俺とあげはとモグラ叩き
「来たよ鹿野さん。何読んでるの?」
鹿野さんと知り合ってから数日後。『今日来れる?』というメールを頂いた俺は講義の後に彼女の研究室へ。そこには椅子に座り、味噌汁を膝に乗せて本を読む彼女の姿。ひょいと彼女の後ろから本の中身を覗いて見ると、それは漫画だった。それも知名度はあるけど女の子が普通は読まないような、凄腕のヒットマンが活躍する漫画。
「駄目じゃないか鹿野さんそんなの読んじゃ。そういうのは冴えない粋がったおっさんが読むもんだよ」
「酷い偏見ね。……この手の漫画を見る度に思うのよ。大衆は殺人を肯定していると。悪い奴は死ぬべきだと思ってるから、架空の殺し屋に殺させるし、偉い存在のお墨付きが欲しいのでしょうね、最近は死神に殺させたり、閻魔様に殺させてるわ。勿論大衆の考えが絶対に正しいわけではないわ。そのために法や倫理のプロがいるのだから」
「何言ってんの鹿野さん」
唐突に語りだす鹿野さん。俺も割とポエマーなところがあるので気が合いそうだなと思いつつも、頭が悪くて彼女が何を言いたいのかがさっぱりなので困惑した表情を浮かべる。すると彼女は心底俺を憐れむような微笑みを浮かべて口を開く。
「人殺しですら肯定されるのに、動物虐待は肯定されないのよね。貴方、人殺しよりも悪人なのよ」
「言葉遊びだね」
「そうかしら。……っと、そんな話をするために呼んだ訳じゃないわ」
自分が善人ではないことくらいは自覚しているが、それでも人殺し未満だと言われると流石にムッとしてしまい、冷たい声で返してしまう。おお怖い怖いとでも言いたげに肩を竦め、漫画をパタンと閉じると机にそれを置き、代わりにカバンからピコピコハンマーを取り出す彼女。
「これを使う遊びと言ったら何かしら?」
「叩いてかぶってじゃんけんぽんだね」
「……はぁ。察しが悪いのね。モグラ叩きよ。ゲームセンターとかでお馴染みの。私考えたのよ。リアルなモグラ叩きをするには、どのくらい労力が必要か。きちんと見積りができれば、テレビ番組とかがやるかもしれないわ。友達パークの定番になるかもしれないわ」
「動物虐待でしょ。この時代にテレビ番組がやるわけないでしょ」
「夢のない人間ね。数年後くらいに不況で人間の心が荒んでそういった番組が好まれるかもしれないわよ」
「そんな悲惨な未来を夢見ないでよ」
そんな未来になれば、俺も堂々と猫を撃てるようになるのだろうか。いや、そんな未来になったとして、誰にも責められない動物虐待に一体何の価値があるのか。罪悪感を感じることができなければ、背徳感で燃え上がることもない。そんな世界になったとしたら、俺は聖人に生まれ変わるだろう。そしてそういった番組を好む低俗な人間を見下すことだろう。そんな傲慢な将来を想像しているうちに、彼女の方はすっかりやる気満々なのか、どこからかシャベルを取り出して俺に手渡してきた。
「というわけでまずは捕まえましょう」
「いや、モグラは難易度高いでしょ……」
「そう、そこなのよ。モグラはペットに壊滅的に向かないわ。まず見つからない。土の中で穴掘ってるのを探し出すのは至難の業だし、地上で見つけたと思ったら大抵死んでるわ。そして飼育が困難。子供が穴を掘っていたら偶然モグラを見つけて、飼おうと思ってバケツに土と一緒に入れて、餌としてミミズを数匹入れて、寝たら翌日には死んでる、それがモグラあるあるよ」
彼女の話に俺もうんうんと頷く。俺も小学校の頃、クラスの皆でさつまいもを育てるために畑を耕していたところモグラを発見し、教室で飼おうという話になり先生も承諾。そして翌日には当然のように死んでいたという悲しい経験がある。モグラはすぐに餓死してしまうのだ。1匹飼うだけでも相当厳しいだろうに、モグラ叩きをやるために数匹用意なんて無茶がある。
「向かないとわかってるならやめようよ。まだピコハンでハムスター叩いたら死ぬのかどうかを実験した方が建設的だよ」
「嫌よ、私はモグラが叩きたいの。とにかく近くに誰も使ってない荒れた畑があるからそこでモグラ探しよ」
シャベルを持った男と、ピコハンを持った女が病院を出るという事件性があるのか無いのかよくわからないシチュエーションを堪能しつつ近くにある畑へ。本当に長い間使われていないらしく枯れた草だらけの畑の真ん中あたりに、ポツリと穴のようなものがあった。
「あれよ。あれがモグラ塚よ。こないだ見つけてね。あれがあるということはモグラのトンネルも近くに存在するはずよ。さぁ掘りましょう。私はいつモグラがまた地表に出てきてもいいように、ピコハンを持ってスタンバイしておくわ」
かくしてピコハンを持った彼女が見守る中、畑を適当に掘るという苦行が始まった。放置されている畑だから土が硬い。
「ちょっと、白衣が汚れるじゃないの。私の近くで土を掘らないで頂戴」
「今の貴方不審者っぽいわよ。このままじゃ誰かに見られたら死体を埋めてると思われちゃうわ」
おまけに鹿野さんはピコハン片手に文句を言うばかり。畑でシャベル使って穴を掘っている俺よりも、ピコハンを持っている彼女の方が明らかに浮いているのだがそれは突っ込まずに耐えながら穴を掘る。そんな俺の頑張りに神様が応えてくれたのだろうか、トンネルらしきものを掘り当てることができた。
「ここをモグラが通るのかな?」
「その可能性は高いわね。……ちょっと待って、今そこの土が動いた気がするわ。動かないで。集中したいの」
ここまで来たらモグラを見つけてやろうとモチベーションがアップしたのも束の間、彼女が地面の一点を凝視したかと思うと目を瞑る。どうやら視覚に頼らず感覚に頼るつもりらしい。
「臨……兵……? 臨……? 嶺……上……開……花……」
九字を切ろうとしたが序盤で失敗してしまい、麻雀用語を呟きながら集中する。わかっている。これは絶対俺を叩こうとするパターンだ。だから俺はすすすっとその場から音も立てずに離れる。こそこそと隠れて悪さをしてきた人間にとって、この程度は造作もない。
「そこよ!」
思った通り、モグラなんてどこにも出てきてないのに、目を見開いた彼女が俺が元いた場所に向かってハンマーを振る。しかも明らかに地面に当たらないような高さで横に。当然ながら俺は既に退避していたのでヒュッという空気の音がするだけだ。
「……」
「……」
外したことを悟って、離れた場所にいる俺を見つめる彼女。しばらく気まずい無言の時間が流れる。とりあえずこういう時は男が折れるものだとじっちゃが言っていた。だから謝ることにしよう。
「……なんか、ごめん」
「ううん、いいのよ。私も悪かったわ。そうだ、お詫びにゲームセンターで100円奢ってあげるわ。モグラ叩きをしましょう。モグラはやっぱりゲームセンターで叩くに限るわよ」
お互いに非を認め合う、人間とは素晴らしい生き物であると確証が持てるような行為を経て、俺達は結局モグラを捕まえることなく近くにあったゲームセンターに向かう。自前のピコハンを手にして意気揚々とモグラ叩きを探す彼女だったが、そこにあったのはモグラ叩きとは似て非なる筐体であった。
「ワニ叩き……ですって……!?」
「考えてみたら今はワニ叩きしか見かけないね」
モグラ叩きという言葉自体は確かに有名だが、実際にゲームセンターで見かけるそれは、某ゲーム会社が出しているワニ叩きだ。俺はそれなりにゲームセンターに通うこともあったので知っていたが、彼女は女の子、ほとんどこういう場所には来なかったのだろう、目の前のワニ叩きを見て衝撃を受けている。
「これを実現するためには……」
「ワニの捕獲は手伝わないからね?」
危険な事に巻き込まれないように予め釘を刺す俺。彼女は不満そうに俺を睨み付けた後、100円を入れて奢る約束はどこへ行ったのか、俺に遊ばせることなく自分でワニと戦い始める。そんな彼女を優しい目で見つめていたのだが、『お客様、シャベルを持ったままの入店はご遠慮ください』と店員に引き裂かれるのであった。