報告書
ちょっとしたアクセサリに見えるチョーカーには、転生者である事を示す識別票が揺れている。人々がそれに向ける感情は様々だ。
嫉妬、羨望、嫌悪、恐怖。自己顕示欲を満たすには少々複雑過ぎる感情に転生者は晒されている。
「名前呼びはまあいい。だとしてもタケルさんだ。いい加減年長者を敬え。敬称を覚えろ萌々」
「なぜ魔王たる我が貴様如きに敬称を付さねばならぬ。貴様こそ萌々様と呼べ!」
我て
病魔が進行し過ぎてもはや手遅れと思われる。
彼女は悪くない。きっと社会が悪い。しかし正直面倒臭いものは面倒臭い。だからはっきり言う。
「その設定は飽きた」
「せ、設定ではないと何度言ったらわかる! 我こそはかの混沌大陸を統一せし覇者、古代王朝期より続く貴き血潮流る由緒正しき魔族の王、モニカ・ルクセール・デュ・マイヤール・エレナ・ストラディン・ファルコニモであるぞ」
「モモだろ」
「モモってゆーなぁッ!」
ムキーッと顔を真っ赤にしながら腕をブンブン振る姿はただのクソガキだ。
これが渚さんやビビアナならばおっぱい的事象が発生するだろう。だがモモの胸部装甲は紙である。更に言うなら彼女は発育不良かと心配するほど小柄で女性的な凹凸は殆ど無い。ていうか無い。
いいからソファから降りろ。行儀悪いぞ。
注意するとブツクサ言いながら言う事を聞くあたり、素直で可愛らしいなとは思う。
「この世界では親のすね齧ってる自称魔王よりも社会人のほうが圧倒的に偉いんだ。わかったら大人しくしてろ」
「クッ 忌々しい社会人などいつか滅ぼしてくれるッ!」
「ダメ人間か」
邪悪な妄言をハイハイと聞き流して俺は自身のデスクに座り端末を立ち上げた。
休憩がてらネットニュースを眺めていると、アラン氏のインタビュー記事が目に入る。
冷蔵庫で冷えた缶コーヒーを啜りながら記事を流し見していたら、いつの間にかモモが俺の隣でパイプ椅子に座っていた。
「何を見ておるのだ?」
至近距離で見るとやはりとんでもない美少女だが、正直、美醜とかどうでもいい。女は外面と内面が別物だということを、幼少より嫌というほど思い知らされてきたからだ。
「え? ああ、アラン氏のインタビュー記事だ。前世では大魔法使いだったって聞くけど、賢い人は転生しても賢いんだな」
「ふん、あの洟垂れ小僧も出世したものよ」
「お前な…… 転生者の社会的地位を確立した偉人だぞ。お前ら転生者の自由と権利が保障されてるのはこの人のおかげなんだからな。もっと敬え」
そう。今もなお語られる始まりの転生者、アラン・マグダウェル・洋一氏は現在も転生者達の代表者的存在だ。
彼は表舞台に立った後、出資を募り財団を立ち上げた。
その目的はこの世界に馴染めない転生者の支援や社会的孤立の防止、転生者による社会貢献とロビー活動等である。
財団設立当初、世はまさに混乱期。
転生者の判別を行う体制を確立する事が急務だった。
アラン氏はそんな切実な需要に応えるべく、自身の持つ魔導技術と科学を融合させた機器、『転生者判別システム』、通称【プロビデンス】を開発する。
当初、政府は転生者かどうかを膨大なヒアリングを重ねる事で判断していた。
転生者と一言で言っても何となくの記憶しか無い人もいれば、全く記憶が無い人もいる。
大多数の転生者は多少の記憶を持つだけで他は一般の地球人とほとんど変わらない。むしろアラン氏のように明確な記憶を持ち、前世の能力をそのまま引き継いでいる者の方が稀だ。
そんな中開発された【プロビデンス】は当然の如く世の中を変えた――――わけではなかった。
正確な数字は公表されてないが、プロビデンスは1日数十人の検査が限界だったのだ。
とてもじゃないが虫の様に湧いてくる自称勇者様やら王子様を捌き切れるスペックではない。
そして、そもそも魂の波形を観測するという謎機械を量産するというのも無茶な話だった。
「ところで今日はどこに行っていたのだ?」
「面談だよ。自称転生者の予備審査……まあいつもの仕事だな」
「ほう、つまらん」
「だったら聞くんじゃねえ。それと今から報告書を書くから邪魔すんなよ」
とまあそういう流れで、悩める人々のヒアリングやカウンセリングも転生者管理局の業務の一つだ。
異世界の壷(偽物)を買わされた人の相談に乗ったり、街中で魔法戦(物理)をやらかすアホ共の仲裁をしたり。異世界詐欺に関する啓蒙活動と大忙しだ。
大変な世の中になったもんだと思ったら、これはなぜか日本特有の現象らしい。大抵の国の人は異世界詐欺とかプゲラである。
そして最近では異世界式マッサージが流行ってると聞く。
日本語カタコトの女性が呪文的な何かを唱えつつテキトーにマッサージをし、最終的には客の上で腰を振りたくるそうだ。もはや異世界関係ない。
「あ゛~ 報告書、なんて書くかな……」
「そのような下仕事を押し付けられるとは、ふっ、同情してやってもよいぞタケル」
「何言ってんだお前。次からお前もやるんだぞ」
「ふぇッ?」
萌々がアホみたいな声を上げて固まる。俺はスルーしてパソコンに向き合った。
報告書を上げると豪語したものの、報告書形式に落とし込もうとするとどうしても上手くいかない。
何度書いてもしっくりこないため、社会人としてはどうかと思いつつも、ありのままを書き起こす事にする。
今日のヒアリング対象者は、都内在住のトメさん102歳独身(死別)だった。
面談中、突然目を閉じて動かなくなったり、誰もいない空間に向かって喋り出したりと、すこぶる心臓に悪い婆さんだったが転生の事を語る時の目には力があった。
トメさんは、地球に転生する直前、真っ白い部屋で神様からソロバンのチートを与えられたと強弁した。ザ・異世界転生である。
反応イマイチな俺に業を煮やしたトメさんは、カッと目を見開いてソロバンを引っ掴んだ。
―――願いましては~ 238円なり524円なり59円なり~~~
残像が見えるほどのソロバン捌きは凄まじかった。残り少ない寿命を燃やしているようにも見えた。
パソコン使おうぜ、などという暴言を俺はぐっと飲み込んだ。事前に家族の方に忠告されていたからだ。ショックを与えるとヤバいよって。
ちゃぶ台でお茶を啜って茶菓子を食べ他愛のない世間話をする。トメさんはやはり誰もいない空間に話しかけたりしていたが、俺が帰り際にボソリと呟いた。
―――おじいさんは向こうで元気かねえ
1世紀もの間、この世界の景色を目に映して来た彼女にとって、異世界転生という現象を認識したのはつい最近だ。
子を産み孫を抱き、随分と歳を取った小さなおばあちゃんは別に異世界に行きたいわけじゃないのかもしれない。
ただ、ここではないどこかで生きているかもしれないお爺さんに、きっともう一度会いたいのだ。
俺はじんわりと暖かい気持ちになると同時に、どうしようもなく切なくなった。
彼女にプロビデンスの検査を受けさせてあげることが正しいとは俺にはどうしても思えない。
異世界人は死してなお地球という名の宿木を見つけた。だがこの世界に生きる人が死んだ時、その魂は一体どこへ向かうのか。
その答えを知る者は誰もいない。
的な内容をそれっぽく書いてみる。
笹原支部長が報告書を手に目を潤ませていた。どうやらピンポイントに刺さってしまったらしい。
わかるわー的な感じでウンウン頷く萌々。
「どうせすぐにジジイと会えるから放置でおk、という話だな?」
「お前はもう少し言葉を選べ」
こいつマジどうしようもない。
次から一緒に外回りをすると思ったら頭が痛くなってきた。
「そうだタケル君、次の案件について打ち合わせをしたいので時間を作ってくれたまえ」
ズビビと鼻をかんだ支部長が俺に声をかける。
俺は苦笑しながらパソコンをスリープにして席を立った。