第一話 はじまり
著者:比奈我弥生
第一話 はじまり
あきおは、仕事帰りの散歩をしていた。
ただ歩くだけの、いつもの帰り道。
「今日は寒いな……」
そんな独り言を言った瞬間、
茂みから“何か”が飛び出した。
「うわっ、猫!?」
反射的に足が動き、
なぜか蹴り上げる形になってしまった。
猫は「にゃっ」と短く鳴き、道路へ転がる。
そのタイミングで、
バイクのエンジン音が迫ってきた。
「いやいやいや、なんで今なんだよ!」
あきおは半ばパニックのまま飛び込み、
猫を抱きかかえて転がった。
猫は助かった。
だが──
「……あ、これ……やば……」
視界がぐにゃりと歪む。
そのとき。
「はいはい、魂回収っと。……ん? これ? まあいいか、急いでるし!」
犬耳スーツの男が、
あきおの魂をひょいっと持ち上げた。
「ちょ、待っ──」
言い終わる前に、
意識は闇に吸い込まれた。
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◆ 冥界・魂保管庫
棚に光球が並ぶ静かな空間。
魂護送犬ケン・ハウンドは、鼻歌まじりに魂を置いた。
そこへ、青い作業服の犬が駆け寄る。
「ケン、それ……人間の魂だぞ」
「えっ、猫じゃなかったの?」
「猫の近くにいただけだろ。
しかも明日、冥界納品日だ。
トラ様にバレたら、お前……蒸発だ」
ケンの耳がしゅんと垂れた。
「ど、どうしよう……」
ワン・ギアは深くため息をついた。
「……身体が残ってるか確認しよう。
戻せる可能性はゼロじゃない」
ケンは勢いよく立ち上がった。
「行こう! 一緒に来てくれ!」
「仕方ない……お前一匹じゃ余計にやらかす」
二匹は境界の霧へと足を踏み入れた。
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◆ 人間界・葬儀場
線香の匂いが漂う夜。
ケンとワン・ギアは裏手へ回った。
火葬炉の扉は、まだ赤い熱を帯びていた。
ワン・ギアが静かに言った。
「……遅かった……」
ケンはその場に座り込み、耳を垂らした。
「そんな……
俺が……間違えたせいで……」
ワン・ギアは札を拾い上げる。
“故・秋尾 明生”
「これで確定だね。
身体はもう戻らない」
ケンは震える声で言った。
「どうすれば……」
ワン・ギアは黙り込んだ。
二匹は火葬炉の前で、しばらく動けなかった。
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◆ ◆ 運命のズレに気づく
ケンがぽつりと言った。
「そう言えば……あの猫、本来なら死ぬはずだったんだよな」
ワン・ギアが目を細める。
「そうだ。
あの事故で死ぬ予定だった猫の魂を回収するはずだった。
でも……あきおが助けたせいで、生き延びた」
「じゃあ……冥界には“死ぬ予定だった猫の魂”が届いてない?」
「届いてない。
魂の数が合わない。
トラ様にバレたら……終わりだ」
ケンは震えながら言った。
「……じゃあさ。
その猫の身体に……この魂を入れてっと…猫の魂を…
帳尻、合うんじゃない?」
ワン・ギアは絶句した。
「お前……正気か?」
「正気じゃないよ!
でも、他に方法がないんだ!」
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◆ ◆ 公園のベンチへ
夜の公園。
街灯の下のベンチで、
あきおが助けた猫が丸くなって眠っていた。
生き延びた猫。
本来なら死ぬはずだった猫。
そこへ──
ケン、ワン・ギア、そして交換技術ワンワンの三匹が現れた。
交換技術ワンワンは震えていた。
「本当にやるのか……?
生きてる猫に魂交換なんて……前例がないぞ」
ケンは必死だった。
「頼むよ……!
これしかないんだ……!」
ワン・ギアも小さく頷く。
「……やるしかない」
交換技術ワンワンは深く息を吸い、装置を構えた。
「……始めるぞ」
光が弾け、
猫の身体に、あきおの魂が吸い込まれていった。
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◆ ◆ 猫として目覚めるあきお
視界が低い。
匂いが濃い。
何かかゆい。
身体が軽い。
尻尾が……ある。
「……にゃ?」
なぜ、なぜ……にゃ。
あきおはパニックになり、
なぜか走り出した。
向かった先は──自分の家。
だが、
そこはもう“あきおの帰る場所”ではなかった。
ここから物語が始まる。




