第11話
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その男の人生にとって、暴力は常に身近なものだった。
幼く力弱い時は、振るわれる側として。そして長じて後は振るう側として。
ウルリヒが生まれたのは、スラムだった。それなりの規模の、それなりの街に付き物の敗北者の掃き溜め。
その、肥溜めのような世界で、娼婦の母と誰とも知らぬ父の間に産み落とされた彼の世界は、常に痛みに満ちていた。
いつだって機嫌の悪い母は、彼が生まれたから売り上げが落ちたと嘆ぎ、母の客の多くは、床に蹲り隠れようとする彼に暴力を振るった。
それでも時折、母に隠れてそっと食べ物を握らせてくれる客もいた。彼が力のない幼少期を生き延びられたのは彼らのおかげであった。
やがて、彼の背がようやく伸び始めた頃母が客に刺されて死亡する。
そこからの彼の人生は、母の元で暮らしていた頃が天国に思えるほど。
金など一文たりとも持っていなかった彼は、容赦なく住処としていたボロ小屋を追い出され、路上生活を余儀なくされるようになる。
生きる為に人から奪い、盗む。当然いつでも上手くいくわけではない。見つかれば当然のように凄惨な暴力の的となった。
幸運だったのは、平民にしては高い魔力を帯びていた彼の身体は、普通より頑丈だったこと。多少の傷ならばものともせずに喧嘩に明け暮れる彼が、娼館の護衛として雇われることになりーーそこで、1人の傭兵と出会う。頑強さに目をかけられ、その部下となった彼は、本格的な戦闘経験を積み腕を上げていくも、些細な喧嘩で人を刺し殺し、お尋ね者となったのだ。
生きるために再び泥水をすする日々。スラムで盗みによって生きてきた彼が、再び犯罪に手を染めるのに時間はかからない。
戦場仕込みの腕っ節に頼る仲間も集まり、気付けば彼らは立派な犯罪者集団ーー生死不問で手配される盗賊団に成り下がっていた。
そんなある日、1人の男が彼らに接触してくる。
金貨の入った袋を掲げた男の依頼は、簡単なものから始まった。
別なさの盗賊団の居場所の割り出し、彼の主人の不利益になる集団の弱みを探ること、山道を通る商人の襲撃ーー。
金払いがよく、一度も約束を反故にしたことのない彼を段々と信用するようになった頃。
とある村の焼き討ちを依頼されたのだ。
成功すれば、団員全員が遊んでいきていけるだけの金額と、領都の民としての戸籍を用意する。望めば傭兵団として雇い入れる。
そんな、裏のありそうな話にウルリヒは乗った。
今更、汚いところを知り尽くしている自分たちを切り捨てる度胸はあるまい。
そんな、甘い算段で
※※※
ふと、意識が浮上する。ああ、なんだか暖かい。より熱を受け取ろうと、寝返りを打ってーー飛び起きた。
「ここ、は」
パチパチと、軽い音を立てて焚き火が燃えている。
それはほっとするような灯りと熱を灯しており、強張っていた体からするすると力が抜けている。
拘束もされず、呑気に焚き火なんてしていられるということは。
「逃げられたんですね、私たち」
黒くぽっかりと空いた通路の先から、枯れ枝を山ほど抱えたディーターが姿を現した。
「なんでだ」
堰を切ったように、彼の口から疑問が飛び出る。枯れ枝を地面に取りこぼし、彼は跪いてすっかり肉が落ちて細くなった私の肩を掴んだ。
「なんで、騎士団が襲ってきたんだ?見張りだってちゃんと立ててた。あんな重武装の大人数、見逃したなんてありえない」
何故だと、私がそれを知っていて当然のように問いかけてくる彼。どうやら本当に「お告げ」を受けた預言者だと信じてもらえたようだ。
ふむ。どこから説明したら良いか。
「そもそもあなた、今回の村の襲撃についてどう説明されてたんです?」
私の問いかけに、ディーターはハッとしたように身を引いた。
それから少し考えて。
「特に…変わったことはなかった。いつもの貴族の依頼をハインツが持ってきて、これが終われば大金と、カタギの立場を手に入れられるって…」
うん、思った通り。
「そもそも、最初からあなたたち騙されてたんですよ。
あなたたちに依頼を持ってきてた貴族とハインツの目的は最初からグランツ領の襲撃。足のつかない盗賊に襲撃させて、証拠隠滅のためにあなたたちも皆殺しにする。最初からそれだけを目的として、都合よく動かすための信頼を築くために必要もない依頼を出してたんです」
例えば、最初から村の襲撃なんてヤバいことには手を出さないでしょう?でも、小さな依頼から少しずつエスカレートしていけば、報酬の高額さもあってこんなものかと受け入れてしまう。
それを狙いーーあとは、口封じのために皆殺しにするだけ。
どうして場所がわかったも何も、ハインツが出入りしてたから。見張りの位置だって当然把握していただろう。
何年もかけて張り巡らされていた入念な計画だ。
彼らはそのための犠牲の駒として選ばれただけ。
そう、私たちと同じように。
説明してやれば、ディーターは地面に手をついた。
「最初、から」
「ええ、フォレンヒスベルク伯爵は、最初からあなた方を殺す気でした」
弾かれたように、かれが私を見据える。
「フォレンヒスベルク伯…?だってあの印章は偽物だって…」
「確かに、あの印章は偽物ですが、以来主はフォレンヒスベルク伯爵であってますよ。
偽物の印章を使ったのは、万一他の貴族に見つかった際、名前を騙られた、被害者だと言い逃れるため。悪いことをするのに自分の名前を騙るなんてありえないでしょ?って強弁するためでしょうねえ。
他の貴族の名前を出さなかったのは、怪しまれないためでしょう。蛇の道は蛇。黒幕を別に見せかけたとして、ハインツがフォレンヒスベルク伯爵に仕えているとわかってしまったらおかしいでしょう?だから
偽の印章以外は真実だけで目を眩ませたんですよ」
ハインツもウルリヒも裏の人間だ。同じ世界で生きている以上、他の貴族の使いと言いながら、フォレンヒスベルク伯爵のために活動していることがどこから漏れないとも限らない。だからそこは正直に告げた。実際に厄介ごとの処理を依頼し、金を払った。大事な一点ーー主として貴族間の書簡のやり取りで使われるため、庶民には真偽がわかりようのない手紙の印章だけを偽造して。
「なんで…そんな、ことを」
掠れた声。自分が何かとんでもない陰謀に巻き込まれたのではないかーー。そんなことを考えているのだろうか?なら正解だった。
「王国軍の改革のためですよ」
王国の軍備は大公家がーー初代王弟が立てた家の後継が絶え、当時軍事方面を一手に握っていた三代前の王弟が当主として継いだことでーー統括している。当然王家は面白くないし、現実的に言っても王家の血筋のものが軍権を握っていることは脅威でもある。ここ300年ほどの平和もあり、法的にも予算的にも軍をガチガチに締め付けた。
ウルリヒのような山賊団が幅を利かせられたのも、規制によって山賊狩りすら膨大な量の書類を出さなければ軍を派遣できなくなっていることも理由の一つ。
辺境地方の治安は着実に荒れているし、それどころか一旦変事が起きた時、後手後手に回り国土守護すら覚束ない。そうなる前に、手頃な悲劇ーー山賊討伐すらままならなかった故に騎士領が、それも国の宝である加護持ちが2人までも犠牲になった、なんて自作自演の茶番をでっち上げたのだ。
国を守るため、大義のためのやむを得ない犠牲。伯爵も対抗も、すこぶる顔の良く有能で為政者としての責任感の強い人物として描写されていたこと、後の大戦でこの時の改革が役立ったこともあり、高貴なる者として義務を果たした、犠牲者のことを心に刻み続けている、なんて持ち上げられていたけど。
クソ喰らえ、だ。
この先、グライム領の悲劇は春月の惨劇として軍備改革の旗頭となりーーその度に、加護持ちでありながら領民も家族も守れなかったお父様の名は貶められるのだ。吐き気がする。
「俺たちはそのための捨て駒か」
顔を歪めて、ディーターは吐き捨てる。
彼らが捨て駒であることも利用されたことも否定はしないけど…。
「あら、あなた方が私利私欲から私の村と家族を皆殺しにしたこと、忘れないで下さいませね」
大きく目を見開いた彼に、もう一度、私の家族を殺したことを忘れるなと念を押す。
彼だって、私の全てを奪ったあの悲劇の加害者の1人。いくら利用された末端だからって、被害者面なんて許さない。
私の視線から逃げるように、焚き火の反対側に腰を据えたディーターは、時折枝を焼べる時以外は動きもせずに、ただ炎を見つめていた。
ーー本来、この襲撃で助かるのはディーターだけだった。
彼は伯爵家の討伐隊から逃げ惑い、追い詰められて地底湖に落下。偶然体が水路となっている洞窟入り込み、地底湖でつながっているもう一つの洞窟に打ち上げられたのだ。
それを、今は私と2人。
込み上げてくる笑いをかみ殺す。
ああ、良かった。私はこの世界の歴史に干渉できる。事実、大怪我を負い岸に打ち上げられるはずのディーターが、傷一つなくここにいる。
この記憶ーー原作知識は、武器になるのだと。
原作知識を使えば、イベントのための過去の惨劇、その名もない犠牲者の1人ーーモブですらなかったこの私が、歴史に干渉することが出来るのだと。
「ふふ、あはははっ」
「おい?お嬢ちゃんどうした?とうとう狂ったか?」
洞窟内に、私の笑い声が幾重にも木霊する。ディーターが薄気味悪そうにわたしをみるが、そんなこと知ったことではなかった。
ああ、やってやる。やってやろうじゃないの。
単なる踏み台にしか過ぎなかったこの身で、この世界に復讐を。
ーー悪役に成り上がってやる。
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