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ネヴァーランド

「ねぇ。次はいつ来てくれる?」


彼は不安そうに、というよりも、いかにも私の訪れが楽しみで仕方がないという調子でこう言った。

「開口一番がそれなの。折角来たのに、会って早々そんなこと言われたんじゃ、あまり良い気がしないわ」

私が呆れたように首を振ると、彼はそれが面白かったのか、より楽しげに笑った。そしてどうやら彼には、私と会話をしようという意思がないらしかった。

「ねぇ、僕にさ」

彼は勿体ぶったようにそこで一旦区切った。彼の隣に腰を降ろすと、長く儚げな銀色のまつ毛のよく似合う、俯いた横顔が見える。ただ美しいと、そう感じた。

しばらくすると、彼はゆっくりと顔を上げ、私のことを見据えてから、やはり微笑んだ。

「僕にさ、おめでとうって言って」

その言葉は、一瞬で私の周りの心臓を固めてしまった。隣にいる彼がそれに気付かないわけが無い、ということは分かりきっていた。しかし私は、彼が私の反応をみて楽しんでいる、ということも知っていた。

「おめでとう」

私が感情のない声で短くそう答えると、また彼もありがとう、と短く言って、それきり顔を背けてしまった。

しばしの間、私と彼との間には沈黙が訪れた。

専ら彼が話すことを聞いているばかりの私には、何を話したら良いのかが分からなくなってしまっていた。しかし今の彼と私には、ありふれた世間話やら楽しい掛け合いやらは、寧ろ邪魔なことのように思えた。

「ねぇ。僕ってさ、大人になっちゃったのかな」

突然彼はこう言った。私は何を答えたら良いのか分からなかった。彼も黙り込んでしまった。

「大人になんてなりたくないから、ここに来たんだ」

私は頷いた。

彼は真上を向いて目を閉じているようだった。声が震えている。彼のそんな様子は初めて見たけので、私は少し戸惑ってしまった。

私の方が彼よりも年長だった。

「どうして君は、大人だなんて言われちゃったんだろう。なにも、こんな場所に隔離すること無いのに」

すると彼は、目を見開いて私を見た後、困ったような安心したような表情で苦笑し、

「きみのせいだよ」

とおどけてみせた。それはいつもの冗談のようにも聞こえた。

彼は大きなため息をついて、ゆっくりとそのまま後ろに背中を倒して寝転がり、私の腕を引っ張った。私も大人しく、彼と同じ体勢で寝転がる。

「僕だけが大人になっちゃったのが悔しいんだ」

彼の声は落ち着いていた。

「──あのさ、僕はきみが、」

私は彼の目を見ようとした。しかし彼の瞳は私を映そうとはせず、ただ、暗く低い天井を眺め続けるだけだった。


「好きだよ」


彼は此方を見ようとはしなかった。

私には理解が出来なかった。彼がどうして今更そんな事を言い出したのか。

「それは、私も好き」

彼はやはり虚空を見ていた。

「君が好きじゃなかったら隠れてまで会いに来ないに決まってるでしょ」

私がそう言う「ねぇ。次はいつ来てくれる?」


彼は不安そうに、というよりも、いかにも私の訪れが楽しみで仕方がないという調子でこう言った。

「開口一番がそれなの。折角来たのに、会って早々そんなこと言われたんじゃ、あまり良い気がしないわ」

私が呆れたように首を振ると、彼はそれが面白かったのか、より楽しげに笑った。そしてどうやら彼には、私と会話をしようという意思がないらしかった。

「ねぇ、僕にさ」

彼は勿体ぶったようにそこで一旦区切った。彼の隣に腰を降ろすと、長く儚げな銀色のまつ毛のよく似合う、俯いた横顔が見える。ただ美しいと、そう感じた。

しばらくすると、彼はゆっくりと顔を上げ、私のことを見据えてから、やはり微笑んだ。

「僕にさ、おめでとうって言って」

その言葉は、一瞬で私の周りの心臓を固めてしまった。隣にいる彼がそれに気付かないわけが無い、ということは分かりきっていた。しかし私は、彼が私の反応をみて楽しんでいる、ということも知っていた。

「おめでとう」

私が感情のない声で短くそう答えると、また彼もありがとう、と短く言って、それきり顔を背けてしまった。

しばしの間、私と彼との間には沈黙が訪れた。

専ら彼が話すことを聞いているばかりの私には、何を話したら良いのかが分からなくなってしまっていた。しかし今の彼と私には、ありふれた世間話やら楽しい掛け合いやらは、寧ろ邪魔なことのように思えた。

「ねぇ。僕ってさ、大人になっちゃったのかな」

突然彼はこう言った。私は何を答えたら良いのか分からなかった。彼も黙り込んでしまった。

「大人になんてなりたくないから、ここに来たんだ」

私は頷いた。

彼は真上を向いて目を閉じているようだった。声が震えている。彼のそんな様子は初めて見たので、私は少し戸惑ってしまった。

私の方が彼よりも年長だった。

「どうして君は、大人だなんて言われちゃったんだろう。なにも、こんな場所に隔離すること無いのに」

すると彼は、目を見開いて私を見た後、困ったような安心したような表情で苦笑し、

「きみのせいだよ」

とおどけてみせた。それはいつもの冗談のようにも聞こえた。

彼は大きなため息をついて、ゆっくりとそのまま後ろに背中を倒して寝転がり、私の腕を引っ張った。私も大人しく、彼と同じ体勢で寝転がる。

「僕だけが大人になっちゃったのが悔しいんだ」

彼の声は落ち着いていた。

「──あのさ、僕はきみが、」

私は彼の目を見ようとした。しかし彼の瞳は私を映そうとはせず、ただ、暗く低い天井を眺め続けるだけだった。


「好きだよ」


彼は此方を見ようとはしなかった。

私には理解が出来なかった。彼がどうして今更そんな事を言い出したのか。

「それは、私も好き」

彼はやはり虚空を見ていた。

「君が好きじゃなかったら隠れてまで会いに来ないに決まってるでしょ」

私がそう言うと、彼はそうだよねと目を閉じた。

また沈黙が訪れる。彼は意を決したように口を開いた。

「多分今晩の夜明けなんだ。僕の最期」

私には、彼がどんな最期を遂げるのかもまた、分からなかった。彼は薄々勘づいているようであったけれど、決して私に話してくれることはなかった。ただ、ここの外に出るのではなく、この中でおしまいなのだという事だけは、彼の様子から私にも分かっていた。

「ねぇ。きみは今ここで、大人になったりはしてくれない?」

彼はやっと此方を向いて、無邪気に笑った。私は彼と目をしばらく合わせると、さっき彼がやっていたように天井に目線を移した。彼は私から目を離さない。

「大人へのなり方が分からないの」

すると彼は、小さく息を吐いて笑った。それは子供の私を馬鹿にした笑い、というより、彼が自分自身を自嘲した、というのが近い様に思えた。

「じゃあ、」

今までも、彼の考えていることが分からないことはよくあった。

「僕が居なくなった後も、ずっと大人になんてならないでね。大人って、ロクなもんじゃないからさ」

彼は悪戯っ子のように、わざと意地悪くそう言うと、これまた楽しげに、ふっと笑った。



メリーゴーランドが動いたらしい。君と幾度となく聞いた軽快なワルツが、朝日と共に、その小さな窓から入ってきた。と、彼はそうだよねと目を閉じた。

また沈黙が訪れる。彼は意を決したように口を開いた。

「多分今晩の夜明けなんだ。僕の最期」

私には、彼がどんな最期を遂げるのかもまた、分からなかった。彼は薄々勘づいているようであったけれど、決して私に話してくれることはなかった。ただ、ここの外に出るのではなく、この中でおしまいなのだという事だけは、彼の様子から私にも分かっていた。

「ねぇ。きみは今ここで、大人になったりはしてくれない?」

彼はやっと此方を向いて、無邪気に笑った。私は彼と目をしばらく合わせると、さっき彼がやっていたように天井に目線を移した。彼は私から目を離さない。

「大人へのなり方が分からないの」

すると彼は、小さく息を吐いて笑った。それは子供の私を馬鹿にした笑い、というより、彼が自分自身を自嘲した、というのが近い様に思えた。

「じゃあ、」

今までも、彼の考えていることが分からないことはよくあった。

「僕が居なくなった後も、ずっと大人になんてならないでね。大人って、ロクなもんじゃないからさ」

彼は悪戯っ子のように、わざと意地悪くそう言うと、これまた楽しげに、ふっと笑った。



メリーゴーランドが動いたらしい。君と幾度となく聞いた軽快なワルツが、朝日と共に、その小さな窓から入ってきた。

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