モンシロチョウ
ゲノムというエゴイスティックでプラグマティックなシステムが
偶然の一致を以て迎合し、やがて光も刺さぬ暗黒の宮殿の中で
淀んだ何かがかき混ぜられ、ついには噛み合い、肉となるのだ。
肉の支えには骨が組み上げられていく。臓物の数々が配置されていく。
その間も、母はうつむくも、喋りかけるも、日々の営みが途絶えることはない。
沈黙を破り、羊水の中で引きこもっていた生命が空気呼吸の強制開始と言う手荒な洗礼を受け、
名前をあてがわれ、一人の人間として生を受ける。
赤子。
ポテンシャルの塊であろう「それ」は誰のエゴが頭上を行き交うとも意に介さず乳をねだる。
腹が満ちれば用済みになって捨てられるばかりのオムツを取ってくれと泣いて催促する。
やがて手でものが掴めるようになり、好きなものと嫌いなものを覚え始め
ついには手当たり次第に反抗を始める。自分の部屋からも出られない赤子の反抗など、
反抗と呼ぶに値しないのだが。僕は幸運だった。その反抗を自然の摂理として受け止める者が
自分の親だったのだから。それすら許さぬなら、彼女らは親になれず男女のままで赤子と対峙し、
ついには邪魔な「それ」を絶命させることでテリトリーから排除する。
僕はそんなことを考えるたびに、自分の記憶の中の一番古いパーツにぶち当たる。
銃を手にした玩具の人形が機械機械した箱庭の中に転がっている。枕元には勇ましくも
明朗な「ヒーロー讃歌」に相当するものが流れている。どうにも、原色の戦闘服を身に着けた
ヘルメット姿の若者は正しい者であり、基本的に色味が暗く歪な体系をしているもの、しわがれた声で
話すものは悪を成すものだというのだ。フフッとわらう。それじゃあ子供のころにいたあの
クラスメートは悪なのか。不自然に大きな歪んだ体躯、くぼんだ瞳、呂律もまわらぬ喋り。
天使だと呼ばれていながら実態は隔離されて離れの建物に押し込められていたあいつらは、悪なのか。
虚ろになっていく天井にうるんだ瞳を燻らせながら、過去はいまだ瞳の奥に反芻されることを
止めない。愚者は経験に学ぶのだ。僕の様に。
ある朝ただ単に歩くことを覚えた程度の赤ん坊に過ぎない僕は
自らの未熟な理性に引かれて丘の上へと放り出された。
驚愕し、眼を見開き歓声する!
明らかにひとでないものがひらひらと舞っている。
白い花弁のようなそれは翅であり、見えるところの大部分を占めて胴体の様子はうかがい知れない。
必死に空を掻き回し、斃れては草むらを掻き毟る僕に手渡された虫取り網は、僕に初めて狩猟を教えた。
モンシロチョウ。
それが、生きていようがいまいが知らない。
興味のあるものをその掌に捕らえ、好きなように弄び、場合によっては解体すらする。
興味とは、対象に選んだ相手に人権を認めなければ深刻な暴力となるのだ。
無残に裂かれたチョウやガがいくら丘陵に散らされようとも、僕は気に留めない。
「そこ」にある「それ」がすべて。
善悪の区別など、どこにあろうか。
玩具の人形が箱庭に閉じ込められて正義を発揮し得ないように、
僕は狭い庭の中で勝手に完結しては日々を過ごした。