プロローグ
勢いでこんなん書いてみた
よれたシャツ、曲がったネクタイ。少しだけ黄ばんだ襟元。
不潔というほどではないが、生活感が滲んでいる自覚はある。
周囲に広がるのはいつも通りのありふれた景色。聞こえてくるのは車の喧噪や学生達のはしゃぎ声だ。
俺はスーツの上着を片手に空を見上げた。季節外れの強い日差しを睨みつけてから諦めたようにため息を吐く。
「俺、こうやって歳をとっていくのかなぁ……」
人生を振り返ってみても何も特筆すべき事が無い。
ごく普通の高校をごく普通の成績で卒業し、大した苦労もせずに就職した。職場自体はちょっと特殊であるがそれだけだ。
今まで特に出会いも無かったし、最近は彼女いない歴=年齢である事に凹みもしなくなった。
人生詰んでいるとは言わない。だが先が見えている事は確かだ。
このままなんとなく働き、なんとなく歳をとり、そしてなんとなく死んでいくのだろうか。
彼女も出来ず、家と職場を往復するだけの日常を、気が遠くなるほど繰り返すのだろうか。
そんな漠然とした不安すらいつも通りだというのだから笑えない。
俺は目についたコンビニに入り、缶コーヒーを手にレジに向かう。可愛い店員さんのスマイルにドキリとしても、声をかける勇気があるはずもない。
会計を済ませ、缶コーヒーの入ったビニール袋を片手に店を出る。
店を出た瞬間、歩道を横切るネコが目についたのは偶然だった。
猫が当たり前の様に歩いて道路に出る。
俺は咄嗟に道路を見回すがそもそも車の往来の多い道ではない。少し先にトラックが見えるだけだった。あの距離ならば猫は普通に道路を横断し、トラックは普通に走り去るだろう。
そう思って猫に背を向け、歩き始めた時だった。
「ネコだー!」
そんな声が聞こえた。たたたっと子供がアスファルトを蹴る音も。
ハッと背後を振り返り息を飲む。
目に飛び込んできたのはネコを追いかけ道路に飛び出す小さな子供と、子供に迫る大型トラック。
「危ないッ!!」
気付いたら俺は駆け出していた。
頭の中は真っ白だ。
まさか、嘘だろ。こんなにあっさり。
俺は今、夢でも見てるのか。もしかしてついに俺は……ッ
聞こえた。自身の呼吸音が。
跳ねる心臓の脈動と、背後に忍び寄る『死』の気配を感じた。
子供に向かって必死に手を伸ばす。容赦なくトラックが迫る。
頼む――
「間に合ってくれ――!」
世界はスローモーションだった。頬が引き攣るのがわかる。
ダイブするように身を投げ出して子供を突き飛ばす。宙に浮く子供が一瞬、不思議そうな顔で俺を見た。
間に合った。直後、俺の視界一杯にトラックが迫り、そして――――俺は呟いた。
「これで俺も異世界に……ッ」
体に奔る衝撃。路上に叩き付けられる意識。
光が消える。音が消える。世界が、消える。
そして気付いた時、
俺の魂は肉体を離れ、
真っ白で何も無い部屋で
初対面のお爺さんに土下座された後
お詫びとしてチートスキルを与えられた――――――なんて事にはなりませんでした。
ススーッとトラックがスムーズに停車する。中年の運転手が降りて来て俺に言った。
「アンタ何やってんの?」
俺は陸に打ち上げられた魚の様にアスファルトに横たわったまま答えた。
「いや、子供を助けようと……」
「自動ブレーキは義務化されてるし【ドライブAI】のおかげで、余程のことが無ければ人身事故なんて起きない事を知った上で?」
「異世界に行けるかな~ なんて……」
「そう。頑張ってね」
「あ、はい」
運転手は何事も無かったようにトラックに乗って走り去った。猫も巻き込まれるのを嫌って逃げた。
残されたのは道路に転がる俺と子供だけだ。
周囲の皆様方がみんな俺を見ている。理由はわかっていた。突き飛ばされた子供はギャン泣きしているからだ。
気まずい感じで立ち上がる。私はやってないアピールのため、ズボンをパンパンと払った。
「マ゛マ゛ぁぁぁ~~ッッ!!!」
子供が母を呼ぶ。
当然、母がやって来る。
「ああッ 得美寿ちゃん! アンタ、ウチの子に何してくれとんじゃッ!!」
「私はやってません」
「死にくされェッ!!」
「ヘブッ」
左ジャブ。
右ストレート
腰の入ったレバーブローが俺に突き刺さる。
「ぶべっ」
体がくの字になったところで眼前に股に食い込むパンツがあった。お母さんが豪快に足を振り上げている。かかと落としだ。
後頭部に衝撃。そして最期は流れる様な回し蹴りで俺は再びアスファルトに沈んだ。
「ああ可哀想に得美寿ちゃん! さ、帰りましょう。今日はカレーよ」
「やったー」
親子は手を繋いで去っていった。
道路でカエルみたいに伸びる俺を車が迷惑そうに避けていく。道を歩く人たちがヒソヒソ声で話していた。
「どうしてこうなった……」
俺は呻いた。
ポケットにはいつだって甜菜の種が入ってる。
バッグの中のジップロックには麹菌。もちろんビー玉だって準備してる。魔法に応用するためプログラミングも覚えたし、茶色気味の髪はこまめに黒く染め直している。
異世界でチートする気は満々だ。知識チートで俺TUEEEして目立ちたくないけど酒池肉林ドンと来いは日本男児の悲願である。
なのに一向に神様は俺の前に…… いや、俺たちの前に現れようとしないのだ。
「不公平過ぎる……」
俺はゴロリと仰向けになって空を見上げた。
果てしなく広がる青空の向こう、こことは違う世界が広がっているのだろうか。
血沸き肉躍る、剣と魔法と冒険の世界が存在するのだろうか。
退屈な日常を吹き飛ばす何かが、そこにはあるのだろうか。
きっとある。いや、『きっと』ではない。異世界は在る。
異世界からこの世界に転生してくる人増え続けているのは紛れもない現実だった。
何より、他でもない俺自身がそんな転生者を管理する職場で働いているのだ。
異世界から異世界人が転生してくるようになってから数十年が経つ。
悲しい事にこの世界はファンタジーで溢れている。
非日常が日常となってしまった日々の中で、今更異世界に夢見る事に意味はないのかもしれない。
異世界ダイエットも異世界中華も異世界牧場も、残念ながられっきとした現実だ。それが今の『常識』なのだ。
だけど、と俺は目を細めた。
初めて俺TUEEEE小説を見たその時から胸を焦がす、この熱い想いに嘘はつきたくない。いつか絶対に行ってみせる。この世界の誰もが見たことの無い新世界に。
そう、この物語は
ちょっと妄想が過ぎるだけの、どこにでもいるつまらない男の物語だ。
青少年が夢見る剣や魔法や冒険は…………無いのかもしれない。
チートやハーレムは……後のお楽しみ、という事にしておこう。
俺の名は荒木田タケル。
転生者管理局乙係に勤務する、名詞とネクタイとスマイルが武器の一般人。
「ああ、転生したい……」
これは、そんな理不尽な世界で異世界転生を夢見る男の物語である。