俺といるかとモルモット
「鷲人、これ、何だと思う?」
「ハムスター?」
いつものように食堂で気が付けば下の名前で呼んでくるようになった彼女と一緒にご飯を食べている最中、彼女はスマホを取り出すと一匹の可愛いネズミの写真を見せてくる。俺の中では明るい色をしてればハムスター、暗い色をしていればネズミ、くらいの曖昧な認識だからとりあえずハムスターと答えておく。
「まぁ似たようなものだね。モルモットだよ。そう、実験動物でお馴染みの」
「へえ、実物はこんなんなんだ」
そのまま彼女はモルモットについて解説を始める。モルモットは構造が人間によく似ているらしく、アレルギー等の研究のためによく使われるんだとか。人間に近いという理由で実験体にされるというのもなかなか悲しい話だ。
「今度、デモをやるんだ。参加するよね?」
「勿論。こないだの件もあるし、ボディーガードは多い方がいいだろうからね。いるかは俺が守るよ」
「あ、あれは予想外というかだね、今回はまともな団体のはずだよ、うん……」
少し前なら、『今度デモがあるから、僕はそれに参加してくるよ』と言う程度だったが、もう彼女の中で俺は恋人一歩手前レベルの存在と、自分と思想が完全に一致している人間と思われているのだろう。可愛いやつめ。断る理由なんて無かったのでクサい言葉を吐いて彼女を照れさせる。反捕鯨団体はニュースで見るくらい厄介だが、反モルモット団体なんて聞いたこともないし、ちょっと動物好きでアレなおばさんあたりがネットで『まぁ! モルモットってこんな酷いことされてるのね!』と憤慨して行動している程度のしょぼい活動だろう。そしてその予想は当たっていた。当日に彼女と、今回は護衛なんて必要なさそうだけど便乗して騒ぎたい子と来てみれば、どこにでもいそうな、普通の、だからこそ簡単に煽動されてしまう危うさを持った人達ばかり。今回もどこかにデモで稼いでいる元締めが紛れているのかもしれないが、田舎の海じゃあるまいし、こんなところで過激な行動はしないだろう。安心してデモに参加できる。強いて問題点があるとすれば、
「鹿の病院なら鹿で実験するべきデスね」
「カノ、って読むんだよ。モルモットも許せないが、聞いた話じゃあ、ここの院長の一人娘は動物を捕まえては監禁して酷いことをしているらしいんだ。実に許せないね」
「まるでどこかのお嬢様デスね」
デモをやるのが、知り合いが住んでいる病院だということだろうか。いや、大丈夫。きっと彼女は外出中か、自分の実験室で怪しげな研究に明け暮れているに違いない。それにデモだってそれなりに人がいるし、俺なんてわからないさ。さあ、デモに参加しようじゃないか。
『鹿野総合病院院長に告ぐ! 一刻も早くモルモットを用いた非道な実験を辞め、〇×△□……』
『ワーワー』
メガホンで病院を批難する代表者、適当に騒ぐ周囲の有象無象。されど過激な事はしそうにない、模範的なデモだ。警察に許可は取っているのだろうかとか細かいことは置いといて、なるほど便乗してバカ騒ぎするだけの魅力はある。一方的に批判をするのはさぞ気持ちがいいだろう、周りの人達と同調するのはさぞ楽しいだろう、ストレス解消にぴったりだ。
「一旦休憩だってさ。僕はちょっと後のスケジュールについて打ち合わせしてくるよ」
「ワタシはご飯食べてきマス」
そうだそうだーと便乗するまま、無駄とも言える有意義とも言える時間を過ごし、一旦休憩時間に。飲み物でも買うかなと近くの自販機に向かおうとしたところ、近くにいた、俺達と同じくデモに参加していた人にさっとお茶を差し出される。
「お疲れ様。この後も頑張ってね」
「ああ、ありがとうござい……ま……」
デモで繋がる人と人との触れ合いも大切にしなきゃな、と笑顔でそれを受け取り、相手の顔を見たところで固まってしまう。白衣を着ていなかったせいで、帽子を被っていたせいで気づかなかった。目の前の少女はまさにここの病院の一人娘じゃないか。ちょっと待っててねと言って自分の部屋に向かい、やがて袋を持って戻ってくる。
「私はこの後用事があって参加できないから、先にこれを渡しておくわ。後半が始まったら開けてね」
『ブーーーーーーーン』
「とても嫌な音がするんだけど」
「可愛い可愛いクマバチちゃんよ。オスだから刺さないし安心ね。きっと皆が大騒ぎして、自然にデモは盛り上がるでしょうね」
俺に音だけで寒気のする袋を手渡すと、ニコニコしながら自分の部屋、もとい研究所へと戻っていく。いるかに逆らうことはできないが、彼女に逆らうことも俺にはできない。カバンの中に袋を入れて音を隠し、やがて皆が戻ってきて後半がスタートしたところで、その袋を開けてその場から逃げ出した。
『ブーーーーーーーーーン』
「きゃあああああああっ!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!」
死屍累々、阿鼻叫喚、地獄絵図。実際には温厚なクマバチなのだが、その音だけで、その見た目だけで人はパニックに陥ってしまう。ましてやそれが何匹もいるのだ。逃げ惑う参加者たち。オスは針がないので人を刺せないが、無我夢中で逃げ惑う人が車に轢かれる二次災害は起きるかもしれないとそれを遠くから、若干楽しみながら眺めていた。
「ヒィィィィィ! 蜂はノーサンキューデス! あっち、あっちいけデス!」
普段は動物を食べる対象として見ている、絶対的な捕食者である獅童さんですら蜂には適わないらしく、半狂乱しながらナイフを振り回している。いるかは大丈夫だろうかとその姿を探したその先には、とても落ち着いた表情の彼女がいた。
「ちょっと君達、落ち着きなよ。ほら、よく見なよ。これはクマバチだよ。動きからして皆オスだから、針なんて無いんだよ。ほら、手にとることだってできる。まったく、誰のいたずらなんだか」
一瞬で周囲にいるのが危険ではない、クマバチのオスだと理解して全く怖がらずに対応する彼女。この辺は流石だよなぁと感心しているうちに、クマバチは自然と草花を求めて散っていき一匹もいなくなってしまう。しかし散ってしまった参加者達は代表者含めてほとんど戻ってこず、呆れ顔のいるかは『これじゃあ午後の活動は無理そうだね。仕方がないから解散しよう』と敗北宣言をするのだった。
「デモの妨害をするなんて、やっぱりここの病院は後ろめたいことがあるんだろうね。……あ、あいつは!」
いつもの3人だけになり、怒りに震える彼女の指さす先には、自分の研究所の辺りからゲラゲラと笑ってこちらを見ている諸悪の根源の姿。気づかれたからか、勝ち誇ったような表情でこちらへやってきた。
「ふん。私は継がないけれど、それでも勝手な風評被害はやめて貰えるかしら。ウチはクリーンな病院よ。そもそもモルモットで実験なんてしていないわ、ああいうのは大学病院とかでやるのよ」
「君がここの病院の娘さんだね。話は聞いているよ、大学の猫ちゃん達の耳を切ったり、他にも動物を捕まえては非道なことをしているそうじゃないか」
「非道? 私は動物を救うために研究しているのよ。貴女のように下らない自己満足のために飼っているわけではないの」
そのままいるかと鹿野さんは険悪な感じになり口喧嘩が勃発する。傍から見れば似たようなことをしている二人だが、同族嫌悪というやつなのだろうか。
「そんなにモルモットが好きなら、くれてやるわ!」
「わっ、危ない。モルモットを投げるなんて、なんてことを。ああ、可愛いなぁ……」
やがて鹿野さんがカバンからモルモットらしき生き物を取り出すと、いるかに向かってひょいと投げ、彼女はそれをキャッチする。癒された表情でモルモットを撫でていた彼女だったが、
「ホルモン! 『かみつく』『みだれひっかき』よ!」
「ぐわあああっ!」
大人気ゲームにインスパイアでもされたのか、鹿野さんがそう命令するといるかの手の中でおとなしくしていたモルモットが突然牙を剥き、いるかの手を噛んだり顔を引っかいたりとやりたい放題。そしているかが怯んだ隙に、すたこらさっさと飼い主の方へと戻っていった。よく調教されていらっしゃる。
「ふふふ、これでわかったでしょう? 私が非道なことなんてしていない、モルモットに可愛い名前をつけて、ポケ〇ンバトルだってできるくらい愛情込めて扱っているということを。……ひ、ひぃぃぃぃぃっ!」
そのまま勝利宣言する鹿野さんだったが、傷だらけになったいるかを見て顔色を青ざめさせる。そういえば彼女は人間の血が駄目だから獣医を目指しているんだったなと設定を思い出しているうちに、彼女は勝手にパニクりながら残念な名前のモルモットと一緒に研究所に逃げて行った。
「よ、よくわからないが、僕の勝ちかな? まったく、病院の人間の癖に人を傷つけるとは。ここで治療はしないよ。いや、あえてここでしてやろうかな」
「勝ちでも負けでもいいからご飯食べまショー。ナイフ振り回し過ぎてお腹ぺこぺこデス」
「一体何がしたかったんだ、彼女は……」
戦いの後に残るのは虚無感だけだ。そんな感じにまとめた俺は、ファミレスでも行こうぜと彼女達を誘い、街へと消えていくのだった。