俺とあげはとアルジャーノン
夏休みも終わってしまい、大学生の退屈な日々が再び始まる。いや、もう退屈ではない。俺には鹿野さんがいるのだから。きちんと付き合っている訳ではないがその辺のカップルよりもずっと恋人らしいことをしているに違いないと謎の理論を振りかざし、この日も学食で偶然見つけた彼女の傍へ。
「やあ鹿野さん」
「……」
机に座ってぼーっとしている鹿野さん。その目の前には空の食器。一体何をやっているんだと彼女の視線の先を追うと、そこには一人の女性が机に座って本を読んでいた。可愛いか可愛くないかで言えば可愛いに分類されるしスタイルもそこそこいい。
「大丈夫だよ。鹿野さんもまだまだ成長するって。顔なら負けてないって」
「……」
いつも白衣を着て誤魔化している節があるが、鹿野さんのスタイルはあまり良くない。だからスタイルのいい女の子を見て虚しくなっているのだろうと思ってフォローをするが、彼女は無言で視線の先の女性を眺め続ける。
「悪い三滝。待った?」
「遅いよ中君。何やってたのさ」
「友達のレポート代わりに提出しに行った後、教授に色々頼まれてさ」
「まったくもう、中君は人が良すぎるよ。もうちゃんとした彼女がいるんだからさ、もう少し私を優先するべきだよ……ごめんごめん、冗談冗談」
すると彼氏と見られる男がやってきて、二人仲良くどこかへ行ってしまう。俺は自分用に買ったシュークリームをそっと彼女に差し出した。
「俺がいるじゃないか。スタイルにコンプレックスがあるなら揉むよ。破瓜が怖いだけでエロには興味津々だろう?」
「別に羨ましいわけじゃないしそんな淫乱でも無いわよ。あの子知らないの? 業界では有名なのに」
シュークリームを頬張りながら首を振って呆れるそぶりをする彼女。何の業界で有名なのだろうか、現役AV女優なのだろうかと俺が下品な想像に耽っているうちにそれを食べ終え、精一杯間抜けな顔をして見せた。とりあえず写真に撮ろうとスマホを構えたが、すぐに真顔に戻ってしまった。
「あの子池沼よ。ガイジよ。いえ、正確には元だけどね。脳の手術と教育プログラムによって、真っ当な人間に生まれ変わったのよ」
「へえ、最近はそんな技術もあるんだ。凄いね」
「まだまだ実用化には程遠いけどね。脳を弄るなんて恐ろしい話よ。きっとあの子という成功例の陰に、人間かマウスかは知らないけど、たくさんの失敗例がいたことでしょうね。これに限らず、医学の進歩はたくさんの人間の、そして動物の犠牲の上に成り立っているのよ。けれど仕方がない事だわ。有名な科学者も言っていたじゃない、『科学の発展に犠牲はつきものデース』ってね。私、手術受けるわ」
自分に言い聞かせるような名言を吐いた後、スマホを取り出して野球アプリを起動する彼女。差別用語を使っていた罰が当たったのか、手術は失敗した。
「私のオールAが……」
「よかったね、発展の礎になれて」
その後特に用事も無かったので、彼女の研究室に共に向かう。研究所に入った彼女は順調に愛を育んでいるハムスターのケージの1つを眺めて声をかけた。
「ただいま、アルジャーノン」
「カゴには『えびじゅとぼっさんの愛の巣』って書いてあるけど」
「学が無いのね。ああ、可哀相なアルジャーノン。繁殖が終わったら猫の餌になるなんて」
猫を飼っているからってハムスターを餌として与える必要が果たしてあるのだろうか、猫はネズミが好物だなんてそれこそアニメに影響された固定観念ではないだろうか、そもそも猫がネズミを殺すのは本能的な行動であり、そんなに食べたいわけではなかったはずだがと、可哀相なハムスターを眺めながら彼女の言動に悩んでいると、俺の頭に変な装置が着けられる。
「何これ」
「簡単に言えば貴方がどれくらい興奮しているかを測る機械よ。とりあえずあそこにあるぬいぐるみを撃ちなさい」
そう言いながら俺にエアガンを手渡し、遠くに設置された猫のぬいぐるみを指差す彼女。言われるがままに狙いを定めて引き金を引く。普段から愛用しているものとは違う、子供でも買えるようなチャチなエアガンに込められた安物のBB弾が数発程ぬいぐるみに当たる。ぬいぐるみとは言えど興奮してしるのが自分でもわかる。彼女はモニタに表示されたグラフを見ながらうんうんと唸り、
「なかなかの興奮度ね。ぬいぐるみを撃って興奮するなんて末期ね。猫の姿をしているから興奮したのか、引き金を引いたり弾が当たったりした瞬間に条件反射で興奮するくらい身体が覚えているのか、色々と条件を変えながら真実を確かめて行く、それが研究というものなのよ。猫を撃って興奮するのはわかりきっているから次は人間よ。私を撃ちなさい。わかってるわよね、痛くないところを狙うのよ」
そのまま猫耳を装着し床に寝転がる彼女。猫のぬいぐるみでは興奮したが、猫耳をつけた女性だとどうなるのか、そんな事を確認するために身体を張る彼女の研究者魂に敬意を表して、俺はカバンから愛用のエアガンを取り出す。構えた瞬間彼女が飛び起きて部屋の隅へと逃げていく。
「ちょ、ちょっと!? それ味噌汁の足にめり込んだやつでしょ!? しゃ、洒落にならないわよ!?」
「冗談だよ冗談。うーん、怯える鹿野さんを見ても興奮しないな」
「そ、そうね、データを見ても興奮していないみたいね。私は心臓がバクバク言ってるわ。ともかくこれでわかったでしょう、貴方は動物を撃つと興奮するけど、人間では興奮できないの。本能的に同種を攻撃することを躊躇っているのよ。それを踏まえた上で、行くわよ」
俺の分析をした後に外へ出ていく彼女。機械をつけたまま彼女の後を追うことしばらく、どんどん人気の無い場所へとやってくる。そして彼女が歩みを止めたその先には、一人の男性がうろうろと辺りを徘徊していた。
「いたいた。丁度この時間帯に、全然人がいないこの場所にやってくるのよ。さぁ、アレを撃ちなさい。その貴方の獲物で」
「はぁ? 何を馬鹿な事を言っているのさ、あそこにいるのは人間」
「アレは人間なの? 動物なの?」
ふざけた事を言う彼女だが、その声色は冗談ではない、本気だ。もう一度その男性を見やる。焦点の合っていない目、予測不可能な行動、謎の呻き声、そうだ、あれは、
「知的障碍者だろうが人間に決まってるじゃないか」
「それは建前じゃないの? 私にはわからないのよ、周りの皆が、アレを人間だと認識しているのかが。命は平等だとか綺麗事を抜かしておきながら、心の奥底では、本能では、人間だと認識できていない、そんな気がするの。人間の動物の境目は? 人間の姿をしていれば人間なの? 意思の疎通もロクにできない連中を、人間と認めていいの? 知りたいのよ、人間の本音とやらを。動物を撃って興奮できる貴方なら、その答えに近づけるんじゃないかって」
不謹慎にも程がある発言を連発する彼女だが、そのくらい不謹慎でないと真理とやらには辿り着けないのかもしれない。彼女に言われて俺も気になってきた、俺は目の前の彼を撃ったとして、人を撃った時と同じくらいの罪悪感を覚えるのだろうか、それとも猫を撃った時のように、興奮してしまうのだろうかと。自然とカバンからエアガンを取り出して彼の足の辺りに狙いを定める。
「さあ、撃ちなさい。後処理は任せてくれて構わないし、ご褒美に多少はエロいことさせてあげるから」
「……身体目当てで撃つためじゃない、自分を知るために撃つんだ。よく言うよな、動物を撃つような奴は、そのうち人間を撃つって。そんなわけないだろ、俺は人間と動物の区別くらいついてる。多分撃ったら、後悔する。罪悪感に襲われる。けれど、それでいい。俺はただの動物を撃つのが好きな変態だ。それを確かめるために、お前には犠牲になって貰う」
カタカタと震える手を鎮めて、目をつぶって引き金を引く。弾丸は一直線に彼の右足の膝へと向かい、かつて数々の哀れな動物の肉を抉ったように、今日もまた肉を抉る。
「ああああああああああああっ!? まあああああああああああああ!」
足から血をだらだらと流しながらその場に崩れ落ち、大袈裟すぎる程の絶叫を挙げる犠牲者。彼の辞書には我慢なんて言葉はないのだろう、本能のままに痛みを声にしている。このままでは人が来てしまう、興奮したかどうかのデータを確認するのは後回しだ、撤収しようと彼女の方を向くと、
「あ……ああ……あ、あれは……人間よ……そう……人間だわ……」
「鹿野さん!? 一体どうしちゃったのさ、早くここを離れよう」
「お、お願い、おぶって、腰が、抜けたの」
そこには顔を青ざめさせてその場にへたれこみ、もう一歩も動けませんとでも言いたげに衰弱している彼女の姿。彼女の突然の変貌に疑問を抱くよりも、今は逃げる方が先だ。ひょいと彼女を担いで、その場から、自分の罪から、一心不乱に逃げ出した。