第三章:本命馬のファインダー
莉緒の店、『フラワー・トランス』は、下北沢の、古着屋と古本屋に挟まれた路地裏にあった。小さなカウンターテーブルを陣取り、哲也は求められてもいないアドバイスを展開した。
「まず、ペルソナが曖昧すぎるだろう」
――今日の哲也の役は、広告代理店社員、佐藤。『パーティで莉緒に興味を持ち、相田に無理を言って、店に押しかけてきた』という設定だ。
「十代から五十代の女性、では範囲が広すぎる。例えば、”下北沢で働く三十代前半の独身女性、可処分所得は月十万円、自己投資に意欲的で、部屋には常に生花を飾りたいと考えているが、手入れの手間は省きたい”……ここまで、絞り込むべきだ」
眼の前の莉緒は黙っている。色素の薄い瞳は、明らかに戸惑っている。
哲也の隣で、相田が眉毛をハの字にして、全身で『こんな人、連れてきちゃってすみません』と訴えている。
「次にSNS戦略。ただ美しい花の写真をアップするだけでは、インプレッションは稼げない。UGC、つまりユーザー生成コンテンツをいかに誘発するか。購入した花を使ったフラワーアレンジメントのコンテストを開催し、ハッシュタグ投稿を促す。優勝者には莉緒さん自身によるレッスンをプレゼント。費用対効果は抜群だ」
哲也は、莉緒の手応えがないことに、手応えを感じながら、朗々と続けた。
「あのっ!」
気づまりな空気を破ったのは、相田だった。
「僕、難しいことは分からないんですけど……でも、この前ここで買ったガーベラ、すっごく長持ちしたんです! 一週間経っても、まだシャンとしてて。莉緒さんが、茎の切り口を少し焼いてから渡してくれたからですよね? 水揚げが良くなるって、前に教えてくれた……」
相田は、『佐藤』とは違い、自分の知識をひけらかすつもりなど、毛頭ないようだった。むしろ素直に知識を吸収しようとしている。
「莉緒さんの花は、買った後も、家に帰ってからも、ずっと僕たちを幸せにしてくれるんです。そういうのって……なんていうか、数字とかじゃ分からない、すごいことだと思うんです!」
初対面の哲也から、さんざん自分の仕事を否定された後にかけられる、相田の優しい肯定の言葉。きっと乾いた砂漠の、一滴の水のように、莉緒の心に染み渡るはずだ。
事実、莉緒の肩から、ふっと力が抜けた。硬く閉ざされていた唇が、ほんの少しだけ緩む。
(……ターゲット、反応良好)
今日のところは、役は、演じきった。
その時、哲也のスマートフォンが鳴った――実際はフェイクコールのアプリの音だが。哲也はわざとらしくスマートフォンを耳に当て、席を立った。
「ああ、クライアントからだ。……今日は、帰るよ」
帰りがけ。哲也は『仕事の邪魔だけして去っては、次の訪問につながらないかもしれない』、と思いつき、アドリブの台詞を加えた。
「このガーベラを一本、頂けるか?……俺の提案を考えておいてくれ、また来る」
莉緒が、ピンクとオレンジの中間色の、華やかなガーベラを包む。表情は無表情だが、花に触れる手つきはどこまでも丁寧で優しい。
哲也はガーベラの支払いを済ませ、店の出口へ向けて歩き出す。
店を出る哲也の背中に、莉緒の視線は感じなかった。
◇
「……台風のような、人だったね」
莉緒は、店の鉢の位置を直しながら、相田に話しかけた。
「すみません……」
相田は、『僕は止めたんですけど、佐藤さんが、絶対ついてくるって強引で』と、用意した台詞を続けようとした……が、言えなかった。演技とはいえ、『こんなにも自分のために台詞や演出に工夫を凝らし、親身になってくれている哲也の、悪口など言えない』と思った。
「あああああの、もし、よかったら。莉緒さんの花を、撮らせてもらえませんか」
相田の声は、少し震えていた。
◇
『あああああの、もし、よかったら。莉緒さんの花を、撮らせてもらえませんか』
相田につけた集音器から、震える声が響いた。
莉緒の店の近くの、ザワザワと賑やかなファーストフード店。哲也は遠隔で、相田のその声を聞く。
「相田の、ポンコツ! そんな唐突に申し出る台本では、無かったのに!」
もっと自然に、写真を撮る流れに持っていければ。相田の”カメラのプロとして、男として”の魅力をアピールする、良いチャンスなのに。
ふと、テーブルの上に置かれた、莉緒の店で購入したガーベラが目に留まる。
(人の目を楽しませ為だけに、存在する花。……観られる為だけに、存在する役者と、似たようなものか。確か、ガーベラの花言葉は……『常に前進』)
そして哲也は、可能な限り、24時間、役者でいると決めているのだ。観られる自分が魅力的であれば、内心どれほど胃が痛くても、構わない。
集音器からは、相田と莉緒の、花に関する雑談が聞こえてくる。
「相田、上手く演じきってくれ……いや、俺なんかと違って演技ではなく、本心を伝えてくれ。……下手を打つと、また『弟キャラ』で終わるぞ」
◇
一方、莉緒の店では。
「お店の宣伝に使えるような、ちゃんとした写真! 佐藤さんも、写真が大事だって言ってたし……」
早口になり、不安げに瞳を揺らす相田に、莉緒は小さく笑って頷いた。
「うん、お願いしようかな。相田くんが撮ってくれるなら。プロに頼むんだから、ちゃんとお金は払うね。相場を教えてくれる?」
「お金は、また今度で……。とにかく、頑張るよ!」
相田は、すっと立ち上がった。
さっきまでの子犬のような人懐っこさは影を潜め、鋭い集中力がその瞳に宿る。
相田は、カメラを構え、店の中を静かに歩き回る。
どの花を撮るか、どの角度から光を捉えるか、相田の全身が感覚のアンテナになっているようだった。
「花だけじゃない……葉の上の水滴も、宝石みたいだ。……この瞬間を完璧に、切り取れたらいいのに……」
相田の、ファインダーを覗き込む真剣な横顔。時折、何かを確かめるように細められる目。普段のふわふわした雰囲気とは、まるで別人だ。
(……こんな顔も、するんだ)
莉緒の心臓が、とくん、と一つ大きく鳴った。
相田は静かに店内を滑るように動く。
相田は花を撮らなかった。いや、正確には「花だけ」を撮らなかった。 窓から差し込む午後の光が、ユーカリの葉の産毛を金色に縁取る瞬間。 莉緒が、売り物にならないと判断したカスミソウの、折れた茎を撫でる手。
莉緒は最初、ただ呆気に取られていた。しかし、床に這いつくばり、脚立のてっぺんに立ちながら、一心不乱にシャッターを切る相田の姿に、次第に目を奪われていた。
(……相田くんは、観てる。私の花の、もっと奥にあるものを)
「よし、OKです!」
相田は額の汗を拭い、ぱあっといつもの笑顔に戻った。そして、ててて、と莉緒の元へ駆け寄ると、自信に満ちた顔でカメラの液晶画面を見せる。
「見てください! これが、僕が見つけた莉緒さんの店の『宝物』です!」
そこに写っていたのは、息を呑むほどに、生々しく、温かい写真の数々だった。
一枚一枚、液晶がめくられるたびに、莉緒の瞳が大きく見開かれていく。
莉緒が自分でも気づいていなかった、花の水滴の煌めき。
ラッピングのリボンを選ぶ時の、迷いながら幸せそうな指先。
「あ、こ、これはその、嫌だったら消します」
そして一番最後に現れたのは、何気ない会話をしていた時の、微笑を浮かべた莉緒の横顔だった。
「ううん……相田くんに、持っていて、欲しいな」
◇
2時間後、相田と哲也は、カフェで落ち合った。
「なかなか、盛り上がっていたじゃないか」
「……哲也さんのおかげです! 今日の莉緒さん、まるで、昔の莉緒さんに戻ったみたいでした」
「昔の? どういうことだ?」
哲也は問いかけながらも、答えを知りたくない気がしていた。
哲也自身も、気づいていた。今の莉緒は、昔ほど笑わない。『過去に色々あった』と相田も言っていたが、それを知ったところで、今更どうなる。
「実は、莉緒さん、昔……」
<コンテスト用のため、一度更新を中止します>




