第十七話 消えていく輪郭
第十七話 消えていく輪郭
朝。
美咲がキッチンで朝食を作っていると、
あきおは足元にすり寄った。
「おはよう、あき」
美咲の声は優しい。
その響きに胸が温かくなる。
(おはよう……)
言おうとした瞬間、
頭の中で言葉が霧散した。
(……あれ……?
“おはよう”って……どう言うんだっけ)
美咲は気づかず微笑んだ。
「今日もかわいいね」
あきおは喉を鳴らした。
ゴロ……ゴロ……
(……俺はまだ俺だ。
まだ……大丈夫だ)
そう思い込もうとした。
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◆ 美咲のスマホに光る名前
朝食後。
美咲のスマホが震えた。
画面には
「藤堂」
の文字。
美咲は少し驚いたように、
でもどこか嬉しそうに電話に出た。
「はい、藤堂さん?
……え、今日の件ですか?
はい、大丈夫です」
あきおはソファの上から見つめていた。
(藤堂……
また……)
胸の奥がざわつく。
美咲は電話を切ると、
少し頬を赤くしていた。
「今日ね、藤堂さんと打ち合わせなの。
なんか、緊張するなぁ」
あきおは視線をそらした。
(……緊張、か。
俺と会う時は……
そんな顔、してなかったよな)
胸が痛い。
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◆ 記憶の欠片が落ちる
美咲が仕事へ出かけたあと。
あきおは窓辺に座り、
外を眺めていた。
(……藤堂……
どんな奴なんだろう)
考えようとした瞬間、
別の記憶がふっと浮かんだ。
美咲と行ったカフェ。
美咲と歩いた公園。
美咲と笑い合った夜。
(……あれ……
この時……
俺、何を話したんだっけ)
思い出そうとすると、
記憶の輪郭がぼやけていく。
(……嘘だろ……
忘れたくないのに……)
胸が締めつけられた。
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◆ ケンの影
その時、
窓の外から声がした。
「おーい。
調子どうだ?」
ケンがベランダに座っていた。
あきおは睨んだ。
(……お前の言った通りになってきてる)
ケンは肩をすくめた。
「だから言ったろ。
猫の身体は強いんだよ。
魂を引っ張る力がな」
(……俺は……
美咲を忘れたくない)
ケンは真顔になった。
「じゃあ、決めろ。
猫として生きるか、
人間に戻る方法を探すか。
どっちつかずじゃ、全部失うぞ」
あきおは震えた。
(……まだ……
決められない……)
ケンはため息をついた。
「時間は、もうそんなに残ってない」
そう言い残し、
風のように消えた。
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◆ 美咲の帰宅
夕方。
美咲が帰ってきた。
「ただいま、あき」
声が少し弾んでいる。
「今日ね、藤堂さんに褒められたの。
“美咲さんの意見、すごく良かったです”って」
あきおは胸が痛んだ。
(……良かったな。
美咲)
美咲はあきおを抱き上げた。
「ねぇ、あき。
私、少しずつ前に進めてるのかな」
あきおは美咲の胸に顔をうずめた。
(……進めよ。
美咲。
俺が……どうなっても)
でも、
その言葉は声にならなかった。
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◆ 夜、消えかけた記憶
美咲が眠ったあと。
あきおは窓辺に座り、
夜空を見上げた。
(……美咲……
俺は……
どうすれば……)
その時、
ふと気づいた。
美咲の“声”は覚えているのに、
美咲の“苗字”が思い出せなかった。
(……嘘だろ……
なんで……
なんで忘れるんだよ……)
涙がこぼれそうになった。
猫の身体では泣けない。
でも、心は確かに泣いていた。




