第4話
「おめでとう!」
はにかむように笑った少女の桜色の唇が綻ぶ。
父が王都で仕立てさせた、白と薄紅のレースとフリルで飾られたドレスが少女の可憐さを引き立てた。
「やぁ、アデルは本当に可愛らしくなったな」
叔父の腕に抱き上げられる。
「お兄様、アデルはもうそんな歳ではないですよ」
母の困ったような声。
グライム邸に、親戚縁者が集まってーーと言っても10人ほどだがーーアデライーデの誕生日の祝宴が執り行われていた。
「ベルトルトももう幼年学校に入学か」
「はい、お祖父様」
「お前なら成績は問題ないだろうが、あまり無理をせんようにな」
子供達にかけられる賞賛や激励を見ていたローベルトに、義理の兄ーールイーゼの長兄、ヨーゼフが声をかける。
「アデルの舞、見たよ」
一般披露で行われた舞い。伯爵令嬢が踊れなくなって中断するまでは恙無く執り行えていたその舞い手の中で、アデライーデの姿は一際目立っていた。
「本当に器量好しに育っているーー実はな、何人か紹介してほしいってお方がいるんだ」
ヨーゼフが持ちかけてきたのは見合い話。アデライーデはまだ9つになったばかりだが、上級貴族や王族は生まれる前から婚約者が整っていることも珍しくはない。故に早すぎるとも言えなかった。
ヨーゼフは領都で文官として奉公していることもあり、彼を間口として申し込んできたのだろう。義兄の顔を立てるためにも話を聞くだけ聞こう。
「何人かいるーーが、そっちは後でリストにして渡しとくがな。
…実は、シェルベルク子爵様からも話が来てる。それも、ご長男だ」
そう頷いたローベルトの顔が、強張った。
現シェルベルク子爵は、前フォレンヒスベルク伯爵の次男、つまり現伯爵の弟に当たる。本家の極めて主筋に近い血筋が、しかも嫡男の嫁として一介の騎士の娘を娶ろうなどとーー。
「なんでも、舞台を見た若様がアデライーデに一目惚れしたらしくてな。あちらは今年10歳。年の頃も釣り合うしーー例の事件で婚約も流れてる。丁度いいからどうだとさ」
お前が昇進することもお耳に入ってるらしいぜ。そう囁かれて、難しい顔でローベルトは考え込んだ。
貴族としては、願っても無い僥倖と言えるだろう。手の届かないはずの上級貴族との縁組。婚姻関係となれば出世も、もしくは爵位の上昇すら視野に入る。
だが、父親としてはーー実家とは比べ物にならない高位の家に嫁ぐことになれば、アデライーデを守れるものは何1つない。気位の高い婚家の家族の中で、娘が上手くやっていけるのか。
幸せになれるのか。
ーーだが、主筋からの縁談を拒むわけにもいかない。
「ーー前向きに考えたいと」
まだ正式な申し入れではない。親戚を使って探りを入れているだけだ。今後情勢の変化でいくらでも縁談取り消しの可能性はあった。
それに賭けようと、ローベルトは返事を返し。
「子爵様にはそう伝えとくぞ」
おそらく察しているだろうヨーゼフも、何も言わずにその返事を受け入れた。
「アデル、舞が本当に上手になったなぁ」
「お母様によく似てきたわね」
「将来が楽しみだな」
口々にかけられる祝福が、褒め言葉がアデルは誇らしくてたまらなかった。
グライム家は、一介の騎士の家とはいえ、当主ローベルトが王国魔導学院を出て青龍騎士団に幹部候補として入団。若くして隊長職に任じられ、今後も出世が約束されている地位にある。長子のベルトルトも風の精霊の加護持ちで、王国魔導学院への入学を確実視されている英才で、一族縁者の期待の的だった。
そんな家に生まれた彼女も、その愛らしい容姿で一族中から愛された。
年頃になればさぞ美しい令嬢になるだろうとーー。
やがて、日が中天を過ぎた頃。
「アデル」
ローベルトが、愛娘を呼ぶ。満場の注目の中、彼は背丈ほどもある大きな包みを娘に示した。
開けてごらん、その言葉に促され、花の描かれた美しい包装紙が解かれる。
中から姿を現したのは。
「お父様、いいの!?」
銀のフレームに春の花々と小鳥の舞い踊る様子が象眼細工で施されている、美しい竪琴だった。
ミュレンゼシア王国の初代国王の正妃。美しき戦乙女と歌われる光の精霊の巫女姫が得意としていたのが、竪琴だったと言われており、貴族の娘にとっての必須教養の1つーーなにせ過去にはその竪琴の腕で、男爵家の娘が大公家の若君の正妻の1人として嫁いだほどーーとされてきた。
貴族の娘がこぞって求める楽器、当然その意匠も豪華なものとなっており、家の財力や格を見せつける手段ともなっていた。
当然ながら、良いものを買い求めようと思えばそれ相応の金額が必要になるのだが。
ローベルトがアデライーデに送った竪琴はーーおそらく竜討伐の報奨金をほぼ全てつぎ込んだに違いない。ルイーゼは半眼で夫を睨みつけーーそれでも、娘のこの上なく嬉しそうな笑顔にため息ひとつで笑顔を見せた。
ーーあの子の音楽の才能は本物だものね。
きっと今に、領都にその名を轟かせるほどの弾き手となるだろう、そしてその才能を引き出してやるのは親の役目だろうと。
そう、きっといつかあの子は大神殿で奉納曲すら奏でるようになるかもしれない。
いつか来るかもしれないその日が楽しみだった。
希望と喜びに満ちた誕生日は、日が傾きを見せる前に御開きとなった。
帰宅する親族たちを見送って、しばらく。
「奥様、用意ができましたよ」
「ありがとう、ジャン、アンナ」
初老の使用人夫妻に感謝を告げ開いた食堂。食卓いっぱいに、アデライーデの好物が並んでいた。
鳥のトマト煮、玉蜀黍パン、仔羊のハーブ焼き、根菜のポタージュ、そして林檎のパイ。
「お母様!」
大好物に囲まれて、アデライーデは咄嗟に母に抱きついた。
「お誕生日ですもの、特別ね?」
「ありがとう、お母様、お父様、兄様、ジャン、アンナ!」
大好きな家族の名前を呼び、嬉しくてたまらないと、その日何度目かの満面の笑みを見せる娘に。
さぁ早く食べましょうと、彼らは食卓へ着いた。
「さぁ、あなたたちも一緒に」
「いつも良くやってくれているのだから、たまにはね」
恐縮する使用人2人も強引に席につけて。
「では、アデルの誕生日を祝って!」
乾杯の声が木霊する。
ーーその日の夕食は、アデライーデにとって間違いなく人生最良の日であったと言えた。
後に贅を尽くした宮殿の女主人として君臨し、金を湯水のように使い、何人もの貴族を侍らせ美味珍味を尽くす様になっても。
家族と囲んだこの日の食卓に勝る幸福は、遂に手に入れることは無く。
だからこそ、その身を焼き尽くすまで彼女の復讐が終わることはなかったのだ。
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