第二章:レンタル当て馬と追憶
「ええと、その……なんていうか、こう、この花を見てると、心にフワッてきて、ギュン!ってなるんです!だから、すごく、その……いい!」
台詞を忘れた相田が、それでも必死に絞り出す。
「なんだ、そのフワフワ・ギューン理論は?!」
ほとんど素で、声が出た。
けれど次の瞬間、哲也は気付いた。莉緒が相田に視線を移し、ほんの僅かに口角を持ち上げた。目元も、わずかに緩んでいる。
(ターゲット、反応良好)
なんとか、目的に向けて舞台を回せている。莉緒の『自分の命ともいえる作品を、深く理解してくれる相手』というポジションは取れなかったかも知れない……が、相田の純粋さは、今この瞬間、莉緒の心に届いたはずだ。
--喜ばしいことだ。なのに、なぜ左腹が、こんなにもしくしくするのだろう。
「そんなに言うなら、興味が出てきた。このアレジメントを作った、フラワーアーティストの方、知り合いなんだろう? 仕事のネタにもなるかもしれないし……俺にも紹介しろよ。美人か?」
哲也は尊大な口調を作り、相田に迫った。
「顔とかじゃなくて……内面が綺麗な方です、すごく。仕事に真摯で」
相田の台詞は、用意したものとは異なっていた。けれど、きっと本心なのだろう、と思わされるだけの真剣さがあった。
少しだけ、ほんの少しだけ、莉緒の顔も、赤くなってやしないか。
(感動的なストーリーに、胃が痙攣してきたぜ……!)
「でも……莉緒さんの花の価値が分からない方に、紹介はできません」
普段、フワフワしている相田が、珍しくきっぱりと言った。
莉緒が、目を見開いた。
◇
「花屋」 「夜」 「営業」と、スマホで検索して見つけたのは、不夜城と言われる夜の街の、片隅の花屋。
金なんかないのに、黒薔薇と赤百合と白いカラーを買った。花言葉は、永遠の愛と、願望と、清純。
「俺だって、綺麗だって、言いたかったさ」
呟いて、小さなブーケに視線を落とす。
哲也だって知っている。莉緒の魅力が、外見だけでないことも……きっと、今でも。
◇
ブーケと共に終電に揺られると、眠気と共に、思考は中学時代に飛んだ。
埃と汗の匂いが染みついた、中学校の体育館のステージ。ぎこちない照明に照らされて……けれどたった一人、磨き上げられたセリフを口にしていた、演劇部の先輩――莉緒。
美しさと努力家の性格があいまって、莉緒は、いつも主役級を演じていた。だが、役者としてだけでなく、人手の足りない大道具も、率先して手伝っていた。いや、手伝うというレベルではなかった。彼女の作る大道具は、プロ顔負けの出来栄えだった。
ある学内公演の一週間前。莉緒先輩が、徹夜して作り上げた『ジュリエットのバルコニー』が、体育館のステージに設置された。彫刻のような装飾、本物と見紛うほどの重厚な質感。それは、もはや大道具というより、芸術品だった。
「すごい! 莉緒先輩、天才だよ!」
「本物みたい!」
賞賛の嵐の中、莉緒先輩だけは、腕を組んで、厳しい顔で自分の作品を睨みつけていた。そして、静かに首を振った。
「だめ。これじゃ、役者より目立ってしまう」
「え?」
部員たちの声が、水を打ったように静まり返る。
「舞台の調和を崩すセット、悪目立ちするセットはいらないの。主役はあくまで、舞台に立つ役者。大道具は、その世界観を支えるための、黒子でなくちゃ」
彼女は、カッターナイフを手に取ると、部員たちの制止を振り切り、自らの手で、「バルコニー」を傷つけた。そして表面の装飾を切り取ると、よりシンプルな、目立たないデザインへ作り変えた。
徹夜の成果も、周囲からの絶賛も、莉緒はあっさりと切り捨てた。
自分の才能や努力をひけらかす、我の強い演劇部員が多い中。舞台全体の調和のために、いとも容易く自分の「我」を殺してみせる彼女の姿は……当時の哲也の目には、ひどく大人びて見えた。いつしか目で莉緒を追うようになり……彼女が卒業してから『初恋だった』と気づいた。
――淡い、青い、思い。
◇
電車が哲也の最寄り駅に着いた。目を開いて、歩き出す。
(……今日、莉緒の花を見て……思った。俺が惹かれた貴方は、変わっていない。だが)
たとえ、どれほど惹かれても、この物語の結末は決まっている。
昔、医者の役作り用に見た、肌色の胃粘膜に穴が開いていく動画を思い出した。まるでナイフでザクザクと刺されているように、痛みなどというレベルでなく痛む。薬など、とうに効かなくなっている。
「痛みさえ糧にして、上に行ってみせるさ」
ハードボイルドな誓いは、夜空に溶けた。
◇
「それで、次の作戦は?」
下北沢のカフェのテーブルで、相田はキラキラした瞳を哲也に向けた。
これから莉緒の店、『フラワー・トランス』に乗り込むことになっている。
「まず、お前が莉緒さんの花のどこに一番惹かれるのか、それを言語化しろ。お前の言葉で、莉緒さんの心を撃ち抜くんだ」
哲也はハードボイルドに煙草……の代わりにストローを咥え、アイスティーを啜った。胃の保護のために、氷は少なめだ。
「言語化、ですか……。ええと、その……なんていうか、こう、莉緒さんの花をみてると、心にワッてきて、グン!ってなるんです!」
「またそのフワフワ・ギューン理論か!……いいか、相田。フワフワやギューンは、お前の心の中だけにしておけ。もっと分かりやすく伝えるんだ。俳優には『サブテキスト』という技術がある。言葉の裏にある感情を、音に乗せる……」
「さ、さぶてきすと……? で、でも、どうやって……。僕、哲也さんみたいにカッコいいこと言えないし……」
子犬は、また耳をへにょりと垂れさせた。
仕方がない。依頼人への指導も、レンタル当て馬の仕事のうちだ。
「鮮やかな孤独、という、前回のお前の表現は悪くなかった。……いいか、よく見てろ。百聞は一見にしかず、だ。俺がもし、葉山莉緒の”最高の賛美者”を演じるなら……」
哲也は静かに目を閉じた。
「……例えば、こうだ」
哲也は、パン、と両手を軽く打ち合わせる。スイッチを入れるための、哲也の儀式。
次の瞬間、哲也はもう、哲也ではなかった。
さっきまで猫背気味だった背筋が、ピンと天を貫く。胃痛が、消えた。カフェの喧騒も、潮が引くように哲也の意識から消えていく。
目の前には、相田じゃない。――葉山莉緒がいる。
そして、目の前に、彼女の作品があるとして。
純白のカラーと胡蝶蘭。
そして、黒薔薇と赤百合のコントラスト。
その花にこの手で触れる、ならば。
哲也の唇が、ゆっくりと動いた。
「……鮮やかな孤独」
ぽつりと漏れた、哲也の一言。
隣の席で恋バナをしていた女子大生二人が、声に惹き付けられたのかーーぴたりと口を閉ざす。
ウィスパー、という技術。囁き声に聞こえるのに、広い劇場の最後の席まで、しっかり声が届く。
「数日で消えゆく花の命は、けれど遥かなる時を、種を繋いできた……」
哲也は、まるでそこに置かれた花に触れるかのように、そっと宙に指を這わせる。うっとりとした表情で。
相田が「て、哲也さん……?」と呟くが、哲也の耳には届かない。哲也は今、役の中を生きている。
「この色彩の鮮やかさは、ただ美しいだけじゃない。花の命を繋いできた人々と、花を見つめることで、過去を乗り越えてきた人々の気持ちの表れ。光と影、生と死……その相反するものを内包しているからこそ、見る者の胸を締め付ける」
哲也はガタッと席を立ち、テーブルに乗り出した。哲也に、店内にいた全員の視線が突き刺さる。
「この胡蝶蘭の先には見える、花と人々の千年の孤独が……」
哲也は、虚空に差し伸べた右の拳を、ぐっと握りしめた。
「…………」
「…………」
店内は、水を打ったように静まり返っていた。女子大生はスマホをいじるふりをしながら、明らかに動画を撮っている。店員は、呆然と立ち尽くしている。
ただ一人、相田だけが、両手を固く握りしめ、瞳を潤ませていた。
「す、すげえ……! 僕、今、目の前に莉緒さんと、鮮やかな花が見えました……! 魔法みたいでした!」
相田の拍手の音を聞いた瞬間、哲也の全身から、ふっと力が抜けた。
「魔法じゃない。技術だ。『対象への没入』と『客観的な視点』の共存」
(しかし、千年の孤独って何だよ?)
憑依演技はできた。しかし、台詞はいただけなかった。哲也は即興演技は苦手だし、脚本は書けないのだ。
「……う」
どさっ、と音を立てて、哲也は椅子に崩れ落ちた。急激な精神力の消費は、哲也の貧弱な胃に、多大なダメージを与える。
「……魂、使いすぎた……。胃が、反転しそうだ……」
「哲也さん!? 大丈夫ですか!? でも、最高でした! 」
相田が、満面の笑みで拍手を続ける。
(やめろ、目立つ)
ただでさえ、哲也は今、このカフェで最も危険な不審者だ。
哲也はガタガタと震える手でポケットから胃薬のシートを取り出し、口に放り込んだ。
「……いいか、相田……。今のセリフ、丸暗記じゃ、ダメだぞ……。お前の、魂で、言え……。でないと……俺みたいに、胃に、穴が……開く……」
虫の息で伝えると、相田は太陽のような笑顔で、力強く頷いた。
「はいっ! 分かりました! 僕、莉緒さんの前で、頑張って胃に穴を開けます!」
違う、そうじゃない。
哲也は、もはやツッコむ気力もなく、静かに白目をむいた。




