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転生した少女は悪役を目指す  作者: 利江 凛恵
第一章
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第1話

ああ、そういうことだったのかと心に落ちてきた納得。

愛するものすべてを飲み込んでなお燃え盛る炎の中、少女は清艶に微笑んだ。

そこにあったのは、憤怒か狂気か。

いずれにしろ、死にたくなるほどのそれだけで命が潰えてしまいそうなほどの哀しみから目を背けるためには。

他の何かで、心を塗りつぶすしかなかったのだ。

————憎悪という炎で。






その少女が生まれたのは、春の近づく雪解けの時期。やがて芽吹く全ての命のさきがけのように小さな村の小さな領主館に生まれた赤子を、誰もが歓声をもって迎えた。

若く壮健で気の優しい領主と、厳しくもしっかり者の奥方。利発な若様に生れ落ちた新しい命。

おらが村の未来は安泰だと喜ぶ素朴で善良な村人と、狭いが根気良く手をかければ冬を越えるには十分な実りをもたらしてくれる土地。

祝福に包まれて生まれた少女の名は、アデライーデ・フォン・グライム。

————後に歴史に名を馳せる悪女の一生は、そうしてまったき幸福の中で幕を開けた。



きぃ、とわずかに軋んだ音をたてて暑い木材と鉄でできた扉が開いた。

双頭の鷲と聖杯があしらわれた剣を履いたたくましい体つきの男が、旅塵に塗れたマントをバサリと脱いだ。

それを合図図にしたように、小さな塊が柱時計の影から飛び出す。


「お父様!!」


古く温かみのある玄関ホールに響く弾むように軽やかな少女の声。


「お約束通り、帰って来てくださったのね!!」


薄紅色の固まりが、背の高い騎士の腹をめがけて飛び込んだ。


「あぁ、ただいまアデル。私の天使」


父は少女をしっかりとその逞しい腕に抱きしめ、まろやかな白いほほにそっと唇を落とす。


「お髭が痛いわ、お父様」


きちんと剃っていらっしゃらないとキスしてあげない。そう、そっぽを向いた愛娘に騎士———ローベルト・フォン・グライム卿はへにょりとその凛々しい眉を下げた。悲しそうな顔の父に気付いた娘が口を開いた瞬間。


「お父様に向かってその口の利き方はなんです、アデライーデ」


降るように響いた女性の声に、アデライーデはきゅっと口を結んだ。ゆっくりと、若草色のドレスに身を包んだ女性が玄関ホールを見下ろす階段を下り進む。


「それになんです、先ほどの振る舞いは。あなたももうすぐ9つになるのです、いつまでも幼子のようなはしたないーー」


滔々と続く母の小言を振り切るように、少女は父の腕から抜け出し少しばかり開いていた扉を目指した。


「こら、待ち———」


んべ、と小さく舌を出して扉をくぐる姿は愛らしく、ローベルトは思わず微笑み。


「何を笑っていらっしゃるの、旦那様」


幼馴染で頭の上がらない恋女房の声に、そのまま表情を固定した。


「ル、ルイーゼ・・・」


ぎくしゃくと、そっと首をめぐらせ目を泳がせる。


「いつまでもそんなところに立っていらっしゃらずに、先ずは旅装を解いていらっしゃいませ」


そんな夫に、仕方がないなとばかりに彼女はため息をつき。花がほころぶように唇を緩ませた。


「本当に、ご無事のお帰りで何よりでしたわ」


深い緑の絨毯、年季は入っているが大事に手入れされていることが一目で見て取れる、長い間についた細かな傷すら温かみと思い出を醸し出す黒檀のテーブルセット。楽しげに炎が踊る煉瓦造りの大きな暖炉。

紅茶の香気に満たされた品の良い居間で、グライム卿夫妻は向き合っていた。

気心の知れた使用人も下がらせて、と言うよりもはや家族のような付き合いの使用人自身が気を利かせて二人きりの空間。半年ぶりの再会にを夫婦は喜び合う。


「ああ。ただいま」


ふっと、全身の力を抜くように背もたれに体を沈めた。


「屋敷に向かいながら、村を一回りしてきたよ。みんな飢えてはいないようだった。君のおかげだね」


春の芽吹きの手前。蓄えが足りないのであれば一番辛いだろう時期だったが、昼時の民家からは賑やかな声が聞こえてきた。それは、領民が飢えていないことの証左に他ならない。

いつも苦労ばかりかけてすまない。一年半ぶりに領地に戻った夫に、妻は付いた顔を背けた。


「苦労だなんて、思ったことはないわ」


ほんのりと薄紅に染まる頸をみて、ローベルトは幸せを噛み締める。


「君と結ばれたことが、僕の一番の幸運だよ」


心から溢れたようなその言葉に、小さな声で私もですよと返して。

夫婦の唇はーー。


「でも本当に、道中に何事もなくて良かったですわ」


寝椅子に並んで掛けた夫の全身を検分しながら、ルイーゼは改めて告げた。


「こんな季節に帰っていらっしゃるなんて」


冬の峠を越えたとは言え、まだまだ雪の降る季節。旅にはとても向いているとは言えない時期に、それでも彼が勤めに出ている王都からの帰領を急いだのは。


「アデルの花祭りなのだから、見逃すわけにはいかないだろう?」


女性の守護神である春の女神フローレラ。その祭典が、グライム領を始めとするミュレンゼシア王国中西部の一角を束ねるフォレンヒスベルク伯爵領都の大神殿で行われる。春の女神の巫女に選ばれた少女が、神殿の奥で女神の目覚めを促す舞を奉納する。その春の巫女姫に付き従うニンフの1人に彼らの愛しい娘、アデライーデが選ばれたのだ。

普段は貴族といえどおいそれと立ち入る事のできない大神殿奥の祭壇、そこに昇ることは、この上ない名誉であった。更にアデライーデは、この歳で9つになる。女の子は1つと5つと9つと15の歳春の祝い日に、男の子は1つと3つと7つと15の歳の武の祝い日に。それぞれの土地の神殿に出向いて守護神の祝福を授かり、成長を寿ぐのが習わしである。生まれた直後に受ける主神メレンディシアスの祝福と合わせて、死の神ヴォレスに攫われやすい子供の守護を祈願して始まったと言われている式典であった。

その歳に舞手の1人として選ばれるのだから、この上ない僥倖と言えるだろう。一人娘の晴れ部隊を見たい。それが、ローベルトを些か無謀な雪中帰郷を駆り立てた動機の1つであった。


「絶対に帰ってきてね、と言われてはね」


ニンフの1人に選ばれたことを知らせる、嬉しさを隠し切れないほどに文字が踊っていた手紙はもちろん荷物の中に忍ばせてある。

愛する妻の幼い頃に良く似た娘を、ローベルトは分かりやすいほどに溺愛していた。


「全く、貴方が甘やかすから…あの子ったら今日貴方が帰ってくるかも知れないからって舞の練習から逃げ出して隠れていたのよ。一番に貴方に会いたいからって…」


なるほど、それであの玄関での一幕かと、ローベルトは頷いた。


「まぁまぁ、あの子も浮かれているんだろう」


初めての領都、舞手、自身の祝祭ーーーそして、もうすぐくる誕生日。舞い上がるなと言っても無駄だろうと、彼は笑った。


「それにしたって、もう9つにもなろうというのにちっとも落ち着きがない」


誰に似たのかしら、とぼやく妻に。

君の幼い頃にそっくりだよと、決して言えない一言を脳裏に浮かべ。

幼馴染で遠縁で、幼い頃はやんちゃな彼女の手下として振り回されていた夫は曖昧に微笑んだ。




「アデライーデ」


きらきらと冬の鋭い陽の光を反射して輝く小川のほとり。キンっと耳が痛くなるほどの冷たい空気の中、くるくると踊る少女がいた。母親譲りの美しい青黒色の髪が柔らかく舞って彼女を彩る。

かけられた声に、ぴたりと足を止めた彼女は上気した頬で嬉しそうに笑った。


「ベルトルト兄様!」


そのまま河原を駆け上がり、兄の腕に滑り込む。


「父様と母様が心配されていたよ?」


急に家を飛び出したりしちゃダメだろう?そう、穏やかに諭す2歳年上の兄に、ぷぅと彼女は頬を膨らませた。


「だって、お母様が悪いんだわ。アデルはもう立派に舞うことができるのに!先生だってお上手って言ってくだすってるのに!」


お母様ったら、ちっとも認めてくださらないの!

唇を尖らせてそう訴える愛らしい妹に、兄は彼女と同じ濃い緑の瞳を困ったように細める。

ベルトルトから見ても、舞や音楽に関する彼女の才能は際立っていた。

母が彼女に厳しく舞を仕込もうとするのは、それを認めていないわけではなく。神聖な晴れ舞台や、その後に用意されている一般向けの舞台ーーこの村の全員よりもはるかに多い人数を前にした演舞ーーで雰囲気に飲まれたとしても、体が勝手に動くように、可愛い娘が恥をかかないように。そんな親心だと知っていた。

そして、気が強い彼女がそう言ったところで素直に聞き入れないことも。

ーーまったく、母様とアデルはよく似ていて困る。

来る夏には、ベルトルトは領都の幼年学校へ進学する予定なのだ。父も王都に戻るだろう。似た者同士の母娘2人で過ごす未来が今から恐ろしい。

そんな、来る未来に少々の暗雲を感じつつ。


「そんなこと言わないで。ほら、父様にも舞を見せてあげるんだろう?」


そう、妹の手を引いて館へ向けて歩き出した。


「兄様にも見せて差し上げてよ?」


こまっしゃくれた妹の態度に、ありがとうと穏やかに返し。

仲の良い兄と妹は、弾む足取りで家路を辿る。


魔石がはめ込まれた蓄音機から流れる、春の女神を讃える賛美歌の一節。そのリズムに合わせて、少女は踊る。くるりくるりと軽やかに回り、時に弾むように飛び上がり、そして領布を手を足を自在に操る。

厳しい冬は去り、暖かな慈愛の春が訪れて嬉しいと。

そんな風に、小さな身体が前身で主張していた。


一拍の静寂。そして、


「素晴らしいーー」


若干目を潤わせ、ローベルトは椅子を鳴らして立ち上がった。


「本物のニンフかと思った、ああアデル、本当に可愛らしい…!」


それ以上の言葉が出てこないと、父は娘を抱き上げてくるりと回した。

きゃあ、と可愛らしい声を上げるアデライーデの顔に浮かぶ、得意満面の笑み。


「ちょっとあなた、家の中で危ないわ!」


そう告げるルイーゼの顔にも、父と妹を手を叩いて囃すベルトルトの顔にも、隠しきれない笑顔が浮かんでいた。

やがて、ひとしきり娘を褒めちぎったローベルトはそうだと言わんばかりに、寝椅子の下に隠していた荷物を取り出す。


「それ、なんですの?お父様」

「なんですか?父様」


二人の子供が興味津々、と見つめる先。大きな麻袋から出てきたのは、大小2つの包み。


「実はな、半年ほど前に王都近郊に小型のはぐれ竜が出てな」


王都自体は結界に守られている。だが、小型とはいえ家一軒ほどの大きさのある、グライム領など簡単に滅ぼしてしまえる竜が近くに出没したともなれば人々は大いに不安がる。人の行き来、そして流通にも混乱が起こる。実際、一時期王都の食料品はかなり高騰したらしい。

王家や、そして王都に居を構える上級貴族たちは、事態を重く見て王都の守護を任務とする青龍騎士団にその討伐を命じた。

その討伐隊として選ばれたのが、青龍騎士団第1師団第4連隊第3大隊所属の第8中隊であった。そして、第8中隊の中で竜討伐の実働隊として選別されたのがーー。


「私が小隊長を務める第2小隊だったんだ」


ローベルトの率いる第2小隊は、竜種に対してお手本のような働きを見せた。まずは弱体化魔法で相手の戦力を削り、遠距離戦を仕掛ける。竜の翼を集中砲火し、飛行能力をある程度封じたところで近距離戦を得手とすると者たちが剣や槍で竜の体力を削りきった。

最終的に、ほんの数人の怪我人だけで竜を倒したのだ、と。

語るローベルトの話を、ベルトルトもアデライーデも一言も聞きもらすまいと聞き入った。大好きな父の活躍に、憧れの騎士の戦いに目を輝かせて。


「その竜、実は抱卵していてね。だから人が多い場所にも関わらず、なかなか離れようとしなかったらしい。運良く、3つほど無事な卵が手に入ったんだ」


卵を守ろうと、その竜が巣から離れた場所を戦いの地として選んだことが幸いした。

王国が現在力を入れて整備を進めている竜騎空団。竜はどう猛な魔獣であるが、孵化から育てることで人に慣れさせることは可能であった。そうして育てた人馴れした竜を航空戦力としてーー主に魔導師や騎士を乗せての空からの襲撃を行うーー配備する。そのためにも、騎獣となる竜の卵の確保は急務であった。なにせ、竜は気性が荒く、生息地は魔獣の多く住まう山脈や大森林の奥地。

そこまで無事に行って帰ってくるだけでも難しい。それに多くの竜は群れで暮らしており、卵を盗めば100を超える数を相手取ることになる。そんな苦難をくぐり抜けて卵を手に入れても、無事に孵るかどうか、また育つかどうかは運次第。

大きく育ったとて人慣れをしない個体や、相棒を見つけきれない個体もでる。

結果、現在竜騎士と認められた者は僅か50人足らず。

それを一挙に3つも卵を手に入れることが出来たのだから、軍上層部はたいそう喜んだ。

青龍騎士団の団長は、国王、そして大公から褒美の言葉を賜り。

そして、小隊長であるローベルトは昇進の内示、勲章、討伐した竜の素材を褒賞として下げ渡されたのだ。

ローベルトがアデルのために帰ってこれたのも、褒賞の1つであった休暇を愛娘の誕生日に合わせて調整していたからだった。

そして、彼は王都の腕のいい道具屋に竜の素材を持ち込んだ。


「お前たちも、そろそろこれくらいは持ってもいい頃だろうから」


はらりと、大きな方の包みの布が解かれる。そこから現れたのは、流麗な唐草模様の細工が施された鞘に包まれた剣だった。

すらりと、ローベルトが剣を抜く。露わになった刀身の中央に輝く深緑の魔石、波のような波紋が美しい銀の刃。


「竜の魔石と、牙を素材にした剣だよ。これならお前が騎士に任官されても使えると思ってね」

美しい剣がベルトルトに手渡される。


「夏からは幼年学校生だ。加護持ちのお前なら大丈夫だと思うが、慢心せずにしっかり励みなさい」


父の激励と喜びに顔を紅潮させたベルトルトが、はいと大きく返事をした。

頼もしく優秀な跡取り息子の髪をぐしゃりと搔きまわす。


「私も幼年学校で沢山の友人や同士を手に入れた。本当に多くを学べる場所だぞ」


ローベルトは懐かしそうに目を細めて。

そして、もう1つの包みを食い入るように見つめる娘に目をやって。それが己へのお土産だと疑っていない彼女に微笑み、細身の包みを手に取った。

中から取り出したのは、1尺程の杖。艶やかな栗色の細い杖の持ち手には、兄の剣と同じ深緑の魔石が嵌っていた。


「こっちはアデルに。同じ竜の魔石と、牙を芯材に使ったんだ。

ーー草原に出たのが風竜でね。丁度良かった。

ベルトルトはもちろんだけど、アデルだって2年後の入学に向けて今から頑張らなくてはね」


領都の幼年学校への入学は、騎士階級以上ならほぼ全ての子弟に開かれている。そのまま高等部への進学も。

だが、幼年学校を卒業後、王都の王国魔導学院への入学を目指すなら、途端に道は狭まる。大貴族の子弟ならば席は用意されているが、下級貴族に数えられる騎士の子供となれば相応の実力ーー学年の優秀者とならねばならなかった。だが、その選抜をくぐりぬければ。名実共にエリートとしての道が開かれる。

一地方騎士であるローベルトが、若くして大貴族も名を連ねる騎士団の小隊長となれたのも、彼の実力と、王国魔導院の卒業生として当初から幹部候補生として任官していたことも大きい。

ベルトルトはそんな父に憧れ、自身も同じ道を歩きたいと夢見ていた。

アデルは王国魔導院への入学を目指しているわけではなかったが、それでも優秀な成績を残すことは彼女自身の価値を高めるためにも悪くはないだろうと。

そんな、可愛い子供達へのローベルトの愛情がこもった贈り物を抱きしめて。


「はい、父様」

「はい、お父様」


声を揃えて、笑った。


父の帰郷、舞を褒められたこと、素敵な贈り物を貰ったこと、いよいよ半月後には領土へ赴くことーー。

アデルは幸せな興奮に包まれて、眠りの気配を待っていた。

領都にある大神殿はそれはそれは立派で、美しいのだと聞いた。その最奥で舞うのはこの上ない栄誉。それに領都には、今までに見たこともないような楽しい物で溢れているのだ、と。

早くその日が来て欲しい。でも、時間が早く過ぎればその分父も兄も行ってしまう日も早く来てしまう。

幸せなもどかしさを、彼女は寝台の上で噛み締めた。

お父様も兄様も、ずっとお家にいればいいのに。

そうすれば、舞くらいいつだって見せてあげるのに。みんながいた方が、お母様だって喜ぶに決まっているのに。

そんなことを考えながら、彼女は眠気にその意識を預けた。


ーーこんな幸福がいつまでも続くのだと、少女は他愛もなくそう信じていた。


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