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夜明け前の気配
まだ空が青くも黒くもない時間。
美咲の寝息だけが、静かに部屋に満ちていた。
あきおは、
その枕元に座っていた。
(……今日だ)
胸の奥で、
何かが静かに決壊する音がした。
ケンが言った通り、
もう“言葉”はほとんど出ない。
美咲の名前を呼ぼうとしても、
喉の奥で霧のように消えてしまう。
(美咲……
俺は……)
言いたいことは山ほどあるのに、
どれも声にならない。
ただ、
美咲の寝顔を見つめることしかできなかった。
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◆ 2 朝の光と、胸の痛み
美咲が目を覚ました。
「……あき?」
あきおは、
いつものように枕元にいた。
美咲は微笑んだ。
「おはよう。
今日も一緒にいようね」
その言葉に、
胸が痛んだ。
(……一緒にいたいよ。
でも……)
美咲は気づかない。
あきおの目の奥にある、
“別れの影”に。
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◆ 3 藤堂からのメッセージ
朝食を終えた頃、
美咲のスマホが震えた。
画面には
藤堂
の名前。
美咲は少し戸惑いながら開いた。
「今日、もしよかったら……
夕方、少し話せませんか?」
美咲はスマホを見つめたまま、
しばらく動かなかった。
「……どうしよう」
あきおは胸が締めつけられた。
(行けよ……
美咲。
お前は……前に進め)
でも、
その言葉は声にならない。
美咲はあきおを見つめた。
「ねぇ、あき。
私……行ってもいいのかな」
あきおは、
美咲の手に頭を押しつけた。
(行け……
美咲)
美咲は小さく笑った。
「……ありがとう。
あきは、いつも背中を押してくれるね」
胸が痛い。
痛くて、苦しくて、
でも嬉しかった。
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◆ 4 夕暮れの部屋で
美咲は外出の準備をしていた。
「すぐ帰るからね。
あき、いい子で待ってて」
あきおは、
玄関までついていった。
(……待ってるよ。
最後まで)
美咲は靴を履き、
扉を開けた。
「行ってきます」
その声が、
あきおが聞いた“最後の美咲の声”になった。
扉が閉まる。
静寂が落ちた。
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◆ 5 ケンの訪れ
窓の外から、
軽い声がした。
「よ。
覚悟はできたか?」
ケンがベランダに立っていた。
あきおは振り返らない。
(……美咲は……
幸せになれるか?)
ケンは少し驚いたように目を細めた。
「なるよ。
あの子は強い。
そして……
お前が支えた時間が、ちゃんと残ってる」
あきおは目を閉じた。
(……なら……
いい)
ケンは静かに言った。
「行くぞ。
お前の役目は終わった」
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◆ 6 消えていく身体
あきおの身体が、
ふっと軽くなった。
足元から、
輪郭が薄れていく。
(……美咲……
ありがとう……)
声にならない言葉が、
胸の奥で震えた。
(……愛してる……
ずっと……)
最後に残ったのは、
美咲の笑顔の記憶だけ。
そして──
あきおは静かに消えた。
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◆ 7 美咲の帰宅
夕暮れ。
美咲が帰ってきた。
「ただいま、あき──」
言いかけて、
息を呑んだ。
部屋が、
静かすぎた。
「あき……?」
どこにもいない。
キャリーにも、
ソファにも、
窓辺にも。
美咲は震える声で呼んだ。
「あき……?
どこ……?」
返事はない。
美咲は膝から崩れ落ちた。
「……いやだ……
いやだよ……
あき……!」
涙が床に落ちる。
その時、
ふわりと風が吹いた。
美咲の頬を、
優しく撫でるように。
美咲は涙の中で微笑んだ。
「……あきお……
ありがとう」
その声は、
消えていった魂に
確かに届いていた。




