狂人・月詠 ――無機の麗・波紋の美――
『狂人・月詠』の五番目です。
今回は趣向を変えてみました。彼らの日常でなく、人ならざる者たちの気まぐれな物語です。
無機の麗・波紋の美
全ては予定調和に紡がれていく。
定められたまま、決められたように描かれる未来の何と麗しいことか。一矢乱れぬその様はまさに芸術。そう、それは神々の手によって生み出された、『運命』という名の無機の芸術だった。
そこは果てない草原。雲一つない蒼色の天蓋が草原を追うように広がり、見渡せば地平線が綺麗な弧を描いている。それを乱すものは何一つなく、その場所には一本の大樹があるだけだった。太く隆々とした幹から伸びる枝からは青々と葉が繁っている。黒炭のような幹に蒼翠の茂みがよく映えた。
カルナディレはその大樹の根元に横たわり、眠るようにまぶたを閉じている。そのまぶたの裏には色鮮やかな映像が映し出されていた。風になびく草木、揺れる光、常に表情を変える空、そしてまるで自らが自らの主のごとく振る舞う人間たち。その何と興味深いことか。人でなく、神でも悪魔でもない存在はその口元に微笑を浮かべた。
人間の作る世界は美しい。彼らが行き着く先は定められていても、そこへ至るまでの道筋には、それぞれ選択肢はあれど、個々の選択に統一性はなく、何もかもが定められた領域内の偶然という必然的かつ瞬間的な美で形作られている。それはカルナディレの目を存分に楽しませていた。
不意にまぶたの裏の映像に一人の少女が映りこむ。あれが何かに執着を見せるとは珍しい。カルナディレは口元から笑みを消した。
何の変哲もない少女だった。特別見目麗しいわけでも可憐なわけでもない。しかし、自然と人ならざる者の目は彼女に惹き付けられた。美しいものを目の当たりにした高揚感と以前もこんなことあったという既視感が混ざり合い、形容しがたい熱となってその心の中で荒れ狂う。
しかし、外界からの声がその熱からカルナディレを瞬く間にすくい上げた。
『主』
「……ああ、ノーティスか」
目を開く。青く繁った緑を背景に一羽の鳥がこちらをこの世界の空と同じ色の目で見下ろしている。青みがかった白銀を纏った尾長鳥。名をノーティス。カルナディレに使える者だ。
「……風が欲しいな」
カルナディレはぼんやりとその姿を見上げながら呟いた。すると空の目が怪訝そうに細められる。
『何故かように突飛なことを仰る』
「風が吹いたら、お前の尾がなびいてきっと綺麗だからさ」
そう言ってカルナディレは立ち上がった。裾と袖が引きずるように長い白い衣からはらはらと草が舞い落ちる。ノーティスは尾を一振りして見せると
『主は本に美麗なるものがお好きだ』
と分かりきったことを確かめるように呟き、微かに笑った。従者を見上げたカルナディレはそれが誇らしいことであるように笑みを浮かべる。そして、大樹の影から蒼天の元へ出た。
「でなければ今、私はここにいないだろう。私は人間が何も知らずに定められた終焉へ予定調和に歩み行く様の美しさに魅せられてここにいるのだから」
くるり、と振り向いた人ならざる者は満ち足りた表情で大樹を見上げた。
この大樹は人間の『運命』を束ねたものだ。その小枝は人間の運命であり、その道筋に与えられた選択肢はあれど、終焉は定められている。どの道筋を選んだところで全ては予定調和だ。しかし、人間は個々に異なった道を選び、出会い、何かを生み出す。それをカルナディレは美しく感じると同時に愛しく思った。
「本当は全て大いなるものが定めたままにあるのだから、この目に偶然と映るものは必然なんだろうね。でも、この目に映る限りは偶然だ」
空へと伸ばした手はどこにも届かない。けれども人の姿を真似た人ならざる者は笑っていた。これこそ美しき人間の姿だ。届かないと知りながら、それでも手に余るものを求める。己の分を越えた行為を行う。なんと愚かしく、滑稽で、美しいことか。
『主は少々ひねくれていらっしゃる』
ノーティスは羽ばたいた。そして、ふわりと主人の肩に舞い降りる。カルナディレは従者の言葉を気に止める様子も見せず微笑み、辺りを見渡すとため息を吐いた。
「……ああ、でも。これじゃあただの贋物だ」
果てない若草の大地、澄み渡る晴朗な蒼天、生命を象徴するかのごとく聳え立つ大樹。その景色は全て仮の姿だった。
「どうしても死んだ景色になってしまう」
どこまで忠実に再現してもまぶたの裏の映像のように光の溢れた世界にはならない。カルナディレは少しだけ寂しそうに目を伏せた。
『初めから命を持たぬ風景は死したものと同じでしょう』
ノーティスの言葉はもっともだ。しかし、人ならざる者がそう感じるのは別の理由があった。
(ああ)
脳裏に一人の少女の面影がよみがえり、それと同時に先程胸に宿った熱が何なのかも理解した。
(彼女は美しいんだ)
まぶたの裏の彼女の生きる姿は美しい。それはあまりに鮮烈な美しさだった。それは贋物の箱庭から色を奪ってしまうほどの姿だ。それが何故だかは分からない。人間を理解することは難しい。だからこそ美しい。そして、それに比類する美しさをカルナディレは知っていた。
「……ノーティス。あの子はどうしていた?」
『以前とさして異なった様子は見受けられませんでした』
主人の問いかけに従者は淡々とそう答える。しかし、ふと思い出したように言い加えた。
『少女が一人、傍に居りました』
「そう。相変わらず、他の人間のように暮らしているか」
そう言ってくすくすと笑う主人に従者は少し疲れたようにため息を吐いた。
『何故、目をお与えになられたのです?』
以前にも投げ掛けられた問いにカルナディレは黙ってまぶたを閉じた。すると、色鮮やかな美しい映像が流れ出す。しかし、目を開けばそこにあるのは死んだ箱庭だった。
「人間の世界が美しいからさ」
『それだけではないでしょう』
珍しく従者が食い下がる。主人はふっと口元に笑みを浮かべた。もちろん、従者の言う通りだ。
「あの子が美しいからさ」
他者と異なるものをその目に映しながら、他者と同じように生きるその様には今にも壊れそうな儚さを兼ね備えた美しさがあった。それはあの少女とは異なる美しさだが、人ならざる者はどちらも同じように美しいと思い、同じように愛しく思った。
『……あの者の美しさは主が作り出したものでしょう』
ノーティスはどこか納得がいかない様子でぼやく。そんな従者を主人は笑った。
「そうだね。予定調和に介入して作り出した他の人間とは異なる存在だ」
そう言ってカルナディレは空を仰いだ。そこには見惚れるような蒼穹が広がっている。しかし、そこに命はない。無機的な蒼の天蓋がどこまでも広がっていた。
「予定調和の美しさ。それは無機的で素晴らしいことだよ。でも、そこに波紋を立てたらさぞ美しいと思わないか?」
カルナディレは思い描くその風景に思いを馳せた。その耳元で白銀の尾長鳥が呟く。
『主はひねくれていらっしゃる』
命のない箱庭は静寂を守っていた。
今回は月野さんも涼子ちゃんも志倉さんもいない『狂人・月詠』をお届けしました。
……月野さんいないのに『狂人・月詠』て銘打っちゃっていいのかな。あ、でも目はカルナディレの目だからセーフかな。うん、セーフ。
作者としてはノーティスとカルナディレに出番をあげたかったんです。