください。わたし、クビになっても平気なんで」
「おまえだけの責任ですむわけねえだろ!」
「それは、わたしの知ったことじゃないんで。まあ、女は楽ですよ。いざとなったら、結婚しちゃいますから。わたしほら、顔だけはいいんで」
小野田の眼光が、相手がいるのか、とバカにしているような気がした。
癪にさわったので、木島を右の親指でさし示した。木島はよく意味がわからなかったらしい。小野田は、意外そうな顔をした。
西島が亜衣夫人を、小野田が下村琢也を連行するかたちになった。あくまでも参考人としてだが。
木島も児相に連絡をとって、もう一人職員がかけつけた。咲も面識がある。たしか、青山といったはずだ。
娘・さやかは、木島たちが児相につれていった。咲も警察署にもどった。
取調室で、琢也、亜衣、それぞれの聴取がおこなわれた。
落ち着く暇もなく、下村が連絡した弁護士がやって来た。
「不当逮捕だと思うのですが」
「逮捕ではありません」
「逮捕のようなものでしょう?」
弁護士としては、そう主張するだろう。
「不法に家宅侵入した女性刑事がいると聞いていますが、あなたですか?」
「緊急でしたので、仕方ありませんでした」
きっとこの弁護士も、警察ならそう主張するだろう、と思っているかもしれない。
「緊急? それは、そちらの勘違いだと思いますけど」
「子供が浴室で濡れたまま立たされていたんですよ」
「それは誤解だと、下村さんはおっしゃっています。仮に、それが本当だったとしても、しつけの範囲内じゃないですか?」
「あら、弁護士の言葉とも思えませんね。どんな事情があっても、体罰がアウトなのをご存じないんですか?」
強気に咲は言った。弁護士は、面食らったようだった。
「た、体罰ではなく、しつけと言ったんです! それに、仮の話ですから」
取り繕うように反論してから、弁護士は息を整えていた。警察官は弁護士相手だと、穏便にすまそうとするのが普通だ。咲がそうではないと悟って、内心やりにくいと考えているだろう。
「しつけでも同じです。最近の虐待事情をご存じないようですね」
棘を隠さずに言った。
毎日のように虐待のニュースが流れている。いくら弁護人を守るのが責務だとしても、わかりそうなものだが。
「……とにかく、問題にさせてもらいますよ」
負け惜しみのように弁護士は言い残して、咲の前から退散した。
自分の席にもどっていたら、しばらくして小野田もやって来た。
「どうですか?」
「おれたちには黙秘だ。弁護士が来たら、勝ち誇った顔で笑ってた」
下村琢也がとりそうな態度だった。
「で、どうすんだよ……弁護士は偉そうな人の名前を出してたぞ」
「また圧力に屈するんですか?」
「そうはいってもな……」
小野田は困った顔をしていた。
「おまえさんが、おれたちを軽蔑すのはわかる……だがな」
「なんですか?」
「そんな怖い眼で睨むなよ。一応は、上司なんだぞ」
「生まれつきです」
「……有本、おまえにこの話をしといてやる」
近くにだれもいないことを小野田は確認していた。
「この街には、なにかと問題が多いだろ?」
たぶん虐待問題をはじめとして、生活保護の受給率が高いこと、またそれ関するトラブルについて語っているのだろう。
「それが、どうかしたんですか?」
「おれはな、それがどうしてなのか、自分なりに考えたことがあるんだよ」
そんなものに理由があるとも思えなかったが、咲は続きを瞳でうながした。
「どこかのだれかが、そう仕向けてるんじゃないかとな」
「?」
「そんなことができるんだから、そんじょそこらの人間じゃない。それこそ、偉いに人間が絡んでるんだろう」
「荒唐無稽な話をするんですね」
「おまえさんは、行動が荒唐無稽だろう」
憤慨したのか、小野田は言い返した。
「もし、それが本当だとして、その人物は、なんの目的でそんなことをしてるんですか?」
「……」
小野田は一瞬、答えるのをためらった。
「この街に、集めてるんだ……」
「集めてる?」
どこかのだれかは、なぜそんなことをする?
当然の疑問を、咲は表情に出した。
「おれにもわからんが……案外、単純な理由かもしれんな」
「単純?」
「一か所に集めたほうが、やりやすいだろ?」
やりやすい?
「なにを?」
「いや、ほら……いろいろとさ」
「……」
虐待犯への傷害。
そういう人間を、わざとこの地域に集めている……。
退治するため……懲らしめるため。
にわかには信じらない話だった。
ひと通りの聴取をしたあと、下村琢也・亜衣夫妻は、自宅へ帰っていった。逮捕はできなかった。
咲は、刑事課長から叱責された。今後、下村夫妻には近づかないことをきつく申し渡された。
減給三ヵ月。
小野田からは、それでも懲戒免職よりはマシだと慰められたが、咲のはらわたは煮えくりかえっていた。




