俺とあげはと味噌汁
『ビャオ!』
決まった。猫の4つもある脚のたった1つ、たった1つに弾をめり込ませただけで、目の前の哀れな猫は悲鳴を上げながらもがく。自分の中の嗜虐心が満たされる。例え相手が猫だとしても、勝利したことに対する喜びが込み上げてくる。くくくと悪役みたいな笑いを浮かべながら、俺はその場を立ち去ろうとする。明日になれば、誰かが動けない猫を見つけて、動物病院にでも連れていくか、保健所にでも連れていくかして、『酷い事をする奴がいたもんだ』とちょっとだけ人々のヘイトを稼いで、でもすぐに忘れ去られて、つまるところ俺のやってることなんて大したことではない。猫は食べるわけでもないのに、目にした小動物を殺すが人間はそれを受け入れている。それと同じなのだ。俺のやっていることも、世界は受け入れているのだ。
「あーっ! な、何てことを……」
ポエムのような自己陶酔に浸っていると、近くから女性の声がする。しまった、見られていた。外でこんなことをやっているのは、誰かに見られるかもしれないというスリルを味わいたいからというのもある。けれども実際に誰か見られたいというわけでは勿論ない、一瞬声にびっくりして固まってしまうが、慌ててその場から逃げ出そうとする。
「動かないで。メス投げるわよ」
「……!?」
ところが声の主はそんな物騒な台詞を吐き出す。実際にははったりなのかもしれないが、俺の脳裏には昔読んだ医療漫画の、もぐりの名医がメスを投げて攻撃するシーンが浮かんでしまい硬直してしまう。見られたことと、メスで脅されていることで冷や汗をだらだらと流す俺の目の前に、声の主が姿を現した。
「あら、中学生かと思ったら、大の大人が猫を撃つなんて世も末ね」
「へ、へへへ……どーもすいません」
同い年くらいだろうか。街灯に照らされたその女性は、真っ黒で長い髪と白衣が印象的な女性だった。心底呆れるような視線が俺の密かなマゾ心を刺激して、その手に持っている鋭利そうなメスが俺の恐怖心を刺激する。しばらく無言の気まずい時が流れた後、女性がやれやれとため息をつく。
「見逃して欲しい?」
「はい」
「素直でよろしい。治療するから手伝いなさい」
女性の発言にコンマ0.1秒で答えると、くすっと可愛らしい笑みを浮かべて倒れている猫を指差す。そこからしばらく、俺は自分が撃った猫の応急処置を手伝うことに。
「何これ。鉛? あ、貴方、それ本物の銃なの?」
もがき続ける体力も無くなりぐったりしている猫に麻酔をかけて眠らせて、少し傷口を開いて、めり込んだ弾を摘出する彼女。その弾がプラスチックではないことに気づくと、先ほどまで強気な態度を見せていた彼女が、少しだけ怯えの表情をこちらに向ける。本物の銃を持っている、ヤのつく自由業とでも思ったのだろうか。マゾ心と同様にサド心も持ち合わせているのでその表情にほくそ笑みながら、改造エアガンに鋼弾を詰めているだけだと釈明する。エアガンの改造も鋼弾を使うことも犯罪なのだが、そもそも動物を撃っている時点で犯罪だしと、年頃の男らしく武勇伝のようにどんな改造をしたかとか、威力はどうとか語ってしまった。
「ふうん。よし、これでおしまい」
「あ、あれ、結局俺一人でエアガンについて喋ってただけのような」
そんな男のロマンは通じなかったようで、一瞥して包帯を巻く彼女。どうやら応急処理とやらは完了したらしい。彼女はカバンから小さな檻を取り出すと、その中に麻酔がよく効いているのか死んだように寝ている猫を入れた。持って帰ってちゃんとした治療をするのだろうか。
「ま、役には立たなかったけど、元々この猫を捕まえる予定だったし手間が省けたわ。というわけで見逃してあげる」
「へ? 怪我したから持って帰るんじゃなくて? も、もしかして飼い猫とか……?」
「……これを見なさい」
彼女の発言に?を浮かべていると、グイと檻をこちらに突き出して中の猫がよく見えるようにする。ただの猫だ。種類は三毛猫。特に希少価値があるようには見えない。
「ここよここ」
「うわ、キンタマなんて見せないでよ……キンタマ?」
鈍いわね、とでも言いたげな表情をしながら、檻に入れた猫を取り出して、俺の目の前に股間を近づける。例え猫だとしても、男の股間を見る趣味はないと顔をしかめるが、ここで三毛猫がどんな猫かを思い出す。趣味柄、それなりに猫については調べている。そう、三毛猫と言えば……
「え、それオスなの!?」
「そうよ! 三毛猫のオスよ! Rよ! SRよ! SSRよ! URよ! LRよ! 全く、珍しいから捕まえようと追いかけっこしていたら、まさか犯罪者に撃たれるなんてね」
三毛猫は通常メスしか産まれない。男でなければアレがつかないように、メスでなければあのような配色にならないからだ。染色体異常とかまぁ色々あって産まれるオスは非常に貴重。渋い声で人語を喋ってもおかしくないくらい存在価値のある猫なのだ。
「そんなわけでこの子は連れて帰ってペットにするわ。それじゃあね」
再び猫を檻の中に入れてスタスタとその場を去っていく彼女の後姿を眺めながら、人にも見られたし、そろそろ潮時なのかな、なんて事を考えていた。それから数日間、特に何をするでもなく日常を謳歌していたのだが、偶然にも大学の学食で白衣を着た彼女と出会う。恐らくは医学系なのだろうが、日頃から白衣を着るものなのだろうか?
「やあ」
「あら。同じ大学だったのね」
「どうも。猫は元気?」
自分の愚行を目撃した人間なんて本来ならば避けるべきだというのに、俺は彼女の正面の席に座る。言い触らさないように釘をさしたいからなのか、それとも彼女をちょっといいな、と思っているからなのか、高々20年程度しか生きていない俺には、その理由を明確にすることができない。
「味噌汁? ええ、元気よ。何とか歩けるようになったわ」
「……今何と?」
「味噌汁よ。オスの三毛猫……オスミケ……オミケ……オミオツケ……つまり味噌汁ね」
「ネーミングセンスないんだね」
「あら、自分の立場わかってるのかしら」
ある意味脚を撃つよりも酷い事をやっている気がする彼女に苦笑いすると、少しショックを受けたのかムッとした表情でこちらを睨みつける。これはまずいと鼻歌を歌って誤魔化し、少し気まずい食事の時間を堪能していると、突然彼女が口を開いた。
「……ところで貴方。射撃は得意?」
「射撃? まあ、その辺の人よりは得意だけど」
「麻酔銃も撃てる?」
「麻酔銃ってライフル? ライフル系は使ったことがないからなぁ……って何させるつもりなのさ」
「丁度助手が欲しかったのよ。私の手足として動いてくる優秀な助手が。手伝ってくれるわよね?」
ちょっとだけドスを効かせた、けれども所詮は女の子なのでそんなに怖くなくむしろ可愛い感じの声で助手になれという彼女。脅されていると自覚しているか、彼女が好みのタイプだからなのか、具体的に何をするのかも聞かずに俺はYESと答えてしまう。それを聞いた彼女はニッコリと可愛らしい笑みを浮かべる。
「よろしい。私は鹿野あげは。獣医学部よ」
「俺は犬神鷲人。工学部です」
「へえ、法学部なんて凄いじゃない。将来自分の弁護でもするの?」
契約が完了したところでお互いに名を名乗る俺達。工学部あるあるネタに苦笑いしながら、猫を撃つなんて愚行がきっかけになるなんて、世の中わからないものだなと世界の奥深さを感じていた。