黒田玲のいちばん長い日(6)
玲は布をお湯で湿らせ、体を丁寧にふく。今日の汗や汚れが落ちるだけでなく、一日の疲れも落ちていく。さっぱりした玲はパンツ一丁になってベッドにダイブする。
(……寝間着を買わんとな)
玲は夕食を食べ終えた後、部屋に戻る途中にセラから「お湯と布は部屋の前に置いておきましたよ」と聞いていた。部屋の前にお湯が張られた桶と横に綺麗な布が置かれていたので、玲はそれらを部屋の中に持って行き、風邪をひいた時と同じ要領で体をふいていたのだ。
(倦怠感がなくなった気がする)
玲は先ほどまで感じていた倦怠感がいつの間にかなくなっていたことに気づく。影魔法や霊体化を酷使し続けた影響か、この宿に来た時は倦怠感がひどかったのだが今はすっかりなくなっていた。それがなんだかもったいなくて寝る気が起こらない。玲は上半身を起こす。
「寝れん」
玲の一日はまだ終わりそうにない。
(また外に出た訳だけど)
玲は影潜ミを発動して街の外に出ていた。外はすっかり暗くなっていて、建物と街灯と月の灯りのみが頼りとなっていた。
(街灯があるせいか、開いてる店もいくつかあるな)
街灯がある大きな通りは、まだ営業している店が多い。それに通りには屋台や露店などが出ており、街の賑わいは終わりそうにない。
(ああ、寝間着買っとこ)
露店の一つに古着屋を発見した玲は路地に外れ分身を出す。分身が古着屋を訪れると気さくな店主が快く迎えてくれた。
「らっしゃい」
「見させてもらうよ」
そう分身がいうと店主はご自由にと答えて許可を出す。品揃えは店の規模にしてはなかなかのものだ。ただジャンルとしては冒険者を対象としているのか、旅装の類が多い。
「店主、この下着いくら?」
「それは大賎貨2枚だね」
大賎貨?おそらく銅貨の下ランクの貨幣かな。まとめて買えば安くなるかな?
「店主、下着14枚買うから……何とかなんない?」
「しょうがねえなあ。銅貨2枚と大賎貨8枚から銅貨2枚と大賎貨5枚に負けてやんよ」
……もう少し何とかできるかな?
「このチュニックとズボンは?」
「チュニックが銅貨1枚と大賎貨2枚、ズボンは銅貨1枚。セットで買ってくれたら端数は切るよ」
ほお、それはいい。もう少し買っていこう。玲は咄嗟に砂埃を防ぐための黒いフードを手に取る。
「店主最後!このフードは?」
「それは状態もいいし銅貨1枚だけど、さっきの下着とかチュニックやらズボンやらを全て合わせて銅貨5枚と大賎貨5枚か……大賎貨はいいや、銅貨5枚でいいよ」
やった!割と勉強してくれた!玲の分身は大銅貨1枚を出して、銅貨5枚のお釣りをもらう。店主の「毎度」という言葉を背に、玲は古着屋を後にした。
(夜は夜で街の色が変わるな)
玲の分身は夜の街をそぞろ歩く。気分はすっかり外国一人旅だ。ちなみに玲は大学・社会人の時に一人で海外旅行をした経験がある。
(街の名所を見ていきたいもんだ。ああ異世界の夜景を見てみたい。あそことかいいかも)
玲は街で一番大きな建物を見る。あそこからの街の景色はさぞ別格だろう。おそらく子爵の屋敷だろうか。入るのは難しいだろうなと思っていたが……。
(そうだ、分身を消して影潜ミで入れるか)
玲は不法侵入だと思ったが、そもそも街に入った時点で不法侵入はしていたので今更だと割り切って分身を消し、影の状態で子爵の屋敷の塀を超えた。屋敷の内部は見張り兵が何名かいたがこちらに気づいた様子はない。そのまま屋敷の屋根まで壁伝いに上がっていき、屋敷で一番高い部分に到着した。
(おお!これはすごい!)
まさしく絶景と言えよう。玲の目論見通り、目下の街の灯は今日見たどの景色よりも綺麗だった。玲は影潜ミから潜望鏡のように見ていたのだが、あまりの絶景に堪えきれなくなる。
(こんな景色を直に見ないのはもったいない!)
最初は分身を出そうとしたが欲が出る。「実際に自分の目で見てみたい!」と思い玲は影から出る。しかし、予想よりも風が強く、突風が顔に当たり続けて痛い。そこに肌寒さも加算され、玲は影に戻りたくなってしまう。
(うう……慣れないことはするもんじゃない。さっき買ったフードを被れば少しはマシになるかな)
玲はフードを被る。目に入る風は何とかなったが、寒さがどうにもならない。もう影に入ろうと考えるがあることに気づく。
(あ、霊体化で寒さ軽減されんかな?物理攻撃無効って風とかも対象になるのかな?)
玲は霊体化を発動させる。寒さが一気になくなった。急激な変化に玲は驚きの声を上げる。
(!霊体化って風とかも無効にできるのか!物理攻撃の範囲がわからん。自然の風が物理攻撃に当てはまるなら魔法で作った風はどっちに当てはまるんだ?)
まあ、魔法で風が作れるのかわからんがと思いながら玲は霊体化した体で景色を楽しんでいた。まさしく街の灯だ。しかも電気のような無機質な明かりではない。炎の揺らめきが一つの生き物のようにうねって夜景を形作っている。一つ一つの明かりに生命というのか温かみというのか、玲の言葉では表現できないものを感じ取れる。
(きれいだ……)
「誰?」
玲が景色を楽しんでいると後ろから女の子の声が聞こえた。おそらくここの住人だと推測する。
(やべえ、見られたか?見られたよな)
調子に乗って姿を出したのはまずかった。今の玲はコソ泥と何ら変わらない不審者だ。それに格好もフードを被っていて、いかにもな感じを醸し出している。玲は後悔するがどうしようもない。
(……ここで答えない方がまずいかな)
玲は振り返らずに答える。
「観光客」
玲はそう答える。間違ってはいなかったが、あまりに馬鹿らしい答えに自分で笑ってしまう。
「観光客?……旅人ってこと?」
どうやら女の子なりに解釈したようだ。玲はその言葉に首肯する。
「そうだね。そんなもんだね」
女の子は興味を持ったのかさらに質問を続けてくる。
「ねえ旅人さん。何でここにいるの?危ないよ?」
女の子は優しい性格のようだ。普通こんな不審者に危険を告げるようなことは言わないだろう。女の子の言葉に玲はどう答えようか悩む。
(さて、どうやって答えよう?)
「景色を見ていた。ここからなら綺麗だと思ったから」
玲は正直に伝えることにした。正直に答えたのに嘘くさい理由で我ながら馬鹿だなと思ってしまう。女の子は訝しんでいるようだ。そりゃそうだと玲は共感する。
「景色?そんなもの見てどうするの?」
「どうもしないよ。綺麗だから見てるだけ」
女の子は納得していないようだ。玲はどうやって切り抜けようかなと頭を膨らませる。
「私は綺麗だと思わない……」
女の子がそんなことを言い出した。?、とりあえず詳しい話を聞こうと優しく問いかける。
「なぜ?」
「だって、ただ灯りがついてるだけでしょ?それだけじゃない」
なるほどと玲は少女の話を理解する。
「そこがいいんじゃないか」
「わかんない、どういうこと?」
少女は問いかける。
「灯りがついてるってことは人がいるってことでしょ?」
玲は言葉を続ける。
「灯りを見てると一人じゃないって気になるでしょ」
玲はそう答えた。玲は暗闇の中で光を見るのが昔から好きだった。小さい頃の玲は電気をつけずに寝ることができなかった。そのため寝るときにはいつも豆電球をつけていて、親に豆電球を買うのは面倒なんだよと小言を言われるほど、その癖は小学校半ばぐらいまで抜けなかったのだ。
暗闇の中に光があると自分だけじゃない気がしてくる。本当に何となくだがそんなことを昔から感じていたのだ。今ではさすがに電気をつけずに寝ることはできるのだが、その分夜景を見るのが好きになっていた。海外に旅行した時の香港やシンガポールの夜景は今でも忘れられない玲の思い出だ。
「私にはわかんないよ」
少女はぽつりとそうつぶやく。流石に少女の様子が気になって玲は後ろを振り向いた。
それは燃えるような赤髪の女の子だった。昼に助けた女の子の妹だろうか。顔立ちは幼いが、どことなくあの子に似ている。女の子は窓からこちらをじっと見つめている。
「……幽霊さん?」
玲は一瞬何を言ってるんだと思ったが、すぐに霊体化の効果で体が透けてるからかと思い出す。玲ははぐらかすようにいう。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
少女は呆然とした顔をしていたが、些細なことと受け取ったのか、顔を元に戻す。
「……明かりがいくらあったって一人は一人じゃない」
そう言うと少女は窓枠に顔を伏せ、憂鬱そうにしている。
(そうか、この子は……)
玲は詳しくは聞く勇気はなかったが、彼女が何を求めているのかを察した。この子は何か理由があって一人にされてるんだ。友人・家族ともあまり関わっていないのかもしれない。いや、「あまり」じゃなくて「全く」という表現が正しいかもしれない。杞憂かもしれないがそうでないかもしれない。
(……よし)
玲は少しの覚悟を決める。
「じゃあさ。こうしない?」
玲の前振りに少女は顔をあげる。
「この時間だけ私が一緒にいてあげる」
玲の提案に少女は目を見開く。
「この街にはずっといるかもしれないし、ずっといないかもしれない。でも、しばらくはいるつもりだから、その間だけ、この時間、この場所に来てあげる。どうかな?」
玲の提案は無責任かつお節介な善意だった。玲の言う通り、玲がいつまでこの街にいられるかわからない。それに毎日同じ時間、同じ場所に来られるかもわからない。一回でも来なかったら、少女は余計に寂しさを募らせてしまうかもしれない。
少女は寂しさをすでに覚悟しているのかもしれない。何か家族の事情があって少女は一人きりにさせられているのかもしれない。その覚悟をひっくり返すことを玲はしようとしているのかもしれない。
でも玲は提案しなければならないと直感した。ここで少女を見放したら何かよくない気がする。玲はその直感に従って言葉を紡いだのだ。
一瞬の静寂。
次第に少女の顔から涙があふれ出てくる。その涙をふいてあげないといけない気がする。玲は大人として少女を見放すことができなかった。
(手だけ霊体化を解くことは……よし)
実体化した手を使い、少女の涙をふく。きざな行動にらしくないと思いながらも、しっかりと涙をふいてあげる。少女はそんな玲の手を優しく握る。
「温かい……幽霊さんなのに変」
「最近の幽霊は温かいのさ」
玲はおどけて見せる。少女は少し元気になったのか少し笑顔になってくれる。そしてじっとこちらを見つめ、確認する。
「本当に来てくれる?」
「ああ。いつまでいられるかわからないけど、来るよ」
本当は毎日と言いたいけれど、そこまで無責任には言えなくて玲は日和る。だが少女にとっては、その返事だけで十分だった。
「ねえ」
「ん?」
「名前は?」
少女の言葉に玲は言ってなかったと思い返し、「玲」と答えようとするがすぐにやめる。
(どこから漏れるかわからないしな……)
玲は咄嗟にこう答えていた。
「……クロード、悪いけど偽名」
黒田の字をいじってクロードと答える。しかし、それは少女に誠実ではないので偽名ということも伝える。少女はその言葉に不思議そうな顔を浮かべる。
「悪い人……?」
少女の言葉に玲は笑う。
「ははっ、悪い幽霊だからね」
そうおちゃらけて答えると少女はムッとして頬を膨らませる。
「あまり子ども扱いしてほしくない!」
「それは失礼しました。御嬢様」
そう答えると少女は許してくれたのか、クスリと笑ってくれた。
「御嬢様のお名前は?」
「……レディ」
少女はそう答えるが、さすがに偽名とわかる名前で玲は笑う。
(……なるほど意趣返しか)
玲が偽名を言ったので少女も偽名で返したのだろう。
「それは失礼しましたレディ。知らずとはいえ御令嬢の名前をレディ、レディと連呼してしまうとは!御令嬢の中の御令嬢たるレディに御令嬢として扱わずに少女のレディとして扱ってしまうとは!何たる失礼を!」
そういじるとレディはまた風船顔に戻ってしまう。
「クロード……嫌い……」
その言葉に玲はごめんごめんと笑いながら許しを請う。
「どうやったら許してくれる?」
「……明日も来て。レディとの約束」
そう言うと少女は片手を差し出してきた。玲はその小さな手を優しく握ると、少女は強く握り返す。
「お願い……」
「……また来るよ」
玲は短い言葉だけどそこに自分の思いを込めて答える。それが伝わったのか少女は空いた手で玲の手を包もうとする。その手の温かみはいつまでも玲の手に残っていた。街の灯が心なしか先ほどよりも光を増して、夜を照らし続けた。
次の投稿は2月5日0時を予定しております。
間隔が空いてしまい申し訳ございません。